1. 概要
バック・ロブレイ(本名:Philip Thompson Robley英語)は、アメリカのプロレスラーである。主に1970年代から1980年代初頭にかけて、NWAトライステートおよびミッドサウス・レスリングを主戦場として活躍した。リング上では臆病者と揶揄されることを逆手に取り、「NOBODY CALLS ME YELLOW(誰も俺を臆病者とは呼ばない)」と書かれたTシャツを着用する独特のキャラクターで人気を博した。選手としてはもちろん、負傷を機にマネージャー業にも転身し、若き日のスタン・ハンセンやブルーザー・ブロディを指導、ブッカーとしてもその手腕を発揮してミッドサウス・レスリング初期の隆盛に貢献するなど、リング内外でプロレス界に大きな影響を与えた。日本には日本プロレスと全日本プロレスに複数回参戦し、ブロディのビジネスマネージャーとしても知られる。
2. 初期とキャリアの始まり
バック・ロブレイは、アメリカ海兵隊でのアマチュアレスリングの経験を背景にプロレス界に入り、そのキャリアをスタートさせた。
2.1. 生い立ちとアマチュアレスリングの背景
バック・ロブレイことフィリップ・トンプソン・ロブレイは、1945年1月19日にインディアナ州インディアナポリスで生まれた。彼の生年については、1942年とする説も存在する。プロレスデビュー前にはアメリカ海兵隊に所属しており、そこで培ったアマチュアレスリングの経験が彼のレスラーとしての基礎となった。
2.2. プロデビューと初期の活動
彼のプロレスデビューは1966年、または1968年にフロリダ地区で行われたとされる。初期にはフィル・ロブレイのリングネームで活動を開始し、オクラホマ、ルイジアナ、ミシシッピ、アーカンソーを含むNWAトライステート地区を拠点とした。1970年にはカナダのノバスコシア州にあるイースタン・スポーツ・アソシエーションでも活動した。
1970年2月には、早くも日本プロレスに初来日を果たしている。1974年にはビル・ワット率いるNWAトライステート(後にミッドサウス・レスリングと改称)に本格的に参戦し、この地でその名を広く知らしめることになった。
3. NWAトライステート / ミッドサウス・レスリングでの全盛期
バック・ロブレイのキャリアの全盛期は、NWAトライステートおよびその改称後のミッドサウス・レスリングでの活動に集約される。彼はこの地でマネージャーおよびブッカーとしての才能を開花させ、同時にリング上でも独特のキャラクターで観客を魅了した。
3.1. マネージャーへの転身とブッカーとしての役割
1971年、交通事故による負傷をきっかけに、ロブレイは一時的にマネージャーへと転身した。その後も選手兼任のヒールのプレイング・マネージャーとして活動し、リングネームをバック・ロブレイに改めた。
彼はNWAトライステート地区でブッカーも兼任し、若手時代のスタン・ハンセンやブルーザー・ブロディの面倒を見るなど、その成長を助けた。特に1979年にビル・ワットが新団体MSWA(ミッドサウス・レスリング・アソシエーション)を旗揚げすると、ロブレイはリング内外でワットの腹心として活躍。ブッカーとしての手腕を発揮し、MSWA初期の隆盛を支える重要な役割を担った。
3.2. タイトル獲得とリング上のペルソナ
ロブレイは、NWAトライステート/ミッドサウス・レスリング時代に複数のタイトルを獲得した。1976年3月29日にはボブ・スローターと組んで、ジェリー・ブラウンとバディ・ロバーツのハリウッド・ブロンズからNWA USタッグ王座(トライステート版)を奪取し、ディック・マードック&テッド・デビアスともタイトルを争った。
1979年11月12日には、ベビーフェイスのポジションに転じてビル・ワットとのコンビでマイク・ジョージ&ボブ・スウィータンを破り、ミッドサウス・タッグ王座の2代目王者となった。1980年4月6日にはジャンクヤード・ドッグと組み、マイケル・ヘイズ&テリー・ゴディのファビュラス・フリーバーズから同タイトルを奪取している。また、1978年10月7日にはダグ・ギルバートを破り、NWAセントラルステーツヘビー級王座を獲得した。
この時期のロブレイは、リング上での「臆病な行動」から「イエローベリー(臆病者)」というあだ名をつけられた。しかし彼はそれを逆手に取り、「NOBODY CALLS ME YELLOW英語(誰も俺を臆病者とは呼ばない)」と書かれた黄色のTシャツを着用してリングに上がった。このTシャツはジム・ロスによってデザインされたものである。「YELLOW」はアメリカの俗語で「臆病者」を意味する言葉である。
3.3. NWA世界ヘビー級王座挑戦
1978年1月、ロブレイはミズーリ州セントジョセフとイリノイ州クインシーにおいて、当時NWA世界ヘビー級王座を保持していたハーリー・レイスに連続して挑戦するという重要な試合を行っている。
4. 国際的な活動と晩年
ミッドサウス・レスリングでの活躍後も、バック・ロブレイは国際的なプロモーションやアメリカ各地の主要団体で活動を続けた。
4.1. 全日本プロレスへの参戦とビジネスマネージメント
1981年10月、ロブレイはプエルトリコのWWCへの転戦を経て、全日本プロレスの『ジャイアント・シリーズ』に参戦した。当時、全日本プロレスと新日本プロレスの間で激しい引き抜き合戦「レスリング・ウォー」が繰り広げられており、このシリーズ最終戦に新日本から引き抜かれたスタン・ハンセンが登場し、ブルーザー・ブロディとの再合体を果たした。過去にハンセンやブロディと関係の深かったロブレイは、この一件にも関与していたとされる。
その後も彼は全日本プロレスのリングでブロディと行動を共にし、マネージャーとして試合のセコンドも務めた。実際、ロブレイはブロディのビジネス上のマネージメントを担当しており、全日本プロレスやプエルトリコへのブッキングも彼が行っていた。
全日本プロレスからは厚遇され、1982年4月の『第10回チャンピオン・カーニバル』に出場した際は、ビル・ロビンソンをはじめ、かつて国際プロレスのエース外国人だったアレックス・スミルノフやモンゴリアン・ストンパーといった強豪と引き分けるなど、一介の中堅外国人に留まらない扱いを受けた。カーニバル終了後に開幕した『グランド・チャンピオン・シリーズ』にもブロディのマネージャー役として残留参戦し、ブロディとジミー・スヌーカの仲間割れアングルにも一役買っている。
4.2. 他のプロモーションでの活動と最終試合
1982年にミッドサウス・レスリングを離れた後、ロブレイは様々なプロモーションを転戦した。1983年にはアラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングで活動し、NWAブラスナックルズ王座(サウスイースタン版)を2回獲得した。1984年にはフロリダのチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダを転戦。1985年からはテキサス州サンアントニオのテキサス・オールスター・レスリングの運営にもブロディと共に参画した。彼の最後の試合は1988年、ジョージアのサザン・チャンピオンシップ・レスリングで行われた。この団体ではブッカーも兼任していた。引退後はルイジアナ州ボージャーシティに居住していた。
5. 得意技
- 腕パンチ
- サポーターを付けた右前腕部で殴る打撃技。サポーターには板が仕込まれており厳密には反則だが、ロブレイのトレードマーク的な攻撃であった。
- エルボー・ドロップ
- ダイビング・ニー・ドロップ
6. 獲得タイトル
団体名 | 獲得タイトル | 獲得回数 | パートナー |
---|---|---|---|
NWAトライステート / ミッドサウス・レスリング・アソシエーション | NWA USタッグ王座(トライステート版) | 2回 | ボブ・スローター (1), ビル・ワット (1) |
NWAルイジアナ・タッグ王座 | 2回 | ビル・ワット (2) | |
ミッドサウス・タッグ王座 | 2回 | ビル・ワット (1), ジャンクヤード・ドッグ (1) | |
セントラル・ステーツ・レスリング | NWAセントラルステーツヘビー級王座 | 1回 | - |
NWAセントラルステーツTV王座 | 1回 | - | |
NWA世界タッグ王座(セントラル・ステーツ版) | 2回 | クラッシャー・ブラックウェル (1), ブルー・ヤンキー (1) | |
サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング | NWAブラスナックルズ王座(サウスイースタン版) | 2回 | - |
NWAアラバマ・ヘビー級王座 | 1回 | - | |
イースタン・スポーツ・アソシエーション | インターナショナル・タッグ王座(マリタイムズ版) | 1回 | エリック・ポメロイ |
ウエスタン・ステーツ・スポーツ | NWAウエスタンステーツヘビー級王座 | 1回 | - |
NWAウエスタンステーツタッグ王座 | 1回 | ハンク・ジェームス |
7. 死去
バック・ロブレイは2013年5月28日、アーカンソー州リトルロックで、うっ血性心不全と癌のため68歳で死去した。彼は以前から病気を患っていた。
8. 評価と影響
バック・ロブレイは、その多岐にわたるキャリアを通じて、プロレス界に確かな足跡を残した。特にブッカーおよびマネージャーとしての貢献は高く評価されている。
8.1. ブッカーおよびマネージャーとしての貢献
彼はブッカーとして、ミッドサウス・レスリング初期の発展に多大な貢献をしたとされている。若手時代のスタン・ハンセンやブルーザー・ブロディといった後の大物レスラーを指導し、彼らのキャリア形成に影響を与えた。また、ブロディのビジネスマネージメントを実際に担当し、全日本プロレスやプエルトリコへのブッキングを行うなど、その影響力はリング上のパフォーマンスに留まらなかった。彼の洞察力と手腕は、「プロレス界で最も聡明な頭脳を持つ一人」と評されるほどであった。
8.2. 全体的な評価と後世への影響
バック・ロブレイは、選手としての活躍に加えて、ブッカーやマネージャーといった裏方としてもプロレス界の発展に寄与した。彼のリング上のキャラクターは、観客を惹きつけるユニークさを持っており、その人間性もまた多くのレスラーや関係者から慕われた。彼が残した足跡は、後代のレスラーやファンにとっても記憶されるべきものとして、プロレス史に刻まれている。
9. 外部リンク
- [http://www.onlineworldofwrestling.com/profile/buck-robley/ Online World of Wrestling]
- [http://www.profightdb.com/wrestlers/buck-robley-5245.html プロファイトDB]
- [https://www.imdb.com/name/nm3765014/ IMDB]