1. 概要
ラウレことラウレアーノ・サナブリア・ルイス(Laureano Sanabria Ruizラウレアーノ・サナブリア・ルイススペイン語、1985年3月22日 - )は、スペイン・マドリード出身の元サッカー選手である。主に右サイドバックとしてプレーし、時には左サイドバックもこなした。彼のキャリアの大半はデポルティーボ・ラ・コルーニャで過ごされ、10シーズンにわたり公式戦213試合に出場、ラ・リーガでは117試合に出場した。デポルティーボではセグンダ・ディビシオン優勝と二度のプリメーラ・ディビシオン昇格に貢献するなど、クラブの中心選手として活躍した。
2. 生涯
2.1. 出生とユース時代
ラウレは1985年3月22日にスペインの首都マドリードで生まれた。彼は幼少期からサッカーを始め、地元マドリードの強豪クラブであるレアル・マドリードのユースアカデミーで育成された。特にレアル・マドリードCでは印象的なシーズンを送ったものの、当時のレアル・マドリードの経営陣からプロ契約のオファーを受けることはなく、クラブを放出されることとなった。
3. クラブ経歴
ラウレのクラブキャリアは、レアル・マドリードのユースを経てレガネスで始まり、その後長きにわたりデポルティーボ・ラ・コルーニャで活躍し、晩年はADアルコルコンとCDアトレティコ・バレアレスでプロ生活を終えた。
3.1. レアル・マドリードおよびレガネス時代
レアル・マドリードのユースチームで育った後、ラウレは2006年に同じくマドリードを本拠地とするセグンダ・ディビシオンB所属のCDレガネスと契約を結んだ。2006-07シーズンにおいて彼はレガネスでレギュラーとして活躍し、1シーズンを過ごした。
3.2. デポルティーボ・ラ・コルーニャ時代
2007年の夏、ラウレはデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍した。当初はクラブのリザーブチームであるデポルティーボ・ラ・コルーニャB(デポルティーボ・ファブリル)でプレーし、その活躍がトップチームの監督ミゲル・アンヘル・ロティーナの目に留まった。2008年1月13日、負傷したマヌエル・パブロに代わり、ビジャレアルCF戦でトップチームでのラ・リーガデビューを果たし、フル出場したもののチームは3-4で敗れた。このシーズン終了後、彼はデポルティーボと2011年までの新契約を結んだ。
2009-10シーズンには、フィリペ・ルイスの深刻な足首の負傷により、主に左サイドバックとして20試合に出場した。この時、デポルティーボは1月時点でリーグ4位につけていたが、最終的には10位でシーズンを終えた。トップリーグでの唯一のゴールは、2011年1月29日のセビージャFCとのホームゲームで記録され、試合は3-3の引き分けに終わった。
2011-12シーズンは、ラウレにとって初のセグンダ・ディビシオンでのシーズンとなった。彼はこのシーズンに38試合に出場し、デポルティーボはセグンダ・ディビシオンで優勝を果たし、プリメーラ・ディビシオンへの昇格を達成した。このシーズン中、彼はジローナFCとのホームゲームでゴールを決め、チームの3-2の勝利に貢献した。さらに2年後の2013-14シーズンにも再びセグンダ・ディビシオンから昇格を経験し、このシーズンは36試合に出場し1ゴールを挙げた。彼は合計10シーズンにわたりデポルティーボ・ラ・コルーニャに在籍し、公式戦213試合に出場、ラ・リーガでは117試合に出場するなど、長きにわたりクラブに貢献した。
3.3. ADアルコルコン時代
2017年7月5日、ラウレはセグンダ・ディビシオン所属のADアルコルコンと3年契約を結び、移籍した。翌年の2018年9月には、50試合連続フル出場という記録を達成し、その耐久性と安定したパフォーマンスを示した。
3.4. CDアトレティコ・バレアレスおよび引退
ADアルコルコンで5シーズンを過ごした後、2022年から2023年までCDアトレティコ・バレアレスに所属し、プロサッカー選手としてのキャリアを終えた。
4. プレースタイル
ラウレは主に右サイドバックとしてプレーしたが、チームの状況に応じて左サイドバックもこなせるユーティリティープレイヤーであった。彼のプレースタイルは、安定した守備と正確なクロスが特徴であり、特にADアルコルコン時代に50試合連続フル出場を達成したことからも、その耐久性とコンスタントなパフォーマンスは高く評価された。
5. タイトル
ラウレが選手生活で獲得した主要なタイトルは以下の通りである。
- セグンダ・ディビシオン: 2011-12 (デポルティーボ・ラ・コルーニャ)