1. 生い立ちと背景
ヴィンセント・エニェアマは1982年8月29日にナイジェリアのカドゥナで生まれました。彼はキリスト教徒であり、結婚しており、3人の子供がいます。2004年には、ナイジェリア南部のアクワ・イボム州ウヨで自動車事故に巻き込まれました。この事故ではオートバイの乗員2名が死亡し、エニェアマが乗っていた車の運転手も重体となりましたが、エニェアマ自身は車が2回転したにもかかわらず、軽傷で済みました。彼の息子であるゴッドウィル・エニェアマは、身長1.94 mのゴールキーパーで、2024年にリールのアカデミーに入団しました。彼は父親が2011年に移籍したフランスで育ち、リール地域のアマチュアクラブであるイリス・クラブ・ド・クロワで8年間プレーした後、父親がかつて所属したプロクラブに加わりました。
2. クラブキャリア
エニェアマのクラブキャリアは、ナイジェリアでの初期の成功から始まり、イスラエルリーグでの目覚ましい活躍を経て、フランスのトップリーグへと続きました。彼は所属した多くのクラブで主要なタイトル獲得に貢献し、特にゴールキーパーとしての得点能力やPK戦での強さでも知られました。
2.1. ナイジェリアでのクラブキャリア
エニェアマは、1999年にイボム・スターズでプロキャリアを開始しました。その後、エニンバ・インターナショナルに移籍し、2001年から2003年までナイジェリア・プレミアリーグで3連覇を達成しました。さらに、2003年と2004年にはCAFチャンピオンズリーグで2度の優勝を経験し、チームの成功に大きく貢献しました。エニンバ時代には、PK戦の前に交代させられることが多かったと自身が語っていますが、イスラエル移籍後は多くのPKを止めるようになり、その能力が広く知られるようになりました。エニンバでの3シーズンとイワニャヌ・ナシオナーレ(現在のハートランドFC)での1シーズンを経て、エニェアマは海外リーグへと移籍しました。
2.2. イスラエル・リーグでのキャリア
2005年、エニェアマはイスラエルのクラブであるブネイ・イェフダに移籍し、海外でのキャリアをスタートさせました。ブネイ・イェフダでの最初のシーズンで、チームはイスラエル・ステートカップの決勝に進出し、イスラエル・プレミアリーグで4位となり、2006-07シーズンのUEFAカップ出場権を獲得しました。
2007年にはハポエル・テルアビブと契約しました。2007-08シーズンはチームにとって厳しいものでしたが、エニェアマの活躍により降格を免れ、再びステートカップ決勝に進出しました。2008-09シーズンには、彼はハポエルでPKキッカーを務めるようになり、「年間最優秀選手賞」を受賞しました。
2009-10シーズンには、ハポエルはリーグとカップのダブルを達成し、エニェアマはその中心選手として活躍しました。彼はカップ決勝でゴールを決め、リーグ最終戦ではPKを失敗したものの、チームは92分に得点してリーグタイトルを獲得しました。2010年8月18日には、UEFAチャンピオンズリーグ予選のレッドブル・ザルツブルク戦でPKから2010-11シーズン初ゴールを記録しました。チャンピオンズリーグのグループステージでは、特にリヨンやシャルケ04を相手に好プレーを見せました。ハポエルは再びイスラエルカップでも優勝しました。
2012年8月、エニェアマはマッカビ・テルアビブへの1年間のレンタル移籍に合意しました。彼は27試合に出場し、マッカビは10シーズンぶりのリーグ優勝を飾りました。
2.3. フランス・リーグでのキャリア

2011年6月、エニェアマは非公開の移籍金でフランスのリールに3年契約で移籍しました。2011年10月18日、UEFAチャンピオンズリーググループステージのインテル・ミラノ戦でデビューしましたが、チームは0-1で敗れました。
2012年8月には、出場機会を求めてマッカビ・テルアビブへの1年間のレンタル移籍に合意し、そこでリーグ優勝に貢献しました。
2013-14シーズンにリールに復帰すると、レネ・ジラール監督は彼をステーヴ・エラナに代わって正ゴールキーパーに起用しました。エニェアマは、センターバックのマルコ・バシャとシモン・ケアーの助けもあり、シーズン前半にリーグ・アンで11試合連続無失点という驚異的な記録を樹立しました。2013年12月8日、ボルドーとのアウェイ戦で、ランドリー・ングエモのシュートがディフレクトしてゴールとなり、1,062分ぶりに失点を喫しました。これにより、1993年にガエタン・ユアールが樹立したリーグ・アンの連続無失点記録(1,176分)まであと114分というところまで迫りました。
2017-18シーズンには、「選手とクラブ経営陣との意見の相違」によりトップチームから外れ、リーグ戦に出場することはありませんでした。2018年7月にはトップチームのプレシーズン練習に参加しましたが、同年8月31日に双方合意の上で契約を解除されました。2019年1月には現役復帰への意欲を示し、同年7月にはフランスのクラブであるディジョンのトライアルに参加しましたが、契約は提示されませんでした。彼はディジョンに感謝の意を表明しました。2019-20シーズン開始時には新たなクラブを見つけてプレーを続けることを望んでいましたが、最終的にこのシーズン終了後に現役を引退しました。
3. 代表キャリア
エニェアマは、ナイジェリア代表のゴールキーパーとして長きにわたり活躍し、数々の主要国際大会でチームを牽引しました。特にFIFAワールドカップやアフリカネイションズカップでは、その卓越したセービング能力とリーダーシップで、ナイジェリアの歴史的な成功に貢献しました。
3.1. デビューと初期の大会参加
エニェアマは、2002年5月にケニアとの試合でナイジェリア代表にデビューしました。同年開催された2002 FIFAワールドカップでは、イケ・ショルンムの控えとして代表に選出されました。この大会のグループステージ第3戦、イングランド戦で公式戦デビューを果たし、強豪相手に無失点を記録しました。ショルンムの引退後、彼は代表チームの正ゴールキーパーとなり、その座を確立しました。
3.2. 主要国際大会への参加
エニェアマは、アフリカネイションズカップにおいて、2004年、2006年、2010年大会でナイジェリアの3位入賞に貢献しました。2006年大会では、準々決勝のチュニジア戦でのPK戦で3本のキックを止める活躍を見せましたが、準決勝でコートジボワールに敗れました。2010年大会でも、準々決勝のザンビア戦でPK戦のヒーローとなり、トーマス・ニレンダのキックを止め、自ら決勝のキックを決めて勝利に導きました。
2013年アフリカネイションズカップでは、正キャプテンのジョセフ・ヨボがほとんどベンチにいたため、エニェアマがキャプテンを務めました。2月10日に行われた決勝戦では、ブルキナファソを1-0で破り、クリーンシートを達成してナイジェリアを3度目の大陸制覇に導きました。彼は大会のベストイレブンに選出され、6試合でわずか4失点という記録を残しました。
2010 FIFAワールドカップでは、2度目のワールドカップ出場を果たしました。初戦のアルゼンチン戦では、リオネル・メッシからの4本を含む6本の好セーブを見せ、アルゼンチンを1-0の勝利に抑える奮闘を見せ、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれました。アルゼンチンのディエゴ・マラドーナ監督は、メッシがゴールできなかったのはエニェアマのおかげだと称賛しました。続くギリシャ戦でもマン・オブ・ザ・マッチに選ばれましたが、バシリス・トロシディスの決勝ゴールは彼のミスによるものでした。
2014年6月、エニェアマは2014 FIFAワールドカップのナイジェリア代表メンバーに選出されました。初戦のイラン戦では、キャリアで2度目となるワールドカップでのクリーンシートを達成し、試合は0-0の引き分けに終わりました。続くボスニア・ヘルツェゴビナ戦でも2試合連続の無失点を記録し、ナイジェリアは1-0で勝利、1998 FIFAワールドカップ以来となるワールドカップでの勝利を挙げました。グループステージ最終戦のアルゼンチン戦では3失点を喫し、チームは2-3で敗れましたが、グループ2位で16年ぶりに決勝トーナメント進出を果たしました。このアルゼンチン戦では、メッシにフリーキックを決められた後、ハーフタイム中に審判団と談笑したり、シュートを外したメッシを笑顔で小突いたりと、その陽気な人柄が日本でも話題となりました。ベスト16のフランス戦では、ポール・ポグバのボレーシュートを防ぐなど躍動しましたが、チームは敗退しました。
彼は2013 FIFAコンフェデレーションズカップにも参加しました。
3.3. キャプテンシーと代表引退
エニェアマは2013年から2015年にかけてナイジェリア代表のキャプテンを務めました。特に2013年のアフリカネイションズカップでは、チームを優勝に導くリーダーシップを発揮しました。2015年3月26日、ウガンダとの試合で代表100試合出場を達成しました。そして、2015年10月8日に代表チームからの引退を表明しました。彼は国際Aマッチ101試合に出場し、2021年11月にアハメド・ムサに抜かれるまで、ナイジェリア代表の最多出場記録保持者でした。
3.3.1. 試合数
年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|
2002 | 6 | 0 |
2003 | 3 | 0 |
2004 | 11 | 0 |
2005 | 5 | 0 |
2006 | 8 | 0 |
2007 | 1 | 0 |
2008 | 4 | 0 |
2009 | 7 | 0 |
2010 | 14 | 0 |
2011 | 4 | 0 |
2012 | 6 | 0 |
2013 | 18 | 0 |
2014 | 11 | 0 |
2015 | 2 | 0 |
通算 | 101 | 0 |
4. 受賞歴
ヴィンセント・エニェアマは、クラブと代表チームの両方で数多くの栄誉を獲得し、個人としても多くの賞を受賞しました。彼の受賞歴は、その卓越したキャリアとサッカー界への貢献を物語っています。
4.1. クラブでの受賞歴
- エニンバ
- ナイジェリア・プレミアリーグ: 2001, 2002, 2003
- CAFチャンピオンズリーグ: 2003, 2004
- ハポエル・テルアビブ
- イスラエル・プレミアリーグ: 2009-10
- イスラエル・ステートカップ: 2009-10, 2010-11
- マッカビ・テルアビブ
- イスラエル・プレミアリーグ: 2012-13
4.2. 国際大会での受賞歴
- ナイジェリア
- アフリカネイションズカップ: 2013
4.3. 個人での受賞歴
- CAFチャンピオンズリーグ年間最優秀選手: 2003, 2004
- イスラエル年間最優秀サッカー選手: 2009
- UNFP月間最優秀選手: 2013年10月, 2013年11月
- マーク=ヴィヴィアン・フォエ賞: 2013-14
- アフリカネイションズカップ大会ベストイレブン: 2004, 2013
- ナイジェリア・ピッチ・アワード年間最優秀ゴールキーパー: 2013, 2014
- ナイジェリア・ピッチ・アワード キング・オブ・ザ・ピッチ: 2014
- ゴール・ナイジェリア年間最優秀選手: 2014
- IFFHS CAF男子年間ベストイレブン (2011-2020)
- IFFHS 史上最高のアフリカ人ゴールキーパー: 2023年3月
- FIFAワールドカップマン・オブ・ザ・マッチ: 2010年 (対アルゼンチン戦, 対ギリシャ戦)
- ナイジャー勲章メンバー
ナイジャー勲章の略綬
5. 評価と影響
ヴィンセント・エニェアマは、そのキャリアを通じて、アフリカ史上最高のゴールキーパーの一人として、またその時代のトップの選手として広く認識されています。ゴールキーパーとしては平均以下の身長にもかかわらず、彼は卓越したセービング能力と安定したパフォーマンスで、その評価を確立しました。特に、PK戦での強さや、試合中の陽気な人柄は、多くのファンに愛され、サッカー界に強い影響を与えました。