1. 初期生い立ちと大学時代
スミスはテネシー州メンフィスで生まれ育った。彼のバスケットボールキャリアはタルサ大学で本格的に始まり、そこで「ビンゴ」というニックネームを得た。
1.1. 出生と幼少期
ロバート・スミスは1946年2月26日にテネシー州メンフィスで誕生した。彼の幼少期の詳細については多くは知られていないが、後にプロバスケットボール選手としての輝かしいキャリアを築くことになる。
1.2. 大学キャリア
スミスはタルサ大学のバスケットボールチームであるタルサ・ゴールデンハリケーンでプレーした。大学時代、アナウンサーのレン・モートンが彼が得点するたびに「ビンゴ!」と叫んだことから、「ビンゴ」というニックネームが定着した。4年次には平均24.5得点、10.3リバウンドを記録し、カンファレンスの年間最優秀選手に選出されるなど、大学バスケットボール界で高い評価を受けた。彼の背番号32番は、2020年にタルサ大学によって永久欠番に指定された。

2. プロフェッショナルキャリア
スミスは1969年のNBAドラフトで指名され、プロバスケットボール選手としてのキャリアをスタートさせた。クリーブランド・キャバリアーズでの活躍は特に顕著であり、チームの歴史において重要な役割を果たした。
2.1. NBAドラフトと入団
1969 NBAドラフトにおいて、スミスは全体6位でサンディエゴ・ロケッツから指名され、プロバスケットボール界に足を踏み入れた。ロケッツでの1シーズンを経て、翌1970年のエクスパンション・ドラフトでクリーブランド・キャバリアーズに指名され移籍した。キャバリアーズでの初戦では21得点を記録し、その才能を早くも示した。
2.2. 主要チームと活躍
スミスはサンディエゴ・ロケッツ(1969-1970年)、クリーブランド・キャバリアーズ(1970-1979年)、サンディエゴ・クリッパーズ(1979-1980年)でプレーした。彼のキャリアの大部分はクリーブランド・キャバリアーズで過ごされた。
2.2.1. クリーブランド・キャバリアーズ時代
スミスはクリーブランド・キャバリアーズで約9シーズンにわたり主力選手として活躍した。彼は1975-76シーズンにキャバリアーズがNBAセントラル・ディビジョンのタイトルを獲得するのに貢献し、ワシントン・ブレッツとのセミファイナル第2戦での勝利に貢献した「リッチフィールドの奇跡」の一員でもあった。
彼のキャリアで最高のシーズンは1974-75シーズンであり、このシーズンにはキャリアハイとなる平均15.9得点を記録し、フィールドゴール成功率は.483を誇った。キャバリアーズでの通算9,513得点は球団史上6位、720試合出場は同4位の記録である。また、彼はキャバリアーズにおける通算フィールドゴール成功数および試投数で3位、ターンオーバー率で3位にランクインしている。スミスは4シーズンで全82試合に出場し、1979年シーズン中盤には通算10,000得点を達成した。しかし、キャリア最後の3シーズンではリーグのターンオーバー率でトップになった。

1979年10月27日、スミスはサンディエゴ・クリッパーズへトレードされ、その見返りとして3巡目ドラフト指名権(後にスチュアート・ハウスの指名に使用)がキャバリアーズにもたらされた。興味深いことに、彼がまだクリッパーズでプレーしている最中であったにもかかわらず、キャバリアーズは彼の背番号を永久欠番に指定した。クリッパーズで1シーズン(スリーポイントシュートが導入された最初の年)プレーした後、彼は1980年のエクスパンション・ドラフトでダラス・マーベリックスに指名されたが、そこでプレーすることはなく、34歳で現役を引退した。
2.3. プレースタイルと特徴
スミスは特に長距離からのジャンプシュートの能力で知られていた。彼の放つアウトサイドからのジャンプシュートは、現在のスリーポイントシュートの距離から打たれることが多かった。彼は「レインボー・ジャンパー」と呼ばれる独特の放物線を描くシュートで有名であり、このスタイルは後にダーク・ノヴィツキーなどのフォワード選手にも見られるようになった。キャリア通算のフィールドゴール成功率は.449(10,642本中4,776本成功)、フリースロー成功率は.798(1,637本中1,307本成功)を記録している。また、通算3,630リバウンド、1,734アシスト、10,882得点を記録した。

3. キャリア統計
以下に、ロバート・"ビンゴ"・スミスのNBAレギュラーシーズンおよびプレイオフにおけるキャリア統計を示す。
| GP | 試合出場数 | GS | 先発出場数 | MPG | 1試合平均出場時間 |
| FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | 3ポイントフィールドゴール成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
| RPG | 1試合平均リバウンド数 | APG | 1試合平均アシスト数 | SPG | 1試合平均スティール数 |
| BPG | 1試合平均ブロック数 | PPG | 1試合平均得点 | Bold | キャリアハイ |
3.1. レギュラーシーズン
| 年 | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1969 | サンディエゴ・ロケッツ | 75 | - | 16.0 | .427 | - | .688 | 4.4 | 1.0 | 7.3 | ||
| 1970 | クリーブランド・キャバリアーズ | 77 | - | 30.3 | .448 | - | .761 | 5.6 | 3.4 | 15.2 | ||
| 1971 | クリーブランド・キャバリアーズ | 82 | - | 33.3 | .443 | - | .795 | 6.1 | 3.0 | 15.0 | ||
| 1972 | クリーブランド・キャバリアーズ | 73 | - | 14.6 | .444 | - | .790 | 2.7 | 1.5 | 8.2 | ||
| 1973 | クリーブランド・キャバリアーズ | 82 | - | 31.9 | .443 | - | .822 | 5.3 | 2.4 | 1.1 | .4 | 14.8 |
| 1974 | クリーブランド・キャバリアーズ | 82 | - | 32.1 | .483 | - | .825 | 5.0 | 2.8 | 1.0 | .3 | 15.9 |
| 1975 | クリーブランド・キャバリアーズ | 81 | - | 28.9 | .442 | - | .816 | 4.2 | 1.9 | .7 | .4 | 13.6 |
| 1976 | クリーブランド・キャバリアーズ | 81 | - | 26.4 | .446 | - | .818 | 3.9 | 1.9 | .8 | .4 | 14.5 |
| 1977 | クリーブランド・キャバリアーズ | 82 | - | 19.3 | .439 | - | .800 | 2.5 | 1.1 | .5 | .3 | 10.3 |
| 1978 | クリーブランド・キャバリアーズ | 72 | - | 22.9 | .460 | - | .783 | 2.9 | 1.7 | .6 | .1 | 11.2 |
| 1979 | クリーブランド・キャバリアーズ | 8 | - | 16.9 | .458 | .200 | .875 | 1.8 | .9 | .4 | .3 | 9.3 |
| サンディエゴ・クリッパーズ | 70 | - | 28.4 | .430 | .289 | .869 | 3.5 | 1.3 | .8 | .2 | 11.7 | |
| キャリア | 865 | - | 25.9 | .449 | .284 | .798 | 4.2 | 2.0 | .8 | .3 | 12.6 | |
3.2. プレイオフ
| 年 | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1976 | クリーブランド・キャバリアーズ | 13 | - | 29.2 | .433 | - | .880 | 3.3 | 2.3 | .8 | .2 | 12.6 |
| 1977 | クリーブランド・キャバリアーズ | 3 | - | 19.0 | .231 | - | 1.000 | 2.7 | 1.3 | 1.0 | .3 | 7.0 |
| クリーブランド・キャバリアーズ | 2 | - | 17.0 | .615 | - | - | 1.5 | .5 | .5 | .0 | 8.0 | |
| キャリア | 18 | - | 26.1 | .407 | - | .893 | 3.0 | 1.9 | .8 | .2 | 11.2 | |
4. 私生活と健康問題
スミスは離婚しており、5人の子供、5人の孫、そして2人の曾孫がいた。2009年4月1日には脳卒中を患い、健康上の問題を抱えていた。
5. 死去
ロバート・"ビンゴ"・スミスは2023年10月26日に77歳で死去した。
6. 受賞歴と記念
スミスのバスケットボール界への貢献は、数々の栄誉によって称えられている。
6.1. 背番号の永久欠番
彼の背番号「7」は、クリーブランド・キャバリアーズによって永久欠番に指定されている。これは、彼がクリッパーズに移籍した後、まだ現役選手であったにもかかわらず、キャバリアーズが彼の功績を称えて決定した異例の措置であった。また、彼の母校であるタルサ大学でも、背番号「32」が永久欠番となっている。
6.2. 殿堂入り
スミスは、1984年にタルサ大学アスレチックス殿堂に、2016年にはオハイオバスケットボール殿堂にそれぞれ選出され、その輝かしいキャリアとバスケットボール界への貢献が認められた。