1. 生い立ちと教育
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倉又寿雄は1958年12月1日に埼玉県で生まれた。少年時代を埼玉県で過ごし、武南高等学校に進学。高校卒業後、日本体育大学体育学部体育学科に進学し、サッカー部で活動した。大学時代には主将を務め、1980年には関東大学リーグ1部昇格に貢献するなど、選手としての基礎を築いた。
2. 選手経歴
倉又寿雄の選手としてのキャリアは、日本鋼管(後にNKK)での活躍が中心であり、ディフェンダーとしてチームの守備を支えた。1982年には日本代表にも選出された経歴を持つ。
2.1. クラブ経歴
日本体育大学を卒業後、1981年に日本鋼管に入社し、同社のサッカー部(後にNKK)に所属した。入社1年目からレギュラーに定着し、同年には日本サッカーリーグ2部で優勝、さらに天皇杯でチーム史上初の優勝を経験した。1983年にも再びJSL2部で優勝を果たした。また、1987年にはJSLカップでも優勝している。選手としてNKKに1992年まで在籍し、長きにわたりチームの主力として活躍した。
2.2. 日本代表経歴
倉又寿雄は、1982年に日本代表に選出された経験を持つ。しかし、国際Aマッチへの出場は0試合であった。
2.3. 個人成績
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1981 | 鋼管 | JSL2部 | 5 | 2 | 1 | 5 | 2 | 8 | |||
1982 | 5 | JSL1部 | 18 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 23 | 0 | |
1983 | JSL2部 | 11 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 13 | 0 | ||
1984 | JSL1部 | 17 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 20 | 1 | ||
1985 | 17 | 2 | 2 | 0 | 2 | 0 | 21 | 2 | |||
1986-87 | 18 | 0 | 3 | 0 | 5 | 1 | 26 | 1 | |||
1987-88 | 20 | 0 | 5 | 1 | 2 | 0 | 27 | 1 | |||
1988-89 | NKK | 19 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 21 | 1 | ||
1989-90 | 22 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 26 | 0 | |||
1990-91 | 14 | 0 | 2 | 0 | |||||||
1991-92 | JSL2部 | 29 | 1 | 2 | 0 | ||||||
JSL1部 通算 | 145 | 4 | 20 | 1 | |||||||
JSL2部 通算 | 40 | 1 | 7 | 2 | |||||||
総通算 | 27 | 3 |
- その他の公式戦
- コニカカップ 1990年 5試合0得点
3. 指導者経歴
選手引退後、倉又寿雄はサッカー指導者としてのキャリアをスタートさせた。長年にわたりFC東京のトップチームおよびユースチームでコーチや監督を務め、その後は大学サッカーの指導にも従事した。
3.1. 初期指導者としての役割
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1993年に現役を引退した後、すぐにNKKサッカー部のコーチに就任した。しかし、NKKサッカー部はその年限りで廃部となったため、当時Jリーグ加盟を画策していた東京ガスサッカー部(現FC東京)に招聘され、1994年からコーチとして出向することになった。NKKと東京ガスには業務上の密接な関連があり、NKKに籍を置いたままの出向が可能であった。同年末には大熊清が監督に就任したことに伴い、ヘッドコーチに昇格。2001年末に大熊が退任するまでの7年間、大熊と倉又のコンビでチームを支えた。2002年には原博実監督の下でもヘッドコーチに留任し、チームの継続性を確保する上で不可欠な存在であった(長澤徹談)。2004年にはJFA 公認S級ライセンスを取得している。
3.2. FC東京のユースおよびトップチームでの活動
2006年、アレッシャンドレ・ガーロがトップチームの監督に就任したことに伴い、倉又はトップチームを離れ、FC東京U-18の監督に就任し、ユース年代の育成を担うことになった。しかし、同年8月にガーロ監督が解任されると、急遽FC東京トップチームの監督代行として指揮を執ることになった。J1の第18節から指揮を執り、就任後の勝点は22、最終的にJ1残留を確保した。シーズン終了後、同年12月に監督を退任した。
2007年からはFC東京U-18の監督に再任し、前線からの強烈なプレッシングを特徴とするサッカーを展開。2007年のJユースカップ優勝を始め、2008年のクラブユース選手権U-18優勝、2009年のJユースカップ優勝など、数々の好成績を収め、多くの選手をトップチームに輩出した。2010年にはFUJI XEROX SUPER CUP 2010フレンドリーマッチ「U-18Jリーグ選抜 vs 日本高校サッカー選抜」のU-18Jリーグ選抜監督に選出されている。2011年限りでFC東京U-18監督を退任し、2012年からは育成部長を務めた。
3.3. 大学サッカーにおける指導
2013年より、鈴木政一監督の後任として、母校である日本体育大学(関東大学リーグ所属)の監督を務めた。ここでは攻守の切り替えとハードワークを重視する指導を行い、同年には東京都サッカートーナメントで準優勝に導いた。
2015年からは立教大学体育会サッカー部の監督に就任。基本技術の徹底を重視した指導でチームの強化を進め、2017年には参入戦での激戦を制し、立教大学を41年ぶりの関東大学リーグ復帰に導いた。2020年からは同部の総監督を務めている。
3.4. 監督成績
年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | Jリーグカップ | 天皇杯 | |||
2006 | FC東京U18 | U-18関東 | 8位 | 16 | 9 | 5 | 1 | 3 | - | |
2006 | FC東京 | J1 | 13位 | 22 | 17 | 7 | 1 | 9 | - | 5回戦 |
2007 | FC東京U18 | U-18関東 | 7位 | 18 | 9 | 5 | 3 | 1 | - | |
2008 | U-18関東1部 | 1位 | 27 | 11 | 9 | 0 | 2 | - | ||
2009 | 1位 | 27 | 11 | 8 | 3 | 0 | - | |||
2010 | 1位 | 29 | 11 | 9 | 2 | 0 | - | |||
2011 | U-18プレミアEAST | 9位 | 16 | 18 | 3 | 7 | 8 | - | ||
2013 | 日体大 | 関東大学1部 | 11位 | 22 | 22 | 5 | 7 | 10 | - | |
2014 | 関東大学2部 | 7位 | 25 | 22 | 7 | 4 | 11 | - | ||
2015 | 立教大 | 東京都大学1部 | 5位 | 24 | 18 | 6 | 6 | 6 | - | - |
2016 | 4位 | 26 | 18 | 7 | 5 | 6 | - | - | ||
2017 | 2位 | 36 | 18 | 11 | 3 | 4 | - | |||
2018 | 関東大学2部 | 5位 | 33 | 22 | 10 | 3 | 9 | - | ||
2019 | ||||||||||
通算 | J1 | - | - | 17 | 7 | 1 | 9 | - | - | |
U-18プレミアEAST | - | - | 18 | 3 | 7 | 8 | - | - | ||
U-18関東1部 | - | - | 51 | 36 | 9 | 6 | - | - | ||
関東大学1部 | - | - | 22 | 5 | 7 | 10 | - | - | ||
関東大学2部 | - | - | 44 | 17 | 7 | 20 | - | - | ||
東京都大学1部 | - | - | 54 | 24 | 14 | 16 | - | - | ||
総通算 | - | - | 206 | 92 | 45 | 69 | - | - |
4. 栄誉と功績
倉又寿雄は選手および指導者として、数々のタイトル獲得やリーグ昇格に貢献し、その功績は日本サッカー界において高く評価されている。
4.1. 選手として
- 日本サッカーリーグ2部 優勝(1981年、1983年)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会 優勝(1981年)
- JSLカップ 優勝(1987年)
4.2. 指導者として
- クラブユース選手権U-18 優勝(2008年)
- Jユースカップ 優勝(2007年、2009年)
- 関東プリンスリーグ 優勝(2008年、2009年、2010年)
- サニックス杯国際ユースサッカー大会 優勝(2007年)
- イギョラカップ 優勝(2006年)
- 関東大学リーグ昇格(立教大学、2017年)
5. 遺産と評価
倉又寿雄は、選手そして特に指導者として、日本サッカー界に多大な影響を与えてきた。特に、FC東京U-18監督時代に培った前線からの強力なプレッシングを重視する指導は、多くの若手選手を育成し、トップチームに輩出する礎を築いた。彼の指導者としての献身と、基本技術の徹底やハードワークを重視する指導哲学は、所属した各チームの発展に貢献し、特に大学サッカーにおけるチームの強化とリーグ昇格に大きな成果をもたらした。彼の長年にわたる育成年代への貢献は、日本サッカーの将来を担う選手たちの成長に深く寄与したと評価されている。
6. 関連項目
- Jリーグ監督経験者
- FC東京の選手一覧#過去に在籍した選手・スタッフ
- 日本体育大学の人物一覧
7. 外部リンク
- [https://data.j-league.or.jp/SFIX07/?staff_id=304 Jリーグデータサイト]
- [http://dourakumon.com/index.php/chihiro_honda/2128 夢際 / FC東京U-18監督 倉又寿雄] - 動楽者
- [http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=player&pprof_id=mn0 プロフィール (2006年)] - FC東京