1. 生涯
ディートリッヒ・クライスの生涯は、ドイツが経験した二つの世界大戦と、それに伴う激動の時代を軍人として生き抜いた軌跡である。彼の軍歴は、小隊長から始まり、最終的には陸軍中将にまで昇進し、数々の重要な戦役で指揮を執った。

1.1. 出生と初期
ディートリッヒ・クライスは1889年11月16日にドイツシュトゥットガルトで生まれた。1909年3月24日、彼は士官候補生としてヴュルテンベルク王国の第126歩兵連隊(第8ヴュルテンベルク歩兵連隊「バーデン大公フリードリヒ」)に入隊し、軍人としての道を歩み始めた。
1.2. 第一次世界大戦
第一次世界大戦が勃発すると、クライスは第126歩兵連隊の小隊長として西部戦線で従軍した。その後、連隊機関銃将校、連隊参謀、大隊長など様々な役職を歴任し、戦場での経験を積んだ。1915年6月18日には中尉に、1918年7月15日には大尉に昇進した。この間の功績により、彼は鉄十字章2級および1級、ホーエンツォレルン家勲章剣付、ツェーリンゲン獅子勲章騎士2級、ヴュルテンベルク軍事功労勲章、戦傷章黒章など、多くの叙勲を受けた。
1.3. 戦間期
第一次世界大戦終結後も、クライスはヴァイマル共和国軍に残り軍務を続けた。彼は様々な歩兵連隊で中隊長を務め、1925年から1928年にかけてはドレスデンの歩兵学校で教官として後進の指導にあたった。1931年5月1日には少佐に昇進し、ベルリンの国防省に転属。この任は1934年末まで続いた。1934年10月1日には中佐に昇進し、故郷ヴュルテンベルクのルートヴィヒスブルク歩兵連隊および第119歩兵連隊で大隊長を務めた。1937年3月1日に大佐に昇進すると、同年10月11日にはハンブルクに駐屯する第90歩兵連隊の連隊長に任命された。
1.4. 第二次世界大戦
ディートリッヒ・クライスの軍歴は、第二次世界大戦においてその頂点に達した。彼は数々の重要戦役で師団を指揮し、その指導力と戦術的判断が高く評価された。
1.4.1. ポーランド・フランス戦役
第二次世界大戦が勃発した1939年、クライスは連隊長としてポーランド侵攻に従軍した。その後、彼の部隊は西方電撃戦の準備のためドイツ本国へと移された。1940年5月からは第20歩兵師団の一部としてオランダおよびフランスへの侵攻と占領作戦に従事した。1941年2月1日には少将に昇進し、その翌月3月15日には短期間総統予備(予備役将校)に編入された。
1.4.2. 東部戦線
1941年7月8日から1943年3月9日まで、クライスは第168歩兵師団長を務め、東部戦線でバルバロッサ作戦に参加した。特にハリコフ攻防戦における師団指揮の功績を称えられ、1942年7月23日に騎士鉄十字章を受章した。1942年10月1日には陸軍中将へと最終昇進を遂げた。1943年4月には新設の第355歩兵師団長に任命されたが、同師団はマレファ近郊での赤軍との激戦で甚大な損害を被り、1943年11月9日に解体された。
1.4.3. ノルマンディー戦役
1943年11月6日、クライスはフランス北部に駐屯する新設の第352歩兵師団長に任命された。この師団は兵員約7,400名を擁し、他の6個師団と共にノルマンディーへの連合軍上陸に備えていた。連合軍がオマハ・ビーチとゴールド・ビーチに上陸を開始すると、第352歩兵師団は海岸防衛の最前線に送られた。この際、彼はアドルフ・ヒトラーが厳命した海岸での死守命令を無視し、部隊を海岸から約20 km後方にあるより堅固な防衛線に退却させた。この戦術的判断は、海岸での無謀な消耗戦を避けることで部隊の生存性を高め、その後数週間にわたり連合軍の進撃を効果的に阻止することに成功した。彼のこの行動は、軍事的な合理性を優先し、政治的干渉に屈しない指揮官としての卓越した能力を示している。
1.5. 最期
ディートリッヒ・クライスは、ノルマンディー戦役中の1944年8月2日、サン=ロー南方地区で連合軍の砲爆撃により致命傷を負った。彼は同日、ドンフロン近郊のペロンにある応急救護所で死亡した。公式な死亡日は1944年8月6日とされている。
2. 階級と役職
ディートリッヒ・クライスの階級と彼が歴任した主要な役職は以下の通りである。
昇進年月日 | 階級 | 役職 |
---|---|---|
1909年3月24日 | 少尉 | 第126歩兵連隊 士官候補生 |
1915年6月18日 | 中尉 | 第126歩兵連隊 小隊長 |
1918年7月15日 | 大尉 | 第126歩兵連隊 中隊長 / 連隊機関銃将校 / 連隊参謀 / 大隊長 |
1919年8月30日 | 第26猟兵連隊 中隊長 | |
1920年10月1日 | 第25歩兵連隊 中隊長 | |
1921年1月1日 | 第13歩兵連隊 中隊長 | |
1925年2月 | 歩兵学校 派遣 | |
1928年10月1日 | 歩兵学校 教官 / 第13歩兵連隊 中隊長 | |
1931年5月1日 | 少佐 | 国防省 転属 |
1934年10月1日 | 中佐 | ルートヴィヒスブルク歩兵連隊 大隊長 |
1935年10月15日 | 第119歩兵連隊 大隊長 | |
1937年3月1日 | 大佐 | |
1937年10月11日 | 第90歩兵連隊 連隊長 | |
1941年2月1日 | 少将 | |
1941年3月15日 | 第10軍管区 予備役将校 | |
1941年7月8日 | 第168歩兵師団長 | |
1942年10月1日 | 陸軍中将 | |
1943年3月9日 | 第168歩兵師団長 退任 | |
1943年3月25日 | 第10軍管区 予備役将校 | |
1943年5月14日 | 第355歩兵師団長 | |
1943年11月6日 | 第352歩兵師団長 |
3. 叙勲
ディートリッヒ・クライスが軍務中に授与された主要な勲章と表彰は以下の通りである。
- 鉄十字章
- 2級鉄十字章: 1914年9月18日
- 1級鉄十字章: 1915年6月7日
- 戦傷章黒章: 1918年
- 鉄十字章略章(1939年)
- 2級鉄十字章略章: 1939年9月18日
- 1級鉄十字章略章: 1939年10月3日
- ドイツ黄金十字章: 1942年2月28日(少将、第168歩兵師団長として)
- 騎士鉄十字章: 1942年7月23日(1047番目、少将、第168歩兵師団長として)
- 柏葉付騎士鉄十字章: 1944年8月11日(549番目、死後追贈、陸軍中将、第352歩兵師団長として)
4. 評価
ディートリッヒ・クライスの軍事的業績は、第二次世界大戦におけるドイツ国防軍の指揮官として特に注目される。彼の戦略的洞察力と戦術的実行力は、厳しい戦況下での師団指揮において顕著に表れた。
4.1. 軍事的功績と影響
クライスの指揮能力は、特に東部戦線におけるハリコフ攻防戦での第168歩兵師団の指導や、ノルマンディー戦役での第352歩兵師団の指揮において高く評価されている。ノルマンディーでは、彼はアドルフ・ヒトラーの非現実的な死守命令を拒否し、部隊を後退させて強固な防衛線を構築するという、軍事的に合理的かつ大胆な判断を下した。この決断は、部隊の無駄な消耗を避け、結果的に連合軍の進撃を数週間にわたり遅延させることに成功した。彼のこの行動は、盲目的な命令遂行ではなく、戦況に応じた柔軟かつ独立した判断が、いかに戦局に影響を与えるかを示す典型的な例として、戦史において重要な意味を持つ。彼は、政治的イデオロギーよりも軍事的な有効性を優先する、プロフェッショナルな軍人であったと言える。
4.2. 死後の栄誉
ディートリッヒ・クライスは戦死後の1944年8月11日に、ドイツ国防軍の最高位の勲章の一つである柏葉付騎士鉄十字章を追贈された。
この栄誉は、彼の軍事的功績、特にノルマンディー戦役における勇敢な指揮と戦術的判断が、ドイツ軍上層部によっても高く評価されたことを示している。彼の死後の叙勲は、絶望的な戦況下で最後まで職責を全うし、軍人としての務めを果たした彼への、祖国からの最大限の敬意の表れであった。