1. 初期生
ディオメドは1974年1月23日、フランスのシェール県サン=ドゥルシャールで生まれた。彼の両親はグアドループ系のルーツを持つ。
2. 選手経歴
ベルナール・ディオメドの選手経歴は、フランス国内のクラブでの成功からイングランドでの挑戦、そしてフランス代表としてワールドカップ優勝という輝かしい頂点へと続いた。
2.1. クラブ経歴

ディオメドのキャリアは、AJオセールのユースチームで始まった。1992年に同クラブでプロデビューを果たし、当時のディビシオン1(現在のリーグ・アン)でプレーを開始した。彼はAJオセールで8年間を過ごし、ギー・ルー監督の下、1995-96シーズンにはリーグ・アンとクープ・ドゥ・フランスの国内二冠達成に貢献した。この期間中、彼はリーグ・アンで176試合に出場し、30得点を記録している。
2000年6月、ディオメドは当時のリヴァプールFC監督であったジェラール・ウリエの希望により、300.00 万 GBPの移籍金で同クラブへ移籍した。サンダーランドとのデビュー戦では、オーバーヘッドキックによるゴールがビデオ判定でラインを越えていたにもかかわらず、得点として認められないという論争を呼んだ出来事があった。しかし、彼はイングランドの環境に順応できず、リヴァプールでの公式戦出場はわずか5試合に留まった。
2003年1月には、リーグ・アンに昇格したばかりのACアジャクシオへ契約満了までの期限付き移籍でフランスの舞台に戻った。その後、リヴァプールとの契約が終了すると、ACアジャクシオへ完全移籍した。2004-05シーズンにはリーグ・ドゥ(2部)のUSクレテイユ=リュシタノへ移籍し、さらに翌2005-06シーズンにはフランス全国選手権(3部)のクレルモン・フットでプレーした。
その後、18ヶ月間無所属の状態が続き、2008年1月18日に現役引退を発表した。
以下に、彼のクラブ経歴における出場記録を示す。
年 | クラブ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
1992-2000 | AJオセール | 176 | 30 |
2000-2003 | リヴァプールFC | 5 | 0 |
2002-2003 | →ACアジャクシオ (期限付き移籍) | 15 | 2 |
2003-2004 | ACアジャクシオ | 32 | 7 |
2004-2005 | USクレテイユ=リュシタノ | 12 | 4 |
2005-2006 | クレルモン・フット | 11 | 1 |
2.2. 代表経歴
ディオメドはフランス代表として通算8試合に出場したが、得点を記録することはなかった。彼の代表デビューは1998年1月28日、スペインとの親善試合であった。
同年、自国フランスで開催された1998 FIFAワールドカップの代表メンバーに選出された。彼はこの大会で3試合に先発出場した。グループステージではサウジアラビア戦とデンマーク戦に出場し、決勝トーナメントの16強ではパラグアイ戦にも出場した。フランスがワールドカップで優勝した決勝戦ではベンチでその瞬間を経験した。しかし、この1998年のワールドカップ以降、彼はフランス代表に招集されることはなかった。
3. 受賞歴
ベルナール・ディオメドは選手経歴において、クラブと代表の両方で数々の栄誉を獲得している。
クラブ
- AJオセール
- ディヴィジオン1: 1995-96
- クープ・ドゥ・フランス: 1995-96
代表
- フランス代表
- FIFAワールドカップ: 1998
勲章
- レジオンドヌール勲章 シュヴァリエ: 1998年
- 国家功労勲章 オフィシエ: 2013年
4. 引退後の活動
現役引退後、ベルナール・ディオメドはサッカー界での新たな道を歩み始めた。
2008年、彼はパリ南郊のイシー=レ・ムリノーにあるサン・ニコラ高校に「ベルナール・ディオメド・フットボールアカデミー」を設立した。このアカデミーは、後にプロサッカー選手となるアラン・サン=マクシマンなどの才能を輩出している。
アカデミー運営と並行して、ディオメドはフランスの年代別代表チームの監督としても指導経験を積んでいる。
- U-17フランス代表監督: 2015年 - 2016年
- U-18フランス代表監督: 2016年 - 2017年
- U-19フランス代表監督: 2017年 - 2018年
- U-20フランス代表監督: 2018年 - 直近まで