1. 生い立ちと教育
フリオ・ボーボンは、ミシシッピ州スタークビルで生まれ、大学時代には野球で顕著な成績を収めた。
1.1. 出生と背景
ボーボンは1986年2月20日にアメリカ合衆国ミシシッピ州スタークビルで生まれた。彼の父親がミシシッピ州立大学に在学中であったため、スタークビルで誕生した。彼はドミニカ共和国系の血統を持ち、高校はドミニカ共和国のサントドミンゴにあるデ・ラ・サール高校に通い、2004年に卒業した。彼の弟であるエドウィン・ボーボンも、テネシー大学のジュニアカレッジであるチャタヌーガ州立大学で2年間プレーした後、トレベッカ・ナザレン大学で大学野球選手として活動した。
1.2. 大学時代
高校卒業後、ボーボンは野球奨学金を得てテネシー大学に進学した。2005年には、カレッジ・ワールドシリーズ進出に貢献し、打率.350を記録してチーム内で3位の成績を残した。この年のチームメイトには、後にメジャーリーグで活躍するチェイス・ヘッドリーやルーク・ホッチェバーらがいた。2005年シーズン後には、ケープコッド・ベースボールリーグのコチュイット・ケトルズで大学サマーリーグ野球を経験した。2006年には打率.366と19盗塁でテネシー大学のチームを牽引し、最終シーズンとなった2007年には打率.345を記録した。
2. プロ経歴
ボーボンは2007年のMLBドラフトで指名されプロ入りし、テキサス・レンジャーズでメジャーデビューを果たした。その後、シカゴ・カブス、ボルチモア・オリオールズを経て、メキシカンリーグや独立リーグでもプレーし、2019年に現役を引退した。
2.1. ドラフトと契約
2007年のMLBドラフトを前に、ボーボンは『ベースボール・アメリカ』誌によって全体で19番目の有望株と評価された。ドラフトでは、テキサス・レンジャーズから1巡目追補(全体35位)で指名された。彼は2007年8月16日に、4年総額210.00 万 USDのメジャー契約でレンジャーズと入団契約を結び、契約金として80.00 万 USDを受け取った。メジャー契約であったため、ボーボンはレンジャーズの40人枠に登録され、その後シングルAのスポケーン・インディアンズにオプションで送られた。スポケーンでは7試合に出場し、打率.172を記録した。その後、ルーキーリーグのサプライズ・レンジャーズで2試合プレーした。
2.2. テキサス・レンジャーズ時代

2009年6月29日、ボーボンはレンジャーズでメジャーリーグデビューを果たした。同日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦で6番・指名打者として先発出場し、3打数無安打2三振だった。同年8月20日にはメジャー初本塁打を放った。9月8日にはクリーブランド・インディアンス戦で自身初の1試合複数本塁打を記録し、チームの11対9の勝利に貢献した。

2013年4月9日、ボーボンは戦力外通告を受けDFAとなった。
2.3. シカゴ・カブス時代
2013年4月19日、ボーボンはウェーバー公示を経てシカゴ・カブスに移籍した。しかし、同年8月2日には再びDFAとなった。
2.4. ボルチモア・オリオールズ時代
2013年12月12日、ボーボンはルール・ファイブ・ドラフトのAAA級フェーズでボルチモア・オリオールズから指名され、マイナー契約を結んだ。2014年シーズンはAAA級ノーフォーク・タイズに配属され、124試合に出場し、打率.288、出塁率.342、長打率.356、5本塁打、44打点、34盗塁を記録した。
2015年もAAA級ノーフォークでプレーし、114試合に出場して打率.269、出塁率.300、長打率.321、1本塁打、28打点、23盗塁を記録した。シーズン終了後の11月6日にフリーエージェントとなった。
2016年3月12日、ボーボンはオリオールズとマイナー契約で再契約した。同年開幕はAA級ボウイ・ベイソックスで迎えた。7月19日、オリオールズが金賢洙を15日間の故障者リストに入れたことに伴い、ボーボンの契約がAA級ボウイから選択され、メジャー契約を結んで25人枠入りした。8月20日、ヤンキー・スタジアムで行われたニューヨーク・ヤンキース戦で、8回に中堅手アダム・ジョーンズの守備固めとして出場し、3年ぶりにメジャーリーグの試合に出場した。翌日にはオリオールズで初めて中堅手として先発出場し、3打数1安打1得点を記録してチームの4対1の勝利に貢献した。7月26日にDFAとなり、29日に40人枠を外れる形でAA級ボウイへ配属された。8月27日に再びメジャー契約を結んで25人枠入りしたが、翌28日にDFAとなり、30日に40人枠を外れる形でAA級ボウイへ配属された。8月31日には40人枠から外され、AAA級ノーフォークに送られた。
2.5. メキシカンリーグおよび独立リーグ時代

2017年4月11日、ボーボンはメキシカンリーグのモンクローバ・スティーラーズと契約した。モンクローバでは55試合に出場し、打率.351、出塁率.408、長打率.449、2本塁打、22打点、8盗塁を記録した。同年7月1日、プエブラ・パロッツにトレードで移籍。プエブラでは35試合に出場し、打率.390、出塁率.457、長打率.504、3本塁打、15打点、12盗塁を記録した。シーズン終了後、フリーエージェントとなった。
2018年4月2日、ボーボンは独立リーグのアトランティックリーグに所属するサマセット・ペイトリオッツと契約した。サマセットでは56試合に出場し、打率.301、出塁率.363、長打率.454、5本塁打、33打点、19盗塁を記録した。同年7月17日、メキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズに移籍した。モンテレイでは42試合に出場し、打率.301、出塁率.386、長打率.399、4本塁打、20打点、16盗塁を記録した。
2019年3月1日、ボーボンは自身のInstagramでプロ野球選手としての現役引退を表明した。
2.6. 年度別打撃成績
年 度 | 所 属 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 故 意 四 球 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009 | TEX | 46 | 179 | 157 | 30 | 49 | 4 | 0 | 4 | 65 | 20 | 19 | 4 | 6 | 0 | 15 | 0 | 1 | 28 | 3 | .312 | .376 | .414 | .790 |
2010 | 137 | 468 | 438 | 60 | 121 | 11 | 4 | 3 | 149 | 42 | 15 | 7 | 8 | 1 | 19 | 0 | 2 | 59 | 2 | .276 | .309 | .340 | .649 | |
2011 | 32 | 98 | 89 | 10 | 24 | 1 | 3 | 0 | 31 | 11 | 6 | 2 | 3 | 1 | 3 | 0 | 2 | 9 | 2 | .270 | .305 | .348 | .654 | |
2013 | 1 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
CHC | 72 | 117 | 104 | 10 | 21 | 3 | 1 | 1 | 29 | 3 | 7 | 1 | 1 | 0 | 12 | 0 | 0 | 22 | 0 | .202 | .284 | .279 | .563 | |
'13計 | 73 | 118 | 105 | 11 | 21 | 3 | 1 | 1 | 29 | 3 | 7 | 1 | 1 | 0 | 12 | 0 | 0 | 22 | 0 | .200 | .282 | .276 | .558 | |
2016 | BAL | 6 | 15 | 13 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .308 | .308 | .308 | .615 |
MLB:5年 | 294 | 878 | 802 | 112 | 219 | 19 | 8 | 8 | 278 | 76 | 47 | 15 | 20 | 2 | 49 | 0 | 5 | 121 | 10 | .273 | .318 | .347 | .665 |
2.7. 背番号
- 29 (2009年 - 2010年、2016年)
- 20 (2011年 - 2013年)
3. 引退後の経歴
現役引退後、フリオ・ボーボンはコーチとしてのキャリアをスタートさせ、ニューヨーク・ヤンキース、ミネソタ・ツインズを経て、現在はミルウォーキー・ブルワーズで指導にあたっている。
3.1. ニューヨーク・ヤンキース時代
2019年3月1日、ボーボンは現役引退と同時にニューヨーク・ヤンキースの組織にコーチとして加わったことを発表した。最初の年、彼はスクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースの守備コーチを務め、走塁、外野手、バントの指導に重点を置いた。2020年には、ガルフ・コーストリーグ・ヤンキースの守備コーチという新しい役職に就いたが、シーズンはCOVID-19パンデミックにより中止された。2021年には、チーム名がフロリダ・コンプレックスリーグ・ヤンキースに変更された後もチームに留まり、監督に昇格した。
3.2. ミネソタ・ツインズ時代
2022年1月30日、ボーボンはヤンキースを離れ、ミネソタ・ツインズの選手育成部門の職務を引き受けたことを発表した。
3.3. ミルウォーキー・ブルワーズ時代
2024年12月17日、ミルウォーキー・ブルワーズはボーボンを一塁ベースコーチとして雇用したことを発表した。
4. 受賞歴と栄誉
- 2006年世界大学野球選手権大会 金メダル(アメリカ合衆国代表として)