1. 概要
中島みゆき(Miyuki Nakajima英語、1952年2月23日 - )は、日本のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティである。北海道札幌市で生まれ、1975年にシングル『アザミ嬢のララバイ』でデビューした。彼女は、オリコンチャートにおいて、4つの年代にわたってシングルチャート1位を獲得した唯一のソロアーティストであり、他のアーティストへの提供曲が5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得している。自身の歌唱曲を含めると、作詞・作曲を手掛けた作品が5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得したことになる。2020年1月時点で、スタジオアルバム44枚、シングル48枚、ライブアルバム6枚、多数のコンピレーションアルバムをリリースしており、総売上は2100.00 万 JPY以上と推定されている。
中島みゆきは、1970年代半ばにポニーキャニオンと契約し、デビューシングル「アザミ嬢のララバイ」で音楽キャリアをスタートさせた。1977年にリリースされたヒット曲「わかれうた」で名声を確立して以来、特に1980年代初頭にシンガーソングライターとして成功を収めた。過去20年間で、彼女のシングル4曲が100万枚以上を売り上げ、その中にはテレビドキュメンタリー番組『プロジェクトX~挑戦者たち~』の主題歌である「地上の星」も含まれる。
彼女は1989年から1998年まで毎年年末に実験演劇「夜会」を上演した。この独特な舞台は、彼女が脚本と楽曲を手掛けたもので、近年も不定期に継続されている。ソロアーティストとしての活動に加え、中島は他の多数の歌手のために90曲以上の楽曲を書き下ろし、その中には数々のチャート1位獲得曲も含まれる。彼女の楽曲の多くのカバーバージョンが、アジア(特に台湾や香港)の歌手によって歌われている。彼女は、国語審議会に委員として参加した唯一の音楽家である。
2. 初期生い立ち
中島みゆきは1952年2月に北海道の道庁所在地である札幌市で生まれた。
2.1. 幼年期と教育
彼女の祖父である武市(武市日本語)は北海道の政治家であり、帯広市議会議長も務めた。また、初代大蔵次官である郷純造男爵の甥にあたる。父の眞一郎(眞一郎日本語)は北海道帝国大学医学部出身の産婦人科医で、中島産婦人科院長を務めていた。
中島が5歳の時に家族は岩内町に引っ越し、そこで6年間を過ごした。その後、帯広市に移り、帯広市立帯広小学校を卒業し、帯広市立翔陽中学校に入学した。1966年の夏には、体調不良の母親が実家で一時療養するのに合わせて山形市に移り、山形市立第六中学校に通ったが、高校受験のため4カ月で帯広に戻った。その後、北海道帯広柏葉高等学校に入学した。彼女は歌手の吉田美和やテレビアナウンサーの安住紳一郎と共に、帯広柏葉高校の著名な卒業生の一人である。
高校3年生の時、1969年9月1日の文化祭(第20回柏葉祭)で初めてステージに立った。当時、女学生がステージに上がるだけで罵声やトイレットペーパーが飛び交うような女性への侮蔑意識が残っていたが、中島はその混乱の中でオリジナル曲「鶫の唄」を歌い切った。ステージを降りた瞬間、それまで話したこともなかった女学生が「すごかったよ!」と駆け寄ってきたことが、中島の原体験となった。
藤女子大学文学部国文学科に在学中は放送研究会に所属し、ローカルラジオ放送局でスタッフのアルバイトなどを経験した。北海道大学フォークソングのメンバーと交流を持ち、活発に音楽活動を展開し、「コンテスト荒らし」の異名をとった。1972年には日比谷野外音楽堂で開催されたフォーク音楽祭全国大会に出場し、「あたし時々おもうの」で入賞した。この時の音源は大会実況版としてLP化されており、このLP音源はCD化されておらず、当時売れなかったこともあり非常に貴重で、インターネットオークションでは高価な価格で取引されている。彼女は後年、コンテストに出場したのは交通費や弁当代が支給されるため、アルバイト代わりであったと述べている。
大学卒業後は帯広に戻り、家業を手伝いながらアマチュア活動を続けた。ジャズ喫茶オーディオのマスター、渡辺晃が主催した「自由集団」の企画で多くのステージを踏んだ。デビュー前には地元で既に多くのファンを獲得しており、オリジナル曲は100曲以上存在したが、それらの一部は現在でも音源化されていない。
2.2. デビュー前活動
中島みゆきは、1972年に東京の日比谷野外音楽堂で開催されたフォークコンテストに出場し、自作曲「あたし時々おもうの」でソングライティング賞を受賞した。この曲はコンテストアルバムに収録され、彼女にとって初のレコーディング作品となった。大学卒業後も、中島は約1年間プロのミュージシャンとしてのキャリアを追求し続けた。
3. 音楽キャリア
中島みゆきの音楽活動は、時期ごとに大きくその様相を変えながら、常に第一線で活躍し続けている。
3.1. デビューと1970年代の活動
1975年5月、ヤマハ音楽振興会主催の『第9回ポピュラーソング・コンテスト』に「傷ついた翼」が入賞した。同年9月には「アザミ嬢のララバイ」でキャニオン・レコードからレコードデビューを果たした。1975年10月の『第10回ポピュラーソング・コンテスト』では「時代」でグランプリを受賞し、同年12月の『第6回世界歌謡祭』でもグランプリを受賞した。「時代」は12月に2作目のシングルとして発売された。この受賞をきっかけに、ヤマハミュージックの川上源一にその実力を見出され、中島は今日に至るまで川上を師父のように仰いでいる。中島のアルバムのクレジットには、現在に至るまで「DAD 川上源一」と記載されている。
1976年4月には、ファースト・アルバム『私の声が聞こえますか』を発表し、それ以降、現在まで年間約1枚のペースでコンスタントに作品を発表し続けている。同年には研ナオコに提供したシングル「LA-LA-LA」(初めて他者へ提供した作品である)と「あばよ」が大ヒットし、ソングライターとしての名を世間に知らしめた。「あばよ」は70万枚以上を売り上げた。同年大晦日には『第27回NHK紅白歌合戦』で研ナオコが「LA-LA-LA」を歌唱し、中島の認知度を一挙に広めた。
翌1977年には、歌手としても5枚目のシングル「わかれうた」(9月リリース)が70万枚を超えるセールスを記録し、ミュージシャンとしての地位を確固たるものにした。「わかれうた」は1977年12月にオリコンチャートで1位を獲得し、ピンク・レディーの「Wanted (指名手配)」を首位から引きずり下ろした。作詞家・作曲家としても、研ナオコに提供した「かもめはかもめ」をはじめ、桜田淳子「しあわせ芝居」、増田惠子「すずめ」、加藤登紀子「この空を飛べたら」など数多くのヒット曲を世に送り出し、大きな成功を収めた。中島はこれらの楽曲を他のアーティストのために書いた楽曲を集めた回顧アルバムを時折リリースしており、1979年にリリースされた初の回顧アルバム『おかえりなさい』は50万枚以上を売り上げ、彼女のベストセラーアルバムの一つとなった。
歌手としてのブレイク曲「わかれうた」が収録されていた1978年発表の4枚目のアルバム『愛していると云ってくれ』には、プロテストソング「世情」が収められている。この曲は1981年にTBS系テレビドラマ『3年B組金八先生』の劇中に使用されて大きな話題を呼び、シングルカットされなかったにもかかわらず中島の初期の代表曲の一つとなっている。『親愛なる者へ』以降、1985年発表のアルバム『miss M.』までの8枚のスタジオ録音アルバムは連続でオリコンのアルバムチャートで1位を獲得している。また、1977年発表のアルバム『あ・り・が・と・う』から1996年発表のアルバム『パラダイス・カフェ』までの22枚のスタジオ収録アルバムは連続で同チャートで10位以内を獲得した。
録音アーティストとしてのキャリアに加え、中島はラジオ番組のパーソナリティとしても活躍した。1979年4月から1987年3月まで、ニッポン放送の長寿番組『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務め、その軽妙な語り口がリスナーの間で大きな人気を集めた。
3.2. 1980年代:商業的ピーク
中島みゆきは1980年代前半に商業的な全盛期を迎えた。この時期にリリースされたスタジオアルバム7枚(『生きていてもいいですか』から『miss M.』まで)が、オリコンチャートで立て続けに1位を獲得した。1981年秋にシングルとしてリリースされた「悪女」は、1977年の「わかれうた」以来、自身2度目のオリコンシングルチャート1位を獲得し、1982年の年間チャートでも6位を記録した。彼女の8枚目のスタジオアルバムである『寒水魚』には「悪女」の別バージョンが収録されており、商業的に最も成功したLPとなった。このアルバムはオリコンで6週連続1位を獲得し、1982年の日本の年間アルバムチャートの首位に立った。同年には「誘惑」と「横恋慕」の2曲がシングルチャートトップ3入りを果たした。
作曲家・作詞家としても、中島は他のアーティストへの楽曲提供を続けた。元ピンク・レディーのメンバーである増田惠子の初のソロシングル「すずめ」は、彼女を再びトップ10入りに導いた。1983年には、当時のティーンポップアイドル柏原芳恵が歌った「春なのに」のソングライティングにより、第25回日本レコード大賞を受賞した。
1985年にシングルとしてリリースされた「つめたい別れ」(中島みゆき with スティーヴィー・ワンダー名義)は、彼女が日本国外で制作した初の楽曲である。このトップ10入りした楽曲には、スティーヴィー・ワンダーが演奏する長いハーモニカソロがフィーチャーされている。彼はまた、翌年リリースされた中島の次作シングル「あたいの夏休み」でもシンセサイザーを演奏した。1987年には、長年の協力者であったベーシストでレコードプロデューサーの後藤次利が作曲した楽曲に歌詞を提供した。
中島は1988年にポップソング「FU-JI-TSU」の歌詞を書き下ろした。この曲は、元おニャン子クラブのメンバーとしても知られるティーンアイドル工藤静香の4枚目のシングルとしてリリースされた。1980年代後半から1990年代初頭にかけて、中島と後藤は工藤のために17曲を書き下ろし、その中には1993年にリリースされ、100万枚以上の出荷でRIAJからクワドラプル・プラチナ認定を受けた「慟哭」など、チャートの首位を獲得した曲も含まれる。後藤とのソングライティングパートナーシップは1993年に終了したが、中島はその後も工藤のために数曲を書き続けている。
「御乱心の時代」と称された1980年代中期から後期にかけての模索は、1988年のアルバム『グッバイガール』のプロデュースを手がけた瀬尾一三との出会いによって収まることとなる。中島にとって「これまで自分がやってきたあらゆるスタイルに対処してくれる」という瀬尾は適任らしく、現在に至るまでの全てのオリジナルアルバムでアレンジ、プロデュース、演奏に携わっている。1989年からは、瀬尾が音楽監督として名を連ねる演劇とコンサートを融合した舞台「夜会」をBunkamuraシアターコクーンで毎年12月に上演するようになる。「夜会」は中島にとってのライフワークともいえる舞台となり、1998年に一旦、年一回の公演という形を終了し、その後は不定期で上演されている。
3.3. 1990年代:音楽性の変化と「夜会」
1990年代の日本の音楽業界では、テレビドラマやCMとのタイアップによってミリオンセラーを記録するシングルが相次いだ。中島みゆきも例外ではなく、ドラマ『親愛なる者へ』の主題歌「浅い眠り」をはじめとする3枚のミリオンヒットを記録している。なかでも安達祐実主演の日本テレビ系列『家なき子』の主題歌として書き下ろされた1994年の「空と君のあいだに」は147万枚のセールスを記録した。1983年発表のアルバム『予感』収録曲「ファイト!」との両A面扱いで発売されたこのシングルは、中島にとって最大のベストセラーである。ドラマシリーズの続編のために書かれた「旅人のうた」も同様の成功を収め、チャートで1位を獲得し、100万枚以上を売り上げた。
1990年代以降、中島はポップミュージックのテレビ番組への出演依頼を断り続けていたものの、いくつかのテレビ番組やCMに徐々に登場し始めた。1992年には、彼女の1979年のスタジオアルバムにちなんで名付けられたテレビドラマ『親愛なる者へ』に出演し、第1話と最終話で医師の役を演じた。1993年から2000年まで、中島は郵政省のテレビCMに定期的に出演した。これらのCM(そのほとんどが1993年に録音された初期の楽曲「時代」の新しいバージョンをフィーチャーしていた)は、日本のお盆と祝日の時期に放映された。
この時期のアルバムはシングルほど芳しい成果を上げるわけではなかったものの、1980年代後半よりも安定した成績を収めた。『EAST ASIA』から『パラダイス・カフェ』までの5作は全て20万枚以上のセールスとなっている。1996年3月にはベストアルバム『大吟醸』をリリースし、オリコンアルバムチャートで1位を獲得した。これにより、彼女は当時、日本の音楽チャートでアルバム1位を獲得した最高齢の女性アーティストとなった(この記録は2013年現在、松任谷由実の『日本の恋と、ユーミンと。』によって更新された)。しかし、1990年代にリリースされた彼女のスタジオアルバムは商業的に振るわず、中にはチャートのトップ10に入らなかったものもあった。1999年にリリースされた『日-WINGS』と『月-WINGS』は、彼女のアルバムの中で最も売れ行きが悪く、両アルバムとも5万枚以下の売上にとどまった。
1989年から始めた舞台「夜会」に自身がかけるウェートはより大きくなり、1995年以降に上演されたものは書き下ろしの新曲を中心に構成され、より大掛かりなものへと変貌を遂げた。1990年代後半には、文部科学省の国語審議会委員を務めた。この審議会の委員を務めた歌手は中島みゆきただ一人である。
3.4. 2000年代:NHK「プロジェクトX」による再評価
デビューから四半世紀が経った2000年、中島みゆきはポニーキャニオンレーベルを離れ、新たに設立されたヤマハミュージックコミュニケーションズに移籍した。そこで彼女は、後に最もよく知られる楽曲となる両A面シングル「地上の星」/「ヘッドライト・テールライト」をリリースした。これらの楽曲は、2000年3月にNHKで放送が開始されたテレビドキュメンタリー番組『プロジェクトX~挑戦者たち~』の主題歌として書き下ろされた。このシングルは2000年7月にオリコンで15位に初登場し、その後2年以上にわたってチャートインし続けた。最終的にはオリコンのウィークリーシングルチャートTOP100に連続174週にわたってランクインするという驚異的な記録を打ち立てた。
発売当初は話題にならなかったが、『プロジェクトX』の人気が高まるとともに注目され、アルバム『短篇集』には、1曲目が「地上の星」、ラストが「ヘッドライト・テールライト」という構成で収録された。このアルバムの発売にあたっては、ディスクジャケットの仕様をめぐり岩波書店からクレームがつき(岩波文庫をもじって「山波文庫」(ヤマハ文庫)と表記したため)、発売直前になって急遽デザインが差し替えられるというハプニングも起こった。
このロングヒットをきっかけに、中島は2002年の第53回NHK紅白歌合戦に出場することを決めた。これは1970年代後半以来、彼女にとって初のテレビでのライブパフォーマンスとなった。彼女は『プロジェクトX』でも取り上げられた黒部ダム(黒部川第四発電所)からの中継で「地上の星」を歌った。この時初めて「動く中島みゆき」を見た人も多く、番組中最高の歌手別視聴率(52.8%:ビデオリサーチ調べ/関東地区)を記録した。極寒の中で極度の緊張から2番の歌詞を間違えたことも有名だが、反響は大きく、「地上の星」/「ヘッドライト・テールライト」は翌2003年1月、発売から2年半近くを経てシングルチャートナンバーワンに輝いた。これはオリコン史上最長のリリース後最長期間(130週)を経ての1位獲得記録である。同時に、1970年代から2000年代まで4年代連続の1位獲得となった。
2005年12月28日には『プロジェクトX』の最終回に出演し、スタジオで同番組のエンディングテーマ「ヘッドライト・テールライト」を熱唱した。その影響で2006年1月16日、「地上の星」/「ヘッドライト・テールライト」は、2004年2月2日以来のオリコンシングルチャート100位圏内返り咲き(66位)を達成し、通算オリコンシングルチャート100位圏内チャートイン記録を183週に延ばした。
1990年代前半から本格的に行うようになった海外でのレコーディングは2000年代からは主流となっている。近年では、アレンジ等にベックの父親として知られるデヴィッド・キャンベルや、ヴィニー・カリウタ、ニール・スチューベンハウス、マイケル・トンプソンなどといった有名スタジオ・ミュージシャンを迎えてアルバムを制作するのが毎年恒例となっている。1998年に一旦休止した「夜会」は2000年から再び不定期で行われるようになり、2006年の「Vol.14 24時着00時発」は、東京においてはこれまでのシアターコクーンではなく青山劇場で、大阪では初めてシアターBRAVA!において上演された。
2006年、中島は第56回芸術選奨 文部科学大臣賞を受賞した。これは「コンサートツアー2005」が評価されてのことで、シンガーソングライターとしては初の受賞者となった。同年には、TOKIOに提供した「宙船(そらふね)」の作詞が評価され、第48回日本レコード大賞の作詩賞を受賞した。この楽曲は、TOKIOのフロントマンである長瀬智也主演のテレビドラマ『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』のエンディングテーマとして使用された。この曲はバンドにとってデビューシングルに次ぐ商業的成功を収め、オリコンチャートに1年以上留まり、約48万枚を売り上げた。「宙船」はまた、中島が他のアーティストのために作詞作曲の両方を手掛けた楽曲としては、1976年に研ナオコが録音した「あばよ」以来30年ぶりのチャート1位獲得曲となった。彼女のスタジオアルバム『ララバイSINGER』がリリースされてから1ヶ月後、「宙船」への彼女の貢献は、第48回日本レコード大賞の「最優秀歌詞賞」を受賞した。
2007年8月から、新設のヤマハミュージックアーティスト(現:ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)がマネジメントを行うことになった。同年10月3日にはスタジオアルバム『I Love You, 答えてくれ』がリリースされた。このアルバムはオリコンで初登場4位を記録し、初週に3万9000枚以上を売り上げ、中島にとって日本のアルバムチャートで34枚目のトップ10ヒットとなった。秋には2年ぶりの全国ツアー「コンサートツアー2007」が行われた。
3.5. 2010年代以降の活動
2009年11月3日、中島は日本国政府から紫綬褒章を受章した。中島は受章に際して、「思いがけずうれしいことの表現に『棚から牡丹餅』と申しますが、今の私の気持ちは『棚から本マグロ』くらいの驚きでございます。ふつう、何かを頂けそうな場合には2度くらいは辞退して、それでもとおっしゃるならちょうだいするのがマナーなのでございましょうが、褒章となりますと『ふつう』ではないことですので、辞退なんかしたら二度とこんな機会はないかもと思いまして、即座に『いただきます!』と、お返事してしまいました」とコメントした。
2010年10月から2011年1月まで、3年ぶりの全国ツアー「中島みゆきTOUR2010」が27公演9会場で行われた。このツアーから各公演の様子を伝えるTwitterを開始した(ツアー終了後は、中島に関する最新情報を伝えるスタッフ公式Twitterとなった)。2012年10月から2013年2月まで、全国ツアー「中島みゆき縁会2012~3」が27公演12会場で行われた。また、2013年11月から12月まで「夜会工場」と称するガラコンサートを開催した。
2012年には、テレビドラマ『東京全力少女』のエンディングテーマ「恩知らず」を書き下ろし、歌唱した。彼女は第1話にカメオ出演もしている。2014年には、日本のアイドルグループももいろクローバーZのために「泣いてもいいんだよ」を書き下ろし、作曲した。この曲は2014年5月8日にリリースされ、映画『悪夢ちゃん The 夢ovie』の主題歌として使用された。
2014年9月よりNHK連続テレビ小説『マッサン』の主題歌として「麦の唄」が使用され、同年12月31日の第65回NHK紅白歌合戦にも出場し、同曲を歌った。中島にとっては2002年以来12年ぶり、2回目の紅白歌合戦出場となった。
2023年9月15日に公開されたアニメーション映画『アリスとテレスのまぼろし工場』の主題歌に『心音(しんおん)』が採用された。これは中島にとって、キャリア初のアニメソングとなった。
4. 作詞・作曲活動
中島みゆきは、自身の歌唱曲のみならず、他のアーティストへの楽曲提供においても多大な功績を残している。
4.1. 他のアーティストへの楽曲提供
中島みゆきの曲には、日常風景の一部を切り取り、そこを行き来する男と女や働く人々をテーマにし、その一人一人にスポットライトを当て、その心情を曲にのせるものが多い。非常に巧みな比喩表現を用いており、聞き手によってそれぞれ異なった意味を受け取ることができる。普遍的なテーマを歌詞にしていることも非常に多い。例えば、1991年発売のアルバム『歌でしか言えない』収録曲の「永久欠番」。この曲は、「人は誰しも唯一無二の存在である」ということをテーマにした曲で、東京書籍発行の中学校用の教科書『新しい国語3』に引用されている。
対照的に、工藤静香に提供した「MUGO・ん...色っぽい」や西田ひかるに提供した「きっと愛がある」のように軽いノリの詞も存在する。ただし、この2曲に関しては、いずれもCMのキャッチコピー(「MUGO・ん...色っぽい」 - "ん、色っぽい"(カネボウ化粧品)と、「きっと愛がある」 - "アイがある"(三菱電機「霧ヶ峰」))にひっかける方が望ましいと中島が指示を受けていた経緯がある。大学の卒業論文では谷川俊太郎を論じており、現代詩からの影響が濃い。また、中島みゆき自身の歌詞が現代詩の一つとして扱われ名詩選に収録されていることもある。
中島みゆきが作詞・作曲を手掛け、他のアーティストによってオリコンシングルチャート1位を獲得した楽曲は以下の通りである。
| 年代 | 曲名 | アーティスト名 | 1位獲得年 |
|---|---|---|---|
| 1970年代 | あばよ | 研ナオコ | 1976年 |
| 1980年代 | FU-JI-TSU | 工藤静香 | 1988年 |
| MUGO・ん...色っぽい | |||
| 黄砂に吹かれて | 1989年 | ||
| 1990年代 | 私について | 1990年 | |
| 慟哭 | 1993年 | ||
| 2000年代 | 宙船(そらふね) | TOKIO | 2006年 |
| 2010年代 | 泣いてもいいんだよ | ももいろクローバーZ | 2014年 |
4.2. セルフカバーと再解釈
中島みゆきは、自身が他のアーティストに提供した楽曲をセルフカバーすることも多い。これらのセルフカバーは、原曲とは異なるアレンジや歌唱法で再解釈され、新たな魅力を引き出している。例えば、アルバム『おかえりなさい』には、研ナオコに提供した「あばよ」などが収録されている。また、他のアーティストによる中島みゆきの楽曲のカバーも数多く存在し、特にBank Bandによる「糸」のカバーは有名である。
5. ライブパフォーマンス
中島みゆきのライブパフォーマンスは、その力強い歌唱と独特の世界観で知られている。
5.1. コンサートツアー
中島みゆきのコンサートは現在でも、2000人~3000人規模のホールを中心に行われており、原則アリーナクラス以上の会場では公演を行わない方針である。過去に両国国技館、横浜アリーナ、大阪城ホールでは行ったことがあるが、日本武道館では一度も公演を行なったことがない。
主なコンサートツアーは以下の通りである。
- 1977 Spring Concert
- 1977 Autumn Concert
- 1978 Spring Tour
- 1978 Autumn Tour
- 1979 Spring Tour
- 1979 Autumn Tour
- Miyuki Nakajima Concert (1980 Autumn Tour)
- 寂しき友へSabishiki Tomo e日本語 (1981)
- 寂しき友へIISabishiki Tomo e II日本語 (1982)
- 浮汰姫Utahime日本語 (1982-83)
- Nakajima Miyuki Concert 蕗く季節にFuku Koro ni日本語 (1982-83)
- Nakajima Miyuki Concert '84 明日を撃て!Asu wo Ute!日本語 (1984)
- Nakajima Miyuki Concert '84 月光の宴Gekkou no Utage日本語 (1984-85)
- Nakajima Miyuki Concert '85 のぅさんきゅうNo Thank You日本語 (1985)
- Nakajima Miyuki Concert '85 歌暦Utagoyomi日本語 Page 85" (1985)
- Nakajima Miyuki Concert '86 五番目の季節Gobanme no Kisetsu日本語 " (1986)
- Nakajima Miyuki Concert '86 歌暦Utagoyomi日本語 Page 86 "恋唄Koiuta日本語 " (1986)
- Miyuki Nakajima Concert '87 "Suppin Vol.1" (1987)
- Nakajima Miyuki Concert 1989 野ウサギのようにNousagi no You ni日本語 " (1989)
- Concert Tour '90 "Night Wings" (1990)
- Concert "Carnival 1992" (1992)
- Concert Tour '93 "East Asia" (1993)
- Concert '95 "Love or Nothing" (1995)
- Concert Tour '97 "Paradise Cafe" (1997)
- Concert Tour '98 (1998)
- XXIc. 1st. (2001)
- Concert Tour 2005
- Concert Tour 2007
- Nakajima Miyuki Tour 2010
- Nakajima Miyuki 縁会Enkai日本語 2012-2013
- Nakajima Miyuki 夜会工場Yakai Koujo日本語 VOL.1 (2013)
- Nakajima Miyuki Concert「一会Ichi E日本語」2015-2016
- Nakajima Miyuki 夜会工場Yakai Koujo日本語 VOL.2 (2018)
- Nakajima Miyuki 2020 Last Tour英語
5.2. 「夜会」公演
「夜会」は、中島みゆきが脚本、音楽、演出、主演を務める独自の舞台公演である。演劇的な要素とコンサートを融合させた形式が特徴で、1989年にBunkamuraシアターコクーンで始まり、当初は既存の楽曲を中心に構成されていたが、1995年の第7回公演『2/2』以降は書き下ろしの新曲を中心に構成されるようになった。1998年に年1回の公演を一旦終了したが、2000年以降は不定期に上演されている。これらの公演の多くはDVDとしてリリースされている。
「夜会」の主な演目は以下の通りである。
- 『夜会』 (1989)
- 『夜会1990』 (1990)
- 夜会Vol.3 『邯鄲Kan-Tan日本語』 (1991)
- 夜会Vol.4 『金環蝕Kinkanshoku日本語』 (1992)
- 夜会Vol.5 『「花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせし間にHana no Iro wa Utsuri ni keri na Itazura ni Waga Mi Yo ni Furu Nagame Seshi Ma ni日本語」』 (1993)
- 夜会Vol.6 『Shangri-La英語』 (1994)
- 夜会Vol.7 『2/2』 (1995)
- 夜会Vol.8 『問う女Tou Onna日本語』 (1996)
- 夜会Vol.9 『2/2』 (1997)
- 夜会Vol.10 『海嘯Kaishou日本語』 (1998)
- 夜会Vol.11 『Winter Garden英語』 (2000)
- 夜会Vol.12 『Winter Garden英語』 (2002)
- 夜会Vol.13 『24時着0時発24-ji Chaku 0-ji Hatsu日本語』 (2004)
- 夜会Vol.14 『24時着00時発24-ji Chaku 00-ji Hatsu日本語』 (2006)
- 夜会Vol.15 『元祖・今晩屋Ganso Konbanya日本語』 (2008-09)
- 夜会Vol.16 『本家・今晩屋Honke Konbanya日本語』 (2009)
- 夜会Vol.17 『2/2』 (2012)
- 夜会Vol.18 『橋の下のアルカディアHashi no shita no Arukadia日本語』 (2014)
- 夜会Vol.19 『橋の下のアルカディアHashi no shita no Arukadia日本語』 (2016)
- 夜会Vol.20 『Little Tokyo英語』 (2019)
6. メディア出演
中島みゆきは音楽活動以外にも、様々なメディアで活動している。
6.1. ラジオパーソナリティ
- NHKラジオ第1『NHK80周年・ラジオ深夜便15周年記念スペシャル・シンガーソングライターの時代』(2005年3月21日)
- NHK-FM『ジョイフルポップ「サウンド・アラカルト」』(1989年 - 1990年)
- NHK-FM『ミュージックスクエア』(1990年 - 1994年)
- NHK-FM『中島みゆきのラジオ昼間便』(2009年12月5日)
- TBSラジオ『ヤマハ・フォークイン』(1976年4月10日 - 1978年3月26日)
- ニッポン放送『中島みゆきのオールナイトニッポン』(月曜1部 1979年4月2日 - 1987年3月30日、1991年10月14日、2006年12月15日、2013年2月23日)
- ニッポン放送『中島みゆき ほのぼのしちゃうのね』(2003年、2004年)
- ニッポン放送『中島みゆきのオールナイトニッポン月イチ』(2013年4月15日 - 2018年9月17日 月1回放送)
- ラジオ関東『電撃わいどウルトラ放送局』(1977年)
- ラジオ関西『CRミュージックスペース558 ギャルギャルコーベ』(1978年)
- 毎日放送『MBSミュージックマガジン』(1978年10月6日 - 1979年4月6日、1979年10月12日 - 1980年3月21日、1980年10月17日 - 1981年3月27日、1982年2月12日 - 同年4月2日)
- TOKYO-FM系『中島みゆき お時間拝借』(1994年4月 - 1997年9月)
6.2. ドラマ・映画出演
- TBSテレビ『明日の刑事』第10話(1977年12月7日) - 初のドラマ出演。
- フジテレビ『親愛なる者へ』第2話・最終話(1992年7月9日・9月17日) - 南雲律子 役。
- 日本テレビ『東京全力少女』第1話(2012年10月10日) - 清掃員 本人 役。
- テレビ朝日『やすらぎの郷』第64・70・102話(2017年6月29日・7月7日・8月22日) - 車椅子を押す入居者 役。
- NHK総合『永遠のニㇱパ ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~』(2019年7月15日) - 語り。
- 映画『妖精フローレンス』(1985年) - ムジカ 役(声の出演)。
- 映画『東京日和』(1997年) - バーのママ 役。
- 映画『サヨナラCOLOR』(2005年) - 巌岳 役。
- 映画『ガラスの使徒』(2005年) - 糸占い師 役。
- 映画『間宮兄弟』(2006年) - 間宮順子 役。
6.3. CM出演
- 麒麟麦酒「キリンプレミアムビール」(1991年)
- 大関「ワンカップ大関」(1997年) - 田村正和と共演。
- 郵政省「年賀はがき」(1993年 - 2000年)
- 郵政省「かもめーる」(1994年、1995年)
- サッポロビール「北海道 生搾り」(2005年) - 桜井秀俊(真心ブラザーズ)と共演。
- 富士フイルム ヘルスケアラボラトリー「アスタリフト」(2008年 - 2010年) - 中島みゆき編では「渚のバルコニー」がBGMとして流れた。
- FUJIFILM「お正月を写そう♪ 『アスタリフト』篇」(2009年)
- FUJIFILM「フジカラーポストカード」(2010年)
- FUJIFILM「お正月を写そう♪ 2011」(2010年)
- サントリーフーズ「BOSS 宇宙人ジョーンズ・禁じられた惑星 篇」(2022年) - "宇宙大統領"として出演。
7. ディスコグラフィ
中島みゆきは、膨大な数のスタジオアルバム、シングル、ライブアルバム、映像作品、コンピレーションアルバムをリリースしている。
7.1. スタジオ・アルバム
| 発売日 | タイトル | 形態 | 製造番号 | 順位 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| キャニオン・レコード AARD-VARK | ||||||
| 1st | 1976年4月25日 | 私の声が聞こえますか | LP | AV-9001 | 38位 | |
| CT | - | -位 | ||||
| 2nd | 1976年10月25日 | みんな去ってしまった | LP | VF-9003 | 23位 | |
| CT | CF-9002 | -位 | ||||
| 3rd | 1977年6月25日 | あ・り・が・と・う | LP | VF-9012 | 6位 | |
| CT | CF-9037 | -位 | ||||
| 4th | 1978年4月10日 | 愛していると云ってくれ | LP | VX-9002 | 2位 | |
| CT | 25P-7001 | -位 | ||||
| 5th | 1979年3月21日 | 親愛なる者へ | LP | C25A-0031 | 1位 | |
| CT | 25P-7041 | -位 | ||||
| 6th | 1979年11月21日 | おかえりなさい | LP | C25A-0067 | 2位 | |
| CT | 25P-7089 | -位 | ||||
| 7th | 1980年4月5日 | 生きていてもいいですか | LP | C25A-0089 | 1位 | |
| CT | 25P-7117 | -位 | ||||
| 8th | 1981年3月5日 | 臨月 | LP | C28A-0141 | 1位 | |
| CT | 28P-6042 | -位 | ||||
| 9th | 1982年3月21日 | 寒水魚 | LP | C28A-0208 | 1位 | |
| CT | 28P-6141 | -位 | ||||
| 10th | 1983年3月5日 | 予感 | LP | C28A-0260 | 1位 | |
| CT | 28P-6215 | -位 | ||||
| 1983年4月1日 | CD | D35A-0009 | -位 | |||
| 11th | 1984年10月24日 | はじめまして | LP | C28A-0372 | 1位 | |
| CT | 28P-6367 | -位 | ||||
| 1984年11月5日 | CD | D35A-0043 | -位 | |||
| 12th | 1985年4月17日 | 御色なおし | LP | C28A-0404 | 1位 | |
| CT | 28P-6416 | -位 | ||||
| 1985年4月21日 | CD | D32A-0073 | -位 | |||
| 13th | 1985年11月7日 | miss M. | LP | C28A-0450 | 1位 | |
| CT | 28P-6490 | -位 | ||||
| CD | D32A-0131 | 2位 | ||||
| ポニー AARD-VARK | ||||||
| BEST | 1985年12月15日 | 中島みゆき THE BEST | CT | 36P-1333 | -位 | |
| キャニオン・レコード AARD-VARK | ||||||
| BEST | 1986年1月5日 | 中島みゆき THE BEST | CD | D32A-0155 | 7位 | |
| 14th | 1986年11月12日 | 36.5℃ | LP | C28A-0527 | 2位 | |
| CT | 28P-6604 | -位 | ||||
| CD | D32A-0241 | 1位 | ||||
| LIVE | 1987年2月21日 | 歌暦 | CD | D35A-0273 | ||
| COLLECTION | 1987年8月21日 | Singles | CD | D75A-0309 | 5位 | |
| CT | 65P-1001 | -位 | ||||
| 2024年1月17日 | Blu-spec CD2 (ヤマハミュージックコミュニケーションズから再発売) | YCCW-10420~2 | ||||
| ポニーキャニオン AARD-VARK | ||||||
| 15th | 1988年3月16日 | 中島みゆき | LP | C28A-0625 | 3位 | |
| CT | 28P-6783 | -位 | ||||
| CD | D32A-0351 | 2位 | ||||
| 16th | 1988年11月16日 | グッバイガール | LP | C28A-0673 | 1位 | |
| CT | 28P-6846 | -位 | ||||
| CD | D32A-0400 | 1位 | ||||
| BEST | 1989年3月21日 | 中島みゆき PRESENTS BEST SELECTION 16 | CD | D32P-6339 | 30位 | |
| CT | 30P-3137 | -位 | ||||
| 17th | 1989年11月15日 | 回帰熱 | CD | PCCA-00008 | 2位 | |
| CT | PCTA-00007 | -位 | ||||
| 18th | 1990年6月13日 | 夜を往け | CD | PCCA-00068 | 3位 | |
| CT | PCTA-00049 | -位 | ||||
| 19th | 1991年10月23日 | 歌でしか言えない | CD | PCCA-00311 | 4位 | |
| CT | PCTA-00105 | -位 | ||||
| APO (APOは、アモルファス・ポリオレフィンを基盤材料に使用していたCDであり、ライナーノーツでは「APO方式スーパーCD」と表記されていた。中島以外では、小比類巻かほるやCHAGE&ASKAなどがAPO盤がリリースされている。) | PCCA-00315 | 48位 | ||||
| BEST | 1992年4月1日 | 中島みゆき BEST SELECTION II | CD | PCCA-00360 | 8位 | |
| CT | PCTA-00132 | -位 | ||||
| 20th | 1992年10月7日 | EAST ASIA | CD | PCCA-00397 | 2位 | |
| CT | PCTA-00146 | -位 | ||||
| APO (APOは、アモルファス・ポリオレフィンを基盤材料に使用していたCDであり、ライナーノーツでは「APO方式スーパーCD」と表記されていた。中島以外では、小比類巻かほるやCHAGE&ASKAなどがAPO盤がリリースされている。) | PCCA-00398 | 8位 | ||||
| 21st | 1993年10月21日 | 時代-Time goes around- | CD | PCCA-00482 | 4位 | |
| CT | PCTA-00172 | -位 | ||||
| APO (APOは、アモルファス・ポリオレフィンを基盤材料に使用していたCDであり、ライナーノーツでは「APO方式スーパーCD」と表記されていた。中島以外では、小比類巻かほるやCHAGE&ASKAなどがAPO盤がリリースされている。) | PCCA-00483 | 12位 | ||||
| COLLECTION | 1994年4月21日 | Singles II | CD | PCCA-00558 | 6位 | |
| CT | PCTA-00200 | -位 | ||||
| APO (APOは、アモルファス・ポリオレフィンを基盤材料に使用していたCDであり、ライナーノーツでは「APO方式スーパーCD」と表記されていた。中島以外では、小比類巻かほるやCHAGE&ASKAなどがAPO盤がリリースされている。) | PCCA-00559 | 35位 | ||||
| 22nd | 1994年10月21日 | LOVE OR NOTHING | CD | PCCA-00649 | 1位 | |
| CT | PCTA-00212 | -位 | ||||
| APO (APOは、アモルファス・ポリオレフィンを基盤材料に使用していたCDであり、ライナーノーツでは「APO方式スーパーCD」と表記されていた。中島以外では、小比類巻かほるやCHAGE&ASKAなどがAPO盤がリリースされている。) | PCCA-00650 | 11位 | ||||
| 23rd | 1995年10月20日 | 10 WINGS | CD | PCCA-00817 | 8位 | |
| CT | PCTA-00231 | -位 | ||||
| APO (APOは、アモルファス・ポリオレフィンを基盤材料に使用していたCDであり、ライナーノーツでは「APO方式スーパーCD」と表記されていた。中島以外では、小比類巻かほるやCHAGE&ASKAなどがAPO盤がリリースされている。) | PCCA-00818 | 20位 | ||||
| BEST | 1996年3月21日 | 大吟醸 | CD | PCCA-00897 | 1位 | |
| CT | PCTA-00239 | -位 | ||||
| MD | PCYA-00015 | -位 | ||||
| 24th | 1996年10月18日 | パラダイス・カフェ | CD | PCCA-00999 | 7位 | |
| APO (APOは、アモルファス・ポリオレフィンを基盤材料に使用していたCDであり、ライナーノーツでは「APO方式スーパーCD」と表記されていた。中島以外では、小比類巻かほるやCHAGE&ASKAなどがAPO盤がリリースされている。) | PCCA-01000 | 20位 | ||||
| 25th | 1998年3月18日 | わたしの子供になりなさい | CD | PCCA-01191 | 8位 | |
| APO (APOは、アモルファス・ポリオレフィンを基盤材料に使用していたCDであり、ライナーノーツでは「APO方式スーパーCD」と表記されていた。中島以外では、小比類巻かほるやCHAGE&ASKAなどがAPO盤がリリースされている。) | PCCA-01192 | -位 | ||||
| 1998年4月17日 | LP (LP盤はA面がM-1~6、B面がM-7~10となっている。) | PCJA-00029 | -位 | |||
| CONCEPT | 1998年11月6日 | 大銀幕 | CD | PCCA-01246 | 6位 | |
| MD | PCYA-00021 | -位 | ||||
| 2019年1月30日 | CD+DVD (初回限定盤、ヤマハミュージックコミュニケーションズから再発売) | YCCW-10355/B | 20位 | |||
| CD (ヤマハミュージックコミュニケーションズから再発売) | YCCW-10356 | |||||
| 26th | 1999年11月3日 | 日-WINGS | CD | PCCA-01378 | 18位 | |
| APO (APOは、アモルファス・ポリオレフィンを基盤材料に使用していたCDであり、ライナーノーツでは「APO方式スーパーCD」と表記されていた。中島以外では、小比類巻かほるやCHAGE&ASKAなどがAPO盤がリリースされている。) | PCCA-01379 | 26位 | ||||
| 27th | 月-WINGS | CD | PCCA-01380 | 19位 | ||
| APO (APOは、アモルファス・ポリオレフィンを基盤材料に使用していたCDであり、ライナーノーツでは「APO方式スーパーCD」と表記されていた。中島以外では、小比類巻かほるやCHAGE&ASKAなどがAPO盤がリリースされている。) | PCCA-01381 | 27位 | ||||
| ヤマハミュージックコミュニケーションズ | ||||||
| 28th | 2000年11月15日 | 短篇集 | CD | YCCW-00002 | 7位 | |
| 29th | 2001年9月19日 | 心守歌-こころもりうた | YCCW-00029 | 3位 | ||
| COLLECTION | 2002年4月17日 | Singles 2000 | YCCW-00037 | 3位 | ||
| 30th | 2002年10月23日 | おとぎばなし-Fairy Ring- | YCCW-00039 | 5位 | ||
| 31st | 2003年11月19日 | 恋文 | YCCW-00044 | 10位 | ||
| 32nd | 2004年11月17日 | いまのきもち | YCCW-10010 | 8位 | ||
| LIVE | 2005年3月23日 | 中島みゆきライヴ! Live at Sony Pictures Studios in L.A. | SACD | YCCW-10014 | 54位 | |
| 33rd | 2005年11月16日 | 転生 TEN-SEI | CD | YCCW-10017 | 12位 | |
| CONCEPT | 2006年6月14日 | 元気ですか | YCCW-10026 | 14位 | ||
| 34th | 2006年11月22日 | ララバイSINGER | YCCW-10030 | 10位 | ||
| 35th | 2007年10月3日 | I Love You, 答えてくれ | YCCW-10037 | 4位 | ||
| LIVE | 2008年6月11日 | 歌旅 -中島みゆきコンサートツアー2007- | YCBW-10047 | 12位 | ||
| 36th | 2009年11月18日 | DRAMA! | YCCW-10106 | 5位 | ||
| 37th | 2010年10月13日 | 真夜中の動物園 | YCCW-10121 | 5位 | ||
| 38th | 2011年11月16日 | 荒野より | YCCW-10160 | 4位 | ||
| 39th | 2012年10月24日 | 常夜灯 | YCCW-10179 | 4位 | ||
| COLLECTION | 2013年11月20日 | 十二単~Singles 4~ | CD+DVD (初回限定盤) | YCCW-10205/B | 3位 | |
| CD | YCCW-10206 | |||||
| LIVE | 2014年10月29日 | 中島みゆき「縁会」2012~3 -LIVE SELECTION- | YCCW-10236 | 13位 | ||
| 40th | 2014年11月12日 | 問題集 | YCCW-10237 | 4位 | ||
| 41st | 2015年11月11日 | 組曲 (Suite) | YCCW-10265 | 6位 | ||
| 2015年12月9日 | LP (LP盤はA面がM-1~5、B面がM-6~10となっている。) | YCJW-10008 | ||||
| BEST | 2016年11月16日 | 中島みゆき・21世紀ベストセレクション『前途』 | CD | YCCW-10283 | 2位 | |
| LIVE | 中島みゆきConcert「一会」2015~2016-LIVE SELECTION- | YCCW-10284 | 14位 | |||
| 42nd | 2017年11月22日 | 相聞 | YCCW-10315 | 4位 | ||
| 2018年1月10日 | LP (LP盤は2枚組で、1枚目のA面がM-1~4、B面が未収録、2枚目のC面がM-5~8、D面がM-9~10となっている。) | YCJW-10009/10 | ||||
| LIVE | 2018年12月19日 | 中島みゆき ライブ リクエスト -歌旅・縁会・一会- | CD+DVD (初回限定盤) | YCCW-10352/B | 11位 | |
| CD | YCCW-10353 | |||||
| 43rd | 2020年1月8日 | CONTRALTO | YCCW-10375 | 3位 | ||
| 2020年2月12日 | LP (LP盤はA面がM-1~5、B面がM-6~10となっている。またCDで収録されているTV-MIX(カラオケ)曲は未収録である。) | YCJW-10011 | ||||
| BEST | 2020年12月2日 | ここにいるよ | CD+DVD (初回限定盤) | YCCW-10378-9/B | 4位 | |
| CD | YCCW-10380/1 | |||||
| LIVE | 2022年2月2日 | 中島みゆき 2020ラスト・ツアー「結果オーライ」 | Blu-spec CD2+Blu-ray (初回限定盤) | YCCW-10396/7 | 2位 | |
| Blu-spec CD2+DVD (初回限定盤) | YCCW-10398/9 | |||||
| Blu-spec CD2 | YCCW-10400/1 | |||||
| 44th | 2023年3月1日 | 世界が違って見える日 | CD | YCCW-10414 | 3位 | |
| 2024年1月17日 | LP | YCJW-10012 | -位 | |||
| LIVE | 2025年3月12日 | 中島みゆき コンサート「歌会 VOL.1」-LIVE SELECTION- | CD | YCCW-10427 | -位 | |
7.2. シングル
| 発売日 | タイトル | カップリング | 形態 | 製造番号 | 順位 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| キャニオン・レコード AARD-VARK | ||||||
| 1st | 1975年9月25日 | アザミ嬢のララバイ | さよなら さよなら | EP | AV-69 | 38位 |
| 2nd | 1975年12月21日 | 時代 | 傷ついた翼 | AV-74 | 14位 | |
| 3rd | 1976年3月25日 | こんばんわ | 強い風はいつも | AV-79 | 184位 | |
| 4th | 1976年7月25日 | 夜風の中から | 忘れられるものならば | V-2 | 151位 | |
| 5th | 1977年9月10日 | わかれうた | ホームにて | V-22 | 1位 | |
| 6th | 1978年8月21日 | おもいで河 | ほうせんか | V-30 | 19位 | |
| 7th | 1979年9月21日 | りばいばる | ピエロ | V-44 | 11位 | |
| 8th | 1980年2月5日 | かなしみ笑い | 霧に走る | V-46 | 11位 | |
| 9th | 1980年10月21日 | ひとり上手 | 悲しみに | 7A-0025 | 6位 | |
| 10th | 1981年3月21日 | あした天気になれ | 杏村から | 7A-0059 | 25位 | |
| 11th | 1981年10月21日 | 悪女 | 笑わせるじゃないか | 7A-0122 | 1位 | |
| 12th | 1982年4月5日 | 誘惑 | やさしい女 | 7A-0166 | 2位 | |
| 13th | 1982年9月21日 | 横恋慕 | 忘れな草をもう一度 | 7A-0215 | ||
| 14th | 1983年10月21日 | あの娘 | 波の上 | 7A-0325 | 5位 | |
| 15th | 1984年3月21日 | ひとり | 海と宝石 | 7A-0362 | ||
| 16th | 1985年9月18日 | 孤独の肖像 | 100人目の恋人 | 7A-0515 | 6位 | |
| 17th | 1985年12月21日 | つめたい別れ | ショウ・タイム | 12inch | C12A-0468 | 7位 |
| 18th | 1986年6月5日 | あたいの夏休み | 噂 | EP | 7A-0588 | 14位 |
| 19th | 1986年9月21日 | 見返り美人 | どこにいても | EP | 7A-0629 | 16位 |
| CT | 10P-3018 | -位 | ||||
| 20th | 1986年11月21日 | やまねこ | シーサイド・コーポラス | EP | 7A-0669 | 43位 |
| CT | 10P-3038 | -位 | ||||
| ポニーキャニオン AARD-VARK | ||||||
| 21st | 1987年10月5日 | 御機嫌如何 | シュガー | EP | 7A-0779 | 14位 |
| CT | 10P-3160 | -位 | ||||
| 22nd | 1988年2月26日 | 仮面 | 熱病 (New Version) | EP | 7A-0828 | 23位 |
| 8cmCD | S10A-0011 | |||||
| CT | 10P-13208 | -位 | ||||
| 23rd | 1988年10月21日 | 涙 -Made in tears- | 空港日誌 | EP | 7A-0918 | 18位 |
| 8cmCD | S10A-0207 | |||||
| CT | 10P-13299 | -位 | ||||
| 24th | 1989年3月15日 | あした | グッバイガール | EP | 7A-0956 | 18位 |
| 8cmCD | S10A-0240 | |||||
| CT | 10P-13331 | -位 | ||||
| 25th | 1990年8月21日 | with | 笑ってよエンジェル | 8cmCD | PCDA-00105 | 29位 |
| CT | PCSA-00076 | -位 | ||||
| 26th | 1991年6月5日 | トーキョー迷子 | 見返り美人 (New Version) | 8cmCD | PCDA-00190 | 25位 |
| CT | PCSA-00130 | -位 | ||||
| 27th | 1992年3月4日 | 誕生 / Maybe | 8cmCD | PCDA-00287 | 13位 | |
| CT | PCSA-00191 | -位 | ||||
| 28th | 1992年7月29日 | 浅い眠り | 親愛なる者へ | 8cmCD | PCDA-00341 | 2位 |
| CT | PCSA-00218 | -位 | ||||
| 29th | 1993年4月21日 | ジェラシー・ジェラシー | 兆しのシーズン | 8cmCD | PCDA-00432 | 22位 |
| CT | PCSA-00254 | -位 | ||||
| 30th | 1993年12月1日 | 時代 / 最後の女神 | 8cmCD | PCDA-00510 | 22位 | |
| CT | PCSA-00277 | -位 | ||||
| 31st | 1994年5月14日 | 空と君のあいだに / ファイト! | 8cmCD | PCDA-00563 | 1位 | |
| 32nd | 1995年5月19日 | 旅人のうた | SE・TSU・NA・KU・TE | PCDA-00721 | ||
| 33rd | 1996年11月21日 | たかが愛 | 目を開けて最初に君を見たい | PCDA-00923 | 32位 | |
| 34th | 1997年11月7日 | 愛情物語 | 幸せ | PCDA-01006 | 28位 | |
| 35th | 1998年2月4日 | 命の別名 / 糸 | PCDA-01032 | 12位 | ||
| 36th | 1998年10月7日 | 瞬きもせず | 私たちは春の中で 瞬きもせず (MOVIE THEME VERSION) | Maxi | PCCA-01247 | 22位 |
| ヤマハミュージックコミュニケーションズ | ||||||
| 37th | 2000年7月19日 | 地上の星 / ヘッドライト・テールライト | Maxi | YCDW-00001 | 1位 | |
| 38th | 2003年7月23日 | 銀の龍の背に乗って | 恋文 | YCDW-00014 | 4位 | |
| 39th | 2006年2月1日 | 帰れない者たちへ | 命のリレー('04 夜会ヴァージョン) | YCCW-30007 | 35位 | |
| 40th | 2007年7月11日 | 一期一会 | 昔から雨が降ってくる | YCCW-30011 | 11位 | |
| 41st | 2009年11月4日 | 愛だけを残せ | 闘りゃんせ | YCCW-30023 | 15位 | |
| 42nd | 2011年10月26日 | 荒野より | バクです | YCCW-30027 | 11位 | |
| 43rd | 2012年10月10日 | 恩知らず | 時代 -ライヴ 2010~11- | YCCW-30029 | 12位 | |
| 44th | 2014年10月29日 | 麦の唄 | 泣いてもいいんだよ | YCCW-30041 | 5位 | |
| 45th | 2017年8月23日 | 慕情 | 人生の素人(しろうと) | YCCW-30064 | 8位 | |
| 46th | 2019年9月25日 | 離郷の歌 / 進化樹 | YCCW-30079 | 13位 | ||
| 47th | 2022年12月14日 | 俱に(ともに) / 銀の龍の背に乗って | YCCW-30087 | 8位 | ||
| 48th | 2023年9月13日 | 心音(しんおん) | 有謬(うびゅう)の者共(ものども) | YCCW-30088 | 15位 | |
7.3. ライブ・アルバム
- 『歌暦』(1987年2月21日)
- 『中島みゆきライヴ! Live at Sony Pictures Studios in L.A.』(2005年3月23日)
- 『歌旅 -中島みゆきコンサートツアー2007-』(2008年6月11日)
- 『中島みゆき「縁会」2012~3 -LIVE SELECTION-』(2014年10月29日)
- 『中島みゆきConcert「一会」2015~2016-LIVE SELECTION-』(2016年11月16日)
- 『中島みゆき ライブ リクエスト -歌旅・縁会・一会-』(2018年12月19日)
- 『中島みゆき 2020ラスト・ツアー「結果オーライ」』(2022年2月2日)
- 『中島みゆき コンサート「歌会 VOL.1」-LIVE SELECTION-』(2025年3月12日)
7.4. 映像作品
中島みゆきの映像作品には、プロモーションビデオ集、夜会公演、コンサートライブ映像などがある。
- PV集**
| 発売日 | タイトル | 形態 | 製造番号 | 順位 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| キャニオン・レコード AARD-VARK | ||||||
| 1st | 1987年8月21日 | 中島みゆき CDV GOLD | CDV | E24A-1001 | -位 | |
| ポニーキャニオン AARD-VARK | ||||||
| 2nd | 1991年6月21日 | A FILM of Nakajima Miyuki | VHS | PCVP-10575 | -位 | |
| LD | PCLP-00173 | |||||
| 3rd | 1997年3月21日 | FILM of Nakajima Miyuki II | VHS | PCVP-52090 | ||
| LD | PCLP-00642 | |||||
| 4th | 2000年8月2日 | THE FILM of Nakajima Miyuki | DVD | PCBP-50240 | 27位 | |
- 夜会**
| 発売日 | タイトル | 形態 | 製造番号 | 順位 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| ポニーキャニオン AARD-VARK | ||||||
| 1st | 1991年11月7日 | 夜会1990 | VHS | PCVP-50640 | -位 | |
| LD | PCLP-00214 | |||||
| 2000年11月22日 | DVD (ヤマハミュージックコミュニケーションズから再発売) | YCBW-00001 | ||||
| 2nd | 1992年10月21日 | 夜会VOL.3 KAN(邯鄲)TAN | VHS | PCVP-51011 | ||
| LD | PCLP-00383 | |||||
| 2000年11月22日 | DVD (ヤマハミュージックコミュニケーションズから再発売) | YCBW-00002 | ||||
| 3rd | 1993年11月3日 | 夜会VOL.4 金環蝕 | VHS | PCVP-51293 | ||
| LD | PCLP-00481 | |||||
| 2000年11月22日 | DVD (ヤマハミュージックコミュニケーションズから再発売) | YCBW-00003 | ||||
| 4th | 1994年11月2日 | 夜会VOL.5 花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に | VHS | PCVP-51527 | ||
| LD | PCLP-00531 | |||||
| 2000年11月22日 | DVD (ヤマハミュージックコミュニケーションズから再発売) | YCBW-00004 | ||||
| 5th | 1994年11月2日 | ドキュメント夜会VOL.5 花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に | VHS | PCVP-51528 | ||
| LD | PCLP-00532 | |||||
| 6th | 1995年11月1日 | 夜会VOL.6 シャングリラ | VHS | PCVP-51742 | ||
| LD | PCLP-00577 | |||||
| 2000年11月22日 | DVD (ヤマハミュージックコミュニケーションズから再発売) | YCBW-00005 | ||||
| 7th | 1996年11月7日 | 夜会VOL.7 2/2 | VHS | PCVP-51942 | ||
| LD | PCLP-00614 | |||||
| 2000年11月22日 | DVD (ヤマハミュージックコミュニケーションズから再発売) | YCBW-00006 | ||||
| 8th | 1997年11月19日 | 夜会VOL.8 問う女 | VHS | PCVP-52235 | ||
| LD | PCLP-00660 | |||||
| 2000年11月22日 | DVD (ヤマハミュージックコミュニケーションズから再発売) | YCBW-00007 | ||||
| 9th | 1999年12月1日 | 夜会VOL.10 海嘯 | VHS | PCVP-52764 | ||
| 2000年1月19日 | DVD | PCBP-00159 | 18位 | |||
| 2004年7月21日 | DVD (ヤマハミュージックコミュニケーションズから再発売) | YCBW-10001 | ||||
| ヤマハミュージックコミュニケーションズ | ||||||
| 10th | 2003年12月3日 | 夜会の軌跡 1989~2002 | DVD | YCBW-00008 | 17位 | |
| 11th | 2004年12月15日 | 夜会VOL.13 24時着 0時発 | YCBW-10002 | 22位 | ||
| 12th | 2008年11月19日 | 夜会VOL.14 24時着 00時発 | YCBW-10017 | 17位 | ||
| 13th | 2010年10月13日 | 夜会VOL.16 ~夜物語~本家・今晩屋 | DVD | YCBW-10028 | 9位 | |
| Blu-ray | YCXW-10001 | 3位 | ||||
| 14th | 2013年11月11日 | 夜会VOL.17 2/2 | DVD | YCBW-10037 | 28位 | |
| Blu-ray | YCXW-10005 | 10位 | ||||
| 15th | 2015年11月11日 | 夜会VOL.18 橋の下のアルカディア | DVD | YCBW-10060 | 2位 | |
| Blu-ray | YCXW-10007 | 5位 | ||||
| 16th | 2018年12月19日 | 夜会工場VOL.2 | DVD | YCBW-10086 | 27位 | |
| Blu-ray | YCXW-10013 | 29位 | ||||
| 17th | 2019年11月27日 | 夜会VOL.20 リトル・トーキョー | DVD | YCBW-10094 | TBA | |
| Blu-ray | YCXW-10014 | |||||
- ライブ**
| 発売日 | タイトル | 形態 | 製造番号 | 順位 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| ヤマハミュージックコミュニケーションズ | ||||||
| 1st | 2004年12月23日 | 歌姫 LIVE in L.A. | DVD | YCBW-10003 | 40位 | |
| 2nd | 2005年3月23日 | 中島みゆきライヴ! Live at Sony Pictures Studios in L.A. | YCBW-10004 | 27位 | ||
| 3rd | 2008年6月11日 | 歌旅 -中島みゆきコンサートツアー2007- | YCBW-10013/4 | 2位 | ||
| 4th | 2014年11月12日 | 中島みゆき「縁会」2012~3 | DVD | YYCBW-10050 | 3位 | |
| Blu-ray | YCXW-10006 | 4位 | ||||
| 5th | 2016年11月16日 | 中島みゆきConcert「一会」2015~2016 | DVD | YCBW-10068 | 6位 | |
| Blu-ray | YCXW-10010 | 5位 | ||||
| 6th | 2025年3月12日 | 中島みゆき コンサート「歌会 VOL.1」 | DVD | YCBW-10111 | -位 | |
| Blu-ray | YCXW-10032 | -位 | ||||
| DVD+DVD(初回限定盤) | YCXW-10109/10 | -位 | ||||
| Blu-ray+Blu-ray(初回限定盤) | YCBW-10030/1 | -位 | ||||
7.5. コンピレーション・ボックス・セット
| 発売日 | タイトル | 発売元 | 形態 | 製造番号 | 順位 | セット内容 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1st | 1984年3月 | NAKAJIMA MIYUKI CRISTAL RAINBOW SINGLE COLLECTION (限定生産発売。「アザミ嬢のララバイ」から「かなしみ笑い」までは7A-0264から順番に7A-0271までで、後は当時の現行EPと同じ番号となっている。) | キャニオン・レコード AARD-VARK | EP | 7A-0264/7A-0325 | 「アザミ嬢のララバイ」から「あの娘」までの14枚組7色シングルレコード | |
| 2nd | 1988年6月21日 | 中島みゆき CD BOX 10 (その後90年代に入り、各アルバムのCD再発売を経て、1997年に新たに通販限定でCD-BOXを発売とともに製造中止された。) | ポニーキャニオン AARD-VARK | CD | D27OP-6227 | 「私の声が聞こえますか」から「予感」までの10枚組アルバム | |
| 3rd | 1997年4月1日 | 中島みゆき CD-BOX 1976~1983 (通販限定発売。) | ポニーキャニオン | CD | DMW-00936 | 「私の声が聞こえますか」から「予感」までの10枚組アルバム | |
| 4th | 1998年11月21日 | 中島みゆき CD-BOX 1984~1992 (通販限定発売。) | ポニーキャニオン | CD | DMCA-40047 | 「はじめまして」から「EAST ASIA」までの10枚組アルバム | |
| 5th | 2004年10月21日 | 中島みゆき CD-BOX 1993~2002 (通販限定発売。現在は販売を終了して廃盤である。発売当時はポニーキャニオンがヤマハミュージックコミュニケーションズの商品も営業していた為、ヤマハミュージックコミュニケーションズから発売された作品も含まれた。) | ポニーキャニオン | CD | DMCA-20121 | 「時代-Time goes around-」から「おとぎばなし-Fairy Ring-」までの10枚組アルバム | |
| 6th | 2012年9月1日 | 中島みゆきBOX 私の声が聞こえますか~臨月 (通販限定発売。) | ヤマハミュージックパブリッシング | HQCD | YMPCD-20001/8 | 「私の声が聞こえますか」から「臨月」までの8枚組リマスターアルバム | |
| 7th | 2014年3月19日 | 完全保存版! 中島みゆき「お時間拝借」よりぬきラジオCD BOX | ヤマハミュージックコミュニケーションズ | CD | YCCW-10219/23 | 45位 | TOKYO FMでラジオ番組をしていた「お時間拝借」という番組からの人気コーナーをよりぬきで編集。(トーク集) |
| 8th | 2014年10月15日 | 中島みゆきBOX2 寒水魚~夜を往け (通販限定発売。) | ヤマハミュージックパブリッシング | HQCD | YMPCD-20009/18 | 「寒水魚」から「夜を往け」までの10枚組リマスターアルバム |
7.6. 特別アルバム(カバー、トリビュート、海外限定など)
- オムニバスアルバム**
| 発売日 | タイトル | 発売元 | 形態 | 製造番号 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1st | 1997年11月19日 | 中島みゆき ソングライブラリー 1 | ポニーキャニオン | CD | PCCA-01143 |
| 2nd | 中島みゆき ソングライブラリー 2 | PCCA-01144 | |||
| 3rd | 中島みゆき ソングライブラリー 3 | PCCA-01145 | |||
| 4th | 中島みゆき ソングライブラリー 4 | PCCA-01146 | |||
| 5th | 中島みゆき ソングライブラリー 5 | PCCA-01147 | |||
| BEST | 2003年9月18日 | 中島みゆきSONG LIBRARY BEST SELECTION | PCCA-01941 |
- トリビュートアルバム**
| 発売日 | タイトル | 発売元 | 形態 | 製造番号 | 順位 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1st | 2002年10月2日 | 中島みゆき的アジアン・カバーズ (主に中国、香港、台湾のアーティストがカバーした曲を集めたオムニバスアルバムである。) | キングレコード | CD | KICS-2384 | |
| 2nd | 2003年9月26日 | 中島みゆきトリビュート Yourself...Myself | ユニバーサルミュージックK.K. | UICZ-4073 | 63位 | |
| 3rd | 2006年6月14日 | 元気ですか | ヤマハミュージックコミュニケーションズ | YCCW-10027 | 17位 | |
| 4th | 2016年11月16日 | 「歌縁」 -中島みゆき RESPECT LIVE 2015- | YCCW-10292 | 38位 | ||
| 5th | 2024年1月17日 | 「歌縁」 -中島みゆき RESPECT LIVE 2023- | YCCW-10416 |
- オフィシャルインストゥルメンタルカバーアルバム**
| 発売日 | タイトル | 発売元 | 形態 | 製造番号 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1st | 2008年10月22日 | チェロとピアノで聞く中島みゆき | ヤマハミュージックコミュニケーションズ | CD | YCCW-10088 |
| 2nd | 2009年1月29日 | チェロとピアノで聞く中島みゆきII | YCCW-10095 | ||
| 3rd | 2009年10月21日 | インストゥルメンタルで聞く中島みゆき | YCCW-10104 | ||
| 4th | 2010年10月13日 | インストゥルメンタルで聞く中島みゆきII | YCCW-10122 | ||
| 5th | 2011年11月16日 | インストゥルメンタルで聞く中島みゆきIII | YCCW-10161 | ||
| BEST | 2023年3月1日 | 歌がなくても聞こえてくる「中島みゆきの音楽集」~こころに寄り添う24の旋律~ | YCCW-10405/6 |
- 海外限定販売アルバム**
| 発売日 | タイトル | 発売元 | 形態 | 製造番号 | |
|---|---|---|---|---|---|
| カナダ | |||||
| 1986年8月 | COLD FAREWELL | isba | LP | IS-2008 | |
| CT | IS4-2008 | ||||
| 香港 | |||||
| 1993年2月15日 | 美雪集 | GOLDEN PONY ENTERTAINMENT | CD | GPJ-31342 | |
| CT | GPJ-31344 | ||||
| 1994年8月10日 | 美雪集2 | GOLDEN PONY ENTERTAINMENT | CD | GPJ-31462 | |
| CT | GPJ-31464 | ||||
| 1995年3月 | 中島美雪 '95香港演唱會紀念版 | GOLDEN PONY ENTERTAINMENT | CD | GPJ-3162-2 | |
7.7. 未音源化楽曲
中島みゆきが発表したものの、公式には音源化されていない楽曲は以下の通りである。
| 発表日 | タイトル | 備考 |
|---|---|---|
| 1969年9月1日 | 鶫の唄 | 北海道帯広柏葉高校の学園祭「第20回柏葉祭」において発表された。 |
| 1972年 | 私の窓から | 札幌・STVホールにて開催された「全国フォーク音楽祭」札幌地区予選の優勝曲(この予選通過後、中島は、札幌・中島スポーツセンターで行われた「全道大会」と東京・日比谷野外音楽堂の「全国大会」では「あたし時々おもうの」を歌っている)。公式では未発表だが、2007年1月1日に「STVラジオミュージックBOX」にて放送された。 |
| 1974年10月15日 | 町へお帰り | 北海道音更町でのコンサートにおいて発表された。 |
| 帰郷 | ||
| あの人は船乗り | ||
| 1974年11月22日 | ホンキー・トンク・ママ | 北海道帯広市に実在したファッションタウン「ベル」にて開催された「第3回ヤング・フェスティバル」において発表された。 |
| 1976年4月18日 | 町へ帰れば | 奈良県天理市で開催された「天理教第52回青年会総会 前夜祭」で「アザミ嬢のララバイ」や「時代」などの楽曲とともに初披露された楽曲。 |
| 1977年4月 | 質問 | 小学館から刊行されていた雑誌『JOTOMO』1977年5月号の別冊付録『プチプチ』に掲載された「POEM GALLRY 中島みゆきの世界」の中に発表された詩。エッセイ「街の女」および「エレーン」や「夜会VOL.8 問う女」の源流となった作品で、翌年に行われたコンサートツアー「1978年・春のツアー」にて、初披露された。 |
| 1979年3月23日 | きつねの嫁入り | 1979年に行われたコンサートツアー「1979年・春のツアー」において発表された。 |
| 1983年9月4日 | 北の旅人 | 大通公園西8丁目広場にて開催された、天理教「あらきとうりょう・女子青年決起北海道大会」の大会歌として書き下ろした楽曲。天理教の北海道教区報第169号(1983年8月1日)5ページに楽譜が掲載されている。 |
| 1985年2月27日 | "のぅさんきゅう" | コンサートツアー「のぅさんきゅう」で中島が朗読した詩。「世情」から、次の「シニカル・ムーン」への導入として使われていた。後に、新潮文庫から刊行された中島の著書「片想い」に全文掲載されている。 |
| 1995年 | 誰ひとりわたしを知らない | 「夜会VOL.7 2/2」のために書かれたが、実際の舞台では使われなかったお蔵入りの楽曲。 |
8. 受賞歴と栄誉
中島みゆきは、その長年の音楽活動において数々の賞を受賞し、政府からの表彰も受けている。
8.1. 主要音楽賞
| 日本レコード大賞 | |||
| 年 | タイトル | カテゴリー | 担当 |
|---|---|---|---|
| 1976 (18th) | "あばよ" | 歌唱賞 | (歌唱:研ナオコ / 作曲・作詩:中島 / 編曲:川口真) |
| 1978 (20th) | "しあわせ芝居" | 金賞 | (歌唱:桜田淳子 / 作曲・作詩:中島 / 編曲:若草恵) |
| 1981 (23rd) | 臨月 | ベスト10アルバム賞 | (歌唱・作曲・作詩・プロデュース:中島 / 編曲:星勝、安田裕美、萩田光雄、松任谷正隆) |
| 1982 (24th) | 寒水魚 | ベストアルバム賞/ベスト10アルバム賞 | (歌唱・作曲・作詩・プロデュース:中島 / 編曲:青木望、松任谷正隆、後藤次利) |
| 1983 (25th) | "春なのに" | 作曲賞 | (作詩・プロデュース:中島 / 歌唱:柏原芳恵 / 編曲:服部克久) |
| 1984 (26th) | "最愛" | 金賞 | (歌唱:柏原芳恵 / 作詩・作曲:中島 / 編曲:倉田信雄) |
| 1988 (30th) | "MUGO・ん...色っぽい" | 金賞 | (歌唱:工藤静香 / 作詩:中島 / 作曲・プロデュース・編曲:後藤次利) |
| 1992 (34th) | EAST ASIA | ベスト10アルバム賞 | (歌唱・作曲・作詩・プロデュース:中島 / コ・プロデュース・編曲:瀬尾一三) |
| 2006 (48th) | "宙船(そらふね)" | 作詩賞 | (歌唱:TOKIO / 作詩・作曲:中島 / 編曲・プロデュース:船山基紀) |
| 日本ゴールドディスク大賞 | |||
| 年 | 楽曲 | カテゴリー | 担当 |
|---|---|---|---|
| 1989 (4th) | "黄砂に吹かれて" | 年間ベストセラーシングル5曲 | (歌唱:工藤静香 / 作詩:中島 / 作曲・プロデュース・編曲:後藤次利) |
| 1994 (9th) | "空と君のあいだに"/"ファイト!" | 年間ベストセラーシングル5曲 | (歌唱・作曲・作詩・プロデュース:中島 / コ・プロデュース・編曲:瀬尾一三、井上鑑) |
8.2. 政府からの表彰
2006年、中島は第56回芸術選奨 文部科学大臣賞を受賞した。これは「コンサートツアー2005」が評価されてのことで、シンガーソングライターとしては初の受賞者となった。
2009年11月、中島は日本国政府から紫綬褒章を受章した。
9. 影響力と評価
中島みゆきの音楽は、日本の音楽シーンのみならず、アジア全域に大きな影響を与えている。
9.1. 音楽的影響
中島みゆきの歌唱法は、基本的に深いブレスと力強い声質を生かして朗々と歌い上げる。曲によって、また曲の中でも情景や詞が含む感情によって、いくつもの声色を使い分けている。例として、「地上の星」と「ヘッドライト・テールライト」の歌い回しの違いが挙げられる。同じアルバムの中でももっと声質の大きく異なる曲が収録されることも多い。歌っているときの声と普段の喋り声とのギャップも著しい。転調が得意であるため、転調する曲が多い。例として、「浅い眠り」と「空と君のあいだに」が挙げられる。尚、中島みゆきのオールナイトニッポンでは、歌唱時の細かいビブラートを「ちりめんビブラート」と称しており、揶揄している。
中島みゆきは、オリコンにおいて、4つの年代にわたってシングルチャート1位を獲得した唯一のソロ・アーティストであり、他のアーティストへの提供曲が、5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得している。自身の歌唱も含めると、作詞・作曲を手掛けた作品が5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得したことになる。
- 中島みゆき自身の歌唱でオリコンシングルチャート1位を獲得した楽曲は以下の通りである。
| 年代 | 曲名 | 1位獲得年 |
|---|---|---|
| 1970年代 | わかれうた | 1977年 |
| 1980年代 | 悪女 | 1981年 |
| 1990年代 | 空と君のあいだに/ファイト! | 1994年 |
| 旅人のうた | 1995年 | |
| 2000年代 | 地上の星/ヘッドライト・テールライト | 2003年(シングルのリリースは2000年) |
アルバム・シングルを併せたレコード・CDのトータルセールスでは、2005年までの時点で2131.00 万 JPYを記録し、女性ソロ・ミュージシャンとしては歴代8位、女性シンガーソングライターとしては5位にランクインしている。オリコンアルバムチャートでベスト10入りした枚数では、矢沢永吉、松任谷由実、浜崎あゆみ、松田聖子に次いで歴代5位(2015年現在)である。「地上の星」/「ヘッドライト・テールライト」がオリコンウィークリーチャート100位以内に連続してチャートインした週数では歴代1位(2011年現在)を記録している。50歳以上で週間オリコン・シングルチャートで1位を記録した女性歌手は秋元順子と松任谷由実と中島の3人だけである(2015年現在)。
中島みゆきは、松任谷由実と並び称されることが多い。かつて松任谷由実は「ライバルは?」と聞かれ「中島みゆきさん」と答え、テレビ・ラジオなどでは「みゆき」と呼ぶ。逆に中島は、『中島みゆき お時間拝借』で「松任谷」と呼んでいた(中島は松任谷より2歳上)。1980年代以降、トレンドに合わせた楽曲でヒットを飛ばす松任谷由実と、己の道を行く中島みゆきを「月と太陽」「光と影」とするような対比が多く見られ、ユーミンは「恋愛歌の女王」、中島みゆきは「失恋歌の女王」、「女の情念を歌わせたら日本一」などとよく形容された。当人同士は、そうした周囲の対比をさほど気にもかけていない様子である。同年代で交友もあり(ユーミンの夫松任谷正隆が中島の曲のアレンジを担当したこともある。具体的には「あわせ鏡」「友情」「夜曲」「B.G.M」の4曲)、互いに認め合っている。1984年、中島のコンサートツアー「明日を撃て!」のパンフレットに寄稿した松任谷は、「私がせっかく乾かした洗濯物を、またじとーっとしめらせてしまう、こぬか雨のよう」と中島の音楽を評し、「でも、そうやってこれからも一緒に、日本の布地に風合いを出していきましょう」と締めくくっている。中島は自身の著書『愛が好きです』の中で松任谷のことを「尊敬している」と語っている。両者はこれまでにラジオで7回対談している。2020年11月27日にユーミンがテレビ番組『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』に出演した際、司会の中居正広から「同じ世代のミュージシャンを、どう思ってるか。例えば、ピンポイントで中島みゆきさん。」と質問された際も、ユーミンは「すごいと思いますよ。すごい楽曲を生み出してるなって。世界観がすごいなと思いますね。」と中島への賛辞を評し、他にも「仲が悪い方が人は面白いかもしれないけれど、すごい好きですよ、彼女のこと。」、「彼女も私のこと好きだと思います。」と答えた。
また、ライバルというよりも戦友的存在の一人として、谷山浩子も挙げられる。谷山も中島と同じくヤマハ・ポプコン出身ということや、オールナイトニッポンの構成作家が同じということから交友があり、谷山が出演していたラジオ番組『谷山浩子のオールナイトニッポン』(木曜二部)にたびたび出演するほか、後年、『夜会 ウィンターガーデン』(2000年)でも共演している。
9.2. 大衆文化への影響
MTVチャイニーズのホームページ内「音楽評論家のアフターヌーンティー」コーナーには「中島みゆきの創作力は、広く認められている。彼女の作品は、常に香港や台湾の歌手にカバーされ、日本のみならず、アジア全域に中島みゆきの音楽が行き渡ったと言っても過言ではない」と書かれている。膨大な数のカバー曲や、日本音楽業界との密接な関わりにより、中島のニュースは時々台湾の新聞でも見かけられる。過去10年間における中島に関する報道は、年間20件 - 30件ある。台湾の詩人曾淑美は、文学雜誌で中島みゆきに関する評論を載せ、香港の評論家湯禎兆も蘋果日報に「中島みゆきの名にちなむ」という文章で中島を紹介した。作家劉黎兒も中島の長年のファンとして知られ、自身の作品の中に、幾度も中島のことや歌を書き上げたことがある。
10. 関連人物
- 吉田拓郎 - デビュー前、中島は拓郎の追っかけをやっており、拓郎の楽屋にも出入りするほど、周囲では有名なファンであった。拓郎は、中島の「ファイト!」を気に入っており、よくコンサートで歌っている。中島は拓郎のことを「よた」と呼んでいた。2006年9月23日に行われた「吉田拓郎&かぐや姫コンサートinつま恋2006」にゲスト出演し、提供曲「永遠の嘘をついてくれ」で共演した。この模様はNHK BShiで生放送され、同コンサートのDVD『Forever Young Concert in つま恋 2006』に収録されている。中島はゲスト出演すると、コンサートを全部見ることができると思っていたが、ゲスト出演が極秘であったため、ある部屋に出演時間まで缶詰にされ、目隠しの車に乗せられてコンサート会場に行き、リハーサル無しで出演し歌を歌い終わったら、そのまま東京へ護送された(本人曰く)というエピソードがある。
- 松山千春 - ともに札幌テレビ放送(STV)のディレクターだった竹田健二(1977年、37歳で急逝)に恩義があり、北海道出身同士の友人である。髪が薄いのをからかって中島が「まさしと千春のコンサートには、ワカメの花束を持って行こう!」と言ったこともあった(さだまさし談。さだ・松山・中島の三人で食事をした際に、松山が薄毛対策のためにわかめスープを飲んだのに、さだが付き合う形で二人で飲んだ。その時「みゆきがそばでジィーッと見てて」と語っている。)
- さだまさし - 「あの人に似ている」を共作。古くからの仲であり、お互いに「みゆき」「まさし」と呼ぶ間柄。二人でレコーディングした際のインタヴューではお互いに「ファンだ」と言い合っていた。このデュエットの実現は中島の要請によるものである。さだは、2006年元日に放送された自身司会のNHK『新春いきなり生放送!!「年の初めはさだまさし」』で、『プロジェクトX』の後継番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』の番宣に登場したNHKスタッフに、「この番組には中島みゆきさんの歌はないんですか?」と質問していた。2011年1月1日放送の『年の初めはさだまさし』で中島が『今夜も生でさだまさし』の視聴者であることが紹介されたが、その際さだは、中島と2010年末に名古屋で会った時にさだが「『今夜も生で中島みゆき』やればいいのに。みゆきなら出来る」(中島が「TOUR2010」で観客からのお便りを読むコーナーをやっていることから)と言ったところ中島が「白板の前のライトはきつい」と答えた、というエピソードを紹介した。さだの妹・佐田玲子のデビュー曲は、中島が書いている。なお、さだは中島の表現力と感受性を大いに称賛しており、中島の作品を「良質な流行歌」と評す。
- 瀬尾一三 - 『グッバイガール』以来、ずっと中島のアレンジャー、プロデューサーを務めている。
- 後藤次利 - 一時期編曲・ベース演奏で中島と多く組んだ。
- 斎藤ノヴ
- 杉本和世
- 甲斐よしひろ - 『36.5℃』でプロデューサー、『中島みゆき』でコンポーザーとして組んだ。1986年6月29日黒澤フィルム・スタジオでの甲斐バンドのスペシャル・ラスト・ライヴにゲスト出演し、甲斐バンドの「港からやってきた女」を共演した。この模様は甲斐バンドのDVD『HERE WE COME THE 4 SOUNDS』、CD『シークレット・ギグ』に収録されている。
- 桜田淳子 - 中島みゆきの提供した曲は息継ぎがしづらく、こめかみに青筋を立てて歌っていたと、中島自身がラジオで語っていた。
- 柏原芳恵 - 柏原のレコーディングは、どの提供曲も毎回、中島が立ち会ったという。そのレコーディングで中島は「芳恵ちゃんって歌うまかったのね」と語った。
- 研ナオコ・谷山浩子・工藤静香・中村中 - 自他共に認め合う年来の大親友たち。谷山は前述通りポプコン時代からの戦友的存在、研・工藤は前述の柏原同様楽曲提供を受け、自身の音楽にも影響を受けた弟子的存在でもある。
- 筒美京平 - 郷ひろみの楽曲『美貌の都』でタッグを組み、中島みゆきの楽曲『兆しのシーズン』でもタッグを組んだ。
- 所ジョージ - 『オールナイトニッポン』のパーソナリティ同士として知り合い、時々各々の曜日に行き来した。所の思いつきで、ゲームに負けたら所のシングル『寿司屋』に因んだ『蕎麦屋』という曲を作って歌え、と言われた中島はそのゲームに負け、本当に『蕎麦屋』なる曲を歌うこととなった。
- 笑福亭鶴瓶 - 中島が大阪で「ミュージックマガジン」(MBSラジオ)のパーソナリティを担当していたこと、またその構成担当であった寺崎要が鶴瓶の「MBSヤングタウン」の構成も担当していたことから引き合わされ、それ以来の交友がある。特筆すべきは、1978年4月の音楽番組出演を最後に、以後1991年のCM出演まで13年の長きに亘り、テレビ出演から意識的に遠ざかっていた中島が、唯一「鶴瓶のミッドナイトトレイン」(関西テレビ、1980年)にゲスト出演していることである。鶴瓶も自身のラジオ番組で中島について語ったり、「夜会」に度々訪れていることを「鶴瓶上岡パペポTV」(讀賣テレビ放送)にて話題にしたりしている。
- 明石家さんま - 1984年6月、聴取率調査週間のため『中島みゆきのオールナイトニッポン』に出演。肝心の中島みゆきは、テレビで『オレたちひょうきん族』を見たことがないだけでなく、明石家さんまの存在自体を知らなかった。当然、話は噛み合わずさんまが「『8時だョ!全員集合』って観たことあります?」と尋ねると、中島は「昔...」と答え、さんまが「その裏番組で『ひょうきん族』っていう番組をしてます......」と説明するという会話があった。
- 槇原敬之 - カバーアルバムで「空と君のあいだに」「ファイト!」をカバー。『お時間拝借』にゲスト出演したこともある。
- 桜井和寿 - 自身と小林武史が中心のバンドBank Bandで「僕たちの将来」「糸」をカバー。
- 田村仁 - 写真家。中島の『みんな去ってしまった』から現在までのアルバムジャケット写真をはじめ、世に出回る中島の写真のほとんどの撮影は田村によるものである。
- うえやなぎまさひこ(上柳昌彦) - かつて中島が『オールナイトニッポン』の月曜1部放送後の、2部パーソナリティーがうえやなぎであったことから懇意となり、2003年-2004年、『うえやなぎまさひこのサプライズ!』内で『中島みゆき ほのぼのしちゃうのね』がベルト番組として放送されていた。メインパーソナリティーである、うえやなぎに「おーやさーん!」(大家さーん!)と、中島独特の抑揚で叫んで回覧板を持ってくる...という設定のオープニングだった。2006年12月15日には『オールナイトニッポン』40周年を記念し、一夜限りの復活をした『中島みゆきのオールナイトニッポン』では、アシスタントとして登場した。
- 竹中直人 - 「紅灯の海」の提供を受けた。また、竹中が監督した映画「東京日和」「サヨナラCOLOR」には中島みゆきが出演し、主演の竹中との共演シーンがある。
- 安達祐実 - 安達主演のテレビドラマ『家なき子』、『家なき子2』(1994年-1995年 日本テレビ)主題歌で大ヒットとなる。
- 秋本治 - 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の初めの方には、中島みゆきに関連した書き込みが多く見られる。中島みゆきは『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のコミックス11巻の後ろの紹介文も書いている。
- 山内亮史 - 『中島みゆきの社会学』著者、旭川大学学長。中島みゆきのファンであり、講義でも数多く中島みゆきについて解説している。
- 村上龍 - 『GORO』(1978年5月25日号)で対談。『女歌』の文庫版に解説「幸福という言葉に惑わされない女達」を寄稿。村上と坂本龍一がホストの鼎談集『EV.Cafe 超進化論』では吉本隆明と3人で中島の歌詞について語っている。小説『テニスボーイの憂鬱』では、会話の中で中島みゆきが話題になる箇所があり、登場人物の一人が、涙が出てきそうな歌の文句として「五才の頃」の歌詞に触れる台詞がある。
- 落合真司 - 中島に関わる書籍を多数書いている。
- 福山雅治 - 「ファイト!」をカバーする。2011年10月22日、福山とみゆきは福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオで共演した。
- 高橋源一郎 - 『さようなら、ギャングたち』にて、ヒロインが「中島みゆきソング・ブック」と名付けられる。
- センチメンタル・シティ・ロマンス - アルバム『御色なおし』の一部の楽曲の編曲・レコーディングを担当。
- 呉智英 - 自身熱狂的ファンであることを公言し、中島の楽曲を「恋愛が近代的自我にとって最大の不条理になるという逆説」(「中島みゆきは中山みきである」)を歌うものとして高く評価する。
- 銀杏BOYZ - ドラム担当の元メンバー・村井守(現ケイマックスプロデューサー)はいとこに当たる。
- 杉原千畝 - 『SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-』(新国立劇場、2008年・2013年)に、舞台作品としては初めて書き下ろしの楽曲を提供。