1. 概要
アルファイの子のヤコブは、イエス・キリストの十二使徒の一人であり、新約聖書の使徒名簿にその名が記されています。彼は「小ヤコブ」または「レフス」(小さい)として知られ、教会伝承ではこの名で広く認識されています。しかし、彼の正確な同一性については、ゼベダイの子ヤコブ(大ヤコブ)とは明確に区別されるものの、イエスの兄弟であるヤコブ(ヤコブ・ユストゥス)や、使徒マタイと同一人物であるか、あるいは兄弟であるかといった複数の説が存在し、古くから議論の対象となってきました。彼は初代エルサレム教会の指導者であり、新約聖書に収められている『ヤコブの手紙』の著者であるとも伝えられています。
2. 生涯と背景
アルファイの子のヤコブは、その生涯の多くが聖書には詳細に記されていませんが、いくつかの重要な情報と伝承が存在します。
2.1. 出生と家族関係
ヤコブはアルファイとマリアの間に生まれました。彼の母親であるマリアは、イエス・キリストの母である聖母マリアと親戚関係にあったと伝えられています。このため、ヤコブはイエスと血縁関係、すなわちいとこであったと考えられています。
2.2. 使徒としての召命
ヤコブは、イエス・キリストによって召され、十二使徒の一員となりました。彼の名は、『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』の三つの共観福音書と、『使徒言行録』に記された使徒名簿のすべてに登場します。しかし、これらの記述以外に、彼の具体的な言行に関する記録はほとんどありません。
3. 同一性の論争と区別
アルファイの子のヤコブの同一性については、古くから様々な議論が存在します。
3.1. 小ヤコブ(ヤコブ・レフス)
彼はしばしば「小ヤコブ」(Ἰάκωβος ὁ μικρόςイアコーボス・ホ・ミクロス古代ギリシア語、James the Less英語)と同一視されます。『マルコによる福音書』15章40節では「小ヤコブとヨセの母マリア」に言及されており、16章1節と『マタイによる福音書』27章56節では単に「ヤコブの母マリア」と記されています。十二使徒の中にはすでにゼベダイの子ヤコブという別のヤコブがいたため、アルファイの子のヤコブを「小ヤコブ」と同一視することは理にかなっているとされました。ゼベダイの子ヤコブは「大ヤコブ」と呼ばれることもあります。
ヒエロニムスは、その著作『聖母マリアの永貞性について』の中で、アルファイの子のヤコブを小ヤコブと同一視しています。彼は、聖書で「ヤコブの母マリア」と呼ばれる人物は、主の母マリアの姉妹であり、ヨハネによる福音書で「クロパのマリア」と呼ばれる人物と同一であると結論付けています。この見解によれば、アルファイの子のヤコブは小ヤコブと同一人物となります。
ヒエラポリスのパピアス(紀元70年頃-163年頃)の現存する著作『主の言葉の解明』の断片には、アルファイの妻マリアが小ヤコブの母であると記されています。
「小ヤコブとヨセの母マリア、アルファイの妻は、主の母マリアの姉妹であり、ヨハネがクロパのマリアと名付けたのは、彼女の父、あるいは氏族の家系、あるいは他の何らかの理由によるものである。」
この記述も、アルファイの子のヤコブが小ヤコブと同一である可能性を強めるものです。
しかし、現代の聖書学者たちの間では、この同一視が正しいかどうかの意見が分かれています。ジョン・ポール・マイヤーはこの同一視に懐疑的です。一方で、『新聖書辞典』は伝統的な同一視を支持しており、ドン・カーソンやダレル・ボックは、この同一視は可能であるものの確実ではないと考えています。

3.2. ゼベダイの子ヤコブとの区別
アルファイの子のヤコブは、十二使徒の一人であるゼベダイの子ヤコブとは明確に区別されます。ゼベダイの子ヤコブは「大ヤコブ」とも呼ばれ、使徒リストにおいても「ゼベダイの子」として明記されています。
3.3. イエスの兄弟ヤコブ(ヤコブ・ユストゥス)との同一性
ヒエロニムスは、初期キリスト教会の一般的な見解を代弁し、聖母マリアの永貞性の教義を維持するために、アルファイの子のヤコブを「主の兄弟ヤコブ」(『ガラテヤの信徒への手紙』1章19節)と同一視し、「兄弟」という言葉を「いとこ」と解釈することを提案しました。このヒエロニムスの見解はローマ・カトリック教会で広く受け入れられましたが、東方カトリック教会、正教会、プロテスタントは、この二人のヤコブを区別する傾向にあります。
ローマのヒッポリュトスに帰せられる二つの小著『キリストの十二使徒について』と『キリストの七十使徒について』の現存する断片には、次のように記されています。
「そしてアルファイの子ヤコブは、エルサレムで説教中にユダヤ人によって石打ちにされ、神殿のそばに埋葬された。」
この記述は、イエスの兄弟ヤコブの死に方(ユダヤ人による石打ち)と同じであるため、アルファイの子のヤコブとイエスの兄弟ヤコブが同一人物である可能性を高めます。しかし、これらのヒッポリュトスの著作は、19世紀にギリシャで発見されるまでほとんど失われていたため、多くの学者はこれらを偽作と見なしており、「偽ヒッポリュトス」に帰せられることが多いです。
ヒエラポリスのパピアスの著作『主の言葉の解明』の現存する断片によれば、クロパとアルファイは同一人物であり、クロパまたはアルファイの妻マリアは、イエスの兄弟ヤコブ、シモン、ユダ(タダイ)、そしてヨセの母であったとされています。
「(1) 主の母マリア; (2) クロパまたはアルファイの妻マリア。彼女は監督であり使徒であるヤコブ、シモン、タダイ、そしてヨセの母であった; (3) ゼベダイの妻サロメ。彼女は福音記者ヨハネとヤコブの母であった; (4) マグダラのマリア。これら四人のマリアは福音書に見られる...」(断片X)
この記述は、主の兄弟ヤコブがアルファイの子、すなわちクロパまたはアルファイの妻マリアの息子であることを示唆しています。しかし、J・B・ライトフットなどの神学者は、この断片の信憑性に疑問を呈しています。
13世紀にヤコブス・デ・ウォラギネによって編纂された聖人伝集『黄金伝説』には、次のように記されています。
「使徒ヤコブは小ヤコブと呼ばれたが、それは大ヤコブよりも年長であったためである。彼はまた主の兄弟とも呼ばれた。なぜなら、彼は体つき、顔つき、態度において主によく似ていたからである。彼はその非常に大きな聖性ゆえにヤコブ・ユストゥスとも呼ばれた。彼はまたアルファイの子ヤコブとも呼ばれた。彼はエルサレムで最初のミサを執り行い、エルサレムの初代司教であった。」
3.4. マタイ使徒との関係
『マルコによる福音書』2章14節には、徴税人レビの父もアルファイであると記されています。この徴税人は『マタイによる福音書』9章9節ではマタイとして登場するため、一部の学者はヤコブとマタイが兄弟であった可能性を指摘しています。しかし、聖書中でアルファイの子のヤコブが直接言及される四つの箇所(すべて使徒のリスト)では、彼の父親がアルファイであること以外に家族関係は述べられていません。使徒リストの二箇所では、もう一組のヤコブとヨハネが兄弟であり、その父がゼベダイであると明記されています。
4. 聖書における記述
アルファイの子のヤコブに関する聖書の記述は限られています。
4.1. 福音書における言及
マルコによる福音書は、聖書の中で「アルファイの子ヤコブ」を十二使徒の一人として言及する最も初期の資料です。マルコ福音書では、彼は使徒リスト(3章16-19節)に一度だけ登場します。イエスの宣教の初期には、まずペトロとその兄弟アンデレが召され(1章16-17節)、次にゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネがイエスに従うようになります(1章19-20節)。イエスが癒しを行った後、徴税人であったアルファイの子レビ(マタイとして知られる)に出会い、彼を召します(2章14節)。マルコ福音書3章16-19節の使徒リストには、ペトロ、アンデレ、大ヤコブ、ヨハネが使徒として挙げられ、アルファイの子レビはマタイの名で、ヤコブは単にアルファイの子として挙げられています。
マルコ福音書には、三人の異なるヤコブが登場します。「アルファイの子ヤコブ」、大ヤコブ、そしてイエスの兄弟ヤコブ(6章3節)です。マルコは三つの異なる場面で、どのヤコブを指しているのかを明確にせずに「ヤコブ」について記述しています。それはイエスの変容の場面(9章2節)、オリーブ山での場面(13章3節)、そしてゲツセマネの園での場面(14章33節)です。これらの場面では、ヤコブはヨハネと共に挙げられていますが、どの使徒ヤコブが言及されているのかは明確ではありません。最後の晩餐(14章33節)には十二使徒全員が出席しており、その直後にゲツセマネの園での出来事が続きます。また、マルコ福音書15章40節には「小ヤコブとヨセの母マリア」への言及がありますが、マルコ福音書6章3節ではすでにイエスの兄弟ヤコブにヨセという兄弟がいると述べられています。
マタイによる福音書では、ペトロ、アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネがイエスに従うよう召されます(4章18-22節)。アルファイの子レビの召命と並行する物語の中で、マタイがイエスに従うよう召されます(9章9-13節)。マタイ福音書や他の聖書箇所では、マタイが直接「アルファイの子」と呼ばれることはありませんが、マルコ福音書2章14節では「アルファイの子レビ」と記されています。マタイ福音書では、徴税人(マタイ)がイエスに従うよう召され、十二使徒の一人として挙げられています。アルファイの子ヤコブもまた、十二使徒の一人として挙げられています(10章3節)。
マタイ福音書では、家族との関連なしに言及されるヤコブはいません。マタイが言及するヤコブは三通りです。イエスの兄弟ヤコブ、ヨセ、シモン、ユダ(13章55節)、ゼベダイの子ヤコブとヨハネの兄弟(10章2節)、そしてアルファイの子ヤコブです。変容の場面(17章1節)では、そのヤコブがヨハネの兄弟であることが明記されており、ゲツセマネの園(26章37節)では、それがゼベダイの子ヤコブであることが明記されています。マタイはオリーブ山にヤコブがいたとは明記しておらず、単に「弟子たち」に言及しています(24章3節)。マタイはまた、十字架刑の場にいたヤコブとヨセの母マリアにも言及していますが、このヤコブには「小」という形容詞は付けられていません(27章56節)。
4.2. 使徒言行録における言及
アルファイの子のヤコブは、『使徒言行録』1章13節の使徒リストに登場します。しかし、『使徒言行録』12章1-2節でヘロデ・アグリッパ1世王によって逮捕され処刑されたヤコブは、ヨハネという兄弟を持つ人物であり、これはゼベダイの子ヤコブを指しているとされています。アルファイの子のヤコブには兄弟がいるとは明示的に述べられていないため、ロバート・アイゼンマンやアシル・カメルリンクといった学者たちは、『使徒言行録』12章1-2節のヤコブの死はゼベダイの子ヤコブのものであり、アルファイの子のヤコブではないと示唆しています。
5. 初代教会の役割
アルファイの子のヤコブは、初期キリスト教会において重要な役割を果たしたと伝えられています。
5.1. エルサレム教会の指導者
伝承によれば、アルファイの子のヤコブは初代エルサレム教会の初代司教(監督)であったとされています。彼はエルサレム教会を治め、熱心に宣教活動を行いました。『黄金伝説』によれば、彼はエルサレムで最初のミサを執り行ったとされています。彼は幼い頃から信仰心が篤く、厳格で敬虔な修養生活を送っていたと伝えられています。肉や酒を一切口にせず、外見を飾らず、長い外套とマントだけを身につけ、裸足で歩き回ったとされます。長時間の祈りの生活により、彼の膝はラクダの足の裏のように硬くなったと言われています。また、ユダヤ人としての律法も一日も欠かさずに厳守しました。
5.2. エルサレム会議
『使徒言行録』15章に描かれたエルサレム会議において、アルファイの子のヤコブは重要な役割を果たし、最終的な裁定を下しました。この会議では、ユダヤから来た人々が、異邦人の信徒もモーセの律法に従って割礼を受けなければ救われないと主張し、パウロやバルナバと論争になりました。エルサレムの使徒たちや長老たちは議論を重ね、ペトロがイエス・キリストの十字架による救いと新生によってのみ神の子どもたちは救われるのであり、割礼は全く関係ないという意見を述べると、一同は静かにそれを受け入れました。そして、ヤコブが最終的な判決を下し、異邦人の信徒に対して、偶像に捧げた汚れたもの、淫行、絞め殺されたもの、血を避けるよう勧告しました。これは、当時のキリスト教の方向性を決定づける重要な裁定でした。
6. 著作
6.1. ヤコブ書執筆者説
新約聖書に収められている『ヤコブの手紙』は、このアルファイの子のヤコブによって著されたとする説があります。この手紙の著者は自分を「神と主イエス・キリストの僕ヤコブ」(1章1節)と紹介しており、使徒であることや主の兄弟であることには言及していません。
『ヤコブの手紙』は、その記述から著者が農民であった可能性を示唆する内容を含んでいます。例えば、「もしあなたがたが、馬の口に轡をはめて従わせるなら、その全身を操ることができる」(3章3節)や、「兄弟たち、主が来られる時まで忍耐しなさい。見なさい、農夫は、高価な地の産物を、初めの雨と終わりの雨を待ちながら、忍耐して待っているではありませんか」(5章7節)といった表現は、自然や農業への深い理解を示しています。
この手紙の主な関心事は、キリスト教の信仰を実践的な生活の中でどのように生きるかという点にあります。ヤコブは、「御言葉を実行する人になりなさい。聞くだけで終わる人になってはいけません」(1章22節)と述べ、「もしある人が信仰を持っていると言っても、行いがなければ、何の益があるでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか」(2章14節)、「行いのない信仰は、それ自体では死んでいるのです」(2章17節)と強調し、信仰と行いの結びつきの重要性を説いています。
また、『ヤコブの手紙』は、聖書の中で病者の塗油の秘跡に関する唯一の記述を含んでいます。「あなたがたの中で病気の人がいますか。教会の長老たちを招き、主の御名によって油を塗って、彼のために祈ってもらいなさい。信仰による祈りは病人を救い、主は彼を立ち上がらせてくださるでしょう。もし罪を犯していたなら、その罪は赦されるでしょう」(5章14-15節)。
7. 死と殉教の伝承
アルファイの子のヤコブの死と殉教については、いくつかの異なる伝承が存在します。
一つの伝承では、彼は下エジプトのオストラキネで福音を宣べ伝えている最中に十字架刑に処されたとされています。また、別の伝承では、彼はバプテスマのヨハネのように鋸で体を切断されたとも言われています。キリスト教美術において、小ヤコブはしばしば縮絨棒(fuller's club)を持っている姿で描かれます。これは、彼がこの道具で打たれて殉教したという伝承に由来します。また、彼の遺体が鋸で切断されたという伝承があるため、鋸が彼の象徴とされることもあります。
『偽ヒッポリュトス』の記述によれば、彼はエルサレムでユダヤ人によって石打ちにされ、神殿のそばに埋葬されたとされています。また、別の伝承では、彼は過越祭の日にファリサイ派によってエルサレム神殿の頂上から突き落とされ、その後、石打ちにされて殉教したと伝えられています。彼の殉教は紀元62年頃とされています。


8. 評価と遺産
アルファイの子のヤコブは、初期キリスト教の歴史において重要な人物とされていますが、その同一性に関する論争は現在も続いています。
ローマ・カトリック教会では、彼は使徒フィリポと共に5月3日に祝日を祝われます。正教会では、彼の祝日は10月9日と、使徒の集会を記念する6月30日です。
彼の生涯と著作、特に『ヤコブの手紙』は、信仰と行いの実践的な側面を強調し、初期キリスト教の倫理的基盤を形成する上で重要な影響を与えました。彼がエルサレム教会の初代司教であったという伝承は、彼が使徒時代から初期の教会組織において中心的な指導者であったことを示しています。彼の厳格な禁欲生活と敬虔さは、後世のキリスト教徒にとって模範とされてきました。