1. 初期生い立ちと背景
プトレマイオス13世は、父プトレマイオス12世の遺言により姉クレオパトラ7世と共同統治を開始しました。
1.1. 出生と家族
プトレマイオス13世は、紀元前62年頃または紀元前61年頃に、エジプトのファラオであるプトレマイオス12世の息子として誕生しました。彼の正式名称である「テオス・フィロパトル」は、「父を愛する神」を意味します。彼には複数の兄弟姉妹がおり、姉にはベレニケ4世、クレオパトラ7世、アルシノエ4世が、弟にはプトレマイオス14世がいました。

2. 統治と権力闘争
プトレマイオス13世は、ファラオとしての短い統治期間中、姉クレオパトラ7世との激しい権力闘争に巻き込まれました。
2.1. 王位継承と共同統治
紀元前51年の春、わずか11歳で父プトレマイオス12世の跡を継ぎ、プトレマイオス朝エジプトのファラオとなりました。父の遺言により、彼は姉のクレオパトラ7世と結婚し、共同統治者としてエジプトを治めることになりました。紀元前50年10月には、彼はクレオパトラと共に上位の統治者として昇格しましたが、実質的には宦官のポティノスが彼の摂政を務め、権力を掌握していました。
2.2. 摂政と権力闘争
紀元前48年春、プトレマイオス13世と摂政ポティノスは、女王としての地位を強化しつつあったクレオパトラ7世を廃位しようと試みました。当時、発行される硬貨にはクレオパトラの顔が描かれ、公文書からはプトレマイオス13世の名前が省略されるなど、彼女の単独統治の傾向が顕著になっていました。プトレマイオス13世はポティノスを後ろ盾として単独統治者となることを目論み、クレオパトラをシリアへ追放することに成功しました。
2.3. 内戦とアルシノエ4世との同盟
クレオパトラ7世はシリアで自らの軍隊を組織し、エジプトで内戦が勃発しました。この状況をさらに複雑にしたのは、プトレマイオス13世とクレオパトラのもう一人の妹であるアルシノエ4世が王位を主張し始めたことでした。アルシノエ4世はプトレマイオス13世と同盟を結び、クレオパトラ7世と、後にエジプトに介入するガイウス・ユリウス・カエサルの軍隊に忠実な勢力に対抗しました。
3. ローマの介入と影響
エジプトの内戦は、共和政ローマの指導者たちの介入を招き、プトレマイオス13世の運命を大きく左右しました。
3.1. ポンペイウスの亡命と暗殺
この頃、共和政ローマの内戦でガイウス・ユリウス・カエサルに敗れた将軍グナエウス・ポンペイウスが、カエサルの追撃から逃れてエジプトに亡命を求めてきました。当初、プトレマイオス13世はポンペイウスの要求を受け入れる姿勢を見せましたが、カエサルの歓心を買うことを期待し、紀元前48年9月29日にアキラスとルキウス・セプティミウスに命じてポンペイウスを暗殺させました。この決定は、倫理的な問題だけでなく、後のローマとの関係に大きな影響を与えることになります。
3.2. ユリウス・カエサルの介入
紀元前48年10月4日、ポンペイウスを追ってアレクサンドリアに到着したガイウス・ユリウス・カエサルは、プトレマイオス13世からポンペイウスの首を差し出されました。しかし、カエサルは喜ぶどころか、激しい嫌悪感を示し、ポンペイウスの遺体を回収して適切なローマ式の葬儀を行うよう命じました。この出来事の後、密かにエジプトに戻っていたクレオパトラ7世はカエサルの歓心を得て、彼の愛人となりました。カエサルは摂政ポティノスを処刑させ、クレオパトラ7世を正式に王位に復帰させましたが、プトレマイオス13世はこれに反発し、クレオパトラの廃位を諦めませんでした。
4. 軍事衝突と最期
プトレマイオス13世は、カエサル軍との軍事衝突によって追い詰められ、その命を落としました。
4.1. アレクサンドリア攻囲戦
クレオパトラ7世の廃位を固く決意したプトレマイオス13世は、姉のアルシノエ4世と同盟を結びました。彼らは自らに忠実な軍隊の派閥を組織し、クレオパトラ7世およびエジプトに同行した比較的少数のカエサル軍と対峙しました。紀元前48年12月中旬、両派の激しい戦闘がアレクサンドリア市内で発生し、市は甚大な被害を受けました。この攻囲戦の最中、アレクサンドリア図書館が焼失したとされています。
4.2. ナイル川の戦い
ローマからの援軍が到着すると、戦況はガイウス・ユリウス・カエサルとクレオパトラ7世に有利に傾き、紀元前47年にナイル川の戦いが勃発しました。この戦いはカエサルとクレオパトラの勝利に終わり、プトレマイオス13世は都市からの逃亡を余儀なくされました。
4.3. 死
プトレマイオス13世は、紀元前47年1月13日、ナイル川を渡って逃亡しようとした際に溺死したと伝えられています。彼が逃亡を図っていたのか、あるいは交渉を求めていたのかは、当時の史料からは不明確です。また、別の説では、彼が身につけていた鎧の重さで水面に浮上できずに溺死したとも言われています。
5. 後継者と王朝の継続
プトレマイオス13世の死後、クレオパトラ7世はエジプトの唯一の統治者としての地位を確立し、王朝の継続を図りました。彼女は、弟であるプトレマイオス14世を新たな共同統治者に指名しました。プトレマイオス14世は紀元前47年から紀元前44年までクレオパトラと共同で統治しましたが、実権はクレオパトラが握っていました。プトレマイオス13世の死は、プトレマイオス朝がローマの支配下に完全に組み込まれていく過程の一里塚となり、王朝はその後もクレオパトラ7世によって維持されましたが、彼女の死と共に終焉を迎えました。
6. 文化的な描写
プトレマイオス13世は、様々なメディアでその生涯が描かれています。
- ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの1724年のオペラ『ジュリオ・チェーザレ』では、彼の姿が描かれています。
- ジョージ・バーナード・ショーの戯曲『シーザーとクレオパトラ』にも登場し、1963年の映画『クレオパトラ』ではリチャード・オサリバンが彼を演じました。
- HBOのテレビシリーズ『ROME [ローマ』のエピソード「カエサリオン」では、エジプトの支配を巡るカエサルとクレオパトラとの戦いが描かれています。
- 2017年の歴史ビデオゲーム『アサシン クリード オリジンズ』では、クレオパトラを廃位させた「古き結社」の傀儡として描かれ、弱気な統治者として登場します。ゲームの終盤では、主人公のアヤが彼を殺そうとしますが、彼の船がワニに襲われてナイル川に転落し溺死するという描写がなされています。