1. 概要
ドニー・レイ・ムーア(Donnie Ray Moore英語、1954年2月13日 - 1989年7月18日)は、アメリカ合衆国出身のMLBのリリーフ投手である。シカゴ・カブス、セントルイス・カージナルス、ミルウォーキー・ブルワーズ、アトランタ・ブレーブス、カリフォルニア・エンゼルスでプレーした。彼のキャリアは、1985年のオールスター選出やクローザーとしての活躍でピークを迎えたが、1986年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ(ALCS)第5戦でボストン・レッドソックスのデーブ・ヘンダーソンに許した逆転本塁打により、その後のキャリアと人生に大きな影響を与えた。この出来事により「戦犯」として扱われたムーアは、引退後に経済的な苦境と精神的な困難に直面し、最終的には家庭内暴力事件の後に自殺するという悲劇的な結末を迎えた。彼の死は、プロスポーツにおける選手の精神的健康と、特定のプレーが個人に与える過度な重圧について深く考えさせる事例として記憶されている。
2. 幼少期
ドニー・レイ・ムーアは1954年2月13日、アメリカ合衆国テキサス州ラボックで生まれた。MLB選手であるヒュービー・ブルックスとは従兄弟の関係にあたる。プロ入り前には、パリ・ジュニアカレッジとレンジャー・カレッジで学んだ。1972年のMLBドラフトでボストン・レッドソックスから12巡目に指名を受けたが、この時は契約しなかった。翌1973年1月に行われた二次ドラフトでは、シカゴ・カブスから1巡目(全体3位)で指名を受け、プロ入りを果たした。
3. プロ野球キャリア
ドニー・レイ・ムーアのプロ野球選手としてのキャリアは13シーズンにわたり、通算で43勝40敗、89セーブ、416奪三振、防御率3.67という記録を残している。打撃では、打率.281、11打点を記録している。彼は主にリリーフ投手として活躍し、いくつかの球団を渡り歩きながらその能力を発揮した。
3.1. 初期キャリアと他球団
シカゴ・カブスからドラフトされたムーアは、1975年9月14日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャーデビューを果たした。1978年にはカブスでチーム最多かつリーグ3位の71試合に登板し、9勝を挙げた。しかし、1979年は不振に陥り、同年10月17日にトレードでセントルイス・カージナルスへ移籍した。
カージナルスでは1980年に防御率6.23と成績を残せず、1981年9月3日にミルウォーキー・ブルワーズに移籍するも、同年11月5日には再びカージナルスへ復帰した。1982年2月1日にはトレードでアトランタ・ブレーブスに移籍し、同年チームは地区優勝を達成した。ムーアはカージナルスとのナショナルリーグチャンピオンシップシリーズで2試合に登板し無失点に抑える好投を見せたが、チームは3連敗で敗退しワールドシリーズ進出はならなかった。1984年にはブレーブスのクローザーとして4勝5敗16セーブ、防御率2.94の成績を記録し、チームの重要な戦力として活躍した。
3.2. カリフォルニア・エンゼルス (1985-1988)
1985年1月24日、ドニー・レイ・ムーアはフリーエージェントの補償選手としてカリフォルニア・エンゼルスに移籍した。移籍初年の1985年は前半戦で7勝17セーブ、防御率1.45という好成績を収め、自身初となるオールスターゲームに選出された。この年、彼はスプリッター、スライダー、カーブなどの変化球を効果的に操り、シーズン通算で8勝8敗31セーブ、防御率1.92を記録した。チームはカンザスシティ・ロイヤルズとの熾烈な地区優勝争いの末、1ゲーム差で2位に終わったものの、ムーアはサイ・ヤング賞投票で7位、MVP投票で6位に入り、その功績が認められた。
1986年には4勝5敗21セーブ、防御率2.97を記録し、エンゼルスの4年ぶりの地区優勝に大きく貢献した。しかし、彼のキャリアと人生を決定づけることになるアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズでの出来事が、この年に発生することになる。
3.2.1. 1986年アメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ第5戦
1986年10月12日、アナハイムで開催された第5戦は、ムーアのキャリアにおいて最も記憶される場面となった。エンゼルスはボストン・レッドソックスに対しシリーズ3勝1敗とリードしており、球団史上初のワールドシリーズ進出に王手をかけていた。試合は9回表を迎え、エンゼルスが5対2でリードしていた。
しかし、先発のマイク・ウィットが元エンゼルスのドン・ベイラーに2点本塁打を許し、点差が1点に縮まった。続くゲーリー・ルーカスがリッチ・ゲドマンに死球を与えた後、ムーアが登板した。2死1塁の状況で打席にはデーブ・ヘンダーソン。エンゼルスはワールドシリーズ進出まであと1ストライクという状況に迫った。ムーアはヘンダーソンを2ストライクと追い込んだが、ファウルで粘られた末、ムーアの2ボール2ストライクからのスプリットフィンガーが捉えられ、2点本塁打を許してしまう。これによりレッドソックスが6対5と逆転し、ムーアはセーブ失敗を記録した。ムーアは後にこの投球について「ファストボールを投げていたが、ヘンダーソンがファウルで粘っていたので、スプリットフィンガーを投げて意表を突こうと思ったが、まさに彼のスイングの軌道上にあった」と語っている。
エンゼルスは9回裏に同点に追いつき、試合は延長戦に突入した。ムーアはその後もマウンドに上がり、10回表にレッドソックスの反撃をジム・ライスのダブルプレーで凌いだ。しかし、11回表に再びヘンダーソンに決勝となる犠牲フライを打たれ、レッドソックスが7対6で勝利。ムーアはこの試合の敗戦投手となった。この痛恨の敗戦のショックを引きずったエンゼルスは、その後フェンウェイ・パークでの第6戦、第7戦でそれぞれ10対4、8対1と大敗し、結局シリーズを3勝4敗で落とし、球団史上初のワールドシリーズ進出を逃した。
3.3. 後期キャリアと引退
1986年のALCS以降、ムーアは肩の負傷に苦しめられ、以後怪我なくシーズンを過ごすことはできなかった。1987年にはわずか14試合の登板に終わり、1988年も27試合の登板に留まった。1987年以降はALCSでの敗戦を非難するファンからのブーイングを浴びるようになり、精神的にも苦しい時期を過ごした。1988年8月26日にエンゼルスを解雇され、1989年シーズンはカンザスシティ・ロイヤルズと契約したが、マイナーリーグでのプレーに終わり、同年6月に解雇され、14年間のプロ野球キャリアに終止符を打った。
エンゼルスを解雇されて以降、ムーアの私生活は荒み、経済的にも困窮するようになった。
4. メジャーリーグ統計
年度 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 打者 | 投球回 | 被安打 | 被本塁打 | 与四球 | 敬遠 | 与死球 | 奪三振 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1975 | CHC | 4 | 1 | 0 | 0 | -- | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 42 | 8.2 | 12 | 1 | 4 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 4 | 4 | 4.15 | 1.85 |
1977 | 27 | 1 | 0 | 0 | -- | 4 | 2 | 0 | -- | .667 | 207 | 48.2 | 51 | 1 | 18 | 7 | 0 | 34 | 2 | 4 | 27 | 22 | 4.07 | 1.42 | |
1978 | 71 | 1 | 0 | 0 | -- | 9 | 7 | 4 | -- | .563 | 450 | 102.2 | 117 | 7 | 31 | 11 | 2 | 50 | 7 | 2 | 55 | 47 | 4.12 | 1.44 | |
1979 | 39 | 1 | 0 | 0 | -- | 1 | 4 | 1 | -- | .200 | 330 | 73.0 | 95 | 8 | 25 | 7 | 2 | 43 | 3 | 0 | 46 | 42 | 5.18 | 1.64 | |
1980 | STL | 11 | 0 | 0 | 0 | -- | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 93 | 21.2 | 25 | 1 | 5 | 1 | 1 | 10 | 0 | 1 | 15 | 15 | 6.23 | 1.39 |
1981 | MIL | 3 | 0 | 0 | 0 | -- | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 19 | 4.0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 3 | 3 | 6.75 | 2.00 |
1982 | ATL | 16 | 0 | 0 | 0 | -- | 3 | 1 | 1 | -- | .750 | 121 | 27.2 | 32 | 1 | 7 | 3 | 2 | 17 | 0 | 1 | 13 | 13 | 4.23 | 1.41 |
1983 | 43 | 0 | 0 | 0 | -- | 2 | 3 | 6 | -- | .400 | 276 | 68.2 | 72 | 6 | 10 | 3 | 0 | 41 | 0 | 1 | 30 | 28 | 3.67 | 1.19 | |
1984 | 47 | 0 | 0 | 0 | -- | 4 | 5 | 16 | -- | .444 | 271 | 64.1 | 63 | 3 | 18 | 6 | 1 | 47 | 1 | 0 | 27 | 21 | 2.94 | 1.26 | |
1985 | CAL | 65 | 0 | 0 | 0 | -- | 8 | 8 | 31 | -- | .500 | 417 | 103.0 | 91 | 9 | 21 | 3 | 0 | 72 | 2 | 0 | 28 | 22 | 1.92 | 1.09 |
1986 | 49 | 0 | 0 | 0 | -- | 4 | 5 | 21 | -- | .444 | 295 | 72.2 | 60 | 10 | 22 | 4 | 0 | 53 | 4 | 1 | 28 | 24 | 2.97 | 1.13 | |
1987 | 14 | 0 | 0 | 0 | -- | 2 | 2 | 5 | -- | .500 | 122 | 26.2 | 28 | 2 | 13 | 2 | 0 | 17 | 0 | 0 | 12 | 8 | 2.70 | 1.54 | |
1988 | 27 | 0 | 0 | 0 | -- | 5 | 2 | 4 | -- | .714 | 150 | 33.0 | 48 | 4 | 8 | 2 | 0 | 22 | 2 | 4 | 20 | 18 | 4.91 | 1.70 | |
通算:13年 | 416 | 4 | 0 | 0 | -- | 43 | 40 | 89 | -- | .518 | 2793 | 654.2 | 698 | 53 | 186 | 49 | 8 | 416 | 22 | 14 | 308 | 267 | 3.67 | 1.35 |
5. 死と関連事件
ムーアは1989年7月18日、自宅のあるアナハイム・ヒルズで、別居中だった妻のトーニャと口論になった。その際、ムーアは拳銃(.45口径のピストル)を取り出し、トーニャを3度銃撃した。事件発生時、彼らの3人の子供も自宅にいた。トーニャと当時17歳だった娘のデメトリアは家から逃げ出し、デメトリアが運転してトーニャを病院へ運び、トーニャは一命を取り留めた。
トーニャたちが去った後、ムーアはまだ自宅にいた息子たちの少なくとも一人の目の前で、銃を自らの頭に向け、自殺した。享年35歳であった。この事件の背景には、ムーアが引退後に経験した生活の荒廃と経済的な困窮があったとされている。
6. 評価と遺産
ドニー・レイ・ムーアの歴史的および大衆的な評価は、1986年ALCS第5戦で許したデーブ・ヘンダーソンの本塁打と、その後の彼の悲劇的な死に深く関連付けられている。この本塁打はしばしば「エンゼルス投手を自殺に追い込んだ本塁打」という「神話」として語られることがある。しかし、これは単純化された見方であり、彼の死は、野球キャリアの終焉に伴う経済的困窮、精神的な苦痛、そして個人的な問題といった、より複雑な要因によって引き起こされたものである。
ムーアはALCSでの敗戦後、ファンから「戦犯」として扱われ、登板のたびにブーイングを浴びるという過酷な状況に置かれた。彼はチームの敗退の責任を一方的に負わされる「スケープゴート」としての認識が定着してしまった。彼の生涯は、プロスポーツ選手が経験する極度のプレッシャー、そして特定の失敗が個人に与える長期的な心理的影響を示す悲劇的な事例として、深く記憶されている。彼の死は、スポーツ界における選手の精神的健康への配慮や、失敗に対する社会の寛容性について、重要な問いを投げかけている。
7. 関連項目
- 自殺した有名人の一覧
8. 外部リンク
- [https://www.theatlantic.com/entertainment/archive/2011/10/the-myth-of-the-home-run-that-drove-an-angels-pitcher-to-suicide/247447/ The Atlantic: The Myth of the Home Run That Drove an Angels Pitcher to Suicide]
- [https://www.amazon.com/Scapegoats-Baseballers-Careers-Marked-Fateful/dp/0786413816/ Bell, Christopher: Scapegoats: Baseballers whose Careers Are Marked by One Fateful Play (c) 2002 McFarland and Company]
- [https://www.youtube.com/watch?v=SH8OC4vZiD4 ESPN: The Donnie Moore Story (video)]
- [http://retrosheet.org/boxesetc/B10120CAL1986.htm Retrosheet Boxscore: 1986 American League Championship Series Game Five]
- [https://www.baseball-almanac.com/legendary/likodak.shtml Baseball's 25 Greatest Moments (#24)]
- [https://www.findagrave.com/memorial/95735428/donnie-ray-moore Find a Grave: Donnie Ray Moore]
- [https://www.mlb.com/player/donnie-moore-119292 MLB.com: Donnie Moore]
- [https://www.espn.com/mlb/player/stats/_/id/605/donnie-moore ESPN.com: Donnie Moore]
- [https://www.baseball-reference.com/players/m/mooredo01.shtml Baseball-Reference.com: Donnie Moore]
- [https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=moore-008don Baseball-Reference.com (Minors): Donnie Moore]