1. 概要
ブライアン・ハーマン・トーマス・レッドマン(Brian Herman Thomas Redmanブライアン・ハーマン・トーマス・レッドマン英語、1937年3月9日生まれ)は、イギリス出身の元レーシングドライバーである。彼は、フォーミュラ1を含むほぼ全てのレーシングカテゴリーで活躍し、特にスポーツカーレースとSCCAフォーミュラ5000選手権、IMSA GT選手権で目覚ましい成功を収めたことで知られている。
レッドマンは、1959年にレースキャリアを開始し、1968年にはジョン・ワイヤ・オートモーティブ・エンジニアリングのフォード・GT40を駆ってマニュファクチャラーズ選手権で優勝を飾った。その後も、タルガ・フローリオやセブリング12時間レース、デイトナ24時間レースなど、数々の主要な耐久レースで勝利を重ね、「スポーツにおける最も偉大な耐久レーサーの一人」と評されている。北米では、カール・ハースとジム・ホールのシャパラル・カーズに所属し、1974年から1976年までSCCAフォーミュラ5000シリーズを3連覇し、1981年にはローラ・T600をドライブしてIMSAキャメルGTPチャンピオンシップを獲得した。彼のキャリアは、複数回の重傷を伴う事故に見舞われながらも、その度に劇的な復帰を遂げたことで、その強靭な精神と回復力が強調される。引退後も、ヒストリックレースに積極的に参加するなど、モータースポーツ界との繋がりを保ち続けている。
2. 生い立ちと背景
2.1. 生誕と初期
ブライアン・レッドマンは1937年3月9日に、イギリスのイングランド、ランカシャー州コルネで生まれた。彼の幼少期の詳細や家族構成については多くが公にされていないが、1959年にレース活動を開始したことから、比較的早い時期からモータースポーツへの情熱を抱いていたことがうかがえる。
3. レーシングキャリア
ブライアン・レッドマンのレーシングドライバーとしてのキャリアは多岐にわたり、F1からスポーツカーレース、北米のフォーミュラ5000やIMSA GTPといった様々なカテゴリーで輝かしい功績を残した。
3.1. キャリア初期とF1デビュー
レッドマンは1959年にレーシングキャリアをスタートさせ、瞬く間にその才能を示した。彼のF1世界選手権でのデビューは1968年1月1日である。彼はF1において、マクラーレン、シャドウ、クーパー、ウィリアムズ、サーティース、BRMといったチームに所属した。
通算15戦のF1世界選手権レースに参戦し(うち12回スタート)、キャリアを通じて合計8ポイントを獲得した。唯一の表彰台は、1968年のスペイングランプリで、クーパー・BRMをドライブして3位に入賞した記録である。このレースでは、ロータス・フォードのグラハム・ヒルとマクラーレン・フォードのデニス・ハルムに次ぐ成績を収めた。その後、1972年にはモナコグランプリとドイツグランプリでそれぞれ5位に入り、ヤードレー・マクラーレンを駆り、ポイントを獲得している。

3.2. スポーツカーレースでの成功
レッドマンは、スポーツカーレースで特に目覚ましい成功を収めた。1968年にはジョン・ワイヤ・ガルフのドライバーとして、1969年と1970年にはポルシェのワークスドライバーとして、そして1972年にはフェラーリ・312PBを駆り、その卓越した才能を発揮した。
彼は数々の主要な耐久レースで勝利を重ねた。具体的には、スパ・フランコルシャン1000kmレースで5回、ニュルブルクリンク1000kmレースで3回、デイトナ24時間レースで2回、セブリング12時間レースで2回、ワトキンズ・グレン6時間レースで1回、エステルライヒリンクで2回、モンツァ1000kmレースで2回、タルガ・フローリオで1回、ブランズ・ハッチ6時間レースで2回、キャラミ9時間レースで2回優勝している。また、ル・マン24時間レースでは2度のクラス優勝を果たした。
1968年には、ジョン・ワイヤ・オートモーティヴ・エンジニアリングに所属し、ベルギー人ドライバーのジャッキー・イクスと共にフォード・GT40をドライブして、マニュファクチャラーズ選手権を制覇した。さらに、1970年から1971年にかけて開催された南アフリカのスプリングボックシリーズでも優勝を飾っている。長年にわたり、レッドマンは同郷のランカシャー州出身であるデレック・ベネットが設立したシェブロンと密接な関係を築いた。


3.3. フォーミュラ5000とIMSA GTPチャンピオンシップ
1973年、レッドマンはアメリカに活動の拠点を移し、フルタイムでレースに参戦を開始した。彼は1974年から1976年まで、ジム・ホールとカール・ハースが率いるチームのローラ・T330/332Cを駆り、SCCAフォーミュラ5000選手権で3年連続のチャンピオンに輝いた。この期間、彼はマリオ・アンドレッティ、アル・アンザー、ジョディ・シェクター、ジャッキー・オリバー、アラン・ジョーンズ、デビッド・ホッブス、ブレット・ランガー、サム・ポージー、ヴァーン・シュパンといった数多くの手強いライバルたちを打ち破った。レッドマンは一時期、カール・ハースの事業所があるイリノイ州ハイランドパークに居住し、そこで勤務もしていた。
1976年末、SCCAがF5000の新しいレギュレーションを発表し、これまでのシングルシーターにフル幅のボディワークを装着させ、新シリーズはCan-Amと命名されることになった。新シーズンの開幕戦、カナダのモン・トランブラン・サーキットでのプラクティス初日、レッドマンの新車は時速約257 km/h (160 mph)で飛び上がり、空中約12 m (40 ft)を舞った後、逆さまに着地するという大事故に見舞われた。彼はこの事故で首(C1)、肩、胸骨を骨折し、脳挫傷を負った。さらに、病院へ向かう救急車のタイヤがパンクするという不運に見舞われ、一時は死亡と宣告された。しかし、レッドマンは驚異的な回復力を見せ、9か月の療養期間を経て、1978年のセブリング12時間レースでポルシェ・935をドライブして優勝し、劇的な復帰を飾った。
3.4. 主な事故と復帰
ブライアン・レッドマンのキャリアは、その卓越したドライビングスキルだけでなく、重篤な事故からの劇的な復帰という、彼の不屈の精神を示すエピソードによっても特筆される。
最初の大きな事故は、1968年のベルギーグランプリで発生した。スパ・フランコルシャン・サーキットのレ・クーム(Les Coombes)コーナーで、彼がドライブするクーパー・BRMのサスペンションが破損し、激しくクラッシュ。この事故により、レッドマンは腕をひどく骨折する重傷を負ったが、幸いにも命に別状はなかった。
しかし、彼のキャリアを最も劇的に変えたのは、1976年末のCan-Amシリーズ初戦、カナダのモン・トランブラン・サーキットでの事故である。新規定のF5000車両のプラクティス中、彼の乗るマシンは時速約257 km/h (160 mph)の高速で突然浮き上がり、約12 m (40 ft)も空中を舞った後、逆さまに着地するという壮絶なクラッシュを起こした。この事故で、レッドマンは首のC1椎体骨折、肩と胸骨の骨折、さらに脳挫傷という深刻な怪我を負い、救急車が病院に向かう途中でタイヤがパンクするという不運まで重なり、一時的に死亡と宣告される事態となった。
だが、レッドマンは医学の常識を覆す回復力を見せ、9か月の療養期間を経て、見事にレースの世界に復帰した。そして、復帰戦となった1978年のセブリング12時間レースでは、ポルシェ・935を駆り優勝するという、まさに劇的な勝利を飾った。この復帰劇は、彼のレーシングドライバーとしての不屈の精神と、限界を超える能力を象徴する出来事として、モータースポーツ史に深く刻まれている。
3.5. 後期キャリアと引退後の活動
1978年のセブリング12時間レースでの劇的な復帰後、ブライアン・レッドマンはディック・バーバー・レーシングで1979年と1980年まで活動を続けた。1981年には、新型のローラ・T600 IMSA GTPカーをドライブし、ラグナ・セカでの開幕戦で勝利を収め、その勢いのままIMSAキャメルGTPチャンピオンシップを獲得した。
彼のプロフェッショナルなレーシングキャリアの最終年は1989年であった。この年、レッドマンは52歳にしてアストンマーティンのワークスチームに加入し、世界スポーツプロトタイプカー選手権に参戦した。このシーズンにはブランズハッチでの4位入賞を含む活躍を見せた。
プロとしての引退後も、レッドマンはモータースポーツ界との関係を絶つことなく、多岐にわたる活動を行っている。彼はレッドマン・ブライト・レーシングチームの共同マネージャーを務めた経歴を持つ。現在、彼はフロリダ州に居住しており、ヒストリックカーレースの分野で積極的に活動を続けている。その情熱は衰えることなく、61回目のレーシングライセンスを取得していることからも、彼のレースへの深い愛情がうかがえる。
4. 功績と評価
ブライアン・レッドマンは、その多岐にわたるレーシングキャリアと数々の勝利を通じて、モータースポーツ界に大きな功績を残した。彼の功績は、様々な栄誉や殿堂入りによって高く評価されている。
4.1. 栄誉と殿堂入り
レッドマンは、その卓越したドライビングスキルと輝かしいキャリアが認められ、複数の名誉ある殿堂に名を連ねている。
- アメリカモータースポーツ殿堂**: 2002年にスポーツカーカテゴリーで殿堂入りを果たした。
- デイトナ国際殿堂**: デイトナ24時間レースでの2度の総合優勝を含む活躍が評価され、殿堂入り。
- セブリング殿堂**: セブリング12時間レースでの2度の総合優勝、特に1978年の劇的な復帰後の勝利が記憶され、殿堂入り。
- タラデガ殿堂**: タラデガ・スーパースピードウェイにおける功績が認められ、殿堂入り。
- モータースポーツ殿堂(イギリス)**: 母国イギリスのモータースポーツ界への貢献が評価され、殿堂入り。
- ロングビーチ舗装殿堂**: ロングビーチ市街地コースにおける功績が称えられ、その名を刻まれた。
これらの殿堂入りは、彼がスポーツカーレース、耐久レース、そして北米の主要なシリーズにおいて、いかに歴史的な足跡を残したかを示している。
4.2. 影響と認知
ブライアン・レッドマンのキャリアと業績は、モータースポーツ分野に多大な影響を与え、その認知度は高い。彼の粘り強さと、特に重傷からの劇的な復帰は、多くのレーサーやファンにインスピレーションを与えた。
彼の名前は、現在もアメリカのモータースポーツイベントで称えられている。ウィスコンシン州にあるロード・アメリカ・サーキットでは、毎年恒例のヴィンテージ/ヒストリックカーイベント「ザ・ウェザーテック・インターナショナル・チャレンジ・ウィズ・ブライアン・レッドマン」が開催されている。このイベントは、アメリカ合衆国で最大かつ最も権威あるヴィンテージレーシングイベントの一つとして広く認知されており、彼の遺産が現代のモータースポーツシーンにおいても生き続けていることを示している。レッドマン自身も、引退後もヒストリックレースに積極的に参加し、イベントに顔を出すことで、その影響力を維持している。
5. レース戦績
5.1. イギリスサルーンカー選手権の全成績
- 太字はポールポジション、斜体はファステストラップを示す。
年 | チーム | 車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 総合順位 | ポイント | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1965 | ヴィタフォーム・ディベロップメンツ | オースチン・ミニクーパーS | ブランズ・ハッチ | オールトン・パーク | SNE リタイア | グッドウッド・サーキット | シルバーストン・サーキット | クリスタル・パレス・サーキット | ブランズ・ハッチ | オールトン・パーク | 順位なし | 0 | 順位なし | |||||
1966 | レッド・ローズ・レーシング | アルファロメオ 1600 GTA | SNE | グッドウッド・サーキット | シルバーストン・サーキット | クリスタル・パレス・サーキット | ブランズ・ハッチ | ブランズ・ハッチ | オールトン・パーク 4† | ブランズ・ハッチ | 24位 | 6 | 7位 | |||||
1978 | ハーミタイト・レーシング・ウィズ・レイランド | トライアンフ・ドロマイト・スプリント | SIL | OUL | THR | BRH | SIL | DON DNS | MAL | BRH | DON | BRH | THR | OUL | 順位なし | 0 | 順位なし |
† 異なるクラス向けに2レースが開催されたイベント。
5.2. ヨーロッパF2選手権の全成績
年 | エントラント | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 総合順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1967 | デビッド・ブリッジス | ブラバム BT16 | コスワース・フォード | SNE | SIL | NÜR リタイア | HOC | TUL | 9位 | 8 | |||||
ローラ T100 | JAR 6 (※) | ZAN | PER | BRH 8 (※) | VAL 5 | ||||||||||
1968 | デビッド・ブリッジス | ローラ T100 | コスワース・フォード | HOC | THR | JAR | PAL 2 (※) | TUL | ZAN | PER | HOC | VAL | 9位 | 9 |
※備考: ジム・クラーク、ジャッキー・スチュワート、ジャック・ブラバム、ヨッヘン・リントが上位でフィニッシュしたが、彼らは選手権ポイント対象外であったため、レッドマンは繰り上げでポイントを獲得した。
5.3. F1世界選手権の全成績
- 太字はポールポジション、斜体はファステストラップを示す。
年 | エントラント | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 総合順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1967 | デビッド・ブリッジス | ローラ T100 (F2) | フォード・コスワース FVA 1.6 L4 | RSA | MON | NED | BEL | FRA | GBR | GER DNS | CAN | ITA | USA | MEX | 順位なし | 0 | ||||
1968 | クーパー | T81B | マセラティ 10/F1 3.0 V12 | RSA リタイア | 19位 | 4 | ||||||||||||||
T86B | BRM P101 3.0 V12 | ESP 3 | MON | BEL リタイア | NED | FRA | GBR | GER | ITA | CAN | USA | MEX | ||||||||
1970 | フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ | デ・トマソ 505/38 | フォード・コスワース DFV 3.0 V8 | RSA | ESP | MON | BEL | NED | FRA | GBR DNS | GER DNQ | AUT | ITA | CAN | USA | MEX | 順位なし | 0 | ||
1971 | サーティース | TS7 | フォード・コスワワース DFV 3.0 V8 | RSA 7 | ESP | MON | NED | FRA | GBR | GER | AUT | ITA | CAN | USA | 順位なし | 0 | ||||
1972 | ヤードレー・チーム・マクラーレン | マクラーレン M19A | フォード・コスワース DFV 3.0 V8 | ARG | RSA | ESP | MON 5 | BEL | FRA 9 | GBR | GER 5 | AUT | ITA | CAN | 14位 | 4 | ||||
マルボロ BRM | BRM P180 | BRM P142 3.0 V12 | USA リタイア | |||||||||||||||||
1973 | シャドウ・レーシングチーム | DN1 | フォード・コスワース DFV 3.0 V8 | ARG | BRA | RSA | ESP | BEL | MON | SWE | FRA | GBR | NED | GER | AUT | ITA | CAN | USA 失格 | 順位なし | 0 |
1974 | UOP シャドウ・レーシングチーム | DN3 | フォード・コスワース DFV 3.0 V8 | ARG | BRA | RSA | ESP 7 | BEL 18 | MON リタイア | SWE | NED | FRA | GBR | GER | AUT | ITA | CAN | USA | 順位なし | 0 |
5.4. F1非選手権レースの全成績
- 太字はポールポジション、斜体はファステストラップを示す。
年 | エントラント | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1967 | デビッド・ブリッジス | ローラ T100 (F2) | フォード・コスワース FVA 1.6 L4 | ROC | SPC | INT | SYR | OUL リタイア | ESP 8 | ||
1968 | クーパー | T86B | BRM P101 3.0 V12 | ROC 5 | INT | OUL | |||||
1971 | シド・テイラー・レーシング | マクラーレン M18 (F5000) | シボレー 5.0 V8 | ARG | ROC | QUE | SPR | INT リタイア | RIN | OUL リタイア | VIC |
1972 | シド・テイラー・レーシング | マクラーレン M10B (F5000) | シボレー 5.0 V8 | ROC リタイア | BRA | INT DNS | |||||
シェブロン B24 (F5000) | OUL 4 | REP | |||||||||
ヤードレー・チーム・マクラーレン | マクラーレン M19A | フォード・コスワース DFV 3.0 V8 | VIC 7 | ||||||||
1974 | シド・テイラー・レーシング | ローラ T332 (F5000) | シボレー 5.0 V8 | PRE | ROC DNS | ||||||
チーム・エンサイン | エンサイン N174 | フォード・コスワース DFV 3.0 V8 | INT 8 | ||||||||
1975 | A.G. ディーン | シェブロン B24/B28 (F5000) | シボレー 5.0 V8 | ROC DNQ | INT | SUI |
5.5. ル・マン24時間レースの全成績
年 | チーム | コ・ドライバー | 車両 | クラス | 周回数 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1967 | ジョン・ワイヤ・オートモーティブ | マイク・サーモン | フォード・GT40 Mk I | S 5.0 | 220 | リタイア | リタイア |
1969 | ハート・スキー・レーシング | ジョー・シフェール | ポルシェ・908/2L | P 3.0 | 60 | リタイア | リタイア |
1970 | ジョン・ワイヤ・オートモーティブ・エンジニアリング | ジョー・シフェール | ポルシェ・917K | S 5.0 | 156 | リタイア | リタイア |
1973 | SpA フェラーリ SEFAC | ジャッキー・イクス | フェラーリ・312PB | S 3.0 | 332 | リタイア | リタイア |
1976 | B.M.W. モータースポーツ GmbH | ピーター・グレッグ | BMW 3.0CSL ターボ | Gr 5 | 23 | リタイア | リタイア |
1978 | ディック・バーバー・レーシング | ジョン・ポール・シニア ディック・バーバー | ポルシェ 935/77A | IMSA+2.5 | 337 | 5位 | 1位 |
1979 | エセックス・モータースポーツ・ポルシェ | ジャッキー・イクス ユルゲン・バース | ポルシェ・936 | S+2.0 | 200 | リタイア | リタイア |
1980 | ディック・バーバー・レーシング | ジョン・フィッツパトリック ディック・バーバー | ポルシェ 935 K3/80 | IMSA | 318 | 5位 | 1位 |
1981 | クック・ウッズ・レーシング | ボビー・レイホール | ローラ T600-ポルシェ | S+2.0 | - | 出場資格なし | 出場資格なし |
1982 | クック・レーシング - マラドー | ラルフ・ケント・クック ジム・アダムス | ローラ T610-フォード コスワース | C | 28 | リタイア | リタイア |
1984 | ジャガー グループ 44 | ドック・バンディー ボブ・トゥッリウス | ジャガー XJR-5 | IMSA GTP | 291 | リタイア | リタイア |
1985 | ジャガー グループ 44 | ハーレイ・ヘイウッド ジム・アダムス | ジャガー XJR-5 | GTP | 151 | リタイア | リタイア |
1986 | シルクカット ジャガー | ハンス・ヘイヤー ハーレイ・ヘイウッド | ジャガー XJR-6 | C1 | 53 | リタイア | リタイア |
1988 | 武富士 シュパン・レーシング | エイエ・エリジュ ジャン=ピエール・ジャリエ | ポルシェ 962C | C1 | 359 | 10位 | 10位 |
1989 | アストン・マーティン・レーシング エキュリー・エコッセ | コスタス・ロス マイケル・ロー | アストンマーティン・AMR1 | C1 | 340 | 11位 | 9位 |