1. 概要
伊藤 彰(いとう あきら、Akira Itoアキラ・イトー英語、1972年9月19日 - )は、埼玉県新座市出身の元サッカー選手であり、現在はサッカー指導者として活躍しています。現役時代はフォワードやミッドフィールダーとして、富士通(後の川崎フロンターレ)、大宮アルディージャ、サガン鳥栖、徳島ヴォルティスでプレーしました。引退後は大宮アルディージャのユースコーチから指導者としてのキャリアをスタートさせ、トップチームの監督を歴任。ヴァンフォーレ甲府、ジュビロ磐田、ベガルタ仙台の監督を務めた後、2024年シーズンからはツエーゲン金沢の監督に就任しました。彼は日本サッカー界において、選手としてアマチュア時代からの献身的な姿勢でチームを支え、指導者としては特にJ2リーグで優れた成績を残し、若手選手の育成やチームの強化に尽力してきました。この記事は、彼の日本サッカーへの貢献を反映し、そのキャリアと功績を包括的に記述します。
2. 選手経歴
伊藤彰は1972年に埼玉県新座市で生まれ、サッカー選手としてのキャリアをスタートさせました。学生時代からその才能を開花させ、実業団チームでの社員選手を経て、プロサッカー選手としてJリーグで活躍しました。
2.1. 学生時代
伊藤彰は1972年9月19日に埼玉県新座市に生まれました。彼は武南高校で攻撃的ミッドフィルダーとしてプレーし、1989年の全国高等学校サッカー選手権大会に出場して準優勝という輝かしい成績を収めました。高校卒業後は国士舘大学に進学し、サッカー部で活動しました。大学での同期には深川友貴がいます。
2.2. 初期プロ経歴(社員選手時代)
大学卒業後、伊藤は社員選手として富士通に入社し、当時ジャパンフットボールリーグに所属していた富士通サッカー部に入団しました。1995年シーズンから攻撃的ミッドフィルダーやフォワードとして多くの試合に出場しました。1997年に富士通サッカー部が川崎フロンターレと改称し、Jリーグ準会員となった後も、彼は社員選手(アマチュア契約)のままチームに所属しました。1998年にはレギュラーとして定着し、J1参入決定戦のアビスパ福岡戦で先制ゴールを挙げるなど、チームのJ2昇格に大きく貢献しました。
2.3. プロ選手時代
1999年、川崎フロンターレがJ2リーグに所属しても伊藤はチームに残り、J2優勝とJ1昇格に貢献しました。当時のキャプテンであった中西哲生からは、「アマチュアながらサッカーに対して真剣で、プロ意識の高い選手」と評価されるなど、チームの主力選手として、またスーパーサブとしても活躍しました。2000年にはJ1リーグでプレーしましたが、チームは1年でJ2に降格しました。2001年には再びレギュラーとして多くの試合に出場しましたが、同年11月末に戦力外通告を受けました。しかし、その直後に行われた天皇杯では準決勝進出に貢献し、他の戦力外選手とともに「リストラ選手の活躍」として注目を集めました。
2002年、伊藤は大宮アルディージャへ移籍し、富士通を退社してプロ契約選手となりました。大宮では2シーズンにわたりレギュラーとして多くの試合に出場しました。2004年にはサガン鳥栖へ移籍し、サイドミッドフィルダーとして活躍。2005年からは徳島ヴォルティスに所属し、ここでもサイドミッドフィルダーとして2シーズンにわたり多くの試合に出場しました。川崎フロンターレを含む4つのクラブで7年間J2リーグでプレーしましたが、チーム成績の低迷による体制刷新や若返りを求める各クラブの事情により退団を繰り返しました。2006年シーズン終了後に現役を引退しました。プロキャリア全体で401試合に出場し、76ゴールを記録しています。
3. 指導者経歴
伊藤彰は2007年の現役引退後、大宮アルディージャで指導者としてのキャリアをスタートさせました。長年にわたりユース年代の指導に携わった後、トップチームの監督を歴任し、その手腕を発揮しています。
3.1. 大宮アルディージャ
2007年1月、現役引退と同時に大宮アルディージャU-12のコーチに就任し、指導者としての道を歩み始めました。その後、ジュニアユースのコーチ、同監督、さらにユースチームの監督を歴任し、若手選手の育成に貢献しました。ユース監督時代の2015年には、JFA 公認S級コーチライセンスを取得。このライセンス取得に必要なJクラブでの練習参加では、当時の風間八宏監督の指導法に関心を持ち、古巣の川崎フロンターレのトップチームの練習に参加しました。
2016年シーズンからは大宮アルディージャのトップチームのコーチを務めていましたが、2017年5月28日、チームの成績不振を理由に渋谷洋樹監督と黒崎久志ヘッドコーチが解任されたことを受け、後任の監督に就任しました。しかし、チームの成績はその後も上向かず、降格圏に低迷していたため、同年11月5日に解任されました。このシーズン、チームは天皇杯でベスト8に進出したものの、J1リーグでは最下位となり、3年ぶりにJ2リーグへの降格を経験することとなりました。
3.2. ヴァンフォーレ甲府
2018年よりヴァンフォーレ甲府のヘッドコーチに就任しました。同年12月、シーズン途中で就任し契約満了で退任した上野展裕の後任として、甲府の監督に就任することが発表されました。伊藤監督の下で甲府は目覚ましい発展を遂げ、2018年度の9位から2019年度にはJ2リーグ5位に入り、J1参入プレーオフに進出しました。さらに2020年度は4位、2021年度は3位と、継続的に上位争いを展開しました。この期間には、天皇杯で2度のベスト8、Jリーグカップでもベスト8に進出するなどの功績を残しました。2021年12月2日、甲府の監督を退任することが発表されました。
3.3. ジュビロ磐田
ヴァンフォーレ甲府の監督退任後、2021年12月25日、甲府でヘッドコーチを務めた渋谷洋樹とともに、翌2022年シーズンよりジュビロ磐田の監督に就任することが発表されました。しかし、2022年8月13日に行われた浦和戦で0-6と大敗を喫し、チームがJ1リーグ最下位となったことを受け、翌8月14日に契約解除となり、監督を辞任しました。
3.4. ベガルタ仙台
2022年9月6日、ジュビロ磐田監督退任から間もなく、ベガルタ仙台の監督に就任することが発表されました。しかし、チームの成績は安定せず、2023年7月13日付で仙台との契約を解除し、退団しました。
3.5. ツエーゲン金沢
2023年12月11日、J3リーグに降格したツエーゲン金沢のトップチーム監督に、2024年シーズンから就任することが正式に発表されました。彼のリーダーシップの下、2024年シーズンは13勝11分14敗の成績で、20チーム中12位でシーズンを終えました。彼は現在もツエーゲン金沢の監督を務めています。
4. 統計
伊藤彰の選手および指導者としてのキャリアは、数多くの試合出場と指揮を経験しており、その統計は彼の日本サッカー界における貢献を物語っています。
4.1. 選手統計
伊藤彰の選手キャリアにおけるリーグ戦、カップ戦、天皇杯などの出場試合数と得点に関する統計は以下の通りです。
クラブパフォーマンス | リーグ戦 | カップ戦 | Jリーグカップ | 合計 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | 背番号 | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 合計 | |||||||
1994 | 国士大 | - | - | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
1995 | 富士通 | 22 | 旧JFL | 26 | 4 | 0 | 0 | - | 26 | 4 | |
1996 | 19 | 25 | 9 | 4 | 3 | - | 29 | 12 | |||
1997 | 川崎 | 8 | 0 | 0 | 0 | - | 8 | 0 | |||
1998 | 25 | 11 | 3 | 2 | 3 | 0 | 31 | 13 | |||
1999 | J2リーグ | 31 | 7 | 3 | 4 | 2 | 0 | 36 | 11 | ||
2000 | J1 | 13 | 2 | 0 | 0 | 5 | 1 | 18 | 3 | ||
2001 | J2リーグ | 33 | 2 | 4 | 3 | 3 | 0 | 40 | 5 | ||
2002 | 大宮 | 29 | 43 | 4 | 4 | 2 | - | 47 | 6 | ||
2003 | 19 | 38 | 7 | 2 | 1 | - | 40 | 8 | |||
2004 | 鳥栖 | 41 | 4 | 2 | 0 | - | 43 | 4 | |||
2005 | 徳島 | 8 | 40 | 9 | 0 | 0 | - | 40 | 9 | ||
2006 | 42 | 1 | 1 | 0 | - | 43 | 1 | ||||
キャリア通算 | 365 | 60 | 23 | 15 | 13 | 1 | 401 | 76 |
その他の公式戦:
- 1998年 J1参入決定戦 1試合1得点
Jリーグ初出場および初得点:
- Jリーグ(J1)初出場:2000年3月25日 対サンフレッチェ広島戦(等々力)
- Jリーグ(J1)初得点:2000年4月5日 対ガンバ大阪戦(等々力)
- Jリーグ(J2)初出場:1999年3月14日 対アルビレックス新潟戦(等々力)
- Jリーグ(J2)初得点:1999年4月29日 対サガン鳥栖戦(等々力)
4.2. 監督統計
伊藤彰の各クラブでの監督としての成績は以下の通りです。勝率は小数点以下2桁まで表示しています。
チーム | 就任 | 退任 | 記録 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 | |||
大宮アルディージャ | 2017 | 23 | 7 | 8 | 8 | 30.43% | |
ヴァンフォーレ甲府 | 2019 | 2021 | 132 | 61 | 41 | 30 | 46.21% |
ジュビロ磐田 | 2022 | 28 | 7 | 7 | 14 | 25.00% | |
ベガルタ仙台 | 2022 | 2023 | 33 | 10 | 10 | 13 | 30.30% |
ツエーゲン金沢 | 2024 | 現在 | 38 | 13 | 11 | 14 | 34.21% |
総通算 | 254 | 98 | 77 | 79 | 38.58% |
- 上記の統計にはJ1リーグ、J2リーグ、J3リーグ、Jリーグカップ、天皇杯の試合結果が含まれています。
- 2017年の大宮アルディージャでの指揮は、シーズン途中の5月28日から11月5日まで。
- 2022年のジュビロ磐田での指揮は、シーズン途中の第25節まで。
- 2022年のベガルタ仙台での指揮は、シーズン途中の第35節大分トリニータ戦から最終節まで。
- 2023年のベガルタ仙台での指揮は、シーズン途中の第25節まで。
5. 功績・タイトル
伊藤彰は選手としても指導者としても、そのキャリアを通じていくつかの重要な功績とタイトルを獲得しています。
5.1. 選手としての功績
- ジャパンフットボールリーグ
- 準優勝: 1998年(川崎フロンターレ)
- 3位: 1997年(川崎フロンターレ)
- J2リーグ
- 優勝: 1999年(川崎フロンターレ)
- Jリーグカップ
- 準優勝: 2000年(川崎フロンターレ)
- 天皇杯
- 4強: 2001年(川崎フロンターレ)
5.2. 指導者としての功績
- J2リーグ
- 3位: 2021年(ヴァンフォーレ甲府)
- 4位: 2020年(ヴァンフォーレ甲府)
- 天皇杯
- ベスト8: 2017年(大宮アルディージャ)、2019年(ヴァンフォーレ甲府)、2020年(ヴァンフォーレ甲府)
- Jリーグカップ
- ベスト8: 2018年(ヴァンフォーレ甲府)