1. 生涯
佐藤博は、日本の音楽シーンにおいて多岐にわたる活動を展開し、その革新的な音楽性と技術で後世に大きな影響を与えた。
1.1. 出生と幼少期
1947年6月3日、佐藤博は鹿児島県知覧の真宗大谷派の寺の長男として生を受けた。2年後の1949年には京都の寺に移住し、以降1975年に上京するまで京都で生活した。中学時代の14歳の頃、家業である寺の住職を継ぐことへの疑問から精神的な葛藤を抱えていたが、偶然ギターに触れたことで音楽に希望を見出し、「音楽と関わっていられたら、生きて行ってやってもいいかな?」と考えるようになった。
1.2. 音楽への傾倒と学習
高校に進むにつれてベースやドラムの演奏を習得し、高校1年生で自宅の蔵にて多重録音を始めた。高校2年生の時にはソニーのオープンリールの4トラック・レコーダーを入手し、録音技術への興味を深めた。当初は演奏家ではなく作曲家、編曲家志向であったが、東京ユニオンの藤尾正重(ピアノ)のアドバイスを受け、鍵盤楽器の習得が有利であると考え、20歳より独習でピアノを始めた。後に「20歳当時、もしもプロになれなければこの世とおさらばしてもいいと思えるくらい練習した」と語るほど、音楽の道に進む強い決意を持っていた。
1.3. プロデビューと初期の活動
1970年頃より、大阪にてジャズコンボ系のバンドのピアニストとしてプロ・ミュージシャンとしての活動を開始した。1972年頃からは京都で、ウエスト・ロード・ブルース・バンドや上田正樹といったブルース系のミュージシャン、そしてオリジナル・ザ・ディラン(西岡恭蔵)、大塚まさじ、加川良といったフォーク系のミュージシャンの演奏に参加した。1974年頃には石田長生とバンド"THIS"を結成。その後、加川良のアルバム『アウト・オブ・マインド』のバックで鈴木茂と知り合い、上京した。
1.4. 1970年代の活動
1976年、鈴木茂の短命に終わったバンド「ハックルバック」の結成に参加し、また細野晴臣やティン・パン・アレーのメンバーとのコラボレーションと並行して、日本コロムビアから初のソロアルバム『SUPER MARKET』を発表した。
1970年代後半からは電子音楽の実験を開始し、1975年から1978年にかけて電子音楽の先駆者である細野晴臣と何度も共同制作を行った。1979年のアルバム『ORIENT』では、ヤマハCS-80やPolymoogなどのポリフォニック・シンセサイザーやローランドのドラムマシンといった電子楽器を積極的に導入した。1978年には細野晴臣からイエロー・マジック・オーケストラへの参加を打診されたが、1979年に渡米することを決めていたため辞退した。
1.5. 渡米と日本への帰国
ソロデビューから2、3年後、佐藤は自身の音楽活動に行き詰まりを感じていた。スタジオ・ミュージシャンとしての仕事が増え、ギャラも上がっていく中で、自分が興味を持てない歌謡曲や歌謡ポップスばかりの仕事に我慢できなくなり、日本を飛び出すことを決断した。1979年の夏に渡米した際の心境について、本人は「自分はスタジオ・ミュージシャンをやるために東京に来たのでもないし、ましてや音楽を始めたのではない。アメリカへ行きたかったというよりは日本を出たいという方が大きかったですね」と語っている。また、「日本の音楽状況、ジャズ、クラシック、ニュー・ミュージック、R&B、あらゆるジャンルが猿真似の域をでてないと思っていた。それに対する抵抗がすごくあったから、自分だけは過去に影響を受けないオリジナリティがあるものを追求したいという思いが強かった」とも述べている。
アメリカではマリア・マルダーやランディ・クロフォードらと活動した。当初は1stソロアルバムに参加したエイモス・ギャレットを頼りにサンフランシスコに渡り、エイモス・ギャレット・グループに1年ほど所属した。その後ロサンゼルスに移り、アルファレコードと契約し、アルファ・アメリカの専属アーティスト兼プロデューサーに就任した。この時期にはスペンサー・デイヴィス・グループと10か月ほどクラブを回り、ランディ・クロフォードらと共演し、高い評価を得た。
渡米中にハービー・ハンコックのアルバム『Mr. Hands』を通じて、ロジャー・リンが発明したLinn LM-1ドラムマシンの音色を聞き、衝撃を受けた。このドラムマシンがあれば、それまで実践してきた多重録音と同様の方法が日本でも可能になり、海外のミュージシャンに依頼する必要がなくなると考えた佐藤は帰国を決断した。当時アルファレコード社長であった村井邦彦に同機の購入を依頼し、その資金援助を受けてアルバム『awakening』の制作に着手した。1982年にデモテープを携え帰国し、このデモテープをもとにした4thソロアルバム『awakening』を発表した。

佐藤はLM-1について「ロジャーの会社が家から近かったので見せてもらいに行くと、それまでのリズム・マシンとは成り立ちの異なるPCM音源のサンプリング系(サンプリングレートが8ビット)のリズム・マシンで、これ(Linn LM-1)だったら何でも出来ちゃうなあと思いましたね。これを使ってアルバムを作って日本に帰る決心がついたんです。それまでは、日本に帰ってまた以前と同じようなことをするのもいやだなあ、と煮え切らない気持ちだったので、ロジャー・リンに帰国の背中を押してもらったようなものですね」と振り返っている。
1.6. 帰国後の活動と晩年
帰国後の1980年代以降は、CM音楽やテレビ番組のテーマ曲を多数制作した。ベスト・アルバム『記憶の中の未来』(1988年12月)には、その提供曲が多数収録されており、「テレビ・グラフィティ」のサブタイトルが付されている。
2000年代に入ると、プロデュース活動や新人アーティストの発掘に注力した。2007年にはDREAMS COME TRUEの「史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007」で音楽監督を務めた。これはリーダー兼ベーシストの中村正人が学生時代から佐藤を「師匠」と呼んで尊敬しており、中村自身の依頼によるものだった。また、2007年のSoulJa「DOGG POUND」、2008年の青山テルマ「そばにいるね」、2011年2月発売のふくい舞「いくたびの櫻」のサウンド・プロデュースを手掛けた。
2008年に大ヒットした青山テルマの「そばにいるね」では、編曲とサウンド・プロデュースのみならず、自身のプライベート・スタジオ「Studio SARA」で自ら録音、ミックスダウン、エンジニアリングとマスタリングを手掛け、キーボード、リズム・プログラミング、シンセ・ベースの演奏も行った。この楽曲は「第50回日本レコード大賞」で優秀作品賞を受賞した。2011年2月発売の作曲・編曲およびサウンドプロデュース(演奏、ミックス、エンジニアリング共)を手がけたふくい舞の「いくたびの櫻」は「第44回日本有線大賞」を受賞した。
彼は1996年に東芝EMIからリリースされた『Oracle』まで、合計14枚のソロアルバムを発表し、その後活動を一時休止した。
1.7. 死去
2012年10月26日、横浜市港北区のプライベートスタジオ「Studio SARA」で倒れているのを友人が発見し、救急車を呼んだが既に死亡していた。死因は出血性大動脈瘤であった。享年65。
2. 音楽的特徴とスタイル
佐藤博の音楽は、幅広い影響と革新的な技術の融合によって特徴づけられる。
2.1. 音楽的影響とルーツ
エルヴィス・プレスリーやレイ・チャールズ、ビートルズに影響されて音楽を始めたものの、彼の音楽的ルーツはブルースに深く根ざしている点が特徴である。
2.2. 鍵盤演奏とピアノスタイル
ピアニストとしての佐藤博の卓越した演奏技術は、初期の山下達郎作品や大瀧詠一の『NIAGARA MOON』、細野晴臣の『トロピカル・ダンディー』、『泰安洋行』、『はらいそ』といったトロピカル三部作、吉田美奈子の初期作品などで聴くことができる。キーボード奏者としてだけでなく、ピアニストとしても非常に高く評価されている。
細野晴臣は彼のピアノについて、「サーティーンスやシックス・ナインスといった、ジャズによく使われるコードを用いた都会的な部分が彼の(ピアノの)個性」と評している。大瀧詠一は「ラグタイム(ピアノ)ならば日本一」と称賛し、山下達郎は彼を「日本最高のピアニスト」と呼び、「ハチロク(6/8拍子)バラードのような曲は佐藤博さんのピアノなしには出来ません」「間奏の終わりのクレッシェンドではピアノがローリングして大きく揺れていました。驚くべき表現力です」と、その表現力を絶賛した。角松敏生は「氏のピアノは日本の宝物のような気がします」と述べ、村上秀一は「白玉の響きが美しいピアノ」と評価する一方、「YOU'RE MY BABY」(『awakening』に収録)のドラムが彼が打ち込みで作ったものであると知り、「こんな人間くさい打ち込み作れる奴はいない!」と衝撃を受けたという。
2.3. シンセサイザーと電子音楽の活用
日本に拠点を移した後、1970年代後半から取り組んでいたシンセサイザーや打ち込みを基調にした、ブラックミュージック、ジャズ、フュージョン色の強いポップスを追求した。彼の音楽制作の基本スタイルは、一人多重録音である。
彼はシンセサイザーやシーケンサー、パーソナルコンピュータといった最新の機器を表現の道具としていち早く駆使したミュージシャンとして知られている。特に、シンセサイザー、多重録音、音響エフェクトに関しては、1983年発行の『KEYBOARD BOOK』や雑誌『キープル』での執筆活動を通じて、これらの分野における国内の先駆者的存在であった。MIDI規格の導入にも、アドバイザー的な立場で関わっている。
特筆すべきは、「コンピューター」を自分がイメージしたサウンドを具現化するための「道具」として捉えていた点である。機械の制約に合わせて作るのではなく、まず作りたい音楽が優先であると語っていた。リズム・トラックの制作においても、一人多重録音の成果はリズム・プログラミングという形で特に顕著に現れており、生涯を通じてオリジナル作品へのドラマーの参加は、1990年発表の『Good Morning』(ドラム:John Robinson (drummer)ジョン・"JR"・ロビンソン英語)が最後である。リズム・プログラミング、特にハイハット・シンバルのアーティキュレーションの凝った付け方には定評があった。
2.4. 作曲・編曲
佐藤博は、自身のアルバム制作の傍ら、他の多くのアーティストに楽曲を提供し、その編曲も手がけた。彼の作曲・編曲は、都会的で洗練されたサウンドを特徴とし、日本のポップスシーンに多大な貢献をした。
2.5. プロデュースとエンジニアリング
レコーディング・エンジニアリングにおいても、デジタル録音における音響のスタンダードを確立するため、その初期からレコーディングに際して自らミキシング・コンソールを駆使していたのが大きな特徴である。アルバム『AQUA』(1988年6月1日)では、シンセ・パートなどの演奏は音質が劣化せぬようテープには録音せず、ミックスダウンの際に、マッキントッシュと1985年に発売されたMIDIシーケンサー・ソフトのPerformer(パフォーマー)を使用して同期演奏させるなど、一種のデジタルMTR的な使用法を実践した。彼はミキシング・コンソールを操作することを、楽器を演奏することと同じだと解釈していた。ミックスダウンに関しては、思い入れが深く、演奏や歌うこと以上に一番好きであるとまで語っている。
ミックスダウンの時には、エンジニア的要素よりもコンダクター的要素の方が重要であり、そういう意味でもトータル的にその音楽に責任を持つ人がエンジニアリングまでやる方が一番良いと語っていた。そのため、彼の作品には「機械任せ」や「他人任せ」といった「おまかせ」の要素が一切ない。エンジニアリング関係まで自分で関わる理由として、佐藤本人は、結局は自分のイメージしている音に近づけるためであると語っている。中でも1990年に建設された、プライベートスタジオ「Studio SARA」ではトラックダウンからマスタリングまで行えることは特筆すべき点である。
2.6. 技術革新と機材活用
佐藤博は、最新の音楽制作機器を駆使し、多重録音やサウンドエフェクトといった分野で国内の先駆者となった。特に、Linn LM-1やRoland TR-909といった初期のデジタルドラムマシンをいち早く導入し、その可能性を最大限に引き出した。1983年にはローランドのMC-4からApple IIを作品制作に使用し始め、以降はMARK OF THE UNICORNのMac用MIDIシーケンサーソフトのPerformerを使用している。彼は常に技術の最先端を追求し、それを自身の音楽表現に昇華させることで、日本の音楽シーンに新たな潮流をもたらした。
3. ディスコグラフィー
佐藤博は多岐にわたる作品をリリースしており、その多くが日本の音楽史に名を刻んでいる。
3.1. ソロ・オリジナル・アルバム
| 発売日 | アルバム | レーベル | 規格 | 規格品番 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1976年5月25日 | SUPER MARKET | 日本コロムビア | LP | LQ-7008-C | |
| 1993年11月21日 | CD | COCA-11141 | |||
| 1993年11月21日 | COR-11141 | ||||
| 2009年6月22日 | コロムビアミュージックエンタテインメント | CD(オンデマンド) | CORR-10298 | ||
| 2012年11月21日 | タワーレコード | CD | TWCP-25 | ||
| 2019年11月3日 | 日本コロムビア | LP | HMJA-124 | ||
| 1977年1月25日 | Time | LP | LX-7009 | ||
| 2003年3月10日 | アルダンレコード | CD | ARCD-1002 | 2003年デジタルリマスター盤、ボーナス・トラック追加 | |
| 2009年12月21日 | コロムビアミュージックエンタテインメント | CD(オンデマンド) | CORR-10529 | ||
| 2012年11月21日 | タワーレコード | CD | TWCP-26 | ||
| 2015年4月18日 | HMV Record Shop | LP | HMJA-101 | ||
| 2019年11月3日 | ソニー・ミュージックダイレクト | LP | MHJL-106 | ||
| 1979年6月1日 | ORIENT | キティレコード | LP | MKF-1047 | |
| 1990年1月1日 | CD | ||||
| 2013年3月13日 | ユニバーサルミュージック | CD | PROT-1056 | 2013年デジタルリマスター盤 | |
| 2014年12月24日 | キティレコード | CD | MKF-1047 | ||
| 2015年4月18日 | HMV Record Shop | LP | PROT-7002 | ||
| 2018年4月24日 | WEWANTSOUNDS | LP | WWSLP-12 | ||
| 1982年6月25日 | awakening | アルファレコード | LP | ALR-28036 | |
| 1986年8月25日 | CD | 32XA-91 | |||
| 1995年5月10日 | CD | ALCA-9144 | |||
| 2005年9月21日 | ソニー・ミュージックダイレクト | CD | MHCL-648 | 2005年デジタルリマスター盤 | |
| 2014年12月10日 | CD | MHCL-30275 | 未発表音源追加 | ||
| 2016年8月24日 | LP(180g重量盤) | MHJ7-3 | オリジナル・マスターテープから96KHz/24bitにデジタル変換された音源データをもとに、バーニー・グランドマンがカッティング | ||
| 2019年11月3日 | LP | MHJL-106 | |||
| 1984年6月25日 | SAILING BLASTER | アルファレコード | LP | ALR-28059 | |
| 1986年 | CD | 32XA-92 | |||
| 1995年5月10日 | CD | ALCA-9145 | |||
| 2015年6月3日 | BRIDGE | Blu-spec CD2(紙ジャケ) | BRIDGE-239 | 2015年デジタルリマスター盤 | |
| 1986年7月25日 | SOUND OF SCIENCE | アルファレコード | LP | ALR-28081 | |
| 1986年 | CD | 32XA-70 | |||
| 1995年5月10日 | CD | ALCA-9146 | |||
| 2015年6月3日 | BRIDGE | Blu-spec CD2(紙ジャケ) | BRIDGE-240 | 2015年デジタルリマスター盤 | |
| 1987年5月25日 | FUTURE FILE | アルファレコード | LP | ALR-28095 | |
| 1987年5月25日 | CD | 32XA-158 | |||
| 1995年5月10日 | CD | ALCA-9147 | |||
| 2015年6月3日 | ソニー・ミュージックダイレクト | Blu-spec CD2 | MHCL-30310 | 2015年デジタルリマスター盤、ボーナス・トラック追加 | |
| 1988年6月25日 | AQUA | アルファレコード | LP | ALR-28110 | |
| 1988年6月25日 | CD | 32XA-210 | |||
| 1995年5月10日 | CD | ALCA-9148 | |||
| 2015年6月3日 | ソニー・ミュージックダイレクト | Blu-spec CD2 | MHCL-30311 | 2015年デジタルリマスター盤、ボーナス・トラック追加 | |
| 1989年6月25日 | TOUCH THE HEART | アルファレコード | CD | 29A2-18 | |
| 1995年5月10日 | CD | ALCA-9149 | |||
| 2015年6月3日 | ソニー・ミュージックダイレクト | Blu-spec CD2 | MHCL-30312 | 2015年デジタルリマスター盤、ボーナス・トラック追加 | |
| 1990年7月25日 | Good Morning | アルファレコード | CD | ALCA-56 | |
| 1995年5月10日 | CD | ALCA-9150 | |||
| 2017年11月24日 | オーダーメイドファクトリー | CD | DQCL-684 | ||
| 1991年7月21日 | Self Jam | アルファレコード | CD | ALCA-159 | |
| 1995年5月10日 | CD | ALCA-9151 | |||
| 2017年11月24日 | オーダーメイドファクトリー | Blu-spec CD2 | DQCL-685 | 2017年デジタルリマスター盤、ボーナス・トラック追加 | |
| 1993年6月21日 | HAPPY & LUCKY | アルファレコード | CD | ALCA-494 | |
| 1995年5月10日 | CD | ALCA-9152 | |||
| 2017年11月24日 | オーダーメイドファクトリー | Blu-spec CD2 | DQCL-686 | 2017年デジタルリマスター盤、ボーナス・トラック追加 | |
| 1995年5月10日 | ALL OF ME | 東芝EMI | CD | TOCT-8882 | |
| 2012年9月8日 | タワーレコード | CD | QIAG-70057 | 2012年デジタルリマスター盤 | |
| 1996年11月7日 | Oracle | 東芝EMI | CD | TOCT-9706 | |
| 2012年9月8日 | タワーレコード | CD | QIAG-70058 | 2012年デジタルリマスター盤 | |
| 2003年6月24日 | THAT'S ALL RIGHT | サラ・ミュージック | CD | SMD-0001 | |
| 2006年4月5日 | AMAZINGⅡ | ex-music communications | CD | ECCA-1003 |
3.2. シングル
- いとしのマリー / パラダイスへ(1977年 日本コロムビア LK-14-C)
- 孫悟空(1979年5月)
- Sun Grow(1984年11月28日)
- アンジェリーナ/シャイニー・レディ (1985年4月25日 Alfa ALR-783)
- LOVE ME DO(1985年10月10日) - 12インチシングル
- 宇宙のエトランゼ/Mystery Zone(1986年6月25日 Alfa ALR-794)
- スウィート・インスピレーション-Extended Power Club Mix- / ANGELINE-Extended Power Club Mix-(1987年2月25日 Alfa ALR-13001) - 12インチシングル
- Seat For Two(1988年6月25日)
- Fuzzy Love / MISSING LINK(1989年6月25日 Alfa)
- EVEの朝を(1989年10月25日)
- HEART TO YOU(1995年5月10日)
- 約束(1996年3月6日)
- Day by Day(1996年6月26日、TOCT-4046)
- Take it(2004年12月10日)
- Bad Junky Blues(Op.2010_0615)(2010年6月)
- 1945-シャボン玉 (Op.2010_0831)(2010年9月)
- Angel -Hiroshi Sato feat. Marié Digby(2012年9月12日)
- Sweet Lullaby -佐藤博 & Marié Digby(2012年10月6日)
- EVENING SHADOWS / SUN BATHING / X'S AND O'S / ordinary(2016年11月30日 MHJ7-6) - 12インチシングル
- カリンバナイト / ドンカマ (2021 RECORD STORE DAY 限定盤)
3.3. コンピレーション・アルバムおよびベスト・アルバム
- THIS BOY(1985年5月25日) - コンピレーション・アルバム
- 記憶の中の未来 (1988年12月21日) - ベスト・アルバム
- HIROSHI SATO'90-SNOW LAND(1989年10月25日) - ホイチョイ・プロダクションズ「極楽スキー'90」コンピレーション・アルバム
- HIROSHI SATO BEST SELECTION(1990年9月1日) - ベスト・アルバム
- PROSUMER(1992年11月21日) - コンピレーション・アルバム
- 佐藤博ベスト(1994年2月1日) - ベスト・アルバム
- FLY TO YOU 2000(2000年4月12日) - 2枚組コンプリート・ベスト・アルバム
- CREAMY AQUA(2007年8月4日)
- GOLDEN☆BEST 佐藤 博~a fine piece of work(2013年1月30日) - 追悼企画ベストセレクション
- UNDERCOVER(2014年6月3日) - コンピレーション・アルバム
3.4. サウンドトラックおよび企画アルバム
- 七都市物語サウンドトラック(1994年4月21日)
- 幻のハックルバック(1976年) - 鈴木茂とハックルバック
- 1975 LIVE(2015年) - 鈴木茂とハックルバック
- SEASIDE LOVERS - MEMORIES IN BEACH HOUSE(1983年5月21日) - オリジナル曲3曲提供(松任谷正隆、井上鑑とともに参加)。
- ゆりかごのうた(1992年2月21日) - 挿し絵:永田萠
4. 参加作品および共演
佐藤博は、数多くの著名なミュージシャンやバンドのレコーディングに参加し、その才能を発揮した。
- 1974年**
- 加川良『アウト・オブ・マインド』(1974年11月10日)
- ザ・ディランII『さようなら~この世を悲しむ風来坊に捧ぐ~』
- 1975年**
- 金森幸介「箱舟は去って」
- 大滝詠一『NIAGARA MOON』(1975年5月30日) - 「三文ソング」「論寒牛男」「ロックン・ロール・マーチ」「ハンド・クラッピング・ルンバ」「恋はメレンゲ」「福生ストラット(パートII)」「シャックリママさん」「楽しい夜更し」でピアノ、Wuritzerを担当。
- 吉田美奈子『MINAKO』(1975年10月25日) - 「レインボー・シー・ライン」(作曲・編曲)、「住みなれた部屋で」(編曲)、「夢を追って」(作曲・編曲)、「チャイニーズ・スープ」(編曲)、「パラダイスへ」(編曲)、「時の中へ」(編曲)、「ろっかばいまいべいびい」(編曲)
- 吉田美奈子『MINAKO II』(1975年12月20日)
- 岡林信康『誰ぞこの子に愛の手を』
- 西岡恭蔵『ろっかばいまいべい』
- 細野晴臣『トロピカル・ダンディー』
- ブレッド&バター「Mahae」
- 南こうせつ「かえり道」
- 1976年**
- めんたんぴん『MENTANPIN SECOND』
- 細野晴臣『泰安洋行』
- 大貫妙子『Grey Skies』(1976年9月25日) - 「One's Love」「街」でSteinway Piano、Fender Rhodes Piano、Roland Synthesizer、Hammond Organを担当。
- 吉田美奈子『FLAPPER』(1976年3月25日) - 初のサウンドプロデュースを手掛ける。「朝は君に」(作曲、リズム・アレンジ)、「チョッカイ」(作曲、ホーン & リズム・アレンジ)
- 南佳孝『忘れられた夏』
- 大塚まさじ『遠い昔ぼくは...』
- 鈴木慶一とムーンライダース『火の玉ボーイ』 - 「火の玉ボーイ」
- 1977年**
- 小坂忠『MORNING』
- 渡辺勝『HELLO』
- りりィ『リリシズム』 - 坂本龍一の全面プロデュースによる1976年の『オーロイラ』に続き、佐藤博の全面プロデュースで制作された。小原礼、田中章弘、鈴木茂、上原裕、ペッカー、ブレッド&バター等が参加。
- りりィ「ミス・キャロン・ターバット」(c/w 「心は夏に誘われて」)
- 吉田美奈子『TWILIGHT ZONE』(1977年3月25日) - Hammond Organを担当。
- 山下達郎『SPACY』(1977年6月25日) - 「LOVE SPACE」でAcoustic Piano、「素敵な午後は」でElectric Pianoを担当。
- やまがたすみこ『フライング』
- いしだあゆみ『いしだあゆみ&ティン・パン・アレー・ファミリー/アワー・コネクション』
- 高中正義『TAKANAKA』 - 「MAMBO NO,5(DISCO DANGO)」でClavinet、「MAMBO MAGIC」でSynthesizer Solo、「GASCON COCKTAIL」でPianoを担当。
- ハイ・ファイ・セット『LOVE COLLECTION』
- 大滝詠一『NIAGARA CALENDAR』(1977年12月25日) - 「Rock'n Rollお年玉」「座 読書」でPianoを担当。
- Linda Carriere『Linda Carriere』※未発売
- 上田正樹『上田正樹』
- 1978年**
- 細野晴臣&イエロー・マジック・バンド『はらいそ』
- 大滝詠一『DEBUT』(1978年8月25日) - 「楽しい夜更し」「福生ストラット(パートII)」「ウララカ'78」でPianoを担当。
- 大上留利子『DREAMER FROM WEST』
- 加藤登紀子『さびた車輪』
- 秋山一将『DIG MY STYLE』
- 南佳孝『SOUTH OF THE BORDER』 - 「ワンナイト・ヒーロー」でPiano(Solo)を担当。
- 尾崎亜美『STOP MOTION』、『PRISMY』
- 後藤次利『ON BASS』
- 岡本一生「MOONLIGHT SINGING」※編曲共
- タイム・ファイブ『翼を下さい』
- 山本達彦『Sudden Wind』
- 西岡恭蔵『ヨー・ソロ』
- 細野晴臣&横尾忠則『COCHIN MOON(コチンの月)』
- 山下達郎/細野晴臣/鈴木茂『PACIFIC』
- 山下達郎『GO AHEAD!』(1978年12月20日) - 「MONDAY BLUE」でKeyboardsを担当。
- 1979年**
- 竹内まりや『UNIVERSITY STREET』
- アン・ルイス『PINK PUSSYCAT』(1979年8月5日)
- 山下達郎『MOONGLOW』(1979年10月21日) - 「RAINY WALK」「STORM」「TOUCH ME LIGHTLY」でElectric Pianoを担当。
- ブレッド&バター『LATE LATE SUMMER』
- 杏里『Feelin'』
- 桐ヶ谷仁『My love for you』
- 朝比奈マリア『MARIA』
- 古谷野とも子『NEUTRAL TINTS』
- 佐藤奈々子『Pillow Talk』
- サーカス『NEW HORIZON』
- ジェフ・マルダー&エイモス・ギャレット『ライヴ・イン・ジャパン』
- 松原正樹『TAKE A SONG』
- 南佳孝『SPEAK LOW』
- 1980年**
- 山下達郎『RIDE ON TIME』(1980年9月19日) - 「RAINY DAY」「雲のゆくえに(CLOUDS)」でKeyboardsを担当。
- エイモス・ギャレット『GO CAT GO』
- 池田典代『DREAM IN THE STREET』 - 「DREAM IN THE STREET」
- 1982年**
- 山下達郎『FOR YOU』(1982年1月21日) - 「MUSIC BOOK」でElectric Piano、「FUTARI」でAcoustic Piano & Electric Pianoを担当。
- フランク永井「WOMAN」(1982年6月21日) - 「愛のセレナーデ」
- 吉田美奈子『LIGHT'N UP』(1982年9月21日) - 「LIGHT'N UP」「頬に夜の灯」「LOVE SHOWER」「風」「MORNING PRAYER」「斜陽(REFLECTION)」「時の向こう」
- サンディー&ザ・サンセッツ『イミグランツ』
- 1983年**
- 吉田美奈子『IN MOTION』(1983年3月25日) - 「TORNADO」でAcoustic Pianoを担当。
- 山下達郎『MELODIES』(1983年6月8日) - 「夜翔(Night-Fly)」「BLUE MIDNIGHT」
- 南佳孝『DAYDREAM』(1983年7月22日)
- 尾崎亜美『MIRACLE』
- 須藤薫『PLANETARIUM』
- 濱田金吾『MUGSHOT』 - 「Rainy Heart」でArrangement, Keyboardsを担当。
- 上田正樹『HUSKY』
- 大野方栄『MASAE ALA MODE』(カシオペアと共演)
- 井上鑑 / 松任谷正隆 / 佐藤博『シーサイド・ラバーズ』
- 1984年**
- 石川秀美『SECRET』
- 秋本奈緒美『Poison 21』
- 竹内まりや『VARIETY』
- 角松敏生『AFTER 5 CLASH』(1984年4月21日) - 「I NEED YOU」でKey. (Piano soloも)を担当。
- 二名敦子『LOCO ISLAND』※全曲編曲
- 太田貴子『GRADATION』
- 香坂みゆき「ジェット・ラグ(時差)」
- 尾崎亜美『Plastic Garden』
- 鈴木康博『Hello Again』(1984年9月29日) - 「Holy Night」「もう一度 愛を」「去りゆく日々よ」
- 竹中直人『かわったかたちのいし』
- 村田和人『MY CREW』(1984年7月10日)
- 円道一成『RUN TO LIVE, LIVE TO RUN』(1984年8月21日) - 「酔いしれてDéjà Vu」「L.A. BABE」
- 1985年**
- 小泉今日子『Today's Girl』
- 石野真子『Saffran』
- 石川秀美『I』
- 天宮良『TURN YOU ON』
- 鳥山雄司『A Taste Of Paradise』
- 高橋幸宏『遥かなる想い - Once A Fool,...』
- 高橋鮎生『MEMORY THEATRE』
- 1986年**
- CINDY『ラブ・ライフ』
- EPO『PUMP! PUMP!』
- 高橋幸宏『ONLY WHEN I LAUGH』
- 山下達郎『POCKET MUSIC』(1986年4月23日) - 「LADY BLUE」
- 杏里『MYSTIQUE』、『TROUBLE IN PARADISE』
- 吉野千代乃『SLOW DANCE』
- 1987年**
- 角松敏生『SEA IS A LADY』
- 藤本健一『アペリティフ』
- 国分友里恵『STEPS』
- 下成佐登子『KEEP IN TOUCH』
- 吉野千代乃『SAY GOOD-BYE』
- 大貫妙子『A SLICE OF LIFE』(1987年10月5日) - 「あなたに似た人」「もういちどトゥイスト」「人魚と水夫」「スナップショット」「五番目の季節」でKeyboards、Arrangementを担当。
- 竹内まりや『REQUEST』
- 1988年**
- 鳥山雄司『Transfusion』
- 中山美穂『CATCH THE NITE』
- TOKYO ENSEMBLE LAB『BREATH FROM THE SEASON』
- 鈴木雅之『Radio Days』
- 小原礼『PICARESQUE』
- 1989年**
- 羽根田ユキコ『SORA』
- 南佳孝『東京物語』
- サディスティック・ミカ・バンド『天晴』
- 1990年**
- 障子久美『RHYTHM OF SILENCE』、『Motion & Moment』
- EPO『GO GO EPO』
- 角松敏生『LEGACY OF YOU』(1990年7月25日) - 「SATO」
- 1991年**
- 角松敏生「この駅から...」(1991年5月21日) - 「この駅から...」
- 角松敏生『ALL IS VANITY』(1991年7月3日) - 「夏回帰~SUMMER DAYS」「この駅から...~STATION」「UP TOWN GIRL」「DISTANCE」「WHAT IS WOMAN」
- 角松敏生『TEARS BALLAD』(1991年12月4日) - 「DISTANCE」
- 渕上祥人『AGUA』
- 小森田実『パノラマ』
- 野田幹子『Rose C'est La Vie』
- 1992年**
- 野田幹子『CUTE』
- 織田哲郎『ENDLESS DREAM』
- 1993年**
- 障子久美『Scope Of Soul』
- 種市弦『冬の調べ』
- 角松敏生『1981-1987』(1993年10月21日) - 「I NEED YOU」でAcoustic Piano, FENDER RHODESを担当。
- 1994年**
- 角松敏生『ALL IS VANITY』(1994年12月16日)
- 1995年**
- 種市弦『両想いのススメ』
- 1996年**
- 高中正義『Guitar Wonder』
- 熊谷幸子『Bahia』
- 1997年**
- 岩崎宏美『SHOWER OF LOVE』
- 1998年**
- Anna『Stories』(1998年3月18日) - 「Sugar Sugar」※HIRO P.J
- 山下達郎『COZY』(1998年8月26日) - 「月の光」でAcoustic Piano, Electric Piano & Hammond Organを担当。
- KinKi Kids「Happy Happy Greeting」
- 1999年**
- 岸田今日子、本木雅弘『泣かないで-小さな旅人へ』
- 南佳孝『PURPLE IN PINK』※HIRO P.J名義
- Chappie「水中メガネ/七夕の夜、君に逢いたい」(1999年7月7日) - 「七夕の夜、君に逢いたい」
- 高中正義『Bahama』
- 2000年**
- Tin Pan『Tin Pan』(2000年11月22日) - 「Fujiyama Mama」「76 Tears」
- 2001年**
- SMOOTH ACE『REMAINS』、『Smooth Music At Cafe』
- 小坂忠『PEOPLE』
- 葛谷葉子『MUSIC GREETINGS VOLUME TWO』
- 2002年**
- オムニバス『HAPPY END PARADE~tribute to はっぴいえんど~』
- 銀河鉄道『ミルキーウェイ』※プロデュース(1977年制作)
- 2003年**
- 村上"ポンタ"秀一『MY PLEASURE ~FEATURING GREATEST MUSICIANS~』
- 大村憲司『Leaving Home best live tracks II』※HIRO P.J名義
- 2005年**
- 市原ひかり『一番の幸せ』
- 村井邦彦『COMPOSITIONS』
- 2007年**
- 竹内まりや「明日のない恋」
- SoulJa『DOGG POUND』
- 和幸(かずこう)『ゴールデンヒッツ』
- 2008年**
- 青山テルマ「そばにいるね」
- DREAMS COME TRUE『史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007』
- I.H.L『ロマンチスタ』、『I HAVE LOVE 2008』
- SLY & ROBIE『HURRY HOME』
- LADY TRAFIC『HURRY HOME』
- SoulJa × Misslim『記念日・home』
- 2009年**
- SoulJa『COLORZ』 - プロローグ・Prologue feat.佐藤博
- 吉見一星『~YOU~』
- 2011年**
- ふくい舞『いくたびの櫻』(Instruments,Mixing,Engineering & Mastering)
- 細野晴臣『HoSoNoVa』(2011年4月20日)
- 2012年**
- 中村裕介『オートバイ』(All Drums Programming,Additional Keyboards & Programming)
5. その他の活動
音楽制作以外にも、佐藤博は様々なメディアで活動を行った。
5.1. ラジオ番組
2000年10月7日から2001年3月31日まで、横浜エフエム放送の番組「The Legend」で小原礼とともにパーソナリティを務めた。
5.2. CM音楽など
テレビCMや番組のテーマ曲など、商業音楽分野でも多くの作品を手がけた。
- 輝きに向けて(1982年 - ) - 鹿児島放送イメージ曲(かつてオープニング・クロージングで使用)
- Love is happening(1984年) - 小杉産業(現・コスギ)「ジャンセン」CM曲
- Sun Glow(1984年) - 小杉産業(現・コスギ)「ジャンセン」CM曲
- アンジェリーナ(1985年) - 小杉産業(現・コスギ)「ジャンセン」CM曲
- Shiny Lady(1985年) - 小杉産業(現・コスギ)「ジャンセン」CM曲
- 記憶の中の未来から(1985年) - 小杉産業(現・コスギ)「ジャンセン」CM曲、大海酒造「さつま大海」CM曲
- Sweet Inspiration(1987年) - テレビ東京「Dモーターランド」
- Future File(1987年) - 東京建物CM曲
- Sweet Inspiration(1987年) - テレビ朝日「EAT9」オープニング・エンディングテーマ曲
- I WANT TO HOLD YOUR HAND(1987年) - テレビ朝日「EAT9」エンディングクレジットBGM曲(1987年4月~1988年3月)
- FUNKY MULTI(1987年-) - テレビ朝日「EAT9」挿入曲、関西テレビ「ねるとん紅鯨団」、ヤナセ・VWゴルフ CM曲
- TOGETHER(1987年) - TBSテレビ「男女7人夏物語」挿入曲
- FLY TO YOU(1987年) - 呉工業「クレ・カー・ケア」CM曲
- THE FALL IN LOVE(1988年) - テレビ朝日「EAT9」エンディングクレジットBGM曲(1988年4月~1988年9月)
- LOVE IS THE ANSWER(1988年) - 国際証券CM曲
- ON THE WIND - 小杉産業(現・コスギ)「ジャンセン」CM曲
- SEAT FOR TWO(1988年) - 丸大食品「適塩食生活」CM曲
- ALL OF ME(1995年) - 西友企業CM曲
- 約束(1996年) - フジテレビ「THE WEEK」テーマ曲
- DOLPHIN(1996年) - 関西テレビ「花王ファミリースペシャル」オープニング・タイトル曲
- THE FIGHT / オルケスタ・デル・ソル(1998年) - 1998 FIFAワールドカップ・オフィシャル・サポート・ソング(HIRO P.J.名義にて作曲)
- ここにいるよ / SoulJa feat.青山テルマ(2007年) - テレビ東京「JAPAN COUNTDOWN」(2007年9月度)、「やりすぎコージー」、「メデューサの瞳」、「カウントダウンTV」エンディングテーマ、「PVTV」オープニングテーマ(編曲、サウンド・プロデュース)
- そばにいるね / 青山テルマ feat. SoulJa(2008年) - NTTドコモCMソング(編曲、サウンド・プロデュース)
- ロマンチスタ / I.H.L(2008年) - NHK新大学生・新社会人応援キャンペーン 「がんばれ。ルーキー!」 キャンペーンソング(サウンド・プロデュース)
- I HAVE LOVE 2008 / I.H.L(2008年) - テレビ東京「たけしの誰でもピカソ」エンディングテーマ(サウンド・プロデュース)
- いくたびの櫻 / ふくい舞(2011年) - NHK土曜時代劇「隠密八百八町」主題曲(作、編曲、サウンド・プロデュース)
6. 評価と影響力
佐藤博は、その卓越した音楽性と革新的なアプローチにより、同時代の音楽家や評論家から高い評価を受け、後世の音楽シーンに多大な影響を与えた。
6.1. 同時代音楽家・評論家からの評価
- 細野晴臣は、「サーティーンスやシックス・ナインスといった、ジャズによく使われるコードを用いた都会的な部分が彼の(ピアノの)個性」と評した。
- 大瀧詠一は、「ラグタイム(ピアノ)ならば日本一」と称賛した。
- 山下達郎は、「日本最高のピアニスト」と呼び、「ハチロク(6/8拍子)バラードのような曲は佐藤博さんのピアノなしには出来ません」「間奏の終わりのクレッシェンドではピアノがローリングして大きく揺れていました。驚くべき表現力です」と、その表現力を高く評価した。
- 角松敏生は「氏のピアノは日本の宝物のような気がします」と述べた。
- ゴンザレス三上は、「磨かれた玉のようなコンピューターシークエンス。素粒子レベルまで到達しているリズムへのこだわり」と評した。
- 中村正人は、「名ピアニスト」と「打ち込み・ジェダイ・マスター」を組み合わせた「無敵」の存在であると語った。
- 大儀見元(元オルケスタ・デ・ラ・ルス、パーカッション)は、「黒いピアノを弾く」と表現した。
- 村上秀一は、「白玉の響きが美しいピアノ」と評価する一方で、「YOU'RE MY BABY」(『awakening』に収録)のドラムが彼が打ち込みで作ったものであると知り、「こんな人間くさい打ち込み作れる奴はいない!」と衝撃を受けたと語っている。
6.2. 音楽的遺産と後世への影響
佐藤博が生み出した音楽スタイルや技術は、その後の日本の音楽シーンや後続のアーティストに大きな影響を与えた。彼はシンセサイザーやシーケンサー、パーソナルコンピュータといった最新の機器をいち早く音楽制作に導入し、その可能性を切り開いた先駆者である。特に、一人多重録音による制作スタイルや、Linn LM-1などのデジタルドラムマシンを駆使したリズムプログラミングは、その後の日本のシティ・ポップやフュージョン、R&Bなどのジャンルに多大な影響を与えた。また、自らレコーディング・エンジニアリングを手がけ、デジタル録音における音響のスタンダードを確立しようとした姿勢は、サウンドクリエイターとしての彼の深い洞察と技術力を示している。彼の音楽的遺産は、現代の日本の音楽制作においても、その革新性と質の高さにおいて、未だに多くのアーティストに影響を与え続けている。
7. 受賞歴
佐藤博は、音楽活動やプロデュース業において、数々の賞を受賞している。
- 2008年**
- 青山テルマ「そばにいるね」(演奏、ミックス、エンジニアリングならびに編曲およびサウンドプロデュース)
- 9月、着うたフルで史上初のダウンロード数200万件突破達成を受けて「日本で最も売れたダウンロード・シングル」としてギネス世界記録に認定された。
- 『第50回日本レコード大賞』優秀作品賞受賞。
- 佐藤博サウンド・プロデュースによる「HURRY HOME」(「そばにいるね」のカヴァー)を収録したスライ&ロビーのアルバム『Amazing』が第51回グラミー賞のベスト・レゲエ・アルバムにノミネートされた。
- 青山テルマ「そばにいるね」(演奏、ミックス、エンジニアリングならびに編曲およびサウンドプロデュース)
- 2011年**
- ふくい舞『いくたびの櫻』(演奏、ミックス、エンジニアリングならびに編曲およびサウンドプロデュース)
- 第44回日本有線大賞受賞。
- ふくい舞『いくたびの櫻』(演奏、ミックス、エンジニアリングならびに編曲およびサウンドプロデュース)
8. 関連人物および項目
- 加川良
- 鈴木茂
- ハックルバック
- 細野晴臣
- ティン・パン・アレー
- イエロー・マジック・オーケストラ
- 村井邦彦
- アルファレコード
- 角松敏生
- 市原ひかり
- SoulJa
- DREAMS COME TRUE
- 青山テルマ
- 吉見一星
- ふくい舞