1. 概要
ロレンス・ハーバート・フレンチ(Lawrence Herbert Frenchローレンス・ハーバート・フレンチ英語、1907年11月1日 - 1987年2月9日)は、アメリカ合衆国のプロ野球選手であり、後にアメリカ海軍の将校として活躍した人物である。彼は主にメジャーリーグベースボール(MLB)の先発投手として、ピッツバーグ・パイレーツ(1929年-1934年)、シカゴ・カブス(1935年-1941年)、ブルックリン・ドジャース(1941年-1942年)でプレイした。
フレンチは、ナックルボールを主な持ち球とする左投げ右打ちの選手であった。プロ野球引退後は海軍に入隊し、第二次世界大戦と朝鮮戦争に従軍。1969年に大佐として退役し、レジオン・オブ・メリットを授与された。その野球キャリアにおいては、野球殿堂入りしていない最高の投手の一人として評価されている。
2. 生涯初期
ロレンス・ハーバート・フレンチは1907年にカリフォルニア州バイセイリアで生まれた。彼の野球キャリアは1926年に始まり、1928年までパシフィックコーストリーグに所属するポートランド・ビーバーズでプレイし、プロの道を歩み始めた。
3. プロ野球キャリア
ロレンス・ハーバート・フレンチのプロ野球選手としてのキャリアは、マイナーリーグでの経験を経てメジャーリーグへと進んだ。彼は1930年から1940年までの間、毎シーズン少なくとも10勝を挙げるなど、安定した成績を残した。
3.1. マイナーリーグ時代
フレンチはメジャーリーグに昇格する前の1926年から1928年まで、パシフィックコーストリーグのポートランド・ビーバーズで活動した。この期間にプロ野球選手としての基礎を築き、ナショナルリーグのチームから注目される存在となった。
3.2. メジャーリーグ時代
フレンチはメジャーリーグベースボールで14シーズンの間、安定した成績を収めた。彼は主に3つのチームでプレイし、特に先発投手として多くの投球回数を記録した。
3.2.1. ピッツバーグ・パイレーツ (1929-1934)
1929年にナショナルリーグのピッツバーグ・パイレーツに入団したフレンチは、チームの主力投手として活躍した。特に1930年から1934年までの期間は、毎年260投球回を超えるなど、非常に多くのイニングを投げた。彼はパイレーツ時代、安定した成績を維持し、チームの重要な一員であった。
3.2.2. シカゴ・カブス (1935-1941)
パイレーツでの活躍後、フレンチはシカゴ・カブスへトレードされ、1935年から1941年まで在籍した。カブス時代には、1935年と1936年にそれぞれ4つの完封を記録し、ナショナルリーグ最多完封数を達成した。彼は1930年から1940年までの間、10年連続でシーズン10勝以上を記録するという素晴らしい安定性を見せた。
3.2.3. ブルックリン・ドジャース (1941-1942)
1941年シーズン序盤の不振の後、フレンチはブルックリン・ドジャースに移籍し、1942年シーズンまでプレイした。ドジャースでの期間が彼のメジャーリーグにおける最後のシーズンとなり、このシーズンを最後にプロ野球から引退した。
3.3. 通算記録と主要な業績
ロレンス・ハーバート・フレンチは、メジャーリーグでの14年間のキャリアにおいて、197勝171敗、防御率3.44という記録を残した。通算投球回数は3,152回、奪三振数は1,187を数え、完封は40回、完投は198回を記録した。彼のキャリアの全14シーズンで、少なくとも10回の先発登板と6回のリリーフ登板を経験している。
打者としては、570試合に出場し、1057打数199安打で打率.188、1本塁打、83得点、84打点、48四球を記録した。守備では守備率.951をマークしている。彼はキャリアの中で1935年のワールドシリーズ、1938年のワールドシリーズ、1941年のワールドシリーズの3度のワールドシリーズに出場したが、いずれもチームは優勝を逃した。
3.4. 主なエピソード
ロレンス・フレンチの野球キャリアの中で特に注目すべきエピソードの一つに「シャワーゲーム」として知られる出来事がある。1933年7月12日、ボストン・ブレーブスとの試合で、フレンチのチームが9回表に8対0でリードしていた時、リリーフ投手であったフレンチは、試合終了が近いと判断し、早めにブルペンを抜け出してシャワーを浴び始めた。しかし、彼がシャワーを浴びている間に、ブレーブスが猛攻を見せ、スコアは8対7まで迫った。急遽フレンチに登板の要請がかかったが、彼は体を洗い流す時間すらなく、ユニフォームを着て、首から石鹸の泡を滴らせながら急いでマウンドに向かったという。
4. 軍歴
フレンチはプロ野球選手としてのキャリアを終えた後、アメリカ海軍に入隊し、軍人として新たな道を歩んだ。
4.1. 入隊と従軍
1942年の野球シーズン終了後、ロレンス・フレンチはアメリカ海軍に入隊した。彼は第二次世界大戦と朝鮮戦争の両方に従軍し、キャリア軍人として長く海軍に貢献した。
4.2. 退役と受勲
フレンチは1969年に海軍を退役した。最終階級は大佐であり、長年の功績が認められ、レジオン・オブ・メリットを授与された。
5. 晩年と死去
軍務を終えた後、ロレンス・ハーバート・フレンチは1987年にカリフォルニア州サンディエゴで死去した。享年79歳であった。
6. 評価と遺産
ロレンス・ハーバート・フレンチは、野球選手としてのキャリアにおいて、野球殿堂入りしていない投手の中では最高の部類に属すると一部の著述家から評価されている。彼の安定した投球回数と長きにわたるキャリアは、その耐久性と技術の高さを物語っている。また、野球引退後にアメリカ海軍で第二次世界大戦と朝鮮戦争に従軍し、最終的に大佐として退役しレジオン・オブ・メリットを受勲したことは、彼がスポーツ界だけでなく、国家に対しても多大な貢献をしたことを示している。