1. 概要
ノエル・バジャダレスは、1977年5月3日にホンジュラスのコマヤグアで生まれた元サッカー選手である。主にゴールキーパーとして活躍したが、キャリアの初期にはフォワードとしてもプレーし、得点を挙げた経験を持つ異色の経歴を持つ。彼はプロキャリアのほとんどをFCモタグアとCDオリンピアというホンジュラスの二大クラブで過ごし、両クラブで合計14回のリーグ優勝を経験した。国際舞台では、ホンジュラス代表として2000年から2016年までの長きにわたり活躍し、歴代3位となる135試合の国際Aマッチに出場した。特に、2010年と2014年のFIFAワールドカップに連続出場し、2010年大会ではマン・オブ・ザ・マッチに選出されるなど、ホンジュラスサッカー界の歴史に名を刻んだ選手として広く認識されている。彼の長年にわたる貢献とリーダーシップは、ホンジュラスサッカーの発展に大きな影響を与えた。
2. 個人情報
ノエル・バジャダレスは、その本名をノエル・エドゥアルド・バジャダレス・ボニージャ(Noel Eduardo Valladares Bonillaスペイン語)という。
2.1. 生い立ちと初期のキャリア
1977年5月3日、ホンジュラスのコマヤグアで生まれた。出身地についてはテラと記載されている資料も存在する。彼は地元のクラブであるレアル・コマヤグアでキャリアをスタートさせ、1997年にFCモタグアでプロデビューを果たした。
3. 選手経歴
ノエル・バジャダレスは、約20年にわたるプロサッカー選手としてのキャリアを、主にホンジュラス国内のクラブとホンジュラス代表チームで築いた。
3.1. クラブ経歴
バジャダレスは、1997年にFCモタグアでプロデビューし、2004年まで同クラブに所属した。モタグアでは、リーグで5回の優勝(1997-98アペルトゥーラ、1997-98クラウスーラ、1999-00アペルトゥーラ、1999-00クラウスーラ、2001-02アペルトゥーラ)と、1回のホンジュラス・スーパーカップ(1997-98)を獲得した。
特に注目すべきは、2003年にモタグアで第3ゴールキーパーであった時期に、CDオリンピアとのダービーマッチで負傷者が続出したため、フォワードとして出場した経験があることである。この試合で彼はヘディングシュートで得点を挙げ、その後も数試合フォワードとしてプレーしたが、最終的にはゴールキーパーとしての役割に戻った。
2004年にCDオリンピアに移籍し、2017年までプレーした。オリンピアでは、リーグで9回の優勝(2005-06アペルトゥーラ、2005-06クラウスーラ、2007-08クラウスーラ、2008-09クラウスーラ、2009-10クラウスーラ、2011-12アペルトゥーラ、2011-12クラウスーラ、2012-13アペルトゥーラ、2012-13クラウスーラ)に貢献した。オリンピアはテグシガルパを拠点とするクラブである。
長年にわたりオリンピアでプレーした後、2016年11月7日に現役引退を表明した。そして、2016年12月4日にアペルトゥーラ2016の準決勝でFCモタグアに敗れた後、1997年のデビューから19年間のプロキャリアを正式に終えた。
3.2. 代表経歴
バジャダレスは、2000年6月に行われたFIFAワールドカップ予選のハイチ戦でホンジュラス代表デビューを果たした。彼は2016年までに国際Aマッチ135試合に出場し、得点はない。これはアマト・ゲバラ、マイノル・フィゲロアに次ぐホンジュラス代表歴代3位の出場数である。彼は10年以上にわたりホンジュラス代表の正ゴールキーパーを務め、ホンジュラス人としては3人目となる国際Aマッチ100試合出場を達成した選手である。
主要な国際大会への参加は以下の通りである。
- 2000年シドニーオリンピック:ホンジュラス代表の一員として参加した。
- 1999年パンアメリカン競技大会(ウィニペグ):ゴールキーパーとフォワードの両方でプレーした。
- コパ・アメリカ2001:ホンジュラス代表は3位となった。
- CONCACAFゴールドカップ:
- 1998年大会:ホンジュラス代表メンバーに選出された。
- 2011年大会:ホンジュラス代表の主将を務め、ベストゴールキーパー賞を受賞した。
- UNCAFネイションズカップ(現コパ・セントロアメリカーナ):
- 2009年大会
- 2011年大会:ホンジュラス代表は優勝した。
- FIFAワールドカップ:
- 2010年大会(南アフリカ共和国):ホンジュラスの予選突破に貢献し、本大会では全3試合に出場した。チリ戦(0-1)とスペイン戦(0-2)では失点したが、スイスとの最終戦ではクリーンシートを達成し、マン・オブ・ザ・マッチに選出された。
- 2014年大会:ホンジュラス代表の主将として出場した。
彼はまた、46試合のFIFAワールドカップ予選に出場している。2010年にはアマト・ゲバラの後を継いでホンジュラス代表の主将に就任した。
4. 獲得タイトルと栄誉
ノエル・バジャダレスは、そのキャリアを通じて数多くのクラブタイトルと代表タイトル、そして個人賞を獲得した。
4.1. クラブタイトル
- CDオリンピア
- リーグ優勝 (9): 2005-06アペルトゥーラ、2005-06クラウスーラ、2007-08クラウスーラ、2008-09クラウスーラ、2009-10クラウスーラ、2011-12アペルトゥーラ、2011-12クラウスーラ、2012-13アペルトゥーラ、2012-13クラウスーラ
- FCモタグア
- リーグ優勝 (5): 1997-98アペルトゥーラ、1997-98クラウスーラ、1999-00アペルトゥーラ、1999-00クラウスーラ、2001-02アペルトゥーラ
- ホンジュラス・スーパーカップ (1): 1997-98
4.2. 代表タイトル
- ホンジュラス代表
- コパ・セントロアメリカーナ (1): 2011
- CONCACAF男子オリンピック予選トーナメント (1): 2000
- コパ・アメリカ2001 3位
4.3. 個人タイトル
- CONCACAFゴールドカップ ベストゴールキーパー賞 (1): 2011
- CONCACAFゴールドカップ ベストセーブ: 2011 (3位および4位)
- 2010 FIFAワールドカップ マン・オブ・ザ・マッチ: 対スイス戦
- リーグ ベストゴールキーパー賞 (3): 2006-07クラウスーラ、2007-08アペルトゥーラ、2007-08クラウスーラ
5. プレースタイルと特徴
ノエル・バジャダレスは、長年にわたりホンジュラス代表の正ゴールキーパーを務めた安定感とリーダーシップが特徴である。フィールド外での内気な性格から、ホンジュラス代表チーム内では「ザ・シークレット」(The Secret)という愛称で呼ばれていた。
また、彼のキャリアにおける特異な点として、2003年に所属クラブのFCモタグアで、一時的にフォワードとしてプレーし、得点を挙げた経験が挙げられる。これは、ゴールキーパーとしての高い技術に加え、フィールドプレーヤーとしても適応できる多才さを示している。
6. 統計
ノエル・バジャダレスの選手経歴全体における主要な統計を以下に示す。
6.1. クラブ統計
クラブでの詳細な出場試合数や得点に関する統計は公開されていないが、彼はFCモタグアで1997年から2004年まで、CDオリンピアで2004年から2017年までプレーし、約20年間のプロキャリアを築いた。
6.2. 代表統計
ノエル・バジャダレスは、2000年から2016年までホンジュラス代表として国際Aマッチ135試合に出場し、0得点を記録した。また、FIFAワールドカップ予選には46試合出場している。
年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|
2000 | 7 | 0 |
2001 | 15 | 0 |
2002 | 1 | 0 |
2003 | 1 | 0 |
2004 | 9 | 0 |
2005 | 0 | 0 |
2006 | 4 | 0 |
2007 | 7 | 0 |
2008 | 10 | 0 |
2009 | 17 | 0 |
2010 | 10 | 0 |
2011 | 17 | 0 |
2012 | 8 | 0 |
2013 | 13 | 0 |
2014 | 6 | 0 |
2015 | 9 | 0 |
2016 | 1 | 0 |
通算 | 135 | 0 |
7. 評価と影響
ノエル・バジャダレスは、ホンジュラスサッカー界において最も影響力のある選手の一人として評価されている。彼は約20年間にわたるプロキャリアを通じて、国内リーグで数多くのタイトルを獲得し、特にCDオリンピアでは9回のリーグ優勝に貢献した。

ホンジュラス代表においては、10年以上にわたり正ゴールキーパーを務め、国際Aマッチ135試合出場という歴代3位の記録を樹立した。2010年のFIFAワールドカップでは、ホンジュラスの予選突破に不可欠な存在であり、本大会でのスイス戦でのマン・オブ・ザ・マッチ受賞は、彼のパフォーマンスの質の高さを物語っている。また、2010年には代表チームの主将に就任し、そのリーダーシップはチームに安定をもたらした。
彼の長寿なキャリアと、ゴールキーパーでありながらフォワードとしてもプレーしたという異色の経歴は、ホンジュラスサッカーファンに深く記憶されている。バジャダレスは、その安定したプレーと献身的な姿勢で、ホンジュラスサッカーの発展に多大な貢献をした選手として、高く評価されている。