1. 生い立ちと教育
中後雅喜は1982年5月16日に千葉県千葉市稲毛区で生まれた。身長は178 cm、体重は73 kgである。
1.1. ユース経歴
プロデビュー以前のサッカー活動として、あやめ台FCでプレーした後、1995年から1997年までジェフユナイテッド市原ジュニアユースに所属した。1998年から2000年にかけては東京学館浦安高等学校に在学しながら、ジェフユナイテッド市原ユースでプレーを続けた。
2001年に駒澤大学へ進学。大学サッカー界では「大学No.1ボランチ」と評されるほどの活躍を見せ、その才能は早くから注目を集めた。
2. 選手経歴
中後雅喜は2005年にプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせ、複数のクラブでプレーした。
2.1. 所属クラブ
中後雅喜はプロとして以下のクラブに所属した。
- 2005年 - 2009年: 鹿島アントラーズ
- 2009年: ジェフユナイテッド市原・千葉(期限付き移籍)
- 2010年 - 2011年: ジェフユナイテッド市原・千葉
- 2011年: セレッソ大阪(期限付き移籍)
- 2012年 - 2017年: 東京ヴェルディ
2005年に鹿島アントラーズに加入し、プロとしての第一歩を踏み出した。2年目の2006年シーズン途中からは、当時のパウロ・アウトゥオリ監督に見出され、ボランチの定位置を確保した。彼は攻撃の組み立て役として、ピッチ全体をワイドに使った精度の高い長短のパスでチームの攻撃をリードした。
2007年から鹿島アントラーズの監督に就任したオズワルド・オリヴェイラも当初は中後を重用したが、同年シーズン途中に小笠原満男がチームに復帰したことで、中後は小笠原や青木剛に次ぐボランチの三番手に甘んじることになった。この時期は途中出場や、本職ではないDFでの起用が中心となっていった。
2009年、先発出場の機会を求め、ユース時代に所属した古巣のジェフユナイテッド市原・千葉へ期限付き移籍した。移籍当初はアレックス・ミラー監督の戦術に合わず冷遇されたが、江尻篤彦への監督交代後は正ボランチに定着した。2010年からは千葉へ完全移籍したが、出場機会は再び減少した。
2011年からは期限付き移籍でセレッソ大阪でプレーすることになった。C大阪ではシーズン序盤こそ定位置を確保したものの、シーズンが進むにつれて扇原貴宏の台頭などにより出場機会が減少していった。同年12月10日、C大阪との期限付き移籍期間満了と、レンタル元の千葉からも契約満了に伴い来季の契約を更新しないことが発表された。
2012年からは東京ヴェルディへ移籍し、2017年シーズンまでプレーした。2017年12月28日、このシーズン限りで現役を引退し、東京ヴェルディのアカデミーコーチに就任することを発表した。
2.2. プレースタイルとポジション
中後雅喜の主なポジションはミッドフィールダーであり、特に守備的ミッドフィールダーであるボランチを主戦場とした。彼のプレースタイルは、攻撃の組み立て役としてピッチ全体をワイドに使い、精度の高い長短のパスで攻撃をリードする点が特徴的であった。駒澤大学時代には「大学No.1ボランチ」と評されるなど、そのパス能力と視野の広さが高く評価されていた。
2.3. 個人成績
中後雅喜のプロおよび大学での個人成績は以下の通りである。
クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグカップ | 国際大会 | 合計 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグ杯 | AFC | 合計 | |||||||
2001 | 駒澤大学 | - | - | - | - | 3 | 0 | 3 | 0 | |||
2002 | - | - | - | - | 3 | 1 | 3 | 1 | ||||
2003 | - | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||
2004 | - | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||
2005 | 鹿島アントラーズ | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | - | 2 | 0 | |
2006 | J1 | 17 | 0 | 4 | 1 | 6 | 0 | - | 27 | 1 | ||
2007 | J1 | 28 | 4 | 2 | 0 | 9 | 0 | - | 39 | 4 | ||
2008 | J1 | 24 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 28 | 0 | |
2009 | ジェフユナイテッド市原・千葉 | J1 | 19 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | - | 22 | 0 | |
2010 | J2 | 8 | 0 | 2 | 0 | - | - | 10 | 0 | |||
2011 | セレッソ大阪 | J1 | 24 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 | 34 | 0 |
2012 | 東京ヴェルディ | J2 | 19 | 2 | 1 | 0 | - | - | 20 | 2 | ||
2013 | J2 | 15 | 0 | 1 | 0 | - | - | 16 | 0 | |||
2014 | J2 | 24 | 1 | 0 | 0 | - | - | 24 | 1 | |||
2015 | J2 | 40 | 4 | 2 | 0 | - | - | 42 | 4 | |||
2016 | J2 | 31 | 3 | 2 | 0 | - | - | 33 | 3 | |||
2017 | J2 | 13 | 1 | 1 | 0 | - | - | 14 | 1 | |||
通算 | 262 | 15 | 18 | 1 | 21 | 0 | 9 | 0 | 310 | 16 |
3. 指導者経歴
選手引退後、中後雅喜はサッカー指導者として新たなキャリアを築いている。
3.1. コーチ経歴
2018年に現役を引退した後、中後は古巣である東京ヴェルディのアカデミーコーチに就任した。
- 2018年: アカデミーコーチ
- 2019年: ジュニアユースコーチ兼ユースコーチ
- 2020年 - 2022年: ユース 監督
- 2023年: ジュニアユース コーチ
2024年シーズンからは鹿島アントラーズのトップチームコーチに就任した。同年12月12日には、2025年シーズンより鬼木達監督が就任することに伴い、トップチームコーチに戻ることが発表された。
3.2. 監督就任と活動
2024年10月9日、鹿島アントラーズのランコ・ポポヴィッチ監督の解任に伴い、中後雅喜はトップチームの監督に就任した。シーズン終盤の僅か6試合という短い期間ではあったが、監督として3勝3分0敗という無敗の成績でシーズンを締め括った。
3.3. 監督成績
中後雅喜が監督として指揮したチームの成績は以下の通りである。
年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | Jリーグ杯 | 天皇杯 | |||
2024 | J1 | 鹿島アントラーズ | 5位 | 6 | 21 | 3 | 3 | 0 | - | - |
- 2024年は第34節からの指揮。
4. 代表歴
中後雅喜は、2003年にユニバーシアード代表に選出され、国際大会でのプレー経験も持つ。
5. 受賞歴
中後雅喜が選手として獲得した主なチーム賞は以下の通りである。
5.1. チーム受賞歴
- J1リーグ: 2007年、2008年(いずれも鹿島アントラーズ所属時)
- 天皇杯: 2007年(鹿島アントラーズ所属時)
6. 人物
中後雅喜は、モデルの関清香と結婚している。二人は2008年7月26日に入籍した。
7. 評価と影響
選手としての中後雅喜は、駒澤大学時代に「大学No.1ボランチ」と評されたように、そのパス能力と攻撃の組み立て役としての役割が高く評価された。プロキャリアにおいても、ピッチ全体をワイドに使った精度の高い長短のパスで攻撃をリードするプレースタイルは、所属した多くのチームで重要な役割を果たした。
指導者としては、東京ヴェルディのアカデミーで若手育成に尽力し、その後鹿島アントラーズのトップチームコーチを経て、一時的に監督を務めるなど、その指導手腕が期待されている。彼の経験と知識は、今後の日本サッカー界において、選手育成およびチーム強化の両面で影響を与え続けると見られている。