1. 幼少期およびアマチュア経歴
幼少期の生活から高校時代までのサッカー経歴を通じて、伊藤翔がプロの道に進むまでの土台が築かれた経緯を詳述する。
1.1. 幼少期と生い立ち
伊藤翔は愛知県春日井市に生まれた。春日井市立中部中学校を卒業している。家族構成は両親と弟。小学生時代には水泳スクールに在籍し、入賞経験も持つなど、サッカー以外の活動にも積極的に取り組んでいた。
1.2. ユースサッカー経歴
伊藤は15歳から各世代の日本代表に選出され、サッカー選手としての頭角を現した。2001年には名古屋グランパスU-15に所属し、その後FC.フェルボール愛知でプレーした後、中京大学附属中京高等学校に進学し、サッカー部で活躍した。高校3年生の時にはキャプテンマークを引き継ぎ、チームを牽引した。
2006年8月には、イングランドの強豪クラブであるアーセナルのトライアルテストに参加し、監督のアーセン・ベンゲルを感銘させた。そのプレースタイルはフランスの伝説的ストライカーであるティエリ・アンリに喩えられ、「和製アンリ」の異名で一気に日本のメディアに取り上げられ、その名が広く知られるようになった。しかし、労働許可証の申請が通らなかったため、アーセナルとの契約には至らなかった。同年11月にはU-19アジア大会(AFCユース選手権)のメンバーに選出されたが、この大会では得点を記録することはできなかった。その1ヶ月後の高校サッカー選手権でも大きな注目を集めたが、結局無得点に終わり、チームも2回戦で敗退する結果に終わった。
2. クラブ経歴
プロとして国内外の様々なクラブに所属し、それぞれで経験を積んだ伊藤翔のクラブ経歴を、その移籍とパフォーマンスの変遷に沿って詳述する。
2.1. グルノーブル・フット38時代
高校サッカー選手権の終了後、伊藤はフランス2部リーグに所属するグルノーブル・フット38とプロ契約を交わし、2007年1月11日に加入記者会見を行った。伊藤のように、高校時代から注目を浴びていた選手が国内のクラブを経由せずに直接海外クラブとプロ契約を結んだのは、Jリーグ発足後初めてのケースであり、その進路は日本国内で大々的に報道された。
しかし、グルノーブルでは出場機会をほとんど得られない苦しい時期を過ごした。移籍初年度の2006-2007シーズンはわずか1試合の出場に留まり、得点はなかった。続く2007-2008シーズンもリーグ戦3試合の出場で無得点に終わり、ナショナルカップで1試合、リーグカップで1試合に出場した。2008-2009シーズンからはグルノーブルが1部昇格を果たしたが、このシーズンはカップ戦を含めても全く出場機会がなく、惨憺たる結果となった。2010年5月5日に念願のリーグ・アン(1部)デビューを果たしたが、結局2009-2010シーズンもこの1試合のみの出場に終わり、グルノーブルを離れることとなった。
2.2. 清水エスパルス時代
2010年6月、伊藤は清水エスパルスと2年契約を結び、日本に復帰した。同年11月13日に行われた天皇杯3回戦の水戸ホーリーホック戦に先発出場し、公式戦デビューを果たした。2010年シーズンはリーグ戦で2試合、天皇杯で2試合に出場した。
2011年シーズンは、当時の監督であるアフシン・ゴトビによって開幕戦から数試合先発起用された。東日本大震災によるリーグ中断を挟んで前半戦8試合に出場し、そのうち7試合に先発でプレーした。その後、右膝の故障によりベンチ外が続いたが、回復の見込みがないため9月に患部を手術した。10月23日のJ1第30節ヴァンフォーレ甲府戦で後半40分から途中出場し、怪我から復帰を果たした。最終節のガンバ大阪戦では先発出場し、前半9分にヘディングで待望のJリーグ初得点を記録した。

2012年シーズンはキャンプから好調を維持し、序盤は先発や途中出場で試合に出場した。しかし、新入団の白崎凌兵やシーズン途中に加入したジミー・ドグラス・フランサ、瀬沼優司といった選手とのポジション争いに敗れ、主に途中出場やカップ戦での出場が多くなっていった。同年6月には契約を半年間延長した。その後も状況に大きな変化はなかったものの、2008年以来となるシーズン中の大きな怪我なく1年を過ごし、カップ戦を含めると自身最多の試合出場数を記録した。
2013年シーズンも控えに回ることやベンチ外の試合が多かったが、シーズンの終盤にかけては出場機会を徐々に増やしていった。特に鳥栖戦では自身初のハットトリックを達成する活躍を見せた。このシーズンはリーグ戦34試合のうち14試合に先発で起用され、リーグ戦で6得点をマークした。
2.3. 横浜F・マリノス時代
2014年1月14日、伊藤は横浜F・マリノスへ完全移籍した。移籍初年度はAFCチャンピオンズリーグの第1戦とJ1リーグ開幕戦で連続ゴールを決め、前半戦は好調を維持した。その後、リーグ戦ではなかなかゴールを奪えず一時スタメンから外れることもあったものの、シーズン最終盤では3試合連続でゴールを決め、シーズンを通じて初めてレギュラーとして起用され、リーグ戦26試合で8得点を挙げた。ルヴァンカップでも8得点を挙げ、自身初の得点王に輝いた。2018年の期間通算としては、自己最多となる17得点を記録した。
2.4. 鹿島アントラーズ時代
2019年、伊藤は鹿島アントラーズへ完全移籍した。2月19日に行われたAFCチャンピオンズリーグプレーオフのニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツ戦で鹿島でのデビューを果たし、初得点も挙げた。
その後もゴールを量産したが、シーズン途中から控えに回ることが多くなった。続く2020年シーズンは、リーグ戦14試合(先発は3試合)のみの出場に留まった。
2.5. 横浜FC時代
2021年、伊藤は横浜FCへ完全移籍した。
2.5.1. 松本山雅FCへの期限付き移籍
2021年8月4日、横浜FCに所属中にJ2リーグの松本山雅FCへの期限付き移籍が発表された。シーズン終了後の2022年に横浜FCへ復帰した。
3. 代表経歴
- 2003年: U-15日本代表
- 2004年: U-16日本代表 - AFC U-17選手権(予選敗退)
- 2005年: U-17日本代表 - サニックス杯国際ユースサッカー大会
- 2005年: U-18日本代表 - SBSカップ
- 2006年: U-19日本代表 - AFCユース選手権(準優勝)
- AFCユース選手権2006予選(U-18): 1試合出場、0得点(本大会出場権獲得)
- AFCユース選手権2006本大会(U-19): 2試合出場、0得点(準優勝)
4. プレースタイルと特徴
伊藤翔は「和製アンリ」の異名を持つが、彼自身は憧れの選手としてティエリ・アンリではなく、フランスの元サッカー選手であるジネディーヌ・ジダンを挙げている。
5. 経歴統計
伊藤翔のプロサッカー選手としてのキャリア全体におけるクラブでの出場記録と得点、およびユース代表での主要大会での出場記録を詳述する。
5.1. クラブ統計
クラブ | シーズン | リーグ | ナショナルカップ | リーグカップ | 国際大会 | 合計 | |||||||||||||
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出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||||||||
グルノーブル | 2006-07 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | |||||||||
2007-08 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 4 | 0 | ||||||||||
2008-09 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||||||||||
2009-10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | ||||||||||
合計 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | |||||||||
清水 | 2010 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | - | 4 | 0 | |||||||||
2011 | 11 | 1 | 1 | 0 | 3 | 1 | - | 15 | 2 | ||||||||||
2012 | 11 | 1 | 5 | 1 | 3 | 1 | - | 19 | 3 | ||||||||||
2013 | 25 | 6 | 3 | 0 | 1 | 0 | - | 29 | 6 | ||||||||||
合計 | 49 | 8 | 11 | 1 | 7 | 2 | 0 | 0 | 67 | 11 | |||||||||
横浜FM | 2014 | 32 | 8 | 2 | 0 | 1 | 0 | 4 | 1 | 39 | 9 | ||||||||
2015 | 29 | 6 | 6 | 1 | 3 | 2 | - | 38 | 9 | ||||||||||
2016 | 32 | 5 | 8 | 3 | 2 | 0 | - | 42 | 8 | ||||||||||
2017 | 15 | 2 | 3 | 0 | 3 | 2 | - | 21 | 4 | ||||||||||
2018 | 26 | 8 | 9 | 8 | 3 | 1 | - | 38 | 17 | ||||||||||
合計 | 134 | 29 | 28 | 12 | 12 | 5 | 4 | 1 | 178 | 47 | |||||||||
鹿島 | 2019 | 26 | 7 | 4 | 1 | 5 | 3 | 8 | 5 | 43 | 16 | ||||||||
2020 | 14 | 1 | 2 | 2 | - | 1 | 0 | 17 | 3 | ||||||||||
合計 | 40 | 8 | 6 | 3 | 5 | 3 | 9 | 5 | 60 | 19 | |||||||||
横浜FC | 2021 | 15 | 0 | 4 | 1 | 1 | 0 | - | 20 | 1 | |||||||||
2022 | 25 | 6 | - | 0 | 0 | - | 25 | 6 | |||||||||||
2023 | 26 | 2 | 4 | 1 | 1 | 0 | - | 31 | 3 | ||||||||||
2024 | 33 | 7 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 34 | 7 | ||||||||||
合計 | 99 | 15 | 8 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 110 | 17 | |||||||||
松本 (期限付き移籍) | 2021 | 18 | 4 | - | - | - | 18 | 4 | |||||||||||
キャリア合計 | 345 | 64 | 53 | 18 | 28 | 10 | 13 | 6 | 439 | 98 |
5.2. 国際統計
チーム | 大会 | カテゴリ | 出場 | 得点 | チーム成績 |
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U-18日本代表 | AFCユース選手権2006予選 | U-18 | 1 | 0 | 本大会出場権獲得 |
U-19日本代表 | AFCユース選手権2006 | U-19 | 2 | 0 | 準優勝 |