1. 幼少期と背景
1.1. 幼少期とスノーボードへの転向
リンゼイ・ジャコベリスは、コネチカット州ダンベリーで生まれた。幼少期はダンベリーとバーモント州南部を行き来して育ち、家族が週末を過ごす家があったバーモント州で多くを過ごした。両親のベンとアニタ・ジャコベリスは、彼女と兄のベンに様々なスポーツへの参加を奨励した。幼い頃から負けず嫌いで、常に兄や父親にゲレンデでついていこうと努力する競争心旺盛な子供だった。
幼い頃は主にスキーをしていたが、8歳の時に家族の家が火災に遭い、彼女のスキー用具がすべて焼失したことをきっかけに、スノーボードに転向した。ジャコベリスは転向の理由について、「新しいスキー用具をすべて買う余裕がなく、スノーボードだけしか買えなかった」と説明している。彼女は冬季スポーツ選手のトレーニングに特化した大学進学準備高校であるバーモント州のストラットン・マウンテン・スクールに通い、2003年に卒業した。スノーボードクロスでレースをする唯一の女子選手であり、男子選手と競い合った経験が、彼女の競技へのアプローチに大きな影響を与えたと語っている。
2. 競技キャリア
リンゼイ・ジャコベリスのスノーボード選手としての競争キャリアは、スノーボードクロスを主軸に、スロープスタイルやハーフパイプの競技にも参加していた。彼女は数々の国際大会で実績を残し、特にオリンピックでの長年の挑戦とその最終的な成果は、多くの人々に記憶されている。
2.1. 初期キャリアとオリンピックデビュー (2003年-2009年)
ジャコベリスは、2003年のXゲームズでスロープスタイル種目において銅メダルを獲得し、初期キャリアにおいて早くも頭角を現した。
彼女は2006年のトリノオリンピックでオリンピックデビューを果たし、女子スノーボードクロスで初のオリンピック決勝に進出した。決勝では、スイスのターニャ・フリーデンに3秒のリードをつけ、ゴールまで残りわずか43 mの地点までトップを独走していた。しかし、2つ目の最終ジャンプで、彼女はグラブトリック(ボードを掴む技)を試みた際、ボードのエッジに着地して転倒してしまう。すぐに体勢を立て直してコースに復帰したものの、後ろから追い上げてきたフリーデンに追い抜かれ、銀メダルに終わった。
転倒直後のテレビインタビューで、ジャコベリスは当初、グラブトリックは安定性を保つために行ったものだと説明していたが、後に「楽しんでいたんです。スノーボードは楽しいものだし、観客と私の興奮を分かち合いたかった」と述べ、必要のない行為だったことを認めた。この出来事は、彼女のキャリアにおいて大きな汚点として記憶され、その後のオリンピック挑戦に長く影を落とすことになった。
2007年のXゲームズでは、スノーボードクロスでゴールライン近くでの転倒によりリードを失った。2008年には、怪我の増加によりハーフパイプ競技をスケジュールから外した。しかし、2008年のXゲームズではスノーボードクロスで再び金メダルを獲得し、実力を示した。
2.2. 挑戦と忍耐 (2010年-2018年)

2010年のバンクーバーオリンピックでは、女子スノーボードクロスの準決勝で、ジャンプの着地に失敗してコースを外れるアクシデントが発生。他の選手との衝突を避けるためにゲートを通過したことで失格となり、メダルラウンドに進むことができず、最終順位は5位に終わった。この大会の金メダルは、トリノオリンピックの決勝で彼女と競い合ったマエル・リッカーが獲得した。
2011年には、Xゲームズのスノーボードクロスで2008年、2009年、2010年に続き、4連覇となる金メダルを獲得した。
2014年のソチオリンピックでも、女子スノーボードクロスにおいてメダルラウンドへの進出は果たせなかった。準決勝のレースで、2位以下に大差をつけて先頭を滑走していたものの、ゴールを目前にしてバランスを崩し転倒。決勝進出を逃し、総合7位という結果に終わった。
しかし、オリンピックでの苦戦とは対照的に、世界選手権では継続的に活躍を見せた。2015年のFISスノーボード世界選手権ではスノーボードクロスで金メダルを獲得。さらに2017年の世界選手権でも金メダルを獲得し、2017-2018シーズン最初のワールドカップレースでは銀メダル1つと金メダル2つを獲得するなど、その実力は健在だった。
2014年から2018年のオリンピック期間中、ジャコベリスはトレーニングやサーフィン、他の競技戦略に加え、メンタルスキルコーチのデニス・シュルと協力し始めた。精神的な強化を図ることで、過去の失敗を乗り越えようと試みた。
2018年の平昌オリンピックでは、彼女にとって2度目のオリンピック決勝に進出した。レースの大半をリードしていたものの、惜しくも0.003秒の僅差で表彰台を逃し、4位に終わった。トリノオリンピック以降、オリンピック大会では金メダルどころか、メダルさえ獲得できない結果が続いていた。
2.3. 悲願のオリンピック金メダル (2022年)
2022年の北京オリンピックは、ジャコベリスにとって5度目のオリンピック出場となった。36歳で迎えたこの大会で、彼女はついに悲願のオリンピック金メダルを手にした。2月9日に行われた女子スノーボードクロス決勝では、スタートから終始トップを譲らない圧倒的な滑りで優勝し、16年越しとなるオリンピックでの金メダル獲得を達成した。この金メダルは、北京オリンピックにおけるアメリカ合衆国チームにとって最初の金メダルであり、5日間続いた金メダル干ばつを終わらせるものとなった。多くのメディアが、彼女の粘り強さと長年のオリンピック金メダルへの挑戦が実を結んだことに称賛を送った。
さらに、2月12日には北京オリンピックから新種目として採用された混合団体スノーボードクロスに、当時40歳のニック・バウムガートナーとペアを組んで出場した。この種目でも見事に金メダルを獲得し、2冠を達成した。混合団体のゴール前では、2006年のトリノでの失敗を思い起こさせるかのように、わずかにグラブトリックを試みたが、今度は転倒することなく見事に1位でゴールを駆け抜けた。この勝利は、バウムガートナーにとっても4大会連続のオリンピック出場で最高成績が平昌オリンピックの4位だったため、長年の悲願であった金メダル獲得となった。
3. 競技外の活動
プロスノーボーダーとしての競技活動以外にも、リンゼイ・ジャコベリスはメディア出演や公的生活を通じて、その多才な側面を見せている。
3.1. メディア出演と公的生活
ジャコベリスは、MTVのチャリティ番組「The Challenge」の特別版である「The Challenge: Champs vs. Pros」に出演した。彼女はアメリカ動物虐待防止協会のために資金を集める目的でこの番組に参加し、最終チャレンジではチームメイトのカメロン・ウィンブリーと共に準優勝を果たした。
アスリートとしてのスキルに加え、彼女は生まれつきのカーリーヘアでも知られており、ヘアケアブランドのポール・ミッチェルのスポンサー契約を結んでいる。
4. 功績と受賞歴
リンゼイ・ジャコベリスは、スノーボードクロスにおいて数多くの重要なメダルと記録を樹立している。
大会 | 年度 | 開催地 | 種目 | メダル |
---|---|---|---|---|
オリンピック | ||||
2006年 | トリノ | スノーボードクロス | 銀 | |
2022年 | 北京 | スノーボードクロス | 金 | |
2022年 | 北京 | 混合団体スノーボードクロス | 金 | |
FISスノーボード世界選手権 | ||||
2005年 | ウィスラー | スノーボードクロス | 金 | |
2007年 | アローザ | スノーボードクロス | 金 | |
2011年 | ラ・モリーナ | スノーボードクロス | 金 | |
2015年 | クライシュベルク | スノーボードクロス | 金 | |
2017年 | シエラネバダ | スノーボードクロス | 金 | |
2019年 | ユタ州 | 混合団体スノーボードクロス | 金 | |
2017年 | シエラネバダ | チームスノーボードクロス | 銅 | |
2023年 | バクリアニ | スノーボードクロス | 銅 | |
Xゲームズ | ||||
2003年 | アスペン | スノーボードクロス | 金 | |
2003年 | アスペン | スロープスタイル | 銅 | |
2004年 | アスペン | スノーボードクロス | 金 | |
2005年 | アスペン | スノーボードクロス | 金 | |
2007年 | アスペン | スノーボードクロス | 銀 | |
2008年 | アスペン | スノーボードクロス | 金 | |
2009年 | アスペン | スノーボードクロス | 金 | |
2010年 | アスペン | スノーボードクロス | 金 | |
2011年 | アスペン | スノーボードクロス | 金 | |
2014年 | アスペン | スノーボードクロス | 金 | |
2015年 | アスペン | スノーボードクロス | 金 | |
2016年 | アスペン | スノーボードクロス | 金 | |
FISジュニアスノーボード世界選手権 | ||||
2002年 | ロヴァニエミ | スノーボードクロス | 金 | |
2003年 | プラト・ネヴォーゾ | ハーフパイプ | 金 |
彼女はまた、2006年-2007年FISスノーボードワールドカップおよび2008年-2009年FISスノーボードワールドカップシーズンにおいて、スノーボードクロスワールドカップのランキングで1位を獲得している。
2022年には、ANOCガラアワードにおいて、「北京2022最優秀混合チームイベントパフォーマンス賞」を受賞した。
5. 評価と遺産
リンゼイ・ジャコベリスは、スノーボードというスポーツに不朽の遺産を残した選手である。彼女のキャリアは、2006年のトリノオリンピックでの転倒という、ゴールを目前にして金メダルを逃した決定的な失敗から始まった。この出来事は、彼女を長く「不運な選手」として認識させることになったが、彼女はその後も諦めることなく、バンクーバー、ソチ、平昌と3度のオリンピックで苦杯をなめながらも、常にトップレベルで競技を続けた。
そして、16年後の2022年北京オリンピックで、個人戦と混合団体戦の2つの金メダルを獲得し、長年の悲願を達成した。この物語は、単なるスポーツ選手の勝利に留まらず、挫折を経験しながらも決して諦めず、粘り強く努力を重ねて最終的に栄光を掴んだ人間の不屈の精神と忍耐力の象徴として、世界中の人々に勇気と感動を与えた。彼女は、一つの失敗がキャリア全体を定義するのではなく、そこから立ち上がり、自らの物語を「金」で書き換えることができるという力強いメッセージを、その競技人生を通して発信した。ジャコベリスの遺産は、その輝かしい記録だけでなく、彼女の人間性と、困難に直面した時の揺るぎない精神にあると言えるだろう。