1. 概要
今井メロ(いまい メロ)は、1987年10月26日に大阪市住之江区で生まれた日本のスノーボードハーフパイプ選手、タレント、AV女優である。本名は今井 夢露(読み同じ)、旧姓は成田(なりた)。身長は156 cmで、スリーサイズはB89cm(Fカップ)、W63cm、H88cm。血液型はO型。芸能事務所グリントエンターテインメントに所属している。幼少期からスノーボードの英才教育を受け、12歳で史上最年少のプロスノーボーダーとして認定された。しかし、2006年トリノオリンピックでの転倒と予選敗退、それに続く世間からの批判が精神的な苦悩となり、競技生活から一度身を引くことになった。
スノーボード引退後は、ホステスやエスコート、グラビアアイドル、そしてアダルトビデオ(AV)女優といった多岐にわたる職業を経験。この期間には、結婚と離婚、シングルマザーとしての育児、経済的困窮、生活保護の受給、さらには強姦被害、人工妊娠中絶、整形手術、リストカット、引きこもりといった個人的な苦難を公表し、その波乱に満ちた人生が注目を集めた。
しかし、2017年には再びスノーボード競技への復帰を決意し、わずか4日間の練習で全日本スノーボード選手権大会で優勝を果たすという劇的なカムバックを遂げた。彼女のキャリアは、社会の厳しい目に晒されながらも、自らの選択と経験を隠さず語り、困難を乗り越えて再び競技の舞台に戻った強い意志を示すものとして、多くの関心を集めている。
2. 生い立ちと家族背景
今井メロは1987年10月26日に大阪市住之江区で、旧姓の成田として生まれた。彼女の父はスノーボードコーチの成田隆史であり、兄には元スノーボード選手の成田童夢、弟には障害者スポーツ選手の成田緑夢がいる。
幼少期から父である隆史の指導のもと、兄の童夢と共にスノーボードの厳しい訓練を受けた。7歳から毎日最大18時間にも及ぶ練習をこなし、12歳で史上最年少のプロスノーボーダーとして認定された。高校には進学せず、冬は主に長野県でスノーボードに専念する生活を送った。この過酷な訓練の日々の中で、彼女は同年代の友人たちが送る普通の生活を羨み、一時はリストカットによる自殺未遂を図ったこともあったと後に告白している。
2005年9月には、スポンサー契約や指導方法の違いから、父の隆史が代表を務める「夢くらぶ」から離脱した。この際、親権を持つ母親の多美江(隆史とは離婚)の姓である今井姓に改名し、本名も「成田夢露」から「今井夢露」となった。全日本スキー連盟への登録名もカタカナ表記の「今井メロ」に変更され、用具スポンサーもkissmarkからロシニョールへと変更した。
3. スノーボード選手としてのキャリア
今井メロは、幼少期からその才能を開花させ、スノーボード選手として輝かしい実績を積み重ねた。しかし、トリノオリンピックでの挫折を経験し、一度は競技生活を離れることとなる。
3.1. 初期の実績とワールドカップ
今井メロは、幼少期からスノーボードだけでなくモーグル選手としても活動し、全日本スキー選手権大会に参戦していた。12歳で史上最年少のプロスノーボーダーとして認定され、その才能は早くから注目を集めた。
2001年に秋田県で開催された秋田ワールドゲームズでは、選手宣誓を務め、ウェイクボードで優勝を飾った。スノーボードでは、2002年に世界ジュニア選手権を制覇。2004年から2005年にかけてのシーズンでは、スノーボード・ワールドカップの種目別で総合優勝を達成し、その実力を世界に示した。特に、空中で横に一回転半、縦に二回転するオリジナルの大技「メロウ720(メロウ・セブン)」を得意としていた。この活躍により、2006年2月に開催される2006年トリノオリンピックへの出場権を獲得した。
3.2. 2006年トリノオリンピックと競技生活の終了
2006年トリノオリンピックでは、スノーボードハーフパイプの日本代表選手として出場した。オリンピック直前には、メディアの前でオリジナルのラップ『夢』を披露し、意気込みを見せた。しかし、このラップは自身の意思ではなく、周囲の大人たちに勧められてのパフォーマンスであったと後に明かしている。
競技本番では、2本とも転倒し、1本目は50点満点中7.2点、2本目は1.4点という結果に終わり、予選敗退となった。この惨敗は、彼女にとってキャリアの頂点ではなく「悪夢」であったと後に語っている。帰国後、彼女は「税金の無駄遣い」「国の恥」といった世間からの厳しい批判に晒され、精神的に追い詰められた。この経験によりうつ病を発症し、スノーボード競技から身を引くことを決意した。
オリンピック後の2007年3月10日には、岐阜県郡上市の高鷲スノーパークで開催された全日本選手権のハーフパイプに出場し、4位の成績を残した。しかし、その後は競技の第一線から遠ざかることとなる。
4. 転換期と個人的な苦難
スノーボード競技からの引退後、今井メロは様々な職業を経験し、私生活では想像を絶する困難に直面した。これらの経験は、彼女の人生における大きな転換期となった。
4.1. スノーボード引退後の活動
スノーボード競技を引退した後、今井メロは生活のために様々な職業に就いた。バーでの勤務を経て、ホステスとして働き、その後はエスコート(デリバリーヘルス)として短期間勤務し、約15.00 万 JPYを稼いだこともあったと告白している。
また、タレントとしてテレビ番組に出演するようになり、グラビアアイドルとしても活動を開始した。2014年から2016年にかけては、ソフトコアポルノの一種であるヘアヌードを含む10本以上のグラビアDVDに出演し、これらの作品は主にキングダム社からリリースされた。
4.2. アダルトビデオ(AV)女優としてのキャリア
2017年5月1日、今井メロはMUTEKIからアダルトビデオ(AV)女優としてデビューした。デビュー作は『snow drop』であり、翌6月1日には『SNOW OUT 今井メロ』がリリースされた。MUTEKIは、グラビアアイドルやマイナーな有名人のAVデビューを専門とするAV制作会社である。
彼女がAV業界に進出した動機は、主に経済的な必要性からであったと語っている。しかし、AV女優としての活動期間は短く、その理由について「スノーボードに戻ることに興味があったため、AVでやりすぎたくなかった」と述べている。AV出演は、あくまで一時的な手段であり、彼女の最終的な目標はスノーボードへの復帰であったことが示唆されている。
4.3. 私生活での告白と経済的困難
今井メロは、私生活における様々な困難を公に告白しており、その内容は社会に大きな衝撃を与えた。
2010年8月15日、自身のブログで結婚と男児の出産を報告した。当時の夫は1歳年下の一般男性であったが、後に離婚している。
2011年9月26日には、2度目の夫(2012年8月に離婚)との間に第二子を妊娠(翌年2月出産予定)していることを報告した。同年11月には、胎児が双子であるものの、そのうちのひとりが上半身のない無心体であること、そして切迫早産の状態であることを綴った。11月10日には、緊急帝王切開手術により女児を出産したことを報告。予定日よりも3か月早い妊娠7か月での出産であり、体重1000gに満たない未熟児であったため、NICUに入院することとなった。
同年12月13日のブログでは、第二子出産前に流産と子宮頸癌を経験していたことを明かした。また、12月20日には『女性自身』の取材に対し、NICUに入院中の第二子について、病院から母乳の提供を催促された時以外は面会に行っていないことを認め、経済的に逼迫した生活の中で、交通費を捻出するだけでも大きな負担であり、週に1回面会に出向くのが精一杯であると告白した。ただし、同日付のブログでは『女性自身』の記事内容に偽りがあることや文章表現に対する怒りを綴っている。
2012年9月19日には、2度目の夫と同年8月に離婚したこと、そして自叙伝『泣いて、病んで、でも笑って』の出版発表会見を開いた。この著書の中で、彼女は先述の離婚の他に、トリノオリンピックで惨敗した18歳の時に引きこもりになったこと、その後キャバクラのホステスに転身したこと、ホストクラブでの散財により競技時代の貯金を使い果たしたため、大阪・ミナミのラウンジで働いていた時に同僚の紹介でデリバリーヘルスに短期間勤務して約15.00 万 JPYを稼いだこと、さらにはリストカット、強姦被害、人工妊娠中絶、整形手術を受けた経験などを赤裸々に告白した。また、2歳の男児と10カ月の女児を育てる中で、2011年9月から2012年4月までの8カ月間にわたり、生活保護を受給していたことも明かしている。
これらの告白は、彼女が経験した極めて個人的かつ困難な状況を浮き彫りにし、社会に大きな波紋を広げた。しかし、彼女は自身のポルノ活動について、お金が必要だったために自発的に行ったものであり、子供たちを支えるためにあらゆることをした良い母親であったと考えているため、恥じていないと述べている。
2021年7月31日には、新型コロナウイルスに感染したことを公表した。
5. スノーボードへの復帰
数々の苦難と多様なキャリアを経て、今井メロは再びスノーボード競技への復帰を決意し、驚異的なカムバックを果たした。
2017年3月13日、岐阜県で開催された第35回JSBA全日本スノーボード選手権大会のハーフパイプ種目に出場し、見事優勝を飾った。この優勝は、実に11年ぶりのスーパーパイプ出場であり、大会直前のわずか4日間の練習で成し遂げたものであったと報じられた。この勝利は、彼女が再びスノーボードの世界に戻るための自身の力を示すものとなった。
2018年には、全日本スノーボード選手権大会で90.75点を記録し、2位の森桃亜の76.75点を上回って優勝した。彼女は今後、スノーボード指導員免許の取得を目指しており、競技者としてだけでなく、指導者としてもスノーボードに関わっていく意向を示している。
6. その他のメディア展開と作品
今井メロは、スノーボード選手やAV女優としての活動以外にも、多岐にわたるメディアで活躍し、様々な作品を発表している。
6.1. 書籍・写真集
彼女は自身の波乱に満ちた人生経験を綴った自伝的な書籍や、グラビア活動の一環として写真集を出版している。
- 『泣いて、病んで、でも笑って』(2012年9月21日、双葉社)
- 『Mellow Style』(2013年4月4日、講談社、撮影:西田幸樹) - 自身初のヘアヌードを披露した写真集。
- 『MELODIOUS』(2015年12月25日、彩文館出版、撮影:野川イサム)
6.2. テレビドラマ・バラエティ番組への出演
テレビドラマやバラエティ番組にも出演し、その経験やキャラクターを活かして活動の幅を広げている。
- 牙狼〈GARO〉-GOLDSTORM- 翔 第13話(2015年7月10日、テレビ東京) - 妖艶な女性 役
- ヨソで言わんとい亭~ココだけの話が聞ける(秘)料亭~(2016年5月27日、テレビ東京)
- 金曜プレミアム・キテレツ人生!(2017年11月3日、フジテレビ)
- リアル人生すごろく(2016年7月23日、AbemaTV) - すごろくモデル
6.3. イメージDVD
グラビアアイドルとして数多くのイメージDVDをリリースしており、その中にはヘアヌード作品も含まれている。
- mellow メロウ (2008年7月25日、ぶんか社)
- mellow Style (2014年3月28日、キングダム)
- I'v been mellow (2014年5月30日、キングダム)
- mellow juice (2014年7月18日、キングダム)
- mellow time(2014年9月26日、キングダム)
- mellow love(2014年11月28、キングダム)
- mellow world(2015年1月16日、キングダム) - 初の剃毛作品
- トリノの女神(2015年3月20日、キングダム)
- Hなアスリート(2015年5月22日、キングダム)
- クライマックス(2016年6月17日、キングダム)
- mellow special(2015年7月24日、キングダム)
- mellow feeling(2016年8月26日、キングダム)
- mellow scandal(2015年9月11日、キングダム)
- MACAU(2016年10月28日、キングダム)
- Pheromone(2016年12月30日、キングダム)
- 今井メロ / Reincarnation(2017年9月8日、キングダム)
- mellow kiss(2017年11月10日、キングダム)
- mellow body(2018年1月31日、キングダム)
- 夢の城(2018年5月31日、キングダム)
- mellow peach(2018年7月31日、キングダム)
- This is me(2018年9月28日、キングダム)
- mellow charming(2018年11月30日、キングダム)
7. 社会的評価と自己省察
今井メロのキャリア選択や人生は、社会から様々な評価を受けてきた。特に、オリンピック選手からアダルトビデオ女優への転身、そして再びスノーボード競技に復帰した経緯は、メディアや世間の大きな関心を集めた。
彼女が自身の過去、特に性風俗業界での活動や、強姦被害、人工妊娠中絶、生活保護受給といった個人的な苦難を赤裸々に告白したことは、一部で批判の対象となった一方で、その率直な姿勢が共感を呼ぶこともあった。彼女は、ポルノ活動について、お金が必要だったために自発的に行ったものであり、子供たちを支えるためにあらゆることをした良い母親であったと考えているため、過去を恥じていないと述べている。この自己省察は、彼女が自身の選択に責任を持ち、困難な状況下でも子供たちのために行動したという強い意志を示すものである。
また、2006年トリノオリンピックでの失敗に対する世間の厳しい批判が、彼女の精神的な苦悩やその後の人生の転換に大きな影響を与えたことは明らかである。しかし、そのような経験を経てなお、彼女が再びスノーボード競技への情熱を取り戻し、全日本スノーボード選手権大会で優勝を果たすという劇的なカムバックを遂げたことは、逆境を乗り越える強い精神力と、競技への純粋な愛情を社会に示した。
彼女の人生は、アスリートとしての栄光と挫折、社会の偏見、そして個人的な苦難という多面的な要素を含んでおり、その経験は、個人の尊厳、経済的困窮、そして再起の可能性について社会に問いかけるものとなっている。
8. 主な成績
成果 | 年 | 大会 | 概要 |
---|---|---|---|
優勝 | 2001 | 全日本スキー選手権大会スノーボード競技 | |
優勝 | 2002 | 世界ジュニア選手権 | |
優勝 | 2004 | 全日本スキー選手権大会スノーボード競技 | |
優勝 | 2005年2月 | スノーボード・ワールドカップ韓国・星宇大会 | |
3位 | 2005年3月 | ワールドカップ・レークプラシッド大会 | |
総合優勝 | 2004-05シーズン | ワールドカップ種目別 | |
優勝 | 2005年10月 | ワールドカップザースフェー大会 | |
34位 | 2006年2月 | トリノオリンピック | |
優勝 | 2008年2月 | 高鷲カップ | |
優勝 | 2017年3月 | 第35回JSBA全日本スノーボード選手権大会 | 11年ぶりのスーパーパイプ出場 |
優勝 | 2018 | 全日本スノーボード選手権大会 | 90.75点で優勝、2位の森桃亜は76.75点 |
9. 外部リンク
- [https://web.archive.org/web/20121105070252/http://www.wws-channel.com/news/imaimero/ WWS Channelインタビュー]
- [http://www.and-m.net/ &M公式サイト]
- [https://www.diamondblog.jp/official/mellow-style/ 今井メロオフィシャルブログ mellow style](旧)
- [https://web.archive.org/web/20150812004020/https://lineblog.me/zoo11241124/ 今井メロオフィシャルブログ]
- [https://glint-ent.jp/topics/talent/mero_imai/ グリントエンターテインメント(所属事務所)]
- [https://ameblo.jp/majestavictory 今井メロオフィシャルブログ「Go my way」]