1. 概要
リカルド・ガジェゴ・レドンド(Ricardo Gallego Redondoリカルド・ガジェゴ・レドンドスペイン語)は、スペイン・マドリード出身の元サッカー選手であり、主に守備的MFとして活躍しました。プロキャリアの大半をレアル・マドリードで過ごし、9シーズンにわたって372試合に出場し、10の主要タイトルを獲得しました。スペイン代表としても42試合に出場し、2度のFIFAワールドカップと2度のUEFA欧州選手権に出場しました。本記事では、彼の卓越した技術と戦術的な規律に焦点を当て、チームの成功に不可欠な存在であったことを示し、サッカーにおけるチームプレイと献身の価値を強調します。特に、不慮の事故が絡んだミゲル・デ・アンドレスとのインシデントについては、その人間的な側面と影響を考慮し、バランスの取れた視点から記述します。
2. 生い立ちと初期のキャリア
リカルド・ガジェゴは、サッカー選手としての初期段階で、レアル・マドリードのユースシステムを通じてその才能を開花させました。
2.1. 出生と幼少期
リカルド・ガジェゴ・レドンドは、1959年2月8日にスペインのマドリードで生まれました。幼少期からサッカーに親しみ、その才能は早くから認められていました。
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2.2. ユースチームと初期の活動
ガジェゴは1973年から1977年までレアル・マドリードの下部組織で育ちました。ユースチームでの活動を経て、1977年にはトップチーム昇格前にレアル・マドリードのBチームにあたるカスティージャに加入し、1977年から1980年までの3シーズンで63試合に出場し4得点を記録しました。この期間には、1979-80シーズンのコパ・デル・レイで準優勝に貢献するなど、若手選手としての頭角を現しました。
3. クラブキャリア
ガジェゴは、レアル・マドリードでの黄金期を経て、イタリアのウディネーゼ、そしてスペインのラージョ・バジェカーノでキャリアの終盤を迎えました。
3.1. レアル・マドリード
ガジェゴは1980年にレアル・マドリードのトップチームに昇格し、その最初のシーズンである1980-81シーズンには26試合に出場し、すぐにチームの主力として定着しました。彼は優れた身体能力と技術力を兼ね備え、守備的ミッドフィールダーとしてだけでなく、リベロとしても高い効率性でプレーできる多才な選手でした。
ガジェゴは、エミリオ・ブトラゲーニョ、ミチェル、マルティン・バスケス、ミゲル・パルデサらとともに「キンタ・デル・ブイトレ」の一員として、レアル・マドリードの黄金期を支えました。この期間に、彼はスペインリーグで4連覇(1985-86、1986-87、1987-88、1988-89)を達成しました。また、コパ・デル・レイで2度(1981-82、1988-89)、UEFAカップで2連覇(1984-85、1985-86)を成し遂げるなど、数多くのタイトル獲得に貢献しました。レアル・マドリードでは通算372試合に出場し、うち250試合はトップディビジョンでのものでした。
1986-87シーズンには、リーグ優勝に貢献する37試合に出場し2得点を記録、出場時間は3,000分を超えました。しかし、このシーズン中の1987年3月15日、サン・マメスで行われたアスレティック・ビルバオ戦(2-1でレアル・マドリードが勝利)で、ガジェゴが不運にも相手選手のミゲル・デ・アンドレスの膝に落下するというインシデントが発生しました。この事故によりデ・アンドレスはキャリアを終えることとなり、この一件はガジェゴのキャリアにおける特筆すべき出来事として記憶されています。
3.2. ウディネーゼ
レアル・マドリードを退団後、ガジェゴは1989年にイタリアのウディネーゼへ移籍しました。セリエAでの短期間のプレーとなりましたが、1シーズンで30試合に出場し2得点を挙げました。
3.3. ラージョ・バジェカーノ
ウディネーゼでの短い期間を終え、ガジェゴはスペインに戻り、マドリードに本拠地を置くラージョ・バジェカーノに1990年に加入しました。2部リーグで2シーズンを過ごし、31試合に出場し1得点を記録。1991-92シーズンにはチームの1部リーグ昇格に貢献しました。ガジェゴは33歳で現役を引退しました。
4. 代表キャリア
リカルド・ガジェゴは、スペイン代表チームの主要な選手として、複数の国際大会で重要な役割を果たしました。
4.1. A代表出場と主要大会
ガジェゴはスペインA代表として42試合に出場しました。彼の代表デビューは、自国開催の1982 FIFAワールドカップを控えた1982年2月24日のスコットランドとの親善試合でした。この試合でビクトル・ムニョスと交代出場し、最終的な3-0の勝利に貢献する3点目を決めました。
1982年のワールドカップでは1試合のみの出場にとどまりましたが、その後ガジェゴは代表チームの守備の要として、以下の2つの主要大会で活躍しました。
- UEFA欧州選手権1984: 準優勝を果たしました。
- 1986 FIFAワールドカップ: 主要選手として出場しました。
ガジェゴはユーロ1988を最後に、国際舞台から引退しました。現役引退後、2011年8月中旬には、元スペイン代表およびレアル・マドリードのチームメイトであるホセ・アントニオ・カマーチョと再会し、中国代表チームのアシスタントコーチを務めました。
4.2. 代表ゴール
ガジェゴがスペイン代表として記録した国際試合でのゴールは以下の通りです。
# | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1982年2月24日 | スペイン バレンシア ルイス・カサノバ | スコットランド | 3-0 | 3-0 | 親善試合 |
2. | 1984年5月26日 | スイス ジュネーヴ シャルミーユ | スイス | 0-2 | 0-4 | 親善試合 |
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5. 引退後の活動
プロサッカー選手引退後、リカルド・ガジェゴはサッカー界で様々な役職を務め、その経験と知識を活かしました。
5.1. クラブ役職およびコーチングキャリア
引退後、ガジェゴは自身のキャリアにおいて在籍した古巣で行政職を歴任しました。特に、現役最後のクラブであったラージョ・バジェカーノではディレクター職を務めました。また、2011年8月中旬には、元スペイン代表およびレアル・マドリードのチームメイトであるホセ・アントニオ・カマーチョが監督を務める中国代表チームのアシスタントコーチに就任し、指導者としてのキャリアも経験しました。
6. タイトル
リカルド・ガジェゴが選手キャリアを通じて獲得した主要なタイトルは以下の通りです。
6.1. クラブタイトル
- カスティージャ
- コパ・デル・レイ 準優勝: 1979-80
- レアル・マドリード
- ラ・リーガ: 1985-86、1986-87、1987-88、1988-89
- コパ・デル・レイ: 1981-82、1988-89
- スペイン・スーパーカップ: 1988
- リーグカップ: 1985
- UEFAカップ: 1984-85、1985-86
7. 評価とレガシー
リカルド・ガジェゴは、その堅実なプレーとチームへの貢献により、スペインサッカー史に名を刻みました。
7.1. サッカー史における評価
リカルド・ガジェゴは、レアル・マドリードの「キンタ・デル・ブイトレ」時代において、攻撃的なタレントが揃うチームのバランスを保つ上で極めて重要な存在でした。彼は優れた守備的MFであり、そのフィジカルとテクニックを兼ね備えた能力は、チームの守備に安定感をもたらし、攻撃陣が自由にプレーできる基盤を築きました。時にリベロとして機能するなど、その戦術的な多様性も高く評価されています。
ガジェゴのキャリアは、チームの成功に献身的に貢献する選手の価値を示すものであり、派手さはないものの、彼の存在なくしてレアル・マドリードの黄金期は語れません。特に、ミゲル・デ・アンドレスとの不慮の事故は、彼のキャリアにおける人道的な側面を浮き彫りにする出来事であり、サッカーにおける選手の連帯と敬意の重要性を再認識させるものです。彼は、その冷静な判断力と強靭なフィジカルで、チームの勝利に不可欠な「核」として記憶されています。