1. Overview
ニコラス・ギル(Nicolas Gill英語、1972年4月24日 - )は、カナダのケベック州モントリオール出身の元柔道選手であり、現在は指導者として活躍しています。彼は4大会連続でオリンピックに出場し、1992年バルセロナオリンピックで銅メダルを、2000年シドニーオリンピックで銀メダルを獲得した二度のオリンピックメダリストです。特に、1992年の銅メダルはカナダ柔道史上初のオリンピックメダルであり、その後のカナダ柔道界の発展に大きく貢献しました。2004年のアテネオリンピックでは、カナダ選手団の開会式旗手を務める栄誉にも輝きました。彼のキャリアは、競技面での輝かしい功績だけでなく、指導者としての後進育成、さらには社会的な発言によっても注目を集めており、カナダスポーツ界における重要な人物の一人としてそのレガシーを築いています。

2. 初期生と背景
ニコラス・ギルは1972年4月24日にカナダのケベック州モントリオールで生まれました。彼はカナダ国籍を持ち、柔道選手として活動しました。現役時代の身長は1.85 mで、2004年時点での体重は105 kgでした。彼の柔道キャリアは、モントリオールにある志道館柔道クラブ(Shidokan Judo Club)で始まり、中村博の指導を受けました。
3. 柔道キャリア
ニコラス・ギルは、1990年代から2000年代初頭にかけて、カナダ柔道界を代表する選手として国際舞台で活躍しました。彼は階級変更を経て、複数の階級で世界トップレベルの成績を収め、カナダ柔道史上初のオリンピックメダリストとなるなど、数々の歴史的な功績を残しました。
3.1. オリンピック
ギルは4大会連続でオリンピックに出場し、カナダ柔道界に輝かしい足跡を残しました。
- 1992年バルセロナオリンピック:初のオリンピック出場となったこの大会で、彼は86kg級に出場し、銅メダルを獲得しました。準々決勝では世界チャンピオンの岡田弘隆を掬投による技ありで破るなど、強豪選手を次々と撃破し、カナダ柔道史上初のオリンピックメダリストとなりました。
- 1996年アトランタオリンピック:この大会では86kg級で7位に入賞しました。
- 2000年シドニーオリンピック:階級を100kg級に変更して出場し、決勝まで進出しました。決勝では日本の井上康生に内股で一本負けを喫しましたが、銀メダルを獲得しました。
- 2004年アテネオリンピック:この大会ではカナダ選手団の開会式旗手という大役を任されましたが、初戦で敗退し、トーナメントから姿を消しました。
3.2. 世界選手権大会
世界柔道選手権大会においても、ギルは複数のメダルを獲得しました。
- 1993年世界柔道選手権大会(カナダ、ハミルトン):地元開催のこの大会で、86kg級の決勝に進出しましたが、中村佳央に内股で一本負けし、銀メダルを獲得しました。
- 1995年世界柔道選手権大会(日本、幕張):86kg級で銅メダルを獲得しました。
- 1999年世界柔道選手権大会(イギリス、バーミンガム):階級を100kg級に変更後、銅メダルを獲得しました。
彼はこの他にも、1991年大会で7位、2001年大会で7位、2003年大会で5位に入賞しています。
3.3. パンアメリカン競技大会および選手権大会
パンアメリカン地域大会でも優れた成績を収めました。
- パンアメリカン競技大会
- 1995年パンアメリカン競技大会(アルゼンチン、マル・デル・プラタ):86kg級で金メダルを獲得しました。
- 1999年パンアメリカン競技大会(カナダ、ウィニペグ):100kg級で金メダルを獲得しました。
- 2003年パンアメリカン競技大会(ドミニカ共和国、サントドミンゴ):100kg級で銀メダルを獲得しました。
- パンアメリカン柔道選手権大会
- 1990年(ベネズエラ、カラカス):86kg級で優勝しました。
- 1994年(チリ、サンティアゴ):86kg級で2位となりました。
- 1998年(ドミニカ共和国、サントドミンゴ):100kg級で優勝しました。
- 2002年(ドミニカ共和国、サントドミンゴ):100kg級で優勝しました。
3.4. コモンウェルスク競技大会およびフランコフォニー競技大会
コモンウェルスク競技大会とフランコフォニー競技大会でも金メダルを獲得しています。
- 2002年コモンウェルスク競技大会(イギリス、マンチェスター):100kg級で金メダルを獲得しました。
- 2001年フランコフォニー競技大会(カナダ、ガティノー):100kg級で金メダルを獲得しました。
3.5. その他の主要大会
ギルは上記の大会以外にも、数多くの国際大会で好成績を収めました。
- 1992年世界ジュニア柔道選手権大会(アルゼンチン、ブエノスアイレス):86kg級で銀メダルを獲得しました。
- 嘉納杯:1992年に2位、2003年に2位。
- ドイツ国際:1992年に2位、1994年に2位、1995年に3位、1999年に2位。
- 正力松太郎杯国際学生柔道大会:1994年に優勝。
- グッドウィルゲームズ:1994年に3位。
- ハンガリー国際:1991年に3位、1993年に2位、1995年に優勝、2000年に3位、2003年に優勝。
- オーストリア国際:1991年に2位、1993年に優勝。
- チェコ国際:1993年に2位、1999年に優勝。
- 世界学生柔道選手権大会:1996年に95kg級で優勝。
- ベルギー国際柔道大会:1997年に優勝。
- フランス国際柔道大会:1997年に3位。
- グランプリモスクワ:2001年に優勝、2003年に無差別級で3位。
3.6. 階級変更
ニコラス・ギルは、選手キャリアの途中で階級を変更しました。彼は主に86kg級で活動していましたが、1996年のアトランタオリンピック後、95kg級を経て100kg級へと階級を上げました。この階級変更後も、彼は1999年の世界選手権で銅メダル、2000年のシドニーオリンピックで銀メダルを獲得するなど、引き続きトップレベルで活躍し、その適応能力と実力を示しました。
4. 指導者キャリア
競技者としてのキャリアを終えた後、ニコラス・ギルは指導者として柔道界に貢献し続けています。彼はカナダのナショナルチームのコーチを務め、数多くの若手選手を育成しました。彼が指導した注目すべき選手の一人に、アントワーヌ・ヴァロワ=フォルティエがいます。ヴァロワ=フォルティエは、ギルの指導の下、2012年ロンドンオリンピックで銅メダルを獲得し、その成果はギルの指導者としての手腕を証明するものとなりました。
5. 受賞および栄誉
ニコラス・ギルは、その輝かしい功績と柔道界への貢献が認められ、数々の賞や栄誉を受けています。
- 2007年には、UQAM(ケベック大学モントリオール校)から、TÉLUQ大学の学生として「prix reconnaissance」(功労賞)を授与されました。
- 2015年には、「Order of Sport」(スポーツ勲章)を受章し、カナダスポーツ殿堂入りを果たしました。これは、彼の長年にわたるスポーツ界への貢献と、カナダ柔道における先駆的な役割が高く評価された結果です。
6. 個人的背景と論争
ニコラス・ギルは、競技者としての活動以外にも、個人的な側面や社会的な発言によって注目を集めることがありました。彼はUQAMの学生として学術的な活動も行っていました。
また、2004年のアテネオリンピックでカナダ選手団の旗手に選ばれた際、彼がケベック独立運動を支持する発言をしていたこと、そして1995年ケベック州住民投票で「賛成」票を投じていたことが明らかになり、ささやかな論争を巻き起こしました。この件は、スポーツと政治的信念の間の関係について議論を呼ぶ一因となりましたが、ギルはその後もカナダの代表として活動を続けました。
7. レガシー
ニコラス・ギルの柔道キャリアは、カナダの柔道界に計り知れない影響を与えました。彼は1992年バルセロナオリンピックで銅メダルを獲得し、カナダ柔道史上初のオリンピックメダリストとなりました。この歴史的な功績は、カナダにおける柔道の認知度を高め、多くの若手選手にインスピレーションを与えました。また、選手引退後も指導者として後進の育成に尽力し、アントワーヌ・ヴァロワ=フォルティエのようなメダリストを輩出するなど、カナダ柔道の強化に貢献し続けています。彼の先駆的な業績と、競技者および指導者としての献身は、カナダスポーツ界における彼の確固たるレガシーを築いています。