1. Overview
ヒロ・ヤマモト(Hiro D. Yamamotoヒロ・D・ヤマモト英語、1961年4月13日 - )は、アメリカ合衆国を代表するベーシストの一人であり、特にグランジ・バンド、サウンドガーデンの創設メンバーとしての功績で知られています。日系アメリカ人として、彼は1980年代からシアトルの音楽シーンの黎明期を支え、数々の革新的な楽曲制作に貢献しました。本記事では、彼の生い立ちと学業、サウンドガーデンでの初期の輝かしいキャリア、そしてその後のトゥルーリーやステレオ・ドンキーといった独立した音楽プロジェクトでの活動を通じて、彼の多岐にわたる音楽的遺産と、アメリカのオルタナティブ・ロック史におけるその重要な役割を包括的に詳述します。彼のキャリアは、メインストリームに流されない独立した音楽創造の精神を体現しており、グランジの発展におけるパイオニアとしての影響力は計り知れません。
2. 生い立ちと学歴
ヒロ・ヤマモトは、その音楽活動とは別に、科学分野における確固たる学術的背景を持つ人物でもあります。彼の生い立ちと学業は、彼の多才な側面を物語っています。
2.1. 誕生と幼少期
ヒロ・ヤマモトは1961年4月13日に、ワシントン州シアトルで誕生しました。彼は日系アメリカ人としてのアイデンティティを持ち、そのルーツは彼の人生とキャリアに影響を与えました。
2.2. 学業と学術的キャリア
ヤマモトは音楽活動と並行して学業にも力を入れ、ウェスタンワシントン大学で物理化学の修士号を取得しました。サウンドガーデン脱退後、彼はこの修士号取得に必要な課程を修了しました。現在、彼はワシントン州バーリントンにあるエッジ・アナリティカル社で有機化学部門の責任者を務めており、音楽と科学という異なる分野でその才能を発揮しています。
3. 音楽キャリア
ヒロ・ヤマモトの音楽キャリアは、グランジの黎明期を築き上げたサウンドガーデンでの活動から、その後の独立した音楽プロジェクトに至るまで、多岐にわたります。彼の貢献は、シアトルの音楽シーンの発展において重要な位置を占めています。
3.1. サウンドガーデン時代 (1984-1989)
ヒロ・ヤマモトは、クリス・コーネルやキム・セイルと共にサウンドガーデンの創設メンバーであり、その初期のサウンド形成に不可欠な役割を果たしました。
3.1.1. 結成と初期の活動
サウンドガーデンは1984年に、ヒロ・ヤマモトがベーシストとして、クリス・コーネル(ボーカル)、キム・セイル(ギター)と共に結成されました。当初はスコット・サンドクイストがドラムを務めていましたが、その後マット・キャメロンが加入し、バンドの黄金期を支えました。ヤマモトは、バンドの初期の重要なリリースに参加しています。コンピレーション・アルバム『ディープ・シックス』ではスコット・サンドクイストがドラムを務めた編成で、EP盤『スクリーミング・ライフ』、『フォップ』、『ラウデスト・ラブ』、そしてアルバム『ウルトラメガ・OK』や『ラウダー・ザン・ラヴ』ではマット・キャメロンがドラムを務めた編成で演奏しています。
3.1.2. 楽曲制作への貢献
ヒロ・ヤマモトは、クリス・コーネル、キム・セイル、マット・キャメロン、そして後に加入するベン・シェパードと同様に、サウンドガーデンの楽曲制作に積極的に関与しました。彼が作詞または共同作曲した楽曲には以下のものがあります。
- 「Heretic」(異端者) - 歌詞(初版は『ディープ・シックス』、セカンド・バージョンは『ラウデスト・ラブ』に収録)
- 「Tears to Forget」(忘れるための涙) - 楽曲(共同作曲、初版は『ディープ・シックス』、セカンド・バージョンは『スクリーミング・ライフ』に収録)
- 「All Your Lies」(君の全ての嘘) - 楽曲(共同作曲、初版は『ディープ・シックス』、セカンド・バージョンは『ウルトラメガ・OK』に収録)
- 「Kingdom of Come」(来たれ王国) - サウンドガーデン名義(『フォップ』に収録)
- 「665」 - 楽曲(『ウルトラメガ・OK』に収録)
- 「667」 - 楽曲(『ウルトラメガ・OK』に収録)
- 「Circle of Power」(力の輪) - 歌詞、ボーカル(『ウルトラメガ・OK』に収録)
- 「Nazi Driver」(ナチス・ドライバー) - 楽曲(『ウルトラメガ・OK』に収録)
- 「Toy Box」(おもちゃ箱) - 歌詞、楽曲(共同作曲、『フラワー』に収録)
- 「Power Trip」(権力への旅) - 楽曲(『ラウダー・ザン・ラヴ』に収録)
- 「I Awake」(目覚める) - 楽曲(『ラウダー・ザン・ラヴ』に収録)
- 「No Wrong No Right」(間違いも正しさもない) - 楽曲(『ラウダー・ザン・ラヴ』に収録)
3.1.3. 脱退
ヒロ・ヤマモトは1989年春のヨーロッパツアーを最後にサウンドガーデンを脱退しました。脱退の理由としては、彼の物理化学の修士号取得のための学業継続が挙げられています。最後のギグはアムステルダムのメルクウェヒで行われましたが、このギグの後、他のメンバーとの間で口論となり、バンドを離れることになりました。彼の脱退後、バンドには短期間ジェイソン・エヴァーマン(元ニルヴァーナ)がベーシストとして加入しましたが、その後ベン・シェパードが正式なベーシストとして迎えられました。
3.2. トゥルーリー時代 (1991年-現在)
サウンドガーデン脱退後、ヒロ・ヤマモトは新たな音楽の探求を始め、1991年にインディー・ロックバンド「トゥルーリー」を結成しました。このバンドは、元スクリーミング・トゥリーズのドラマーであるマーク・ピカレルと、ザ・ストーリーブック・クルックスのロバート・ロス(ボーカル)というメンバーで構成されました。トゥルーリーは2枚のスタジオ・アルバムと未発表音源のコンピレーションをリリースした後、2000年に解散しましたが、2008年には再結成し、再び活動を開始しています。
3.3. ステレオ・ドンキー時代 (2016年-現在)
ヒロ・ヤマモトは2016年に、ドラマーのマイク・バジュク、ギタリストのパット・ウィクリンと共に、サーフ・ミュージックに影響を受けたトリオバンド「ステレオ・ドンキー」を結成しました。

2018年11月、バンドは自身の名を冠した6曲入りのEPをリリースしました。このEPは、ギタリストのパット・ウィクリンが居住する、かつて教会であった建物で録音されました。ウィクリンによれば、「この空間がバンドの4人目のメンバーだ」というほど、その空間がサウンドに大きな影響を与えています。この録音は、サーフ・ミュージックとエキゾチカの両方の要素を併せ持ちながらも、「太平洋岸北西部のロックの歴史」に根ざしていると評価されています。
3.4. その他の音楽活動
ヒロ・ヤマモトは主要なバンド活動の傍ら、様々な音楽イベントやコラボレーションにも参加しています。2021年11月8日には、シアトルで開催されたアジアの殿堂(Asian Hall of Fame)の2021年受賞者を称えるイベントと、ロバート・チン財団の35周年記念式典で演奏を行いました。このイベントでは、ジェフ・カシワ、クリス・ノヴォセリック、エド・ロス、ダニー・セラフィンといった著名なミュージシャンたちとも共演し、その多岐にわたる音楽的交流を示しました。
4. ディスコグラフィ
ヒロ・ヤマモトが参加した主要な音楽リリースの一覧です。
4.1. サウンドガーデンでの活動
- 『スクリーミング・ライフ』(EP)
- 『フォップ』(EP)
- 『ウルトラメガ・OK』
- 『フラワー』(シングル)
- 『ラウダー・ザン・ラヴ』
- 『ラウデスト・ラブ』(EP)
4.2. トゥルーリーでの活動
- 『ハート・アンド・ラングス』(EP)- 1991年
- 『ファスト・ストーリーズ...フロム・キッド・コマ』 - 1995年
- 『フィーリング・ユー・アップ』 - 1997年
- 『サブジェクト・トゥ・チェンジ:ヘイトフリー・アメリカのためのアーティストたち』(コンピレーション) - 1997年
- 『トワイライト・カーテンズ』 - 2000年
4.3. ステレオ・ドンキーでの活動
- 『ステレオ・ドンキー』(EP)- 2018年
5. レガシーと評価
ヒロ・ヤマモトは、グランジという音楽ジャンルの発展において、計り知れない貢献を果たしたパイオニアの一人として高く評価されています。彼はサウンドガーデンの創設ベーシストとして、その初期のサウンドを特徴づける重厚で実験的なベースラインを確立し、バンドが後の世界的成功を収める上での強固な基盤を築きました。彼の演奏スタイルと作曲への関与は、グランジの革新的な精神と深く結びついており、メインストリームのロックとは一線を画す、よりオルタナティブで挑戦的な音楽の潮流を形成する上で重要な役割を果たしました。
サウンドガーデン脱退後も、彼はトゥルーリーやステレオ・ドンキーといった独立したプロジェクトで、自身の音楽的探求を継続しました。これらの活動は、商業的な成功よりも芸術的な自由と創造性を追求する彼の姿勢を示しており、グランジが持つDIY精神と独立性を体現しています。日系アメリカ人として、彼は音楽シーンにおける多様性の象徴でもあり、アジアの殿堂イベントでのパフォーマンスは、その文化的影響力の広がりを示しています。ヤマモトのキャリアは、単なるミュージシャンの枠を超え、シアトルの音楽シーン、ひいてはアメリカのオルタナティブ・ロック史に多大な足跡を残した、真に革新的なアーティストとして記憶されています。