1. 概要
リュシュテュ・レチベル(Rüştü Reçberリュシュテュ・レチベルトルコ語、1973年5月10日生まれ)は、トルコ・アンタルヤ県コルクテリ出身の元サッカー選手であり、現在はスポーツ行政官を務めています。現役時代のポジションはゴールキーパーで、アンタルヤスポル、フェネルバフチェSK、FCバルセロナ、ベシクタシュJKといった著名なクラブで活躍しました。
彼はトルコサッカー代表の歴史において重要な存在であり、トルコ代表最多となる120試合に出場しました。特に2002 FIFAワールドカップではトルコ代表の3位入賞に大きく貢献し、同大会のオールスターチームにも選出されました。また、UEFA EURO 2008では準決勝進出に貢献し、そのパフォーマンスは高く評価されています。
レチベルは、2002年にはUEFA年間ベストイレブンに選ばれ、2004年にはペレによってFIFA 100に名を連ねる世界最高の存命サッカー選手125人の一人として選出されました。彼は優れたシュートストップ能力、ポジショニング、反射神経、そしてカリスマ性や個性的な外見で知られていました。引退後は、トルコ代表チームの管理者としてスポーツ界に貢献しています。
2. 幼少期とキャリアの始まり
リュシュテュ・レチベルの幼少期はコルクテリで過ごしました。当初はフォワードとしてサッカーをプレーしていましたが、後のキャリアでゴールキーパーへと転向するという重要な変化を経験しました。
2.1. Childhood and education
レチベルは1973年5月10日にトルコのコルクテリで生まれました。幼少期はガラタサライのサポーターでした。彼は当初フォワードとしてプレーしていましたが、17歳の時に監督から「君は背が高いからゴール前に立ってみるといい」と勧められ、ゴールキーパーに転向しました。この転向は彼のキャリアを決定づけることになります。
2.2. Entry into professional football
レチベルのプロサッカー選手としての第一歩は1990年、ブルドゥルギュジュでのデビューでした。彼は1シーズンをそこで過ごした後、地元のクラブであるアンタルヤスポルへ移籍しました。アンタルヤスポルでは、イルハン・ダトクというGKコーチに見出され、彼の才能が磨かれました。
1992年には、トルコU-21サッカー代表でデビューを果たしました。この時、後にトルコサッカー代表の監督となるファティ・テリムは、アンタルヤスポルの第3ゴールキーパーであったリュシュテュの潜在能力に感銘を受け、「君はいずれトルコでもっとも素晴らしいGKになるだろう」と予言しました。テリムはリュシュテュをフェネルバフチェSK、ガラタサライSK、ベシクタシュJKというトルコの三大クラブに推薦しました。1993年にはベシクタシュJKとの契約が成立寸前まで進みましたが、契約締結直前に自動車事故に巻き込まれて重傷を負い、メディカルチェックに通らなかったため、この移籍は取りやめとなりました。
3. Club career
リュシュテュ・レチベルのプロクラブキャリアは、アンタルヤスポルで始まり、フェネルバフチェでの二度の成功期、FCバルセロナでの短い経験、そしてベシクタシュでの引退まで、様々なチームで輝かしい足跡を残しました。
3.1. Antalyaspor (1991-1994)
アンタルヤスポルでのリュシュテュ・レチベルのキャリアは、1991年から1994年まで続きました。彼は1991年にアンタルヤスポルに加入し、プロ選手としての最初の経験を積みました。1993-94シーズンには、このクラブで33試合に出場しました。
1993年にフェネルバフチェSKと契約した後も、このシーズンはレンタル移籍の形でアンタルヤスポルに残ることが認められました。これにより、彼はプロの舞台で継続的に成長する機会を得ました。この期間に、彼はトルコU-21代表での活躍も注目され、将来のトルコサッカー界を担う存在として期待されるようになりました。
3.2. Fenerbahçe (1994-2003)
フェネルバフチェでの最初の在籍期間(1994年-2003年)は、リュシュテュ・レチベルのキャリアにおける決定的な成功期となりました。1994-95シーズン、クラブとトルコ代表の正ゴールキーパーだったエンギン・イペコオールがカイセリスポル戦で負傷したことで、リュシュテュに大きなチャンスが訪れました。彼はペトロル・オフィシSK戦でデビューを飾り、その後9年間にわたってクラブと代表の両方で不動の地位を築きました。
この期間に、彼はフェネルバフチェのキャプテンを務め、スュペル・リグで2度の優勝(1995-96シーズン、2000-01シーズン)に貢献しました。彼は最初の在籍期間で合計240試合に出場し、クラブの守護神としての地位を確立しました。彼の活躍は、UEFA EURO '96やUEFA EURO 2000への出場にも繋がり、国内だけでなく国際的な評価も高まりました。
3.3. FC Barcelona (2003-2004)
2003年7月、フェネルバフチェとの契約が満了したリュシュテュ・レチベルは、ACミラン、インテル・ミラノ、FCバルセロナ、バレンシアCF、マンチェスター・ユナイテッドFC、アーセナルFC、ユヴェントスFC、リヴァプールFCなど、ヨーロッパのトップクラブからオファーを受けました。彼はアーセナルFCとの契約に非常に近づきましたが、アーセン・ベンゲル監督との間でフィットネスに関する意見の相違から口論となり、移籍は破談となりました。
最終的に彼はラ・リーガのFCバルセロナに移籍しました。プレシーズンは好調だったものの、シーズン開幕前に負傷に見舞われました。なんとか開幕には間に合ったものの、フランク・ライカールト監督は、リュシュテュのスペイン語能力がまだ不十分であるという理由で、最初の2リーグ戦でビクトル・バルデスを起用しました。リュシュテュはこれに不満を表明し、「私の実績と能力からすれば、スペイン語が話せないために試合に出られないのは解せない」と述べました。
彼のバルセロナでのデビューは2003年10月15日、UEFAカップ1回戦第2戦のMŠKプーホフ戦(8-0で勝利)でした。リーグ戦でのデビューは12月13日のエスパニョールとの「バルセロナダービー」(3-1で勝利)でした。この試合では6人の退場者が出る荒れた展開となりました。バルセロナでの活動は短期間に終わり、リーグ戦4試合を含む合計7試合の出場にとどまりました。
3.4. Return to Fenerbahçe (2004-2007)
FCバルセロナでわずか4試合のリーグ戦出場(全体で7試合)に終わった後、リュシュテュ・レチベルは2004年8月27日にフェネルバフチェへシーズンローンで復帰しました。このローン契約は2005年7月28日にさらに1年延長されました。
彼はこの期間もフェネルバフチェで重要な役割を果たし、2004-05シーズンと2006-07シーズンにスュペル・リグでの優勝を果たし、合計で4回のリーグタイトルを獲得しました。しかし、2006-07シーズンには自身の将来についてクラブとの間に軋轢が生じ、ヴォルカン・デミレルに正ゴールキーパーのポジションを奪われる形となりました。リュシュテュはフェネルバフチェのゴールキーパーとして、ヴォルカン・デミレルに次ぐ2番目の出場数を記録しています。
3.5. Beşiktaş (2007-2012)
2006-07シーズンにフェネルバフチェでリーグタイトルを獲得した後、リュシュテュ・レチベルは2007年6月17日、フェネルバフチェのライバルクラブであるベシクタシュJKにメフメト・ヨズガトルと共に3年契約で移籍しました。この移籍はフェネルバフチェのファンからの大きな反発を招きました。
ベシクタシュでも彼は高いパフォーマンスを披露し、2008-09シーズンにはスュペル・リグで優勝を果たしました。また、トルコカップでも2008-09シーズンと2010-11シーズンに優勝に貢献しました。特に2010-11シーズンのトルコカップでは、決勝戦で120分間のプレーとPK戦すべてに出場し、チームを勝利に導きました。ベシクタシュでの在籍期間はたびたび怪我に悩まされましたが、このクラブでプロサッカー選手としてのキャリアを終え、2012年に引退しました。
4. International career
リュシュテュ・レチベルのトルコ代表でのキャリアは、1994年のデビューから始まり、2002 FIFAワールドカップでの歴史的活躍、UEFA EURO 2008での印象的なパフォーマンス、そして2012年の引退試合まで、数々の重要な瞬間を刻みました。彼はトルコ代表の最多出場記録保持者です。
4.1. Early international career
リュシュテュ・レチベルは、1994年にアイスランド戦でトルコサッカー代表としてのデビューを果たしました。彼はすぐに代表チームの重要な一員となり、UEFA EURO '96やUEFA EURO 2000といった主要な国際大会に出場し、経験を積みました。彼の存在は、トルコ代表が国際舞台で頭角を現す上での基盤となりました。
4.2. 2002 FIFAワールドカップ
リュシュテュ・レチベルは、2002 FIFAワールドカップでトルコ代表の守護神として中心的な役割を果たしました。この大会でトルコは48年ぶりの本大会出場を果たし、最終的に3位という歴史的な成績を収めました。リュシュテュはグループステージから決勝トーナメントまで全7試合に出場し、わずか6失点に抑える活躍を見せました。
彼の圧倒的なパフォーマンスは世界中の注目を集め、大会終了後にはドイツのオリバー・カーンと共に、FIFAワールドカップオールスターチームのゴールキーパーの一人に選出されました。これは彼の国際的な評価を不動のものとしました。2005年3月26日には、2006 FIFAワールドカップ予選のアルバニア戦で、キャプテンとして100試合目の代表キャップを達成しました。
4.3. UEFA EURO 2008
UEFA EURO 2008では、リュシュテュ・レチベルは当初控えゴールキーパーとして選出されました。しかし、準々決勝のクロアチア戦で、正ゴールキーパーのヴォルカン・デミレルが退場処分により出場停止となったため、リュシュテュが出場することになりました。
この試合は延長戦にもつれ込み、延長後半14分にクロアチアに先制を許しましたが、リュシュテュはすぐに挽回しました。試合終了間際の延長後半17分には、セミフ・シェンテュルクの同点ゴールをアシストし、PK戦へと持ち込みました。PK戦では、彼はムラデン・ペトリッチの最後のキックをセーブし、トルコの勝利を確実なものにしました。この劇的な活躍により、トルコは史上初の欧州選手権準決勝進出を果たしました。UEFAはこのPK戦での彼のパフォーマンスを「英雄的」と評しています。
準決勝のドイツ戦では、負傷したニハト・カフヴェジに代わりキャプテンを務めて出場しましたが、3-2で惜敗しました。
4.4. National team retirement
UEFA EURO 2008でのドイツ戦敗退後、リュシュテュ・レチベルは代表チームからの引退を表明しました。しかし、その後も何度か代表に招集され、2010 FIFAワールドカップ予選のスペイン戦などにも出場しました。
彼の最後の代表戦は、2012年5月26日に開催されたフィンランドとの親善試合でした。この試合が彼の120キャップ目となり、トルコ代表での輝かしいキャリアに終止符が打たれました。
5. Style of play and characteristics
リュシュテュ・レチベルは、その独特なプレースタイルと個性的な特徴で知られたゴールキーパーでした。彼は「天才的なシュートストップ」能力で評価され、優れたポジショニングセンスを持っていました。その長身を活かして、高いボールの処理にも長けていました。
また、彼の素早い反射神経と、シュートを的確に弾き出す能力も特筆すべき点でした。彼は特にペナルティーキックのストッパーとしても知られ、UEFA EURO 2008のクロアチア戦でのPK戦でのパフォーマンスは「英雄的」と形容されました。UEFAトレーニンググラウンドの映像シリーズでは「リュシュテュのトルコ式喜び」と題され、「PKの達人」として紹介されました。
レチベルはエキセントリックなゴールキーパーであり、そのカリスマ的な個性でも際立っていました。身体的な特徴としては、長い髪と目元のアイブラック(アンチグレアペイント)がトレードマークでした。彼はまた、ゴールキックの精度が高く、バックパスの処理能力にも優れていました。
少年時代に彼が憧れたゴールキーパーはピーター・シュマイケルで、UEFA EURO '96やUEFAチャンピオンズリーグで彼と対戦する機会がありました。
6. Personal life
リュシュテュ・レチベルの私生活は、彼の家族や健康問題を通じて公にされています。
6.1. Family and background
リュシュテュ・レチベルはイシュル・レチベル(旧姓:ケペ)と結婚しており、夫婦の間には息子と娘がいます。二人はリュシュテュがアンタルヤスポルからフェネルバフチェに加入した1994年に初めて出会いました。
彼の息子であるブラクは2007年に生まれ、現在ガラタサライのアカデミーでサッカーをしています。幼少期のリュシュテュ自身はガラタサライのサポーターでした。
6.2. Health issues
2020年3月、リュシュテュ・レチベルは新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の陽性反応を示し、世界的パンデミックの最中に病院に搬送されました。彼の容態は一時「危機的時期」にあると報じられ、集中治療室(ICU)にも入りましたが、その後回復しました。2020年4月6日には退院し、無事に自宅に戻ることができました。
7. Post-playing career
リュシュテュ・レチベルはプロサッカー選手を引退した後も、スポーツ界に貢献し続けています。彼は現在、トルコサッカー連盟のスポーツ行政官として、トルコ代表チームの管理・運営に関わる役割を担っています。これにより、彼は長年の経験と知識を活かし、トルコサッカーの発展に貢献しています。
8. Achievements and honours
リュシュテュ・レチベルは、その輝かしいキャリアの中で数々のクラブタイトル、国際大会での功績、そして個人賞を獲得しています。
8.1. Club
- フェネルバフチェSK
- スュペル・リグ: 1995-96, 2000-01, 2004-05, 2006-07 (計4回)
- アタテュルクカップ: 1998
- ベシクタシュJK
- スュペル・リグ: 2008-09
- トルコカップ: 2008-09, 2010-11 (計2回)
8.2. International
- トルコサッカー代表
- FIFAワールドカップ: 3位 (2002)
- UEFA欧州選手権: 準決勝進出 (2008)
- FIFAコンフェデレーションズカップ: 3位 (2003)
8.3. Individual
- FIFAワールドカップオールスターチーム: 2002
- UEFA年間ベストイレブン: 2002
- IFFHS 世界最優秀ゴールキーパー: 3位 (2002)
- IFFHS 21世紀最優秀ゴールキーパー: 23位
- FIFA 100
8.4. Orders
- トルコ国家功労勲章
9. Career statistics
リュシュテュ・レチベルのプロキャリアにおけるクラブおよび国家代表での詳細な統計記録を以下に示します。
9.1. Club statistics
クラブ | シーズン | リーグ | カップ | ヨーロッパ | 合計 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 失点 | 出場 | 失点 | 出場 | 失点 | 出場 | 失点 | |||
ブルドゥルギュジュ | 1990-91 | 1 | 0 | - | - | 1 | 0 | |||
アンタルヤスポル | 1991-92 | - | - | - | - | |||||
1992-93 | 1 | 0 | - | - | 1 | 0 | ||||
1993-94 | 33 | 0 | - | - | 33 | 0 | ||||
通算 | 34 | 0 | - | - | 34 | 0 | ||||
フェネルバフチェSK | 1994-95 | 9 | 0 | 2 | 0 | - | 11 | 0 | ||
1995-96 | 29 | 0 | 6 | 0 | 4 | 0 | 39 | 0 | ||
1996-97 | 27 | 0 | 2 | 0 | 8 | 0 | 37 | 0 | ||
1997-98 | 33 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 40 | 0 | ||
1998-99 | 30 | 0 | - | 4 | 0 | 34 | 0 | |||
1999-00 | 25 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 28 | 0 | ||
2000-01 | 33 | 0 | 5 | 0 | - | 38 | 0 | |||
2001-02 | 30 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 | 39 | 0 | ||
2002-03 | 24 | 0 | - | 6 | 0 | 30 | 0 | |||
通算 | 240 | 0 | 22 | 0 | 34 | 0 | 296 | 0 | ||
FCバルセロナ | 2003-04 | 4 | 0 | - | 3 | 0 | 7 | 0 | ||
フェネルバフチェ (ローン) | 2004-05 | 29 | 0 | 4 | 0 | 8 | 0 | 41 | 0 | |
2005-06 | 17 | 0 | 2 | 0 | - | 19 | 0 | |||
通算 | 46 | 0 | 6 | 0 | 8 | 0 | 60 | 0 | ||
フェネルバフチェ | 2006-07 | 8 | 0 | - | 7 | 0 | 15 | 0 | ||
ベシクタシュJK | 2007-08 | 22 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 27 | 0 | |
2008-09 | 29 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 33 | 0 | ||
2009-10 | 25 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 30 | 0 | ||
2010-11 | 11 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 16 | 0 | ||
2011-12 | 12 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 18 | 0 | ||
通算 | 99 | 0 | 9 | 0 | 16 | 0 | 124 | 0 | ||
キャリア合計 | 432 | 0 | 37 | 0 | 68 | 0 | 537 | 0 |

9.2. International statistics
代表チーム | 年 | 出場 | 失点 |
---|---|---|---|
トルコサッカー代表 | 1994 | 2 | 0 |
1995 | 10 | 0 | |
1996 | 10 | 0 | |
1997 | 7 | 0 | |
1998 | 5 | 0 | |
1999 | 7 | 0 | |
2000 | 9 | 0 | |
2001 | 10 | 0 | |
2002 | 13 | 0 | |
2003 | 13 | 0 | |
2004 | 12 | 0 | |
2005 | 4 | 0 | |
2006 | 10 | 0 | |
2007 | 2 | 0 | |
2008 | 3 | 0 | |
2009 | 1 | 0 | |
2010 | 0 | 0 | |
2011 | 0 | 0 | |
2012 | 1 | 0 | |
合計 | 120 | 0 |

