1. 人物・来歴
伊藤直司は、選手としてだけでなく指導者としても日本サッカー界に多大な貢献をしてきた人物である。
1.1. 生い立ちと学歴
伊藤直司は1959年7月1日に三重県で生まれた。四日市中央工業高校に在学中(1975年から1977年)は、サッカー部で才能を発揮した。特に1977年度の全国高等学校サッカー選手権大会では、その高い得点能力を見せつけ、大会の得点王に輝いた。
1.2. 初期キャリア
高校卒業後の1978年、伊藤は日本サッカーリーグ2部に所属していた本田技研工業サッカー部(現Honda FC)に入団し、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。入団後、チームは着実に力をつけ、1980年にはJSL2部で優勝を果たし、1部昇格を達成した。
2. 主な活動と業績
伊藤直司は、選手として長きにわたり活躍し、引退後も指導者として日本サッカー界に貢献している。
2.1. クラブキャリア
伊藤は1978年から1985年まで本田技研工業サッカー部に所属した。この期間中、彼はチームのJSL1部昇格に貢献し、主力選手として活躍した。1985年から1986年のシーズンでは、チームは3位という好成績を収めた。
本田技研工業サッカー部での個人成績は以下の通りである。
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1978 | 本田 | JSL2部 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1979 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | |||
1980 | 4 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | |||
1981 | 8 | JSL1部 | 18 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | |
1982 | 16 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
1983 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
1984 | 10 | 13 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
1985 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
JSL2部通算 (リーグ戦) | 4 | 2 | |||||||
JSL1部通算 (リーグ戦) | 68 | 9 | |||||||
リーグ戦総通算 | 72 | 11 | |||||||
JSL杯総通算 | 1 | 1 | |||||||
天皇杯総通算 | 3 | 1 | |||||||
総通算 | 72 | 11 | 1 | 1 | 3 | 1 |
また、JSL東西対抗戦には3回出場しており、1981年は0得点、1982年は2得点、1983年は0得点を記録している。
本田技研工業サッカー部を退団後、1988年にPJMフューチャーズに入団し、1993年に現役を引退した。
2.2. 代表キャリア
伊藤直司は1981年にサッカー日本代表に選出され、国際Aマッチ1試合に出場した。
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1981年06月19日 | 大邱 | Malaysiaマレーシアマレー語 | ○2-0 | 森孝慈 | 韓国大統領杯 |
代表チームでの通算成績は以下の通りである。
日本代表 | ||
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1981 | 1 | 0 |
通算 | 1 | 0 |
2.3. 指導者キャリア
選手引退後、伊藤は指導者の道に進んだ。1995年からは母校である四日市中央工業高校の監督を務めた。翌1996年からは四日市大学サッカー部の監督に就任し、長年にわたり指導にあたっている。
現在、彼は東海大学サッカー連盟の教職員の部委員長、三重県サッカー協会理事、四日市大学名誉監督、全日本大学サッカー連盟理事など、多岐にわたるサッカー関連の役職を務め、日本サッカーの発展に貢献している。
3. 個人生活
伊藤直司の個人生活に関する詳細な情報は、一般にはあまり公開されていない。
4. 評価
伊藤直司は、選手としての輝かしい経歴と、引退後の指導者・サッカー行政への貢献を通じて、日本サッカー界に多大な影響を与えたと評価されている。
4.1. 肯定的な評価
伊藤は高校時代に全国高等学校サッカー選手権大会で得点王を獲得するという顕著な実績を残し、その才能を早くから示していた。プロ入り後も本田技研工業サッカー部のJSL1部昇格と定着に貢献し、チームの主要選手として活躍した。また、サッカー日本代表に選出され、国際舞台での経験も積んだ。
選手引退後は、四日市中央工業高校や四日市大学で監督を務め、若手選手の育成に尽力した。特に大学サッカー界においては、東海大学サッカー連盟や全日本大学サッカー連盟の理事を務めるなど、その運営と発展に深く関与している。これらの活動は、日本のサッカーの基盤強化と普及に大きく貢献しており、彼の指導者としての手腕と献身は高く評価されている。
4.2. 批判と論争
提供された資料には、伊藤直司の行動や決定、思想に関連する批判的な見解や論争に関する情報は含まれていない。
5. 影響と貢献
伊藤直司のサッカー選手および指導者としての活動は、日本サッカー界に多岐にわたる影響と貢献をもたらした。
選手としては、日本サッカーリーグという当時のトップリーグで長年にわたり活躍し、特に本田技研工業サッカー部の躍進に貢献した。彼のプレースタイルや技術は、当時の若手選手にとって目標となり、プロサッカー選手の道を志す多くの人々に影響を与えた。
指導者としては、高校サッカーと大学サッカーという育成年代の重要な段階で、多くの選手を指導し、その成長を支えた。四日市大学での監督業や、東海大学サッカー連盟、全日本大学サッカー連盟での役職を通じて、彼は単に技術指導を行うだけでなく、サッカーを取り巻く環境整備や制度設計にも関与し、日本のアマチュアサッカー、特に大学サッカーの発展に尽力した。三重県サッカー協会理事としての活動は、地域サッカーの振興にも貢献しており、彼の活動は日本のサッカー全体の底上げに繋がると言える。
6. 外部リンク
- [http://www.national-football-teams.com/player/35801/Naoji_Ito.html National Football Teams]
- [http://www.jfootball-db.com/en/players/ito_naoji.html Japan National Football Team Database]