1. 初期生い立ち
ドナルド・クリスプは、自身の幼少期について様々な虚偽の主張をしていたが、実際にはロンドンで生まれ、労働者階級の家庭に育った。
1.1. 出生と幼少期
クリスプは1882年7月27日、ロンドンのボウにあるクレイ・ホール・ロード3番地で、ジョージ・ウィリアム・クリスプとして生まれた。彼は労働者であるジェームズ・クリスプとエリザベス(旧姓クリスティ)の間に生まれた10人兄弟(男子4人、女子6人)の末っ子であった。地元で教育を受け、1901年には両親と同居し、馬車を運転する仕事をしていた。
1.2. 学歴と虚偽の主張
クリスプは、死後数十年経ってから虚偽であることが判明する多くの主張を自身の初期の人生について行っていた。彼は1880年にスコットランドのアバフェルディで生まれたと主張し、ハリウッドでの生涯を通じてスコットランド訛りを維持することまでした。しかし実際には、彼にはスコットランドとの繋がりは一切なかった。それにもかかわらず、1996年にはスコットランドのコメディアンであるジミー・ローガンによって、クリスプが生まれたとされるアバフェルディに彼を記念する銘板が設置された。彼はまた、父親が牛の飼育業者、田舎医者、あるいはエドワード7世の王室医であったと、時折異なる主張をしていた。さらに、イートン・カレッジとオックスフォード大学で教育を受け、ボーア戦争では第10軽騎兵連隊の騎兵として従軍したとも主張していた。
2. 初期キャリア
クリスプはアメリカへの移住後、演劇界で経験を積み、後に映画監督となるD.W.グリフィスとの出会いを経てハリウッドへと進出した。サイレント映画時代には俳優として数々の作品に出演し、監督としてもデビューを果たした。
2.1. 演劇とハリウッド進出
1906年7月、SSカルマニア号でアメリカへ向かう船旅中、船内コンサートでのクリスプの歌唱力が、オペラの興行主ジョン・C・フィッシャーの目に留まり、すぐに彼の会社での仕事のオファーを受けた。クリスプはニューヨーク市で最初の1年間をグランド・オペラで過ごし、翌年には舞台監督として活動した。アメリカとキューバを巡業中に、クリスプは初めて劇場に興味を抱いた。1910年までに、ジョージをミドルネームとして残しつつ「ドナルド」という名前を使うようになったクリスプは、著名なエンターテイナー、作曲家、劇作家、監督であるジョージ・M・コーハンの舞台監督として働いていた。この時期に彼は映画監督のD・W・グリフィスと出会い、親交を深めた。1912年、グリフィスがハリウッドで成功を求めて西へ向かう際、クリスプも彼に同行した。
2.2. 初期映画活動
1908年から1930年にかけて、クリスプは数十本の映画を監督しただけでなく、約100本のサイレント映画に出演した。その多くは端役や小さな役であったが、いくつかの注目すべき例外もある。その一つは、1915年のグリフィス監督の画期的な映画『國民の創生』でグラント将軍としてキャスティングされたことである。もう一つは、1919年のグリフィス監督の映画『散り行く花』で、ヒロインのルーシー・バロウズ(リリアン・ギッシュが演じた)の残忍で虐待的な父親「バトリング・バロウズ」役を演じたことである。

3. 監督キャリア
クリスプはD.W.グリフィスの助手を数年間務め、映画の物語を伝える初期の達人であり、映画の編集におけるクロスカッティングなど、多くの初期の技術を進歩させたグリフィスから多くのことを学んだ。この経験は、クリスプ自身も監督になりたいという同様の情熱を育んだ。彼の最初の監督作品は1914年に製作された『Little Country Mouse』である。この時代、多くの監督(そして俳優)は1年間で12本以上の映画を製作することがあった。その後15年間で、クリスプは合計約70本の映画を監督し、中でもバスター・キートンと共演した『航海者』(1924年)や、ダグラス・フェアバンクスと共演した『怪傑ゾロ』(1925年)が特に有名である。
後にインタビューで、なぜ最終的に監督業を辞めて俳優業に専念したのかと尋ねられた際、クリスプは、監督業は非常に疲れるものであったと述べた。それは、スタジオの幹部から親族を自分の映画に雇うよう、しばしば求められたり、強制されたりしたためである。彼の最後の監督作品は1930年の映画『The Runaway Bride』であった。
4. 俳優キャリア
1930年代以降、トーキー映画の時代に入ると、クリスプは監督業を完全にやめ、俳優業に専念するようになった。彼は引っ張りだこの性格俳優となり、幅広い役柄で多くの作品に出演した。
4.1. 主要な役柄とアカデミー賞
1930年代から1940年代にかけて、彼はその時代の最も偉大なスターたちと共演し、幅広い役柄を演じた。例えば、『小牧師』(1934年)や『女は反抗する』(1936年)でのキャサリン・ヘプバーン、 『戦艦バウンティ号の叛乱』(1935年)でのチャールズ・ロートンとクラーク・ゲーブル、『或る女』(1937年)や『黒蘭の女』(1938年)でのベティ・デイヴィスとヘンリー・フォンダ、『嵐が丘』(1939年)でのローレンス・オリヴィエ、『女王エリザベス』(1939年)、『進め龍騎兵』、『シーホーク』(1940年)でのエロール・フリン、そして『愛の決断』(1945年)でのグレゴリー・ペックとの共演などがある。
多才な助演男優であったクリスプは、愛らしい役柄も不吉な役柄も同様に巧みに演じることができた。同時期に『緑園の天使』や『名犬ラッシー 家路』のような古典映画で愛情深い父親像や魅力的な老紳士を演じる一方で、ルイス・アレン監督の『呪いの家』(1944年)では、苦悩する推定祖父であるビーチ司令官役で高い評価を得た。しかし、クリスプの最も記憶に残る役は、間違いなくジョン・フォード監督の『わが谷は緑なりき』(1941年)での寡黙だが愛情深い父親役である。この映画は10部門でアカデミー賞にノミネートされ、作品賞を含む5部門を受賞し、クリスプは1942年にアカデミー助演男優賞を受賞した。

5. 軍務
グリフィスや他のプロデューサーのもとでの仕事や、多くの俳優としての役柄の合間に、クリスプはイギリスに戻り、第一次世界大戦中(1914年-1918年)にはイギリス陸軍情報部に勤務した。1930年にはアメリカ市民となり、第二次世界大戦中(1939年-1945年)にはアメリカ陸軍予備役に勤務し、大佐の階級に達した。
6. ハリウッドの有力者
クリスプは、映画業界と外部のビジネス界との間で活発かつ重要な連絡役を務めた。ビジネス、軍事、エンターテイメントにおける彼の幅広い経験は、プロデューサーやスタジオ幹部としての経験を含め、この役割に大いに役立った。彼は非常に高く評価される顧問となり、その明晰な先見性は、長年にわたり映画業界の主要な運転資金源であったバンク・オブ・アメリカにとって計り知れない価値があることを証明した。クリスプは数十年間、同行の諮問委員会に名を連ね、その議長を務めた時期もあった。この役割において、彼は同行の取締役会の意見を聞き入れ、1930年代から1940年代にかけて同行が最終的に融資した多くの映画は、クリスプから最も重要な承認を得ていた。
7. 私生活
クリスプは3度結婚している。1912年に女優のヘレン・ピースと結婚したが、翌年に彼女が亡くなるまで共に過ごした。1917年にはマリー・スタークと結婚したが、1920年に離婚した。彼女はその後、マリー・クリスプとしてサイレント映画に出演した。1932年には映画脚本家のジェーン・マーフィンと結婚したが、1944年に離婚した。
8. 晩年と遺産
ドナルド・クリスプの晩年は、長きにわたるキャリアの集大成であり、経済的な成功と映画界への多大な貢献が特徴的である。彼は引退後も精力的に活動を続け、その功績は数々の栄誉によって称えられ、ハリウッドにおける彼の全体的な影響力は後世にまで及んだ。
8.1. 生涯の終焉
クリスプは最終的に映画業界で最も裕福な人物の一人となった。彼の「銀行家のような堅実さ」、広範な人脈、そして明晰な思考力は、特に不動産市場において彼に良い投資をもたらした。彼は1950年代から1960年代初頭にかけても映画に出演し続けた。半世紀以上にわたる俳優としてのキャリアの中で、彼は400本もの短編映画や長編映画に出演しており、実際にはそれよりもはるかに多い可能性がある。500本以上の映画に出演したとされるジョン・キャラダインは、彼の息子キース・キャラダインに、ドナルド・クリスプだけが彼よりも多くの映画に出演していると語ったと、2018年のギルバート・ゴットフリードのポッドキャストでキースが繰り返している。クリスプの最後のスクリーン出演は、1963年の映画『スペンサーの山』で、かつての共演者であるヘンリー・フォンダやモーリン・オハラと共にグランパ・スペンサー役を演じた。この映画はアール・ハムナー・ジュニアの小説を原作としており、1970年代のテレビシリーズ『わが家は11人』の基礎となった。
クリスプは経済的に必要がなくなった後も、単に仕事を楽しむために働き続け、80代になってようやく俳優業を完全に引退した。彼は1974年に脳卒中の合併症により、92歳の誕生日を数ヶ月前にして死去した。彼はその時代の主要な性格俳優の一人であっただけでなく、50年以上にわたり貢献した映画業界に広範な功績を残した。彼はカリフォルニア州グレンデールのフォレスト・ローン・メモリアル・パーク墓地に埋葬されている。彼は熱心な共和党員であり、1944年にはトーマス・E・デューイの選挙運動を支援した。
8.2. 受賞と栄誉
1960年2月8日、クリスプは映画業界への貢献を称えられ、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星をヴァイン・ストリート1628番地で授与された。
8.3. 全体的な影響力
ドナルド・クリスプは、俳優、監督、プロデューサー、そして映画業界と金融界を結びつける有力者として、ハリウッドの発展に多大な影響を与えた。彼の多岐にわたる活動と長期にわたるキャリアは、映画産業の形成期から黄金期にかけての重要な役割を果たし、その遺産は後世の映画製作者や俳優たちにも影響を与え続けている。
9. フィルモグラフィー
9.1. 俳優として
- 『The French Maid』(1908年、短編)
- 『Through the Breakers』(1909年、短編)
- 『Sunshine Sue』(1910年、短編)
- 『A Plain Song』(1910年、短編)
- 『A Child's Stratagem』(1910年、短編)
- 『The Golden Supper』(1910年、短編、クレジットなし)
- 『Winning Back His Love』(1910年、短編)
- 『二つの道』(1911年、短編)
- 『遠い昔の鼓動』(1911年、短編)
- 『老人に何をすべきか?』(1911年、短編)
- 『貧民窟の百合』(1911年、短編)
- 『運命の布告』(1911年、短編)
- 『荒野の白薔薇』(1911年、短編)
- 『彼女の目覚め』(1911年、短編)
- 『原始の呼び声』(1911年、短編)
- 『影からの脱出』(1911年、短編)
- 『男の誕生』(1911年、短編)
- 『長い道』(1911年、短編)
- 『戦い』(1911年、短編)
- 『守銭奴の心』(1911年、短編)
- 『イタリア人の床屋』(1911年、短編)
- 『Help Wanted』(1911年、短編)
- 『運命の転換』(1911年、短編)
- 『The Poor Sick Men』(1911年、短編)
- 『A Wreath of Orange Blossoms』(1911年、短編)
- 『Conscience』(1911年、短編)
- 『In the Days of '49』(1911年、短編)
- 『The Diving Girl』(1911年、短編)
- 『剣と心』(1911年、短編)
- 『The Squaw's Love』(1911年、短編)
- 『ビリーの冒険』(1911年、短編)
- 『The Failure』(1911年、短編)
- 『永遠の母』(1912年、短編)
- 『ピック・アレーの銃士たち』(1912年、短編)
- 『内輪』(1912年、短編)
- 『海賊の黄金』(1913年、短編)
- 『地球に近い』(1913年、短編)
- 『保安官の赤ちゃん』(1913年、短編)
- 『オーラフ-原子』(1913年、短編)
- 『母の心』(1913年、短編、未確認)
- 『砂漠の二人』(1913年、短編)
- 『白黒』(1913年、短編)
- 『性の戦い』(1914年)
- 『The Great Leap; Until Death Do Us Part』(1914年)
- 『故郷の家』(1914年)
- 『脱走』(1914年)
- 『アンの愚行』(1914年、短編)
- 『姉妹』(1914年、短編)
- 『The Mysterious Shot』(1914年、短編)
- 『The Stiletto』(1914年、短編)
- 『The Mountain Rat』(1914年、短編)
- 『Ashes of the Past』(1914年、短編)
- 『The Different Man』(1914年、短編)
- 『The Miniature Portrait』(1914年、短編)
- 『The Soul of Honor』(1914年、短編)
- 『The Newer Woman』(1914年、短編)
- 『Their First Acquaintance』(1914年、短編)
- 『The Birthday Present』(1914年、短編)
- 『The Weaker Strain』(1914年、短編)
- 『復讐の良心』(1914年、クレジットなし)
- 『The Idiot』(1914年、短編)
- 『The Tavern of Tragedy』(1914年、短編)
- 『Her Mother's Necklace』(1914年、短編)
- 『A Lesson in Mechanics』(1914年、短編)
- 『Down the Hill to Creditville』(1914年、短編)
- 『The Great God Fear』(1914年、短編)
- 『His Mother's Trust』(1914年、短編)
- 『The Warning』(1914年、短編)
- 『Another Chance』(1914年、短編)
- 『A Question of Courage』(1914年、短編)
- 『崖の上で』(1914年、短編)
- 『An Old Fashioned Girl』(1915年、短編)
- 『國民の創生』(1915年) - グラント将軍役
- 『愛の道』(1915年)
- 『The Commanding Officer』(1915年)
- 『メイ・ブロッサム』(1915年)
- 『孤児』(1915年、出演シーンカット)
- 『昨日の少女』(1915年)
- 『ラモーナ』(1916年)
- 『イントレランス』(1916年、エキストラ、クレジットなし)
- 『ジャンヌ・ダルク』(1916年)
- 『散り行く花』(1919年) - バトリング・バロウズ役
- 『The Bonnie Brier Bush』(1921年、監督も兼任)
- 『怪傑ゾロ』(1925年) - ドン・セバスチャン役
- 『黒い海賊』(1926年)
- 『スタンド・アンド・デリバー』(1928年、クレジットなし)
- 『The River Pirate』(1928年)
- 『ヴァイキング』(1928年)
- 『トレント最後の事件』(1929年)
- 『異教徒』(1929年)
- 『シャーロック・ホームズの帰還』(1929年)
- 『スコットランド・ヤード』(1930年)
- 『スヴェンガリ』(1931年)
- 『Kick In』(1931年)
- 『地獄へのパスポート』(1932年)
- 『紅塵』(1932年)
- 『Broadway Bad』(1933年)
- 『犯罪医』(1934年)
- 『鍵』(1934年)
- 『ヴァージ・ウィンターズの生涯』(1934年)
- 『英国諜報員』(1934年、出演シーンカット)
- 『女はみんな知っている』(1934年)
- 『小牧師』(1934年)
- 『ヴァネッサ:彼女のラブストーリー』(1935年)
- 『ラディー』(1935年)
- 『中国のランプのための石油』(1935年)
- 『戦艦バウンティ号の叛乱』(1935年)
- 『白い天使』(1936年)
- 『スコットランドのメアリー』(1936年)
- 『進め龍騎兵』(1936年)
- 『女は反抗する』(1936年)
- 『市街戦』(1936年)
- 『The Great O'Malley』(1937年)
- 『パーネル』(1937年)
- 『ゾラの生涯』(1937年)
- 『告白』(1937年)
- 『或る女』(1937年)
- 『Sergeant Murphy』(1938年)
- 『黒蘭の女』(1938年)
- 『愛しき悪童』(1938年)
- 『驚くべきクリッターハウス博士』(1938年)
- 『巨人の谷』(1938年)
- 『姉妹』(1938年)
- 『コメット・オーバー・ブロードウェイ』(1938年)
- 『夜明けのパトロール』(1938年)
- 『オクラホマ・キッド』(1939年)
- 『嵐が丘』(1939年)
- 『ファン・ホアレス』(1939年)
- 『自由の息子たち』(1939年、短編)
- 『勇敢な娘たち』(1939年)
- 『老嬢』(1939年)
- 『女王エリザベス』(1939年)
- 『エールリッヒ博士の魔弾』(1940年)
- 『ブラザー・オーキッド』(1940年)
- 『シーホーク』(1940年)
- 『征服の街』(1940年)
- 『クヌート・ロックニー、オール・アメリカン』(1940年)
- 『勝利の輝き』(1941年)
- 『ジキル博士とハイド氏』(1941年)
- 『わが谷は緑なりき』(1941年) - グウィリム・モーガン役
- 『陽気な姉妹』(1942年)
- 『永遠と一日』(1943年)
- 『名犬ラッシー 家路』(1943年)
- 『呪いの家』(1944年)
- 『マーク・トウェインの冒険』(1944年)
- 『緑園の天使』(1944年)
- 『ラッシーの息子』(1945年)
- 『愛の決断』(1945年)
- 『ラムロッド』(1947年)
- 『故郷の丘』(1948年)
- 『ささやくスミス』(1948年)
- 『ラッシーの試練』(1949年)
- 『ブライト・リーフ』(1950年)
- 『故郷の物語』(1951年)
- 『炎と剣』(1954年)
- 『長い灰色の線』(1955年)
- 『ララミーから来た男』(1955年)
- 『ドランゴ』(1957年)
- 『風を鞍に乗せて』(1958年)
- 『最後の別れ』(1958年)
- 『フランダースの犬』(1959年)
- 『ポリアンナ』(1960年)
- 『グレイフライアーズ・ボビー』(1961年)
- 『スペンサーの山』(1963年) - グランパ・ズブロン・スペンサー役(最終出演作品)
9.2. 監督として
- 『Her Father's Silent Partner』(1914年、短編)
- 『ラモーナ』(1916年)
- 『Rimrock Jones』(1918年)
- 『Believe Me, Xantippe』(1918年)
- 『山羊』(1918年)
- 『Johnny Get Your Gun』(1919年)
- 『Love Insurance』(1919年)
- 『Why Smith Left Home』(1919年)
- 『It Pays to Advertise』(1919年)
- 『Too Much Johnson』(1919年)
- 『The Six Best Cellars』(1920年)
- 『Miss Hobbs』(1920年)
- 『敵に捕らえられて』(1920年)
- 『外見』(1921年)
- 『ニューヨークのプリンセス』(1921年)
- 『The Bonnie Brier Bush』(1921年、出演も兼任)
- 『Tell Your Children』(1922年)
- 『航海者』(1924年、バスター・キートンと共同監督)
- 『Ponjola』(1924年、ジェームズ・ヤングと共同監督)
- 『怪傑ゾロ』(1925年、出演も兼任)
- 『Young April』(1926年)
- 『Dress Parade』(1927年)
- 『Nobody's Widow』(1927年)
- 『警官』(1928年)
- 『The Runaway Bride』(1930年)