1. 概要
ヤニーネ・ファン・ヴァイク(Janine van Wykヤニーネ・ファン・ヴァイク英語、1987年4月17日生まれ)は、南アフリカ共和国の元プロサッカー選手であり、ディフェンダーとして活躍しました。彼女は、自身が創設した女子サッカークラブであるJVW F.C.のオーナー兼コーチを務めています。ファン・ヴァイクは、長年にわたり南アフリカ女子代表の主将を務め、アフリカ人女性サッカー選手としては史上最多の185国際試合出場記録を保持しています。また、彼女はアメリカのNWSLでプレーした史上初の南アフリカ人選手であり、そのキャリアを通じて南アフリカにおける女子サッカーの発展に多大な貢献を果たした先駆者です。15歳でレズビアンであることを公表するなど、彼女の個人的な道のりもまた、スポーツ界内外における多様性と包摂の推進において重要な意味を持っています。
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2. 幼少期と背景
ヤニーネ・ファン・ヴァイクは、ハウテン州アルベルトンでダニーとグウェン・ファン・ヴァイク夫妻のもとに生まれました。彼女はヘルミストンで育ち、6歳でサッカーを始めました。彼女が通ったアフリカーンス語系の学校であるHoërskool Albertonにはサッカーチームがありませんでしたが、彼女は熱心にプレーを続けました。彼女が最初に所属したチームは、クワテマを拠点とするスプリングス・ホーム・スウィーパーズでした。
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2.1. 幼少期、教育、初期の経験
ファン・ヴァイクは、幼少期からサッカーへの情熱を育みましたが、当時の南アフリカでは女子サッカーの環境が十分に整っていませんでした。学生時代は、学校のチームでプレーする機会がない中で、自身のスキルを磨き続けました。そして、15歳の時に自身がレズビアンであることを公にカミングアウトしました。この公表は、当時の社会においては非常に勇気を要する行動であり、スポーツ界におけるLGBTQ+アスリートの可視化と包摂の推進において、彼女を先駆者の一人として位置付けることとなりました。
3. クラブ経歴
ヤニーネ・ファン・ヴァイクのクラブ経歴は、南アフリカ国内での成功から始まり、自身のクラブ創設、そして海外リーグでの挑戦へと続きます。
3.1. 初期のクラブ活動
数年後、ファン・ヴァイクはモロカ・スワローズに加入し、その後テンビサを拠点とするパレス・スーパー・ファルコンズに移籍しました。パレス・スーパー・ファルコンズでは、彼女はチームが3年連続でリーグタイトルを獲得する上で重要な役割を果たしました。ファン・ヴァイクは、スーパー・ファルコンズでの期間を「忘れられない」と述べ、3度のリーグ優勝時にはチームが「手の届かない存在」だったと語っています。
3.2. JVW F.C.の創設とクラブの発展
2013年、ファン・ヴァイクは自身の名を冠したJVW F.C.を設立しました。このクラブは、「女子サッカー選手の育成に焦点を当て、彼女たちがスポーツにおけるより高いレベルに到達するためのプラットフォームを提供すること」を目的としていました。2013年にはサソルリーグに1チームのみで参加していましたが、その後数年間で若い女性アスリートを育成し、現在では5つのチームがクラブを代表するまでに成長しました。ファン・ヴァイクは、クラブの選手兼監督も務め、JVW F.C.は2016年にガウテン州サソルリーグで優勝しましたが、サソルリーグ全国選手権決勝でブルームフォンテーン・セルティック・レディースに0対1で惜敗しました。しかし、2019年には再びガウテン州サソルリーグを制し、全国選手権決勝でリンポポ州代表のメインディーズ・レディースを2対0で破り、全国チャンピオンの座を獲得。同年に新設されたナショナル・ウィメンズ・リーグへの参加資格を手にしました。ファン・ヴァイクは、南アフリカの女子サッカーに「ブース」という愛称で親しまれています。
3.3. 海外クラブでの活動
2016年12月21日、ファン・ヴァイクはアメリカのNWSL所属のヒューストン・ダッシュと契約しました。2017年にはダッシュで17試合に出場し、2018年のNWSLシーズンには20試合に出場しました。しかし、2018年10月1日、彼女はヒューストン・ダッシュから放出され、再獲得ウェイバーにかけられましたが、他のチームに権利が主張されることはありませんでした。
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2019年8月、彼女はデンマークのクラブであるフォルトゥナ・イェリングと契約しました。しかし、トレーニング中に膝を負傷し、南アフリカに帰国。2020年1月14日、彼女はリハビリに専念するため、フォルトゥナ・イェリングとの契約を双方合意の上で解除したと発表しました。
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2020年7月、ファン・ヴァイクはスコティッシュ・ウィメンズ・プレミアリーグ(SWPL)のグラスゴー・シティF.C.と契約し、ヨーロッパに復帰しました。UEFA女子チャンピオンズリーグのVfLヴォルフスブルク戦で1試合に出場しましたが、膝の負傷とCOVID-19のパンデミックによるリーグ中断が重なり、SWPLでのデビューは数ヶ月遅れました。
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4. 代表経歴
ヤニーネ・ファン・ヴァイクの南アフリカ女子サッカー代表チームでのキャリアは、彼女を国の伝説的な選手の一人として確立させました。
4.1. 代表デビューと初期の活動
ファン・ヴァイクは2005年12月3日、アフリカ女子選手権のナイジェリア戦で南アフリカ代表としてデビューを果たしました。2012年のアフリカ女子選手権では、準決勝のナイジェリア戦で彼女の美しいフリーキックによる唯一のゴールが決勝点となり、バニャナ・バニャナ(南アフリカ代表の愛称)は1993年の女子代表チーム結成以来初めてナイジェリアに勝利しました。この勝利により、ナイジェリアは大会から敗退しました。南アフリカは決勝で赤道ギニアに0対4で敗れ、準優勝となりました。
4.2. オリンピック出場
ファン・ヴァイクは、2012年ロンドンオリンピックに南アフリカ代表の一員として出場しました。チームはスウェーデンに1対4、カナダに0対3と連敗しましたが、2011 FIFA女子ワールドカップ優勝国の日本に対して0対0で引き分けました。チームはグループステージで敗退しましたが、ファン・ヴァイクは「オリンピックで自国を代表して参加できたことをとても誇りに思う」と語りました。彼女は2016年リオデジャネイロオリンピックにも出場しましたが、チームはスウェーデンに0対1、中国に0対2と敗れ、ブラジルには0対0で引き分け、再びグループステージで敗退しました。
4.3. 代表における主要記録と節目
2014年8月11日、ファン・ヴァイクはナミビアとの親善試合で代表キャップ数100試合を達成し、南アフリカは2対0で勝利しました。当時、彼女は代表チームのポートリア・モディセ(同年同試合で110キャップ達成)に次ぐ、南アフリカ女子代表で2番目に多くのキャップ数を保持する選手でした。
2016年3月28日、カメルーンとの試合で125試合目の出場を果たし、南アフリカの男女サッカー選手の中で史上最多出場記録を更新しました。2018年9月18日には、さらに150試合出場を達成しました。2023年12月4日、ファン・ヴァイクはブルキナファソとのアフリカ女子ネイションズカップ予選ホームゲームに2対0で勝利し、本選出場を確定させた試合を最後に南アフリカ代表を引退しました。彼女の最終的な国際キャップ数は185に達し、アフリカ人女性サッカー選手としての最多出場記録を樹立しました。
4.4. 主要大会と主将としての活動
ファン・ヴァイクは、2019 FIFA女子ワールドカップに南アフリカ代表を率いて出場した初のキャプテンであり、南アフリカの歴史上、ワールドカップに出場するサッカーチームを率いた初のキャプテンとなりました。彼女は、2019年ワールドカップのグループステージでスペインに1対3、中国に0対1、ドイツに0対4と全敗し、チームは敗退しました。
また、ファン・ヴァイクは2022年のアフリカ女子ネイションズカップで、バニャナ・バニャナを初の優勝に導きました。決勝では開催国モロッコを2対1で破りましたが、ファン・ヴァイクはこの試合には先発出場しませんでした。
5. 主な功績と受賞
ファン・ヴァイクは、その輝かしいキャリアを通じて数多くの功績と受賞歴を積み重ねてきました。
5.1. クラブでの受賞
- スコティッシュ・ウィメンズ・プレミアリーグ: 2020-21 (グラスゴー・シティF.C.)
5.2. 代表での受賞
- アフリカ女子ネイションズカップ: 2022 (優勝)
- アフリカ女子ネイションズカップ: 2008, 2012, 2018 (準優勝)
- アフリカ女子ネイションズカップ: 2006, 2010 (3位)
5.3. 個人受賞
- 南アフリカサッカー協会年間最優秀女子選手賞: 2010
- COSAFA女子選手権最優秀選手賞: 2011
- エクルフレニ・スポーツ賞 エクルフレニ・スポーツウーマン・オブ・ザ・イヤー: 2012
- ハウテン州スポーツ賞 スポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー: 2015
- IFFHS選出 CAF女子チーム・オブ・ザ・ディケイド: 2011-2020
- IFFHSオールタイム・アフリカ女子ドリームチーム: 2021
6. 遺産と影響
ヤニーネ・ファン・ヴァイクのキャリアは、単なるスポーツの功績に留まらず、南アフリカの女子サッカー界、ひいては社会全体に計り知れない影響を与えています。
6.1. 南アフリカ女子サッカーへの貢献
彼女が2013年に設立したJVW F.C.は、「女子サッカー選手の育成に焦点を当て、彼女たちがスポーツにおけるより高いレベルに到達するためのプラットフォームを提供すること」を明確な目的としていました。当初は1チームからスタートしたクラブは、現在では5つのチームを擁するまでに成長し、若い女性アスリートの育成に大きく貢献しています。JVW F.C.はガウテン州サソルリーグで優勝し、最終的には南アフリカのナショナル・ウィメンズ・リーグへの参加資格を得るなど、国内リーグのレベル向上にも寄与しました。選手兼監督としての彼女の献身は、次世代の女子サッカー選手にとって具体的な模範となり、国内の女子サッカーの普及と発展を加速させる上で不可欠な要素となりました。
6.2. 先駆者としての役割
ファン・ヴァイクは、アメリカのNWSLでプレーした史上初の南アフリカ人選手として、国際舞台への道を切り開きました。また、彼女は男女を通じて南アフリカサッカー選手の中で史上最多となる185国際試合出場記録を保持しており、その競技寿命と卓越したパフォーマンスは、多くの若手選手にとって目標となっています。
さらに、彼女が15歳の時に公にレズビアンであることをカミングアウトしたことは、スポーツ界におけるLGBTQ+コミュニティの可視性を高め、多様性と包摂の重要性を強調する上で極めて重要な意味を持ちます。この個人的な道のりは、多くの若者、特にLGBTQ+アスリートにとってのインスピレーションの源となり、社会における偏見や差別に立ち向かう勇気を与えました。彼女の存在は、スポーツが単なる競技の場ではなく、社会変革を促す強力なプラットフォームであることを示しています。
7. 私生活
ヤニーネ・ファン・ヴァイクは、南アフリカのアルベルトンでダニーとグウェン・ファン・ヴァイク夫妻の間に生まれ、ヘルミストンで育ちました。彼女は15歳でレズビアンであることを公表しており、その後のキャリアにおいてもこの事実は彼女のアイデンティティの一部として認識されています。