1. 選手としての経歴
マルセリーノの選手としてのキャリアは、ユース時代からプロ引退まで、負傷に苦しみながらも各年代の代表に選ばれるなど将来を嘱望された。
1.1. 生い立ちとユース時代
マルセリーノは1965年8月14日にスペイン・アストゥリアス州ビリャビシオサで生まれた。スポルティング・デ・ヒホンの下部組織で育ち、U-18、U-19、U-20、U-21と各年代の世代別スペイン代表に選出された。特に1985年にはFIFA U-20ワールドカップに出場し、スペイン代表の準優勝に貢献した。
1.2. プロクラブ時代
プロ選手としてのマルセリーノは、まず下部組織を過ごしたスポルティング・デ・ヒホンでキャリアを始めた。1985年12月22日のセルタ戦でラ・リーガデビューを飾り、1986-87シーズンにはキャリアハイとなる33試合に出場し、チームの4位躍進に貢献した。
その後、ラシン・サンタンデール(セグンダ・ディビシオン所属時に在籍)やレバンテUD(同)でプレーしたが、これらのクラブではいずれも3部相当への降格を経験した。最終的にエルチェCFを経て、わずか28歳だった1994年に負傷が原因で現役を引退した。マルセリーノのプロキャリアでのラ・リーガ出場記録は74試合2得点であり、その全てがスポルティング・デ・ヒホン在籍時のものである。
期間 | クラブ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
1983-1986 | スポルティング・デ・ヒホンB | 59 | 9 |
1985-1989 | スポルティング・デ・ヒホン | 74 | 2 |
1989-1990 | ラシン・サンタンデール | 32 | 4 |
1990-1992 | レバンテ | 48 | 1 |
1992-1994 | エルチェ | 49 | 1 |
2. 指導者としての経歴
マルセリーノは1997年に指導者としてのキャリアをスタートさせ、瞬く間にその才能を開花させた。
2.1. 指導者としてのキャリア初期
1997年、32歳で下位リーグのレアルタの監督に就任し、指導者の道を歩み始めた。1998年にはスポルティング・デ・ヒホンのリザーブであるスポルティング・デ・ヒホンBの監督に就任し、5シーズン中4シーズンを3部相当で過ごした。
2.2. 頭角を現した時期(レクレアティーボ、ラシン、サラゴサ)
2003年から2005年までは、2部に所属していたスポルティング・デ・ヒホンのトップチームを指揮し、2003-04シーズンには5位、2004-05シーズンには10位という成績を収めた。
2005年にはレクレアティーボ・ウェルバの監督に就任し、初シーズンでセグンダ・ディビシオン優勝を果たし、チームをラ・リーガ昇格に導いた。昇格初年度の2006-07シーズンには、レクレアティーボは降格候補の筆頭と目されながらも、クラブ史上最高位の8位に躍進する快挙を成し遂げ、マルセリーノはこの功績により自身初となるミゲル・ムニョス賞(リーグ最優秀監督賞)を受賞した。

2007年夏には、かつて選手として所属したラシン・サンタンデールの監督に就任した。2007-08シーズンには、クラブ史上最高位となるリーグ6位に導き、翌シーズンのUEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)出場権を獲得した。このシーズン、チームの失点数は41とリーグ3位の好記録を樹立した。
しかし、2008年5月29日、マルセリーノは2部に降格したレアル・サラゴサの監督に就任し、昇格を目指すことになった。この際、バレンシアCFからのオファーを断っている。2008-09シーズンでは、チームをラ・リーガ復帰に導いた。この契約により、マルセリーノは当時のレアル・マドリード監督だったベルント・シュスターの退任後、スペイン国内最高年俸となる240.00 万 EURの監督となった。だが、2009-10シーズンでは開幕から不振に陥り、14節までに3勝3分8敗と降格圏間近の17位に低迷したため、2009年12月13日に解任された。
2.3. 主要クラブでの指揮(セビージャ、ビジャレアル、バレンシア、アスレティック・ビルバオ、マルセイユ)
2011年2月初頭、下位に沈む古巣ラシン・サンタンデールにミゲル・アンヘル・ポルトゥガル監督の後任として復帰し、チームを12位でシーズンを終えた。しかし、クラブからの給料未払いが続いたため、契約解除を決断した。
2011年6月7日、セビージャFCの監督に就任したが、2011-12シーズンはチームが中位に低迷。特にビジャレアルCF戦での1-2の敗戦を含む7試合連続未勝利となったため、2012年2月6日に成績不振を理由に解任された。
2013年1月14日、フリオ・ベラスケス監督の後任としてビジャレアルCFの監督に就任した。当時2部に属していたチームを、シーズン終了時にはラ・リーガ復帰に導き、その後3シーズン連続でトップ6入りを果たすなど、チームを立て直すことに成功した。特に2015-16シーズンにはリーグ4位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得し、UEFAヨーロッパリーグでは準決勝に進出した。しかし、シーズン初戦を数日後に控えた2016年8月10日、マテオ・ムサッキオの主将剥奪を巡る取締役会との対立や、リーグ最終節のスポルティング・デ・ヒホン戦での八百長疑惑といった背景から電撃的に解任された。
翌年の2017年5月11日、2年契約でバレンシアCFの監督に就任した。2018-19シーズンには、コパ・デル・レイ決勝でFCバルセロナを2-1で破り、チームに久しぶりにタイトルをもたらした。しかし、フロント陣との対立が原因で、2019年9月11日に解任された。
2021年1月4日、ガイスカ・ガリターノ監督の後任としてアスレティック・ビルバオの監督に就任し、2022年6月30日までの契約を結んだ。就任直後のスーペルコパ・デ・エスパーニャでは、準決勝でレアル・マドリード、決勝でFCバルセロナを破り、就任からわずか3試合でクラブにタイトルをもたらした。しかし、コロナ禍の影響で延期されていた2019-20シーズンと2020-21シーズンのコパ・デル・レイ決勝を2週間のうちに戦い、いずれも敗れて準優勝に終わった。2021-22シーズンもコパ・デル・レイでFCバルセロナやレアル・マドリードを破りベスト4に進出したが、準決勝でバレンシアCFに敗れ、2022年のスーペルコパ・デ・エスパーニャ決勝でもレアル・マドリードに敗れて準優勝に終わるなど、強豪相手に善戦するもタイトルにはあと一歩届かなかった。2021-22シーズンをリーグ8位で終えた後、2022年5月24日に契約満了に伴う退任を発表した。
2023年6月23日、自身のキャリアで初めてスペイン国外のクラブとなるリーグ・アンのオリンピック・マルセイユの新監督に就任した。しかし、UEFAチャンピオンズリーグ予選での敗退やリーグ戦での不調、そしてサポーターからの脅迫に近い辞任要求を受けたため、身の安全を確保する目的で、就任からわずか7試合後の9月20日に辞任した。
2.4. ビジャレアルへの復帰
2023年11月13日、マルセリーノは7シーズンぶりにビジャレアルCFの監督に復帰し、2026年6月末までの3年契約を結んだ。彼は2023-24シーズンにおいて、キケ・セティエンとパチェタに続く3人目の監督となり、ミゲル・アンヘル・テナが暫定で1試合指揮を執っていた状況での就任となった。復帰後、2024年3月7日にはかつて指揮を執ったヴェロドロームでのヨーロッパリーグラウンド16ファーストレグで、オリンピック・マルセイユに0-4で敗れている。
3. 監督成績
チーム | 国 | 就任 | 退任 | 記録 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合数 | 勝利 | 引き分け | 敗北 | 得点 | 失点 | 得失点差 | 勝率 | ||||
レアルタ | スペイン | 1997年2月17日 | 1998年6月30日 | 63 | 36 | 15 | 12 | 107 | 65 | +42 | 57.14 |
スポルティング・デ・ヒホンB | スペイン | 2001年1月15日 | 2003年7月19日 | 99 | 41 | 26 | 32 | 139 | 110 | +29 | 41.41 |
スポルティング・デ・ヒホン | スペイン | 2003年7月19日 | 2005年7月12日 | 86 | 35 | 22 | 29 | 100 | 82 | +18 | 40.70 |
レクレアティーボ | スペイン | 2005年7月12日 | 2007年6月26日 | 84 | 38 | 22 | 24 | 124 | 90 | +34 | 45.24 |
ラシン・サンタンデール | スペイン | 2007年6月26日 | 2008年5月28日 | 46 | 20 | 13 | 13 | 56 | 51 | +5 | 43.48 |
サラゴサ | スペイン | 2008年5月28日 | 2009年12月13日 | 59 | 26 | 17 | 16 | 97 | 73 | +24 | 44.07 |
ラシン・サンタンデール | スペイン | 2011年2月9日 | 2011年6月7日 | 16 | 7 | 3 | 6 | 24 | 25 | -1 | 43.75 |
セビージャ | スペイン | 2011年6月7日 | 2012年2月6日 | 27 | 9 | 9 | 9 | 29 | 30 | -1 | 33.33 |
ビジャレアル | スペイン | 2013年1月14日 | 2016年8月10日 | 177 | 87 | 44 | 46 | 268 | 181 | +87 | 49.15 |
バレンシア | スペイン | 2017年5月23日 | 2019年9月11日 | 110 | 55 | 29 | 26 | 168 | 107 | +61 | 50.00 |
アスレティック・ビルバオ | スペイン | 2021年1月4日 | 2022年5月24日 | 75 | 28 | 26 | 21 | 92 | 79 | +13 | 37.33 |
マルセイユ | フランス | 2023年6月23日 | 2023年9月20日 | 7 | 3 | 3 | 1 | 9 | 6 | +3 | 42.86 |
ビジャレアル | スペイン | 2023年11月13日 | 現任 | 59 | 28 | 18 | 13 | 113 | 89 | +24 | 47.46 |
合計 | 908 | 413 | 247 | 248 | 1326 | 988 | +338 | 45.48 |
4. タイトル・栄誉
マルセリーノが選手および監督として獲得した主要なタイトルや個人賞を以下にまとめる。
4.1. 選手としてのタイトル
- FIFA U-20ワールドカップ: 準優勝(1985年)
4.2. 監督としてのタイトル
- テルセーラ・ディビシオン: 1回(1997-98シーズン、レアルタ)
- セグンダ・ディビシオン: 1回(2005-06シーズン、レクレアティーボ)
- コパ・デル・レイ: 1回(2018-19シーズン、バレンシアCF)
- 準優勝: 2回(2019-20シーズン、2020-21シーズン、アスレティック・ビルバオ)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ: 1回(2021年、アスレティック・ビルバオ)
- 準優勝: 1回(2022年、アスレティック・ビルバオ)
4.3. 個人タイトル
- ミゲル・ムニョス賞(ラ・リーガ最優秀監督賞): 2回(2006-07シーズン、2017-18シーズン)
- ミゲル・ムニョス賞(セグンダ・ディビシオン最優秀監督賞): 1回(2008-09シーズン)
- ラ・リーガ月間最優秀監督: 3回(2013年9月、2015年9月、2024年3月)