1. 経歴
ミッコ・ロンカイネンは、フリースタイルスキー選手として1995-1996シーズンにデビューし、幾度かの挫折を経験しつつも、ワールドカップや世界選手権で輝かしい成績を収め、オリンピックでもメダルを獲得した。一度は引退するものの、再度競技に復帰するキャリアを歩んだ。
1.1. 初期キャリア
1995-1996シーズンにフリースタイルスキー・ヨーロッパカップで1勝を挙げ、同シーズン途中からワールドカップに参戦した。しかし、17歳での初参戦となったこのシーズンは全ての予選で敗退し、翌シーズンも序盤で成績が振るわなかったため、ナショナルチームから外され再びヨーロッパカップに戻った。しかし、シーズン終盤の世界ユース選手権では、ピエール=アレキサンダー・ルソーを僅差で破り優勝を果たした。世界ユース選手権の優勝者に与えられるワールドカップ最終戦の出場権を得て出場したが、20人中16位に終わり、再び下位の成績でシーズンを終えた。
1.2. ワールドカップでの躍進と世界選手権での成功
1997-1998シーズンにはナショナルチームに復帰し、ワールドカップにフル参戦。デュアルモーグルでは初めて1桁順位を記録した。20歳を迎えた1998-1999シーズンにはシングルモーグルで初の予選突破を果たし、デュアルでは第3戦で2位となり、初の表彰台に上った。さらにワールドカップ後の3月にはフリースタイルスキー世界選手権にも出場し、予選で5位と健闘したが、決勝ではミスにより15位に終わった。当時、フィンランドのモーグル界はヤンネ・ラハテラ、ラウリ・ラッシラ、サミ・ムストネンの3強が圧倒的な強さを誇っていたが、この頃からミッコ・ロンカイネンがフィンランドの4人目の有力選手として注目され始めた。
1999-2000シーズンにはシングル初戦でいきなりの初優勝を飾った。予選2位から決勝では唯一の27点台を叩き出す快勝であった。初戦以降も予選では2位や3位に入るものの、決勝でのミスが目立ち、表彰台に上ることはなかった。2000-2001シーズンは第2戦で2度目の優勝を果たした。同年1月には世界選手権が開催され、予選を1位で突破し最終走者として登場したロンカイネンは、暫定首位であったピエール=アレキサンダー・ルソーの26点台後半を大きく上回る28点台を叩き出して優勝した。世界選手権の後、ワールドカップでは第6戦でシーズン2勝目を挙げた。首位を走っていたヤンネ・ラハテラが第6戦前のデュアルで負傷し、同戦を欠場したためポイント差が大きく縮まった。ラハテラが最終戦も欠場することになり、ロンカイネンは総合優勝がかかった最終戦で5位以上に入れば優勝となる状況で2位を獲得し、世界選手権とワールドカップの2冠を達成、オーバーオール総合優勝も手にした。
2001-2002シーズンは終盤で2勝を挙げたものの、総合5位に終わった。
1.3. オリンピック出場
2002年の2002年ソルトレークシティオリンピックに出場したが、8位とメダル獲得はならなかった。2006年の2006年トリノオリンピックでは、8番目のスタートで26点台後半の高得点を出した。20人中19人目までは暫定首位を保ったが、最後に滑走したデイル・ベッグ=スミスに僅か0.15ポイント上回られ、優勝を逃して銀メダルとなった。
1.4. 後期のキャリアと引退・復帰
2002-2003シーズンは序盤で1勝を挙げたものの、その後は勝ち星がなく、再び総合5位に終わった。しかし、シーズン半ばに行われた世界選手権では、エドガー・グロスピロン以来、史上2人目となる世界選手権2連覇の偉業を達成した。この時も28点台を記録し、特にターン点はジャッジ5人中4人が満点、5審3採用制のため満点という高得点での優勝であった。2003-2004シーズンは翌年の世界選手権のために休養するシーズンと公言し、ワールドカップの第4戦から第8戦を欠場した。
2004-2005シーズンは世界選手権直前の最終戦で1勝を挙げ、ワールドカップ総合4位となった。万全の調整で臨んだシーズン最後の世界選手権では、シングルで予選3位と好位置につけたが、決勝ではエアの着地で失敗し9位に終わり、前人未到の3連覇はならなかった。デュアルではベスト4まで進んだものの、準決勝で同国のサミ・ムストネンに敗れ、メダル獲得はならなかった。2005-2006シーズンのワールドカップではあまり好成績を残していなかったが、トリノオリンピック後の最終戦で1勝を挙げた。2006-2007シーズンは日本ラウンドのみ参戦し、シングルで13位、デュアルで2位となった。このシーズン最後の世界選手権に参戦し、これを最後に引退した。しかし、2009-2010シーズンに2010年バンクーバーオリンピックへの出場を目指して引退を撤回して復帰し、同オリンピックで14位となった。
2. 主な成績
ミッコ・ロンカイネンが参加した主要な国際大会での成績を以下にまとめる。
2.1. ヨーロッパカップ
- 1995-1996シーズン:5戦1勝
- スピンドレルフ・ムリン(チェコ)シングル優勝
- 1996-1997シーズン:7戦1勝、3位1回
- ラーヤヴォリ(フィンランド)シングル優勝
- 1997-1998シーズン:2戦出場、最高33位
- 1998-1999シーズン:1戦出場、45位
2.2. 世界ユース選手権
- 1995年マウントブラー(オーストラリア):シングル5位
- 1996年シャテル(フランス):シングル14位
- 1997年ラーヤヴォリ(フィンランド):シングル優勝
2.3. ワールドカップ
ミッコ・ロンカイネンがワールドカップで残した戦績と優勝歴は以下の通りである。
2.3.1. 戦績
シーズン | シングル | デュアル | シングル デュアル 統合成績 | オーバーオール 総合成績 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
大会数 | 出場数 | 1位 | 2位 | 3位 | 総合成績 | 大会数 | 出場数 | 1位 | 2位 | 3位 | 総合成績 | ||||||
1995-1996 | 11戦 | 3戦 | 最高25位 | 67位 | 3戦 | 2戦 | 最高33位 | - | 127位 | ||||||||
1996-1997 | 7戦 | 2戦 | 最高16位 | - | 6戦 | 2戦 | 最高65位 | - | - | ||||||||
1997-1998 | 8戦 | 6戦 | 最高19位 | 44位 | 5戦 | 2戦 | 最高9位 | 25位 | - | 103位 | |||||||
1998-1999 | 5戦 | 5戦 | 最高7位 | 8位 | 3戦 | 3戦 | 1回 | 7位 | - | 20位 | |||||||
1999-2000 | 7戦 | 7戦 | 1回 | 6位 | 4戦 | 2戦 | 最高9位 | 22位 | - | 12位 | |||||||
2000-2001 | 7戦 | 7戦 | 2回 | 1回 | 優勝 | 1戦 | 1戦 | 最高8位 | - | - | 優勝 | ||||||
2001-2002 | 9戦 | 9戦 | 2回 | 5位 | 3戦 | 2戦 | 最高9位 | 15位 | - | 25位 | |||||||
2002-2003 | 10戦 | 9戦 | 1回 | 2回 | 5位 | 3戦 | 2戦 | 最高8位 | 13位 | - | - | ||||||
2003-2004 | 11戦 | 7戦 | 1回 | 1回 | - | 3戦 | 1戦 | 1回 | - | 13位 | 46位 | ||||||
2004-2005 | 8戦 | 8戦 | 1回 | 1回 | 1回 | - | 3戦 | 3戦 | 最高4位 | - | 4位 | 9位 | |||||
2005-2006 | 11戦 | 8戦 | 1回 | 12位 | - | 42位 | |||||||||||
2006-2007 | 7戦 | 1戦 | 最高13位 | - | 3戦 | 1戦 | 1回 | 22位 | 62位 | ||||||||
通算成績 | - | 72戦 | 8回 | 5回 | 2回 | - | - | 21戦 | 2回 | 1回 | - | - | - |
2.3.2. ワールドカップ優勝歴
- 1999-2000シーズン
- シングル: 第1戦タンダダーレン(スウェーデン)優勝
- 2000-2001シーズン
- シングル: 第2戦ディアバレー(アメリカ)優勝
- シングル: 第6戦飯綱高原(日本)優勝
- 2001-2002シーズン
- シングル: 第6戦猪苗代(日本)優勝
- シングル: 第8戦ルカ(フィンランド)優勝
- 2002-2003シーズン
- シングル: 第2戦サウゼ・ドゥルクス(イタリア)優勝
- 2004-2005シーズン
- シングル: 第9戦ボス(ノルウェー)優勝
- 2005-2006シーズン
- シングル: 第8戦猪苗代(日本)優勝
2.4. 世界選手権
- 1999年マイリンゲン・ハスリベルク大会
- シングル15位
- デュアル17位
- 2001年ウィスラー大会
- シングル優勝
- デュアル4位
- 2003年ディアバレー大会
- シングル優勝
- デュアル9位
- 2005年ルカ大会
- シングル9位
- デュアル4位
- 2007年マドンナ・ディ・カンピーリオ大会
- シングル36位
2.5. オリンピック
- 2002年ソルトレークシティオリンピック:8位
- 2006年トリノオリンピック:2位(銀メダル)
- 2010年バンクーバーオリンピック:14位
3. 人物と評価
ミッコ・ロンカイネンは、愛称「Rone英語」で知られ、身長は166 cm、体重は63 kgの体格を持つ。彼はフィンランドの中央スオミ県ムーラメの出身である。
彼のキャリアは、特に2001年と2003年の世界選手権での2連覇という偉業によって特筆される。これは、歴史上2人目の達成であり、その技術と安定性を示した。また、2000-2001シーズンのワールドカップ総合優勝は、彼が年間を通して高いレベルを維持できる選手であったことを証明している。フィンランドのモーグル界において、ヤンネ・ラハテラ、ラウリ・ラッシラ、サミ・ムストネンといった当時のトップ選手に続き、4人目の有力選手として注目され、その後の活躍でその評価を確固たるものにした。2006年トリノオリンピックでの銀メダル獲得は、彼の長年の努力と実力が国際的な大舞台で結実した瞬間であり、多くの人々に感動を与えた。一度は引退したものの、オリンピック出場を目指して復帰したことは、彼が競技に対する強い情熱を持ち続けた人物であることを示している。ロンカイネンは、フリースタイルスキー、特にモーグル競技において、その高い技術力と実績でフィンランドのみならず世界のフリースタイルスキー界に大きな影響を与えた選手として高く評価されている。