1. 概要
ダビデ王の統治下で、統一イスラエル王国の軍隊司令官を務めたヨアブは、その生涯において数々の重要な軍事活動を指揮し、王国建設と維持に貢献しました。彼は優れた戦術家であり勇敢な戦士として知られる一方で、その行動には多くの論争が伴いました。特に、ダビデの意に反する形でアブネルとアマサという二人の将軍を殺害したこと、そしてダビデの命令を無視して息子アブサロムを処刑したことは、後世の歴史家や神学者によって厳しく批判される対象となりました。彼の忠誠心と冷酷な実用主義が交錯する複雑な人物像は、中道左派の視点からは、彼の功績と同時に、その非情な手段が民主主義や人道に与えた影響についても深く考察されるべきでしょう。ヨアブの生涯は、初期の軍事活動からダビデ王国の権力確立、そして晩年のソロモン王による粛清に至るまで、劇的な展開を見せます。
2. 名前
ヨアブという名前は、多くのヘブライ語の名前と同様に神の名前を含む神名で構成されています。この名前は、イスラエルの神の名前であるYHVH(יהוהヤハウェヘブライ語)と、「父」を意味するヘブライ語の「アヴ」(אָבアヴヘブライ語)に由来しています。したがって、「ヨアブ」は「YHVHが父である」という意味を持っています。この名前は現代イスラエルにおいても一般的であり、エズラ記2章6節や8章9節には、ダビデの甥であるヨアブ以外にも、同名の人物が聖書に登場します。また、ヨアブという名前は、ヨルダン川東岸に位置するモアブ地方に由来するという見方もあります。
3. 生涯
ヨアブの生涯は、彼の母や兄弟との関係、初期の軍事活動から始まり、ダビデ王の軍隊司令官としての役割、重要な軍事作戦とその中で起こした論争的な行動、ダビデ王との複雑な関係、そして晩年と死に至るまで、ダビデ王国の歴史と深く結びついています。
3.1. 家族と初期の軍事活動
ヨアブは、ダビデ王の姉妹であるツェルヤの息子として生まれました(歴代誌上2章15-16節)。歴史家フラウィウス・ヨセフスの著書『ユダヤ古代誌』によれば、彼の父はスリという名前であったとされています。彼にはアビシャイとアサエルという二人の兄弟がいました。
ヨアブが聖書に初めて登場するのは、イスボセテとの間のギベオンの戦いにおいてです。この戦いで、ヨアブの弟アサエルは、サウルの軍の司令官であったアブネルによって殺害されました。アブネルはアサエルに二度警告しましたが、アサエルが追いかけるのを止めなかったため、アブネルは自衛のためにアサエルを殺しました。ヨアブは弟の死を深く恨み、後にアブネルを殺害する動機の一つとなります。
3.2. ダビデの軍隊総司令官
ヨアブは、シオンの山の要塞への攻撃を指揮した後、ダビデ王によって軍隊の総司令官に任命されました(サムエル記下8章16節、20章23節、歴代誌上11章4-6節、18章15節、27章34節)。この地位は、彼がダビデ王国において最も重要な人物の一人であったことを示しています。司令官として、彼は数多くの軍事作戦を指揮し、王国の領土拡大と安全保障に貢献しました。しかし、彼の軍事的な手腕は高く評価される一方で、その権力と影響力は時にはダビデ王自身をも凌駕するほどでした。
3.3. 主要な軍事作戦と論争を呼んだ行動
ダビデ軍の最高司令官として、ヨアブはアラム(またはシリア)、アンモン、モアブ、エドムに対する重要な軍事作戦を指揮しました。彼の戦術的洞察力と冷徹な決断は、これらの戦役でイスラエル軍を勝利に導き、ダビデ王国の確立と強化に大きく貢献しました。しかし、彼の行動の中には、倫理的、道徳的に論争を呼ぶものも少なくありませんでした。彼は目的のためには手段を選ばない冷酷な現実主義者としての一面を持っており、これが彼の功績と同時に、その評価を複雑にしています。
3.3.1. アブネル殺害
ヨアブがイスボセテの軍司令官アブネルを殺害した事件は、彼の性格とダビデ王との複雑な関係を象徴する出来事です。アブネルがダビデ王に投降し、彼ら二人の間で和平が確立された直後、ヨアブはアブネルを殺害しました。
この殺害の動機については、聖書とヨセフスの記述に違いがあります。聖書(サムエル記下2章13-3章21節、3章27節、3章30節)は、ヨアブが弟アサエルの復讐のためにアブネルを殺したと明確に述べています。アサエルはギベオンの戦いでアブネルに殺されており、ヨアブは「弟アサエルの血の復讐のために」アブネルを殺したとされています。
一方で、ヨセフスの『ユダヤ古代誌』(第7巻1章3節)は異なる見解を示しています。ヨセフスによれば、ヨアブはアブネルがアサエルを戦闘で名誉ある形で殺害したため、アブネルを許していたとされます。しかし、アブネルがダビデ側に寝返り、ベニヤミン族の支配をダビデに与えたことで、ヨアブは自身の軍司令官としての地位を脅かす潜在的な存在としてアブネルを認識し、そのために彼を殺害した、とヨセフスは記述しています。これは、ヨアブの行動が個人的な復讐心だけでなく、権力維持という政治的な動機に基づいていた可能性を示唆しています。
ダビデ王はアブネル殺害の報を聞くと、ヨアブの行為を厳しく非難し、彼の行為が王国にもたらす災いを嘆き、ヨアブとその家系に呪いをかけました。これは、ダビデがヨアブのこの行動を、ダビデ自身の意図に反する不義な行為と見なしていたことを示しています。
3.3.2. ウリヤの死への共謀
ヨアブは、ダビデ王がヘテ人ウリヤを死に至らせる計画に深く共謀し、その実行に重要な役割を果たしました(サムエル記下11章14-25節)。ダビデはバテシバを奪うために、ウリヤを戦場の最前線に送り込み、確実に彼が戦死するようヨアブに命じました。ヨアブはその命令に従い、ウリヤを激戦地に配置し、他の兵士たちに退却を命じることで、ウリヤを敵の手に委ねました。この行為は、ヨアブが王の不正な命令であっても、躊躇なく実行する冷酷な一面を持っていたことを示しています。彼は王の秘密に深く関与し、その罪を共有することで、ダビデとの間に特別な、しかし倫理的に問題のある絆を築きました。
3.3.3. アブサロムの反乱鎮圧
ダビデの息子アブサロムが反乱を起こし、イスラエルの多くの部族が彼に味方した際、ヨアブはダビデ軍の指揮官として決定的な役割を果たしました。ダビデはエルサレムから逃亡せざるを得ない状況に追い込まれましたが、彼は息子アブサロムを傷つけたくないという強い思いから、兵士たちにアブサロムを殺さないよう命じました。
しかし、戦場でアブサロムが木の枝に髪が絡まって身動きが取れなくなっているという報告を受けたヨアブは、ダビデの明確な命令に反し、自ら槍でアブサロムを突き刺し、彼の手下たちと共にアブサロムを殺害しました(サムエル記下18章1-33節)。ヨアブのこの行動は、ダビデの感情的な葛藤を乗り越え、反乱を速やかに鎮圧するという実用主義的な決断に基づいていたと考えられます。


アブサロムの死の報告を受け、深く悲しむダビデを見て、ヨアブはダビデに厳しく忠告しました。ヨアブは、ダビデがアブサロムの死に悲しむあまり、忠実に戦った兵士たちをないがしろにしていると指摘し、すぐに公の場に出て兵士たちを激励するよう進言しました。ダビデはこのヨアブの助言に従い、兵士たちの士気を回復させました(サムエル記下19章1-8節)。このエピソードは、ヨアブが軍事的な勝利だけでなく、王国の安定と兵士の士気維持に対しても現実的な洞察力を持っていたことを示しています。
3.3.4. アマサ殺害
ダビデは後に、ヨアブの代わりに、自身の別の甥であるアマサを軍隊の司令官に任命しました(サムエル記下19章13節)。しかし、ヨアブは再び、ダビデの命令を無視して、ライバルであるアマサを殺害しました(サムエル記下20章8-13節、列王記上2章5節)。

この事件は、シェバの反乱を鎮圧する途中でギベオンで発生しました。ヨアブはアマサを油断させ、アマサが敵意に気づく前に彼を刺し殺しました。この殺害は、アブネル殺害と同様に、ヨアブが自身の地位と権力を確保するために、どんな残忍な手段も厭わない性格を示しています。この事件は、ヨアブの評価にさらなる影を落とし、彼の冷酷な評判を確立する一因となりました。
3.4. ダビデ王との関係
ヨアブとダビデ王の関係は、忠誠心と対立が複雑に絡み合ったものでした。ヨアブはダビデの軍事的成功の要であり、王国の確立と維持に不可欠な存在でした。彼はダビデに絶対的な忠誠を誓い、命がけで王のために戦いました。ダビデもヨアブの軍事的な才能と献身を高く評価していました。
しかし、ヨアブは単なる命令を実行する者ではなく、自身の判断に基づいた行動をとることがありました。アブネルやアマサの殺害、そしてアブサロムの処刑は、ダビデの意図や命令に反するものでした。これらの行動は、ヨアブが王国の安定と自身の権力維持のためには、王の感情や倫理的命令よりも実用性を優先した結果でした。彼はダビデの人口調査命令に反対したこともあり(サムエル記下24章2-4節)、これは彼の独立した思考と、時には王の判断に疑問を呈する姿勢を示しています。
このような対立はあったものの、ダビデはヨアブの重要性を認識しており、彼を簡単に排除することはできませんでした。ヨアブは、ダビデが悲しみに暮れる際には厳しくも現実的な助言を与え、王国の危機を救うこともありました。彼らの関係は、相互依存的でありながらも、常に緊張と信頼の綱引きの中にありました。
3.5. 晩年と死
ダビデ王の晩年、ヨアブは王位継承問題において大きな過ちを犯します。彼は、ダビデの最年長の生き残りである息子アドニヤを次期王として支持するという判断をしました(列王記上1章1-27節)。これは、ダビデが後継者として定めていたソロモンに反する行動でした。預言者ナタンやダビデの妻バテシバの尽力により、ソロモンが正式に王位を継承すると、アドニヤとその支持者たちは散り散りになりました。
ヨアブは事態がソロモンに有利に進んだことを知り、エブヤタル祭司と共に逃亡しました。彼は幕屋に駆け込み、祭壇の角を掴んで身の安全を求めました(列王記上1章50-53節)。これは、以前にアドニヤが同様に身を隠し、許しを得た場所でした。
しかし、ダビデは死の間際、ソロモンに対し、ヨアブの過去の裏切り行為と流した血の罪を理由に、彼を殺害するよう遺言しました(列王記上2章29-34節)。ソロモンは、ヨアブがアブネルとアマサという二人の「自分よりも正しく、自分よりも善良な」将軍を、ダビデの許可なく、平和な時に戦争のごとく殺害したことに言及し、この血の罪をヨアブ自身とその子孫に帰するよう命じました。
ソロモンの命を受けたベナヤは、ヨアブが隠れる幕屋に入り、出てくるよう命じましたが、ヨアブはそこから動かないと抵抗しました。ベナヤは王の命令に従い、幕屋でヨアブを殺害しました。ヨアブは「荒野」にある自身の家に埋葬されました(列王記上2章34節)。ヨアブの死後、彼の地位はベナヤが継承し、ベナヤがイスラエル軍の最高司令官となりました(列王記上2章35節)。
4. 評価と論争
ヨアブの生涯とその行動は、歴史的および神学的に多様な評価を受けています。彼はダビデ王国の軍事的支柱としての輝かしい功績を残した一方で、その冷酷な手腕と独断的な行動は、後世の批判の対象となってきました。
4.1. 肯定的評価と功績
ヨアブは、疑いなく優れた軍事戦略家であり、勇敢な戦士でした。彼はダビデ王国の建設と維持に多大な貢献をしました。
- 軍事的な手腕**: 彼はアラム、アンモン、モアブ、エドムなど、イスラエルの敵対勢力に対する数々の戦役で勝利を収め、ダビデの王国を強固なものにしました。彼の戦術的洞察力とリーダーシップは、イスラエルが周辺諸国に対して優位を確立するために不可欠でした。
- 王国の安定への貢献**: アブサロムの反乱のような内乱の鎮圧において、ヨアブはダビデの個人的な感情よりも王国の存続と秩序を優先する実用主義的な判断を下しました。アブサロムを処刑したことはダビデの悲しみを招きましたが、王国の分裂を防ぎ、内乱を早期に終結させる上で決定的な役割を果たしました。また、ダビデがアブサロムの死に悲しむあまり兵士たちの士気を失いかけた際、ヨアブは王に厳しくも現実的な忠告を与え、兵士たちを激励するよう促すことで、王国の秩序と軍の結束を回復させました。
- 王の相談役**: 彼は単なる軍人ではなく、時にはダビデの良き相談相手としても機能しました。彼がダビデの人口調査命令に反対したことは、彼の独立した思考力と、王国の長期的な福祉に対する深い洞察力を示しています。
アメリカン・トラクト・ソサイエティの『聖書辞典』はヨアブを「勇敢な戦士であり、有能な将軍であり、彼の公共事業への大きな影響は、アブサロムの反乱やイスラエルの数え上げにおいて、しばしば善のために行使された」と評価しています。
4.2. 批判と歴史的解釈
ヨアブの功績は認められるものの、彼の生涯は残忍で無慈悲な行動によって特徴づけられており、歴史家や神学者によって厳しく批判されてきました。
- 冷酷さと報復**: アブネルとアマサの殺害は、彼の最も批判される行動です。これらの殺害は、ダビデ王の意思に反し、平和な状況下で暴力を用いたものであり、彼の個人的な復讐心や権力維持への執着を示しています。ダビデ自身も、ヨアブのこれらの行為を「血の罪」として非難し、ソロモンにヨアブの粛清を命じる理由としました。ダビデは、ヨアブが「自分よりも正しく、自分よりも善良な二人を、父親ダビデが知らないうちに剣によって殺害した」と述べています。特にアマサ殺害は、彼にとって「大きな罪悪」として記録されています。
- ヨセフスの異なる解釈**: 歴史家フラウィウス・ヨセフスは、アブネル殺害について、聖書とは異なる視点を提供しています。聖書が「弟アサエルの復讐」を明確な動機とするのに対し、ヨセフスは、ヨアブがアブネルの軍事的才能と、彼がダビデに与えた影響力(ベニヤミン族の支配権など)を脅威とみなし、自身の軍司令官としての地位を維持するためにアブネルを殺害したと示唆しています。この解釈は、ヨアブの行動が個人的な復讐心だけでなく、冷徹な政治的計算に基づいていた可能性を示唆しています。
- 道徳的判断の欠如**: ダビデのウリヤ殺害計画への共謀は、ヨアブが王の不正な行為に対しても盲目的に従い、道徳的な判断を欠いていたことを示しています。彼は、王の個人的な罪を隠蔽するために、無実の兵士を死に追いやるという行為に加担しました。
- 独断と権力への執着**: アブサロムの処刑は、反乱の鎮圧という軍事的な成功をもたらしましたが、ダビデの明確な命令に反して行われました。この行動は、ヨアブが自身の判断と王国の安定を優先し、時には王の権威をも無視して行動する独断的な傾向を持っていたことを示しています。晩年のアドニヤ支持も、彼の政治的野心と、王国の権力構造における影響力を維持しようとする試みの一環と見なせます。

総じて、ヨアブは、ダビデ王国の創設期から安定期にかけて不可欠な存在であり、その軍事的な貢献は計り知れません。しかし、彼の冷酷な性格と、目的のためには手段を選ばない姿勢は、数々の残忍な行動を引き起こし、彼の評価に常に倫理的な疑問符を投げかけています。彼の生涯は、権力と忠誠心、そして個人の道徳的選択の複雑な関係を示す典型的な例として、現代においても議論の対象となっています。