1. 生涯
レスター・デル・レイは、作家としての華々しい経歴の裏で、自身の出自や家族について語る内容にいくつかの論争を抱えていました。
1.1. 幼少期と本名に関する論争
デル・レイはしばしば、自身の本名がRamon Felipe Alvarez-del Reyスペイン語であると語り、時にはさらに冗長なRamon Felipe San Juan Mario Silvio Enrico Smith Heartcourt-Brace Sierra y Alvarez del Rey y de los Uerdesスペイン語という名前を冗談めかして名乗ることもありました。しかし、彼の妹の証言によれば、彼の実際の出生名はLeonard Knapp英語でした。
また、彼は1935年の自動車事故で家族のほぼ全員が死亡したと主張していましたが、実際にはその事故で亡くなったのは彼の最初の妻のみであり、両親や兄弟姉妹は無事でした。これらの主張は、デル・レイの人生の初期に関する個人的な物語に、ある種の虚構性が含まれていたことを示唆しています。
1.2. 作家としての経歴
デル・レイがパルプ・マガジンで小説を発表し始めたのは1930年代末、いわゆるSF黄金時代の夜明けとほぼ同時期でした。彼は当時のSF界をリードしていた『アスタウンディング・サイエンス・フィクション』誌とその編集長ジョン・W・キャンベルと深い関係がありました。彼の最初の短編小説「The Faithful英語」は1938年4月号に掲載され、既に「レスター・デル・レイ」名義でした。同年12月号に掲載された短編「愛しのヘレン」は、後に権威あるアンソロジー『SFの殿堂』に選出されました。1939年末までに、彼は『ウィアード・テイルズ』誌(編集長ファーンズワース・ライト)や『アンノウン』誌(編集長キャンベル)にも作品を発表しました。


作品の売り上げが伸び悩んでいた時期には、ニューヨーク市のホワイトタワーレストランでショートオーダー・コックとして働いていました。1945年に二番目の妻ヘレン・シュラズと結婚した後、彼はこの仕事を辞め、専業作家としての道を歩み始めました。
1952年には、彼の最初の3冊の長編小説がウィンストン・サイエンス・フィクションの少年向けシリーズとして出版されました。このうち『ロケット・ジョッキー』は同年中にイタリア語版も刊行されています。1950年代を通じて、デル・レイはロバート・A・ハインラインやアンドレ・ノートンと並び、青少年向けのSF小説を執筆する主要作家の一人でした。この時期、彼は「Philip St. John英語」や「Erik van Lhin英語」など、複数のペンネームを使用して作品を発表しました。


1950年代から1960年代初頭にかけては、本名のレスター・デル・レイ名義と他のペンネームの両方で、精力的に長編小説や短編小説を出版し続けました。しかし、1960年代後半になると長編の執筆ペースは減速し、レイモンド・F・ジョーンズとの共著である最後の長編『Weeping May Tarry英語』がピナクルブックスから出版されたのは1978年のことでした。なお、彼の後期の作品の中には、ポール・W・フェアマンによってゴーストライティングされたものも複数存在します。


1.3. 編集者としての経歴
1947年のワールドコンでスコット・メレディスと出会った後、デル・レイは新設されたスコット・メレディス文学エージェンシーでファーストリーダーおよびオフィス・マネージャーとして働き始めました。
その後、彼はいくつかのパルプ雑誌の編集者となり、さらに単行本出版社でも活動しました。1952年から1953年にかけて、デル・レイは『Space SF英語』、『Fantasy Fiction英語』、『Science Fiction Adventures英語』(フィリップ・セント・ジョン名義)、『Rocket Stories英語』(Wade Kaempfert英語名義)、そして再び『Fantasy Fiction英語』(Cameron Hall英語名義)といった複数の雑誌を編集しました。また、1972年から1976年には「Best Science Fiction Stories of the Year英語」シリーズのアンソロジーを編集しました。

彼の編集者としての最大の成功は、四番目の妻であるジュディ・リン・デル・レイと共にバランタイン・ブックス(後にランダムハウス傘下)で働き始めたときでした。彼らは1977年にファンタジーとSFに特化したインプリントであるデル・レイ・ブックスを設立しました。彼は1992年2月にデル・レイ・ブックスから引退しました。
1957年には、デーモン・ナイトと共同でアマチュア雑誌『Science Fiction Forum英語』を編集しました。この雑誌内でのシンボリズムに関する議論の中で、デル・レイはナイトの挑戦を受け入れ、ジェイムズ・ブリッシュの短編「コモン・タイム」が「男がハムサンドイッチを食べる話である」ことを示す分析を執筆しました。これは、文学における象徴的解釈に対する彼の懐疑的な姿勢を示しています。
1969年9月からは『イフ』誌で書評コラム「Reading Room英語」を執筆し始めました。1974年に『イフ』誌が休刊すると、その後は『アナログ・サイエンス・フィクション・アンド・ファクト』誌の書評コラム「The Reference Library英語」を引き継いで執筆しました。
デル・レイは、ニューヨークに実在した文士の集まり「Trap Door Spiders」の一員でした。このグループは、アイザック・アシモフが創作した架空の謎解きグループ「黒後家蜘蛛の会」のモデルとなっています。アシモフの小説では、作家のイマニュエル・ルービンがデル・レイをモデルとしたキャラクターです。
1.4. 死去
レスター・デル・レイは1993年5月10日、ニューヨーク病院(ワイル・コーネル・メディカルセンター)で短い闘病の後、77歳で死去しました。
2. 作風と思想
レスター・デル・レイの作品は、SFジャンルへの彼の独自の哲学と結びついており、その文体的特徴やSF批評に関する見解に強く反映されています。
2.1. 作品の文体的特徴
批評家アルギス・バドリスは1965年に、デル・レイの作品について「この分野で、フィクションは何よりもまずエンターテイメントであるという原則を一貫して実践している作家は他にいない」と評しました。バドリスは、デル・レイの作品集に収められた物語が、書かれた年代を特定できないほど普遍的であると述べ、彼が成功した作家であり続けたのは、「デル・レイが自身の個性を保ち続け、彼自身と読者のために書いている」からだと分析しました。
バドリスによれば、
- デル・レイの典型的な登場人物は「できる限り良心的な行動をしようと努める個人」です。
- 物語の典型的な問題は、「良心的で誠実な存在が、直ちに何が正しい行動かを知ることを妨げる複雑な状況を理解しようとすること」です。
- 物語の結末が最後の数段落で明らかになるような、いわゆる「ひねりのある」結末の場合でも、その雰囲気は衝撃ではなく「悲しみ」であり、報いはその人物の不可逆的な破滅にあるのではなく、「良心的な個人でさえ無知の代償を支払わなければならない」という読者の認識にあります。
- 通常、デル・レイはそれでも主人公が成長し、前進するための道を残しており、彼の作品の最もひどい敗者でさえも、何らかの「尊厳」を取り戻すとされています。
これらの評価は、デル・レイの作品が単なる娯楽小説にとどまらず、高潔な登場人物を通して人間的な葛藤と品位を描き出すことに焦点を当てていたことを示しています。特に彼のロボット物語は、ロボットに人間的な感情や行動を付与し、読者に感動を与えることで知られています。
2.2. SF批評に関する見解
SFが文学ジャンルとして成熟し、学校でも教えられるようになるにつれて、デル・レイはその流れに対して独自の、時には批判的な見解を表明しました。彼は、SFに興味を持つ学術関係者に対し、「私のゲットーから出て行け」と述べたことで知られています。
この発言の背景には、SFがその発展のために、「主流文学の視点からそれを評価し、その価値を主に主流文学の価値観で判断するような一般的な批評家」から自らを切り離す必要があるという彼の信念がありました。彼は、「主流文学の一部として扱われていたら、SFは自らが下した選択の自由、その多くはおそらく間違っていたかもしれないが、その発展には必要だった選択の自由を決して持つことはできなかっただろう」と主張しました。この見解は、SFジャンルが独自の美学と発展経路を持つべきであり、主流文学の基準に縛られるべきではないという、デル・レイの強い哲学を表しています。
3. 受賞歴
レスター・デル・レイは、SF文学界への顕著な貢献が認められ、生涯で以下の主要な賞を受賞しました。
- 1972年:E・E・スミス記念賞(通称「スカイラーク賞」)を受賞。これは、彼のSF分野における作品と、故E・E・スミスが知人から愛された個人的資質を体現した功績に対して贈られました。
- 1985年:ファンタジーへの貢献に対し、バルログ賞の特別賞を受賞しました。この賞は、ファンによって投票され、『ローカス』誌によって運営されていました。
- 1990年:アメリカSFファンタジー作家協会から、第11回デーモン・ナイト記念グランド・マスター賞に選出され、1991年に授与されました。これはSF界で最も栄誉ある賞の一つであり、彼の長年にわたるSF文学への貢献を称えるものです。
4. 遺産と影響
レスター・デル・レイは、その多岐にわたる活動を通じて、SF文学界と大衆文化に深い足跡を残しました。
4.1. 文学界への貢献と影響
レスター・デル・レイが妻ジュディ・リン・デル・レイと共に1977年に設立したデル・レイ・ブックスは、ファンタジーおよびSF出版市場において重要な役割を果たしました。このインプリントは、質の高い作品を世に送り出し、多くの作家のキャリアを支えることで、ジャンルの発展に大きく貢献しました。
また、SFが主流の批評から独立して発展すべきだという彼の主張は、SF文学界全体の自己認識に影響を与えました。彼はSFの自由な選択と発展のために、独自の価値観を持つべきだと訴え、それがジャンルが確立された文学形式として成長する上で重要な議論の火種となりました。彼の編集者としての保守的な姿勢は、ジュディス・メリルやドナルド・ウォルハイムのような先鋭的な編集者とは対照的でしたが、それは彼がSFの「娯楽性」と「ジャンル固有の価値観」を何よりも重視していたことの表れでもありました。
4.2. 大衆文化における再現
デル・レイは、アイザック・アシモフが作った架空の謎解きグループ「黒後家蜘蛛の会」のモデルとなった、ニューヨーク市に実在した文学者の集まり「Trap Door Spiders」の一員でした。アシモフの小説では、このグループの一員である作家の「イマニュエル・ルービン」というキャラクターが、レスター・デル・レイをモデルとして描かれています。これは、デル・レイの人物像が同時代のSF作家たちにどのように認識され、大衆文化の中にその影響が刻み込まれたかを示す例と言えるでしょう。
5. 主要著作と編集活動
レスター・デル・レイは、多作な作家であると同時に、多くの重要な作品を編集し、SFジャンルの発展に貢献しました。
5.1. 長編小説
- 『火星号不時着』(Marooned on Mars英語、1952年)
- 『ロケット・ジョッキー』(Rocket Jockey英語、1952年、フィリップ・セント・ジョン名義)
- 『A Pirate Flag for Monterey英語』(1952年)
- 『海底大陸アトランチス』(Attack from Atlantis英語、1953年)
- 『Battle on Mercury英語』(1953年、エリック・ヴァン・リン名義)
- 『The Mysterious Planet英語』(1953年、Kenneth Wright英語名義)
- 『Rockets to Nowhere英語』(1954年、フィリップ・セント・ジョン名義)
- 『人工衛星第一号』(Step to the Stars英語、1954年)
- 『For I Am a Jealous People英語』(1954年)
- 『Preferred Risk英語』(1955年、フレデリック・ポールとの共著、Edson McCann英語名義)
- 『Mission to the Moon英語』(1956年)
- 『神経線維』(Nerves英語、1956年、1942年の中編小説の拡張版、1976年改訂)
- 『Police Your Planet英語』(1956年、エリック・ヴァン・リン名義)
- 『Day of the Giants英語』(1959年)
- 『Moon of Mutiny』(Moon of Mutiny英語、1961年)
- 『The Eleventh Commandment英語』(1962年)
- 『Outpost of Jupiter英語』(1963年)
- 『The Sky Is Falling』(The Sky Is Falling英語、1963年)
- 『Badge of Infamy』(Badge of Infamy英語、1963年)
- 『逃げたロボット』(The Runaway Robot英語、1965年、ポール・W・フェアマンによるゴーストライティング)
- 『The Infinite Worlds of Maybe英語』(1966年、ポール・W・フェアマンによるゴーストライティング)
- 『Rocket from Infinity英語』(1966年、ポール・W・フェアマンによるゴーストライティング)
- 『The Scheme of Things英語』(1966年、ポール・W・フェアマンによるゴーストライティング)
- 『Siege Perilous英語』(1966年、ポール・W・フェアマンによるゴーストライティング)
- 『タイム・トンネルの冒険』(Tunnel Through Time英語、1966年、ポール・W・フェアマンによるゴーストライティング)
- 『Prisoners of Space英語』(1968年、ポール・W・フェアマンによるゴーストライティング)
- 『Pstalemate英語』 / 『Psi英語』(1971年)
- 『Weeping May Tarry英語』(1978年、レイモンド・F・ジョーンズとの共著)
5.2. 短編小説集
- 『... And Some Were Human英語』(1948年)
- 『Robots and Changelings英語』(1957年)
- 『The Sky Is Falling and Badge of Infamy英語』(1966年)
- 『Mortals and Monsters英語』(1965年)
- 『Gods and Golems英語』(1973年)
- 『The Early del Rey英語』(1975年)
- 『The Early del Rey: Vol 1英語』(1976年)
- 『The Early del Rey: Vol 2英語』(1976年)
- 『The Best of Lester del Rey英語』(1978年)
- 『War and Space英語』(2009年)
- 『Robots and Magic英語』(2010年)
5.3. ノンフィクション
- 『Rockets Through Space英語』(1957年)
- 『Space Flight英語』(1957年、ジェネラル・ミルズ社; 1959年、ゴールデン・プレス)
- 『The Mysterious Earth英語』(1960年)
- 『The Mysterious Sea英語』(1961年)
- 『Rocks and What They Tell Us英語』(1961年)
- 『The Mysterious Sky英語』(1964年)
- 『The World of Science Fiction, 1926-1976: the History of a Subculture英語』(1980年)
5.4. 編集作品
- 『The Year After Tomorrow英語』(1954年、カール・カーマーおよびCecile Matschat英語との共編)
- 『Best Science Fiction of the Year英語』#1-5(1972年-1976年)