1. 概要
リュボミール・ルホヴィーは、1967年3月31日に生まれたスロバキア出身の元サッカー選手であり、後にサッカー指導者およびスポーツディレクターを務めた人物である。現役時代は主にフォワードとして活躍し、特に母国スロバキアのFKインテル・ブラチスラヴァでキャリアの大半を過ごした。チェコスロバキア代表およびスロバキア代表としてもプレーし、国際舞台での経験も持つ。引退後はFCニトラで指導者としてのキャリアをスタートさせ、フォルトゥナ・トルジネツでは監督を経てスポーツディレクターを務めるなど、多岐にわたる役割を担った。
2. 生い立ちと家族
リュボミール・ルホヴィーは1967年3月31日に、当時のチェコスロバキアのブラチスラヴァで生まれた。身長は184 cm、体重は74 kgであった。彼の兄もまた、元チェコスロバキア代表のミラン・ルホヴィーというサッカー選手である。リュボミールは、兄との区別のため、日本でのプレー時にはルル(Lulu英語)という愛称で登録されていた。
3. 個人生活
リュボミール・ルホヴィーは、25年間連れ添った妻のベアータ・ルホヴァー(Beáta Luhováスロバキア語)と2013年に離婚した。
4. 選手としてのキャリア
ルホヴィーはプロサッカー選手として、国内外の複数のクラブで活躍した。そのキャリアを通じて、彼は得点能力の高いフォワードとして知られた。
4.1. クラブキャリア
ルホヴィーは、FKプーホフでキャリアをスタートさせた後、FKインテル・ブラチスラヴァで長くプレーした。インテル・ブラチスラヴァでは、チェコスロバキア・ファーストリーグ時代からスロバキア・スーパーリーガ時代にかけて、重要な選手として活躍した。
1990年から1992年にかけては、フランスのリーグ・ドゥに所属するFCマルティーグでプレーし、2シーズンで64試合に出場し33得点を記録するなど、国外でもその得点力を示した。
1994年には日本のJリーグに所属する浦和レッズに入団。シーズン開幕前に骨折に見舞われ、出遅れたものの、6月4日のベルマーレ平塚戦でデビューを果たすと、ファーストタッチでゴールを決め、強烈な印象を残した。また、9月21日の清水エスパルス戦ではハットトリックを達成している(試合は延長戦の末、5対4でVゴール負け)。浦和レッズでは16試合に出場し8得点を挙げた。
その後、再びインテル・ブラチスラヴァに戻り、1997年から1998年にかけてはFCスパルタク・トルナヴァでプレーし、リーグ得点王を獲得する活躍を見せた。キャリアの終盤には、オーストリアのグラーツァーAKやFCケールンテン、スロバキアのMFKペトルジャルカ(現FCペトルジャルカ・アカデーミア)、さらにSVヴィーナーフェルトやSCアペトロンでもプレーした。
4.2. 代表キャリア
ルホヴィーは、チェコスロバキア代表として2試合に出場した。チェコスロバキア解体後は、スロバキア代表に選出され、1995年から1998年にかけて9試合に出場した。両代表での国際Aマッチにおける得点記録はない。
5. 指導者・役員としてのキャリア
選手としてのキャリアを終えた後、ルホヴィーは指導者の道に進んだ。
2003年にはFCニトラで監督としてのキャリアをスタートさせた。2006年から2009年にかけてはMŠKイスクラ・ペトルジェルカの監督を、2009年にはFKモルダヴァ・ナド・ヴォドヴォウの監督を務めた。2010年から2012年までは古巣のFKインテル・ブラチスラヴァで指揮を執った。
2010年10月7日にはチェコのフォルトゥナ・トルジネツ(FK Fotbal Třinecチェコ語)に移籍し、2012年4月にはトップチームの監督に昇格したが、チームがリーグで13位に終わった後もクラブに留まり、スポーツディレクターという新たな役割を担った。2012年にはFCペトルジャルカ1898の監督も務めた。2013年から2015年にかけてはTJ OFCガプチーコヴォの監督を務めた。
6. 受賞歴
ルホヴィーは、その得点能力が高く評価され、以下のタイトルを獲得している。
- チェコスロバキア・ファーストリーグ得点王:1回(1989-90シーズン、20得点)
- スロバキア・スーパーリーガ得点王:1回(1997-98シーズン、17得点)
7. キャリア統計
ルホヴィーのクラブおよびナショナルチームでの詳細なキャリア統計を以下に示す。
7.1. クラブ統計
リュボミール・ルホヴィーのクラブキャリアにおける出場記録と得点記録を以下に示す。
| クラブ | シーズン | リーグ | ||
|---|---|---|---|---|
| ディビジョン | 出場 | 得点 | ||
| マタドール・プーホフ | 1985-86 | 12 | 2 | |
| インテルナシオナル・スロヴナフト・ブラチスラヴァ | 1985-86 | チェコスロバキア・ファーストリーグ | 5 | 0 |
| デュクラ・バンスカー・ビストリツァ | 1986-87 | チェコスロバキア・ファーストリーグ | 3 | 0 |
| 1987-88 | 12 | 3 | ||
| 合計 | 15 | 3 | ||
| インテルナシオナル・スロヴナフト・ブラチスラヴァ | 1988-89 | チェコスロバキア・ファーストリーグ | 23 | 5 |
| 1989-90 | 30 | 20 | ||
| 合計 | 53 | 25 | ||
| マルティーグ | 1990-91 | リーグ・ドゥ | 31 | 16 |
| 1991-92 | 33 | 17 | ||
| 合計 | 64 | 33 | ||
| インテル・スロヴナフト・ブラチスラヴァ | 1992-93 | チェコスロバキア・ファーストリーグ | 28 | 17 |
| 1993-94 | スロバキア・スーパーリーガ | 16 | 12 | |
| 合計 | 44 | 29 | ||
| 浦和レッズ | 1994 | J1 | 16 | 8 |
| インテル・スロヴナフト・ブラチスラヴァ | 1994-95 | スロバキア・スーパーリーガ | 9 | 3 |
| 1995-96 | 27 | 10 | ||
| 1996-97 | 10 | 9 | ||
| 合計 | 46 | 22 | ||
| スパルタク・トルナヴァ | 1997-98 | スロバキア・スーパーリーガ | 24 | 17 |
| グラーツァーAK | 1998-99 | ブンデスリーガ | 21 | 3 |
| 1999-2000 | 0 | 0 | ||
| 合計 | 21 | 3 | ||
| ケールンテン | 2000 | 0 | 0 | |
| アートメディア・ペトルジャルカ | 2001 | 6 | 1 | |
| キャリア通算 | 306 | 143 | ||
7.2. 代表統計
リュボミール・ルホヴィーのナショナルチームキャリアにおける出場記録と得点記録を以下に示す。
| ナショナルチーム | 年 | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|
| チェコスロバキア | 1990 | 1 | 0 |
| 1991 | 0 | 0 | |
| 1992 | 0 | 0 | |
| 1993 | 1 | 0 | |
| 合計 | 2 | 0 | |
| スロバキア | 1995 | 2 | 0 |
| 1996 | 1 | 0 | |
| 1997 | 2 | 0 | |
| 1998 | 4 | 0 | |
| 合計 | 9 | 0 | |