1. 選手としての経歴
ルイジ・アポッローニの選手としてのキャリアは、初期のクラブでの経験から始まり、パルマFCでの輝かしい時代、そして代表チームでの重要な役割へと続きました。
1.1. クラブでの経歴
アポッローニのクラブキャリアは、若手時代から始まり、イタリアの複数クラブを経て、パルマFCでその名を確立しました。
1.1.1. 初期
アポッローニはフラスカーティで生まれました。彼の選手としてのキャリアは1983-84シーズンにA.S. ロディジャーニで始まりましたが、このクラブではトップチームでの出場機会はありませんでした。その後、2年以内にピストイエーゼへ移籍し、そこでプロデビューを果たしました。
さらに1年間、セリエC1のレッジャーナでプレーした後、1987年にパルマFCに加入しました。ロディジャーニでは0試合出場0得点、ピストイエーゼでは35試合出場0得点、レッジャーナでは32試合出場0得点を記録しています。
1.1.2. パルマでの活躍
1987年にパルマFCに加入したアポッローニは、ロレンツォ・ミノッティと共にチームの守備の要となり、中心選手として13シーズンにわたって活躍しました。彼らは強固なセンターバックのコンビを形成し、クラブがセリエBからセリエAへ昇格し、最終的にはヨーロッパのトップレベルへと成長する上で重要な貢献をしました。
パルマ在籍中、アポッローニは数多くのタイトルを獲得しました。具体的には、1991-92シーズンと1998-99シーズンのコッパ・イタリア、1992-93シーズンのUEFAカップウィナーズカップ、1993年のUEFAスーパーカップ、1994-95シーズンと1998-99シーズンのUEFAカップ、そして1999年のスーペルコッパ・イタリアーナに輝きました。また、1993-94シーズンのUEFAカップウィナーズカップと1995年のスーペルコッパ・イタリアーナでは準優勝を経験しました。セリエAでは1995年に3位、1997年に2位という成績を収めました。
パルマでの通算出場は385試合に上ります。
1.1.3. 晩年と引退
1996年に負った重傷により、アポッローニはパルマFCでの定位置を失いました。最終的に1999年にパルマを離れ、エラス・ヴェローナへ移籍し、プロとしてのキャリアを終えました。ヴェローナではレンタル移籍期間中に28試合に出場し2得点、その後正式移籍期間中に23試合に出場し0得点を記録しました。イタリアのトップリーグでの通算出場は255試合で7得点、キャリア全体の総出場数は422試合で10得点でした。彼は2001年に現役を引退しました。
1.2. 代表での経歴
パルマでの成功が認められ、アポッローニはアリゴ・サッキ監督率いるイタリア代表に招集されました。1994年5月27日、パルマで行われたフィンランド代表との親善試合で国際デビューを果たし、イタリアは2-0で勝利しました。
彼は1994年から1996年にかけてイタリア代表として15試合に出場しました。主な国際大会では、1994 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれ、チームは決勝に進出しました。この大会では、グループリーグ第2戦のノルウェー代表戦でフランコ・バレージの負傷離脱に伴い途中出場し、さらに決勝のブラジル代表戦にも出場しましたが、PK戦の末に敗れました。この大会では合計3試合に出場しています。
また、UEFA EURO '96にも参加しましたが、この大会はイタリアにとって成功とは言えませんでした。彼はグループリーグの最初の2試合に出場し、ロシア代表には2-1で勝利したものの、最終的に準優勝国となるチェコ代表には2-1で敗れ、この試合で退場処分を受けました。イタリアは最終的な優勝国であるドイツ代表との0-0の引き分けにより、グループリーグで敗退しました。
2. 監督としての経歴
選手引退後、ルイジ・アポッローニはサッカー監督としてのキャリアをスタートさせ、複数のクラブで指導者として活動しました。
2.1. 主な監督職
アポッローニの監督キャリアは、2006年に元パルマのチームメイトであるダニエレ・ゾラットのアシスタントとしてモデナに加わったことから始まりました。彼は2007年2月にゾラット監督と共に解任されましたが、2008年4月にはモデナに復帰しました。
2009年1月には、ゾラット監督の退任に伴い、モデナの暫定監督に任命され、シーズン最終日にチームを降格から救ったことで正式に監督に就任しました。彼は財政難にもかかわらず、チームを中位に導きました。
2010年7月にはモデナを離れ、セリエBのグロッセートに加わりましたが、成績不振のため9月下旬に解任され、フランチェスコ・モリエーロと交代しました。
2012年4月2日には、セリエBのグッビオの監督にシーズン終了まで就任しました。これは、降格の危機に瀕していた同クラブにとってシーズン4人目の監督でした。
その後、レッジャーナ(2012年12月 - 2013年3月)、スロベニアのゴリツァ(2013年6月 - 2014年10月)でも指揮を執りました。
2015年7月には、新たに設立されたパルマの監督に就任し、チームをセリエD優勝に導きました。彼は2016年11月22日までパルマの監督を務めました。
2018年5月31日には、再建されたセリエD所属のモデナFCの指揮官に再び招聘されましたが、2019年1月10日に解任されました。
2.2. 監督成績
ルイジ・アポッローニの監督としてのキャリア統計は以下の通りです(2019年1月6日時点)。
チーム | 国 | 就任 | 退任 | 記録 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 勝率 | ||||
モデナ | 2009年1月26日 | 2010年6月23日 | 63 | 24 | 18 | 21 | 70 | 74 | -4 | 38.10% | |
グロッセート | 2010年6月23日 | 2010年9月27日 | 7 | 2 | 2 | 3 | 9 | 6 | +3 | 28.57% | |
グッビオ | 2012年4月2日 | 2012年6月23日 | 9 | 1 | 2 | 6 | 6 | 15 | -9 | 11.11% | |
レッジャーナ | 2012年12月28日 | 2013年3月19日 | 9 | 2 | 1 | 6 | 5 | 16 | -11 | 22.22% | |
ゴリツァ | 2013年6月13日 | 2014年10月6日 | 58 | 25 | 14 | 19 | 88 | 57 | +31 | 43.10% | |
Lentigione | 2015年6月20日 | 2015年7月3日 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00% | |
パルマ | 2015年7月3日 | 2016年11月22日 | 58 | 37 | 16 | 5 | 112 | 42 | +70 | 63.79% | |
モデナ | 2018年5月31日 | 2019年1月10日 | 19 | 11 | 5 | 3 | 31 | 20 | +11 | 57.89% | |
合計 | 223 | 102 | 58 | 63 | 321 | 230 | +91 | 45.74% |
3. タイトル
ルイジ・アポッローニは選手として、また指導者としても複数のタイトルを獲得しました。
3.1. 選手としてのタイトル
- パルマFC
- コッパ・イタリア: 1991-92シーズン、1998-99シーズン
- スーペルコッパ・イタリアーナ: 1999年
- UEFAカップ: 1994-95シーズン、1998-99シーズン
- UEFAカップウィナーズカップ: 1992-93シーズン
- UEFAスーパーカップ: 1993年
- イタリア代表
- FIFAワールドカップ準優勝: 1994年
3.2. 指導者としてのタイトル
- ゴリツァ
- ポカル・ノゴメトネ・ズヴェゼ・スロヴェニイェ (スロベニアカップ): 2013-14シーズン
- パルマ
- セリエD: 2015-16シーズン
4. 評価と影響
ルイジ・アポッローニは、特にパルマFCでの選手時代において、クラブの歴史に深く名を刻みました。ロレンツォ・ミノッティとのセンターバックのコンビは、チームの守備の要として機能し、パルマをセリエBからセリエA、そしてUEFAカップウィナーズカップやUEFAカップといったヨーロッパの主要タイトルを獲得する強豪へと押し上げる上で不可欠な存在でした。彼の堅実なプレーとリーダーシップは、クラブの成長と黄金期の確立に大きく貢献し、サポーターから深く記憶されています。
また、イタリア代表として1994 FIFAワールドカップ決勝の舞台に立つなど、国際的な舞台でも活躍し、彼の選手としての実績はイタリアサッカー界において高く評価されています。監督としては、財政難に苦しむクラブを立て直したり、再建されたパルマをセリエD優勝に導くなど、その手腕を発揮しました。彼はイタリアサッカー界において、選手として、また指導者として、多大な影響を与えた人物の一人と言えるでしょう。