1. 概要
ローラン・テジエフ(Laurent Terzieffローラン・テジエフフランス語、1935年6月27日 - 2010年7月2日)は、フランスの俳優であり、舞台演出家である。トゥールーズで生まれ、パリで死去した。彼のキャリアは、舞台と映画の両方で幅広く展開され、特に実存主義的な若者を描いた作品や、著名な監督との協働で知られている。晩年には舞台活動に重点を置き、演出家としても高い評価を受け、フランス演劇界の権威あるモリエール賞を複数回受賞した。
2. 生涯と背景
ローラン・テジエフの生涯は、芸術に対する深い関心と、演劇および映画への献身によって特徴づけられる。彼の家族背景は、その芸術的素養の形成に大きな影響を与えた。
2.1. 家族と出自
ローラン・テジエフは1935年6月27日にフランスのトゥールーズで生まれた。彼の父親は、第一次世界大戦中にブカレストからフランスに移住したルーマニア出身の彫刻家ジャン・テジエフであり、母親はフランスの陶芸家マリーナであった。ジャン・テジエフは、ロシア系およびルーマニア系の血を引いていた。テジエフ家の本来の姓はЧемерзинチェメルジンロシア語であった。
2.2. 幼少期と芸術への関心
青年期のテジエフは、哲学や詩に深く傾倒していた。彼の演劇への関心は、ロジェ・ブランが演出したアウグスト・ストリンドベリの戯曲『幽霊ソナタ』の制作補助を務めた際に芽生えた。この経験を通じて、彼は俳優になることを決意し、演劇の世界へと足を踏み入れた。
3. 経歴
ローラン・テジエフのキャリアは、1950年代の演劇デビューから始まり、数多くの映画出演を経て、晩年の舞台活動と演出家としての成功に至るまで、多岐にわたる。
3.1. 初期演劇活動
テジエフは1953年、パリのバビロン劇場でアルチュール・アダモフの『Tous contre tous』で初舞台を踏んだ。この初期の演劇活動が、彼の俳優としてのキャリアの出発点となった。
3.2. 映画出演
舞台でのいくつかの役柄を経験した後、1958年にマルセル・カルネ監督の『危険な高びき路』(原題『Tricheurs』)で主演を務め、映画俳優としてデビューした。この作品は、実存主義的な若者たちの物語であった。その後、彼はフランス国内外の多くの映画に出演し、多様な役柄を演じた。
3.2.1. 主な出演映画
テジエフのフィルモグラフィーには、数々の著名な作品が含まれる。
- 『危険な高びき路』(1958年)
- 『レ・ガルソン』(1959年)
- 『カポ』(1960年)
- 『バニナ・バニニ』(1961年)
- 『汝殺すなかれ』(1961年)
- 『セシールの歓喜』(1967年)
- 『ブリジット・バルドーと共演した『二週間』(1967年)
- 『囚われの女』(1968年)
- 『銀河』(1969年)
- 『メデア』(1969年)
- 『サンティアゴに雨が降る』(1975年)
- 『モーセ』(1975年) - テレビミニシリーズ版ではバート・ランカスターが主演を務めた。
- 『砂漠の民』(1976年)
- 『死の庭への旅』(1978年)
- 『探偵』(1985年)
- 『赤いキス』(1985年)
- 『ダンヌンツィオ』(1987年)
- 『星』(1989年)
- 『冬 54』(1989年)
- 『ジェルミナル』(1993年)
- 『強大国の戦争』(1998年)
- 『ワンス・アポン・エンジェル』(2002年)
- 『バイ・ザ・プリッキング・オブ・マイ・サム』(2005年)
- 『私はいつもギャングになりたかった』(2007年)
- 『ル・オンブレ・ローゼ』(2009年)
- 『ラルゴ・ウィンチ 2』(2011年)
3.2.2. 監督との協働
テジエフは、フランス映画界の著名な監督たちと数多く協働した。マルセル・カルネの『危険な高びき路』で彼のキャリアは大きく飛躍した。また、クロード・オータン=ララとは1961年の『汝殺すなかれ』を含む3本の映画で共演した。さらに、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の『囚われの女』では、芸術家でありながら他人を操る役柄を演じ、その演技力が高く評価された。
3.3. 後期の舞台活動
1980年代以降、テジエフは主に舞台での活動に重点を置いた。この時期の主な出演作品には、『赤いキス』(1985年)、『ジェルミナル』(1993年)、『メデューズ号の筏』(1998年)、『ドレッサー』、そしてソポクレスの『フィロクテテス』などがある。2005年には『Mon petit doigt m'a dit』にも出演した。
3.4. 演出家としての活動
俳優業と並行して、ローラン・テジエフは舞台演出家としても活躍し、その業績は高く評価された。特に、フランス演劇界で最も権威あるモリエール賞において、演出家としての受賞歴を持つ。
4. 受賞歴
ローラン・テジエフは、その長年のキャリアを通じて、俳優および演出家として数々の賞を受賞し、フランス演劇界におけるその地位を確固たるものとした。
4.1. モリエール賞
テジエフは、モリエール賞において演出賞と主演男優賞の両方で受賞およびノミネートされた。
年 | 部門 | 賞 | 作品 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1988 | モリエール賞 | 演出賞 | 『落下』 | 受賞 |
1993 | モリエール賞 | 演出賞 | 『アナザー・タイム』 | 受賞 |
2010 | モリエール賞 | 主演男優賞 | 『ドレッサー』および『フィロクテテス』 | 受賞 |
年 | 部門 | 賞 | 作品 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1989 | モリエール賞 | 主演男優賞 | 『アンリ四世』 | ノミネート |
1993 | モリエール賞 | 主演男優賞 | 『アナザー・タイム』 | ノミネート |
5. 個人生活
ローラン・テジエフの私生活については、公にされている情報は限られているが、彼のパートナーであったパスカル・ド・ボワソンも俳優であった。
5.1. 死去
ローラン・テジエフは2010年7月2日、パリで肺合併症のため死去した。75歳であった。彼の遺体は、パリのモンパルナス墓地に埋葬された。
6. 評価と影響
ローラン・テジエフは、その多岐にわたるキャリアと、舞台および映画における卓越した演技力、そして演出家としての才能によって、フランスの演劇・映画界に多大な影響を与えた。彼は、実存主義的なテーマを扱った初期の映画から、古典演劇の再解釈、そして現代劇の演出に至るまで、幅広いジャンルでその才能を発揮した。特に、モリエール賞における複数の受賞は、彼が俳優としても演出家としても、フランス演劇界の最高峰の一人として認められていたことを示している。彼の作品は、深い人間性や社会的な問題を問いかけるものが多く、観客に強い印象を残した。
7. 外部リンク
- [https://www.imdb.com/name/nm0856187/ ローラン・テジエフ - IMDb]
- [http://www.artmajeur.com/grayportraits Artmajeurでのローラン・テジエフの肖像]
- [https://archive.today/20120709042216/http://filmsdefrance.com/FDF_Laurent_Terzieff.html Films de Franceでの情報 (アーカイブ)]