1. 幼少期およびアマチュア経歴
ボビー・ジョーンズの幼少期からプロ入りまでの経歴は、その後の野球人生の基礎を築いた。
1.1. 出生および少年野球
ボビー・ジョーンズは1972年4月11日にアメリカ合衆国ニュージャージー州で生まれた。1981年にニュージャージー州ラザフォードに引っ越し、1982年から1984年までラザフォード・リトルリーグでプレーした。
1.2. ドラフトおよび初期のプロ生活
1991年、ジョーンズはMLBドラフト44巡目(全体1180位)でミルウォーキー・ブルワーズから指名され、ドラフト・アンド・フォロー選手として契約した。その後、1992年のドラフト前に正式に契約を結び、ルーキーリーグのパイオニアリーグに所属するヘレナ・ブルワーズに配属された。ヘレナでは5勝4敗の成績を残し、プロとしてのキャリアをスタートさせた。
2. プロ野球選手としての経歴
ボビー・ジョーンズのプロ野球選手としてのキャリアは、主にマイナーリーグとメジャーリーグに分かれ、複数の球団を渡り歩きながら経験を積んだ。
2.1. マイナーリーグ
ジョーンズはミルウォーキー・ブルワーズ傘下の球団で着実に昇格を遂げた。1993年にはロウAのミッドウェストリーグに属するベロイト・スナッパーズで、1994年にはハイAのカリフォルニアリーグに属するストックトン・ポーツでプレーした。1994年シーズン後、コロラド・ロッキーズがマイナーリーグのルール5ドラフトでジョーンズを獲得した。
1995年、ジョーンズはイースタンリーグ(ダブルA)のニューヘイブン・レイブンズでシーズンの大半を過ごし、リーグ優勝シリーズではレディング・フィリーズに敗れた。同年にはパシフィックコーストリーグ(トリプルA)のコロラドスプリングス・スカイソックスでも約1ヶ月間プレーした。1996年と1997年にもスカイソックスでプレーし、メジャーリーグ昇格直前には5勝1敗の成績を収めていた。1997年、怪我で離脱したビル・スウィフトの代替としてロッキーズに昇格した。
メジャーリーグでのキャリアを終えた後も、ジョーンズはマイナーリーグでプレーを続けた。2003年にはトリプルAのリッチモンド・ブレーブスとオマハ・ロイヤルズでプレーした。2005年には独立リーグのニューアーク・ベアーズに短期間所属した後、シカゴ・ホワイトソックスに移籍し、トリプルAのシャーロット・ナイツに配属された。そして2006年にはデトロイト・タイガースと契約し、ダブルAのエリー・シーウルブズでプレーした。
2.2. メジャーリーグ
ジョーンズは1997年5月18日にシェイ・スタジアムで行われたニューヨーク・メッツ戦でメジャーリーグデビューを果たした。この試合では勝敗はつかなかったものの、次回のヒューストン・アストロズ戦で初勝利を挙げた。
ジョーンズは1998年シーズン全般と1999年シーズンの大半をコロラド・ロッキーズで過ごし、先発投手とブルペンを行き来しながら投球した。1998年には7勝を挙げ、1999年には6勝を記録したが、防御率は低迷した。2000年シーズン序盤、ロッキーズはジョーンズをニューヨーク・メッツにトレードした。このトレードにより、当時メッツに在籍していた同姓同名のボビー・J・ジョーンズと同じロースターに名を連ねることになった。彼ら二人は1999年の試合で対戦したこともあり、その際にはロッキーズのジョーンズ(ボビー・ミッチェル・ジョーンズ)が勝利を収めていた。
2001年シーズンは故障者リストで過ごし、2002年にメッツに復帰したが、同年途中にサンディエゴ・パドレスにトレードされた。偶然にも、パドレスで再びボビー・J・ジョーンズとチームメイトとなった。メッツ、パドレス、そして後に所属したレッドソックスでの移籍先ではいずれも未勝利に終わった。
2004年にはボストン・レッドソックスのスプリングトレーニングに招待選手として参加し、メジャーロースター入りを果たしたが、その後はリハビリ期間に入った。
2.3. 独立リーグおよび現役引退
2005年にはアメリカの独立リーグであるアトランティックリーグのニューアーク・ベアーズで短期間プレーした。その後、シカゴ・ホワイトソックスに移籍し、傘下のトリプルAチームであるシャーロット・ナイツでプレーした。2006年にはデトロイト・タイガースと契約し、ダブルAのエリー・シーウルブズでプレーしたが、この年限りで現役を引退した。
3. 引退後の経歴
ボビー・ジョーンズは現役引退後も野球界に深く関わり続け、コーチや球団フロントの要職を歴任している。
3.1. コーチおよび監督活動
現役引退後、ジョーンズは独立リーグであるカナディアン・アメリカン・リーグ(2020年にフロンティアリーグに吸収合併)に所属するロックランド・ボールダーズの投手コーチを務めた。2016年には同リーグのサセックス・カウンティ・マイナーズの監督に就任し、2022年シーズン限りで退任した。
3.2. 球団フロント活動
2022年10月27日、ジョーンズはフロンティアリーグに所属するニュージャージー・ジャッカルズの副社長兼最高野球責任者(CBO)に就任した。この役職では、球団運営の野球部門の責任者として、チームの編成や戦略立案に携わっている。
4. その他の野球関連活動
ボビー・ジョーンズはプロ野球選手や監督・コーチの活動以外にも、野球の普及と指導に貢献してきた。彼は自身の野球アカデミー「ボビー・ジョーンズ・スポーツ」をニュージャージー州モントビルで運営していたが、現在は閉鎖されている。また、ドン・ボスコ・プレップ高校やモントクレア高校の野球部で投手コーチを務めた経験もある。さらに、ニュージャージー州ホーソーンに位置する「アカデミー・オブ・プロ・プレイヤーズ」では投手インストラクターとして活動し、若手選手の育成に尽力した。
5. 経歴統計
ボビー・ジョーンズのプロ野球選手としての主要な統計記録を以下に示す。
5.1. 年度別投手成績
年 | 所属 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 打者 | 投球回 | 被安打 | 被本塁打 | 与四球 | 敬遠 | 死球 | 奪三振 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | COL | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 96 | 19.1 | 30 | 2 | 12 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 18 | 18 | 8.38 | 2.17 |
1998 | 35 | 20 | 1 | 0 | 0 | 7 | 8 | 0 | -- | .467 | 630 | 141.1 | 153 | 12 | 66 | 0 | 6 | 109 | 4 | 1 | 87 | 82 | 5.22 | 1.55 | |
1999 | 30 | 20 | 0 | 0 | 0 | 6 | 10 | 0 | 0 | .375 | 546 | 112.1 | 132 | 24 | 77 | 0 | 6 | 74 | 4 | 0 | 91 | 79 | 6.33 | 1.86 | |
2000 | NYM | 11 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 99 | 21.2 | 18 | 2 | 14 | 1 | 3 | 20 | 0 | 0 | 11 | 10 | 4.15 | 1.48 |
2002 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 81 | 17.0 | 20 | 3 | 11 | 2 | 1 | 11 | 0 | 0 | 11 | 10 | 5.29 | 1.82 | |
SD | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 45 | 9.2 | 10 | 1 | 7 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 7 | 7 | 6.52 | 1.76 | |
2002計 | 16 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 126 | 26.2 | 30 | 4 | 18 | 2 | 1 | 18 | 0 | 0 | 18 | 17 | 5.74 | 1.80 | |
2004 | BOS | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 20 | 3.1 | 3 | 1 | 8 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 2 | 5.40 | 3.30 |
通算:6年 | 99 | 47 | 1 | 0 | 0 | 14 | 21 | 0 | 0 | .400 | 1517 | 324.2 | 366 | 45 | 195 | 4 | 16 | 229 | 8 | 1 | 227 | 208 | 5.77 | 1.73 |
5.2. 背番号
ボビー・ジョーンズがプロのキャリアで使用した背番号は以下の通りである。
- 36 (1997年 - 1999年、2004年)
- 21 (2000年、2002年 - 同年途中)
- 39 (2002年途中 - 同年終了)
6. 関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 J