1. 幼少期と背景
内藤哲也のプロレスラーとしてのキャリアは、幼少期からのスポーツへの情熱とプロレスへの深い愛着に根ざしています。
1.1. 幼少期と学生時代
1982年6月22日、東京都足立区で生まれた内藤哲也は、父親の影響で幼い頃から自然とプロレスを観るようになりました。学校の教室ではプロレスごっこで遊び、小学1年生から中学3年生まで父親がコーチを務める少年野球チームに所属。小学5年生でキャプテンを務める頃からは、父親が周囲からの依怙贔屓と見られないよう、練習中はあえて指導を控えるという配慮のもとで野球に打ち込みました。また、幼稚園の年中から高校3年生までサッカーも経験しており、中学時代は野球とサッカーを両立しながら両方でキャプテンを務めるなど、スポーツに情熱を注ぐ少年時代を送りました。
プロレス初観戦は5歳の時で、幼稚園児の頃から一人で電車に乗れた内藤は、仕事帰りの父親と会場の最寄駅で待ち合わせてプロレス観戦に出かけるほどでした。父親は寡黙でしたが、プロレスへの熱い思いを持ち、時折「初代タイガーマスクが活躍していた頃は...」と語り、内藤にはアントニオ猪木を「さん」付けで呼ぶよう教えていました。内藤は幼い頃から一貫して新日本プロレスのファンであり、他の団体にはほとんど興味を持たなかったと語っています。
初めて自分でチケットを買って観戦したのは、1997年6月5日の日本武道館大会でした。この時、「これがお客さんの前でできてお金ももらえるなんて、こんないいものはない」と感じ、プロレスラーになることを決意しました。それまではプロ野球選手やプロサッカー選手になる夢も抱いていましたが、特にサッカーは小学5年生の時に日本プロサッカーリーグが始まったことでプロへの思いが強かったものの、最終的にはプロレスへの道を選びました。
1.2. プロレスラー入門と初期の訓練
高校3年生の夏にサッカー部を引退した後、内藤は2000年9月にアニマル浜口トレーニングジムに通い始めました。プロレスラー志望者向けのプロコースでトレーニングを開始し、高校卒業後もアルバイトをしながらジムに通い続け、スパーリング技術を磨いていきました。しかし、新日本プロレスの入門テストを受けようと思い始めた矢先、2002年にジムでのスパーリング中に右膝前十字靭帯断裂という全治9ヶ月の重傷を負い、同年の入門テスト受験を断念せざるを得ませんでした。その後も2003年はリハビリ、2004年はベンチプレス中の肩の負傷と、3年連続で受験のチャンスを逃しましたが、2005年11月3日、後楽園ホールで行われた入門テストにようやく参加。合格への確かな手応えを感じ、テストに合格を果たし、同年12月1日に新日本プロレスに入寮しました。
2. プロレスリングキャリア
内藤哲也のプロレスリングキャリアは、ヤングライオン時代からタッグチームでの活躍、海外遠征、そして自身の転機となる「制御不能」なキャラクターの確立と、数々の栄光に満ちています。
2.1. 新日本プロレスデビューとヤングライオン時代 (2005年-2009年)
野毛道場での順調な練習を経て、内藤は入門から半年後の2006年5月27日、草加市スポーツ健康都市記念体育館大会でリキプロの宇和野貴史を相手にデビューしました。入門テストでのずば抜けた成績により異例の早さでのデビューでしたが、試合は逆エビ固めで敗れました。試合後、「すごい緊張したけど、リングに上がったら緊張がなくなって、すごく居心地のいい場所でした」とコメント。後にこのデビュー戦について、試合内容自体は覚えていないものの、スポットライトを浴びてリングから四方を見渡す状況に快感を覚え、その気持ちよさが印象的だったと振り返っています。
デビュー当初からその動きの良さやプロレスセンスが高く評価され、2006年9月には「試練の5番勝負」として獣神サンダー・ライガー、邪道、稔、外道、金本浩二らとシングルマッチで対戦(結果は5戦全敗)。この経験を活かし、同年10月29日の神戸ワールド記念ホール大会で平澤光秀からプロ初勝利を収めました。
2007年1月4日の東京ドーム大会では、プロ初勝利を挙げた試合がワールドプロレスリング主催の2006年度ヤングライオンベストバウト賞を受賞し、平澤と共に表彰されました。試合出場はなかったものの、内藤にとって初めてドームのリングに足を踏み入れた日となりました。同年6月1日には、負傷欠場した邪道の代役として急遽BEST OF THE SUPER Jr.に初出場。開幕戦で外道からジャパニーズ・レッグロール・クラッチ・ホールドで金星を挙げ、さらにリーグ戦ではエル・サムライからも勝利し、2勝をマークしました。同年10月8日の「EXPLOSION'07」では、IWGPジュニアヘビー級王座の次期挑戦者を決めるバトルロイヤルに出場し、最後の2人まで残るも金本に敗れました。この頃から新日ジュニア戦線で頭角を現し始め、また同月20日の山口大会では6人タッグマッチながら、かつて大ファンであった棚橋弘至との初対決が実現しました。
2008年2月、タッグを組む機会の多かった高橋裕二郎とタッグチーム「NO LIMIT」を結成し、これに伴いコスチュームも赤を基調としたショートタイツに変更しました。同年4月13日の後楽園ホール大会で獣神サンダー・ライガー & AKIRA組の保持するIWGPジュニアタッグ王座に初挑戦。王座奪取はならなかったものの、チームとしての実力を示しました。新日本がZERO1との対抗戦を本格化させると、内藤も同年3月2日の後楽園大会でZERO1に参戦し、スターダスト・プレスを初公開して勝利。さらに4月5日には棚橋のパートナーとして全日本プロレスに参戦し、諏訪魔 & 征矢学組から勝利を収めました。
同年5月には、内藤と高橋は日本の各Zeppクラブで開催された、新日本のトップタッグチームとの5試合シリーズ「ノー・リミット・ジェネレーション・スマッシュ」を経験しましたが、全敗に終わりました。同年7月には、空位となったIWGPジュニアヘビー級王座の新たな保持者を決定するシングルエリミネーション・トーナメントに高橋と共に出場しましたが、内藤は初戦で高橋に敗れました。同年9月6日にはプロレスリング・ノアの日本武道館大会を高橋と共に観戦し、試合後にGHCジュニアタッグ王座を保持する金丸義信 & 鈴木鼓太郎組に宣戦布告。同月27日に同王座に挑戦しましたが、王座奪取はなりませんでした。同年10月13日、「DESTRUCTION'08」にて稔 & プリンス・デヴィット組から勝利を収め、高橋と共にIWGPジュニアタッグ王座を奪取しました。ジュニアタッグ王者としてG1 TAG LEAGUEにも初出場し、12月7日の大阪府立体育会館大会では邪道 & 外道組を相手に初防衛に成功。12月22日後楽園大会では棚橋と初めてシングルマッチで対戦しましたが、テキサスクローバーホールドに敗れました。
2.2. 海外遠征とNO LIMITとしての活動 (2009年-2011年)
2009年1月4日、レッスルキングダムIIIにてモーターシティ・マシンガンズ(アレックス・シェリー & クリス・セイビン)を相手にIWGPジュニアタッグ王座2度目の防衛戦を行い、王座から陥落しました。その後、2月15日両国大会でのジュニアタッグ王座の挑戦権を賭けた4WAYタッグマッチを制し、マシンガンズを追って高橋と共にTNAに参戦。タイトル奪還を望み、現地でマシンガンズを相手に2度挑戦するも奪取には至りませんでした。また、ジャージー・オール・プロ・レスリング(JAPW)にも出場を予定していましたが、内藤の負傷によりシェイク・アブドゥル・バシールに代役されました。
結局、ジュニアタッグ王座は日本でApollo 55(田口隆祐 & プリンス・デヴィット)が奪取したため、TNAに参戦する理由がなくなったNO LIMITは、遠征先をメキシコのCMLLへと移し、5月29日に高橋、ドス・カラス・ジュニアとのトリオでCMLLに初登場。スターダスト・プレスで勝利を収めると、対戦相手のエクトール・ガルサを担架送りにし、現地のファンに衝撃を与えました。NO LIMITは「反メキシコ」のヒールとして登場し、オカムラと共に「ラ・オラ・アマリージャ」(La Ola Amarillaスペイン語、「黄色い波」の意)を結成。同年7月10日にはブラック・ウォーリアーと共にエクトール・ガルサ、トスカーノ、エル・サグラド組に勝利し、ブラック・ウォーリアーがTNAのガルサとの「髪切りマッチ」を宣言しました。
同年7月31日に行われたインフィエルノ・エン・エル・リングでは、スティールケージマッチ形式のルチャ・デ・アプエスタス(髪切りマッチ)に出場。最後にリング上で取り残されたトスカーノと一騎打ちとなり、ドラゴン・スープレックスで勝利を収めました。これにより、日本人としてはサトル・サヤマ以来30年ぶりとなるアレナ・メヒコでの髪切りマッチ勝利という快挙を成し遂げ、メキシコでの地位を確固たるものとしました。この試合には高橋裕二郎、ショッカー、エクトール・ガルサ、ネグロ・カサス、ブラック・ウォーリアー、エル・テリブレ、エル・テハノ・ジュニア、オカムラ、ブルー・パンテル、マキシモ、レイ・メンドーサ・ジュニア、ヘビー・メタル、ミクトランといった選手も参加していました。
ブラック・ウォーリアーとの抗争の後、獣神サンダー・ライガーが2009年9月にメキシコを巡業し、NO LIMITとオカムラからなる「反メキシコ」派閥に加わり、CMLL創立76周年記念興行でチーム・メキシコ(ウルティモ・ゲレーロ、アトランティス、ブラック・ウォーリアー、エクトール・ガルサ)を破りました。ブラック・ウォーリアーとの抗争は10月16日に終わり、高橋がブラック・ウォーリアーとの髪切りマッチに勝利しました。同年12月4日アレナ・メヒコにて、高橋と共にロス・イホス・デル・アベルノ(エル・テリブレ & エル・テハノ・ジュニア)と再び髪切りマッチとして対戦しましたが、この試合では敗れてしまい、ルチャリブレの伝統に従い二人は完全に坊主となりました。高橋がCMLLに戻らないことを決めた一方、内藤は新日本プロレスのツアーの合間にメキシコで活動したいと述べ、オカムラとチームを組み、メキシコに経験を積むために行くNJPWのルーキーであるタイチとチームを組むことが期待されていました。
12月18日に高橋と共に凱旋帰国。翌年の東京ドーム大会でのIWGPタッグ王座への挑戦が決定し、12月23日後楽園大会にて凱旋試合を前にリング上で挨拶を行いました。
2010年1月4日、レッスルキングダムIVにてNO LIMITとして凱旋試合を行い、IWGPタッグ王者組のチーム3D(ブラザー・レイ & ブラザー・ディーボン)、挑戦者組のバッド・インテンションズ(ジャイアント・バーナード & カール・アンダーソン)を交えた3WAYマッチに出場。アンダーソンから勝利を収め、IWGPタッグ王座を奪取しました。
同年3月に開催されたNEW JAPAN CUP(以下「NJC」)で2回戦で棚橋弘至と二度目のシングルマッチを行った内藤は、棚橋の膝を破壊しスターダスト・プレスで棚橋から初勝利を収めました。凱旋帰国後は本隊の一員として活動していましたが、同年4月4日後楽園大会で高橋と共にヒールユニット「CHAOS」へと寝返り、ヒールとしての活動を開始しました。IWGPヘビー級王者の真壁刀義、IWGPタッグ王者のカール・アンダーソン、元IWGPヘビー級王者の中西学からピンフォール勝利を挙げ、2010年のG1 CLIMAXトーナメントでは棚橋弘至と30分の時間切れ引き分け、10月11日のDESTRUCTION'10でも棚橋に惜敗するなど、シングル戦線で活躍し始めました。同年12月11日には、NO LIMITはTNA世界タッグチーム王者であるモーターシティ・マシンガンズをノンタイトル戦で破る大金星を挙げました。
NO LIMITとしてはヘビー級タッグ戦線の中心で活動し、バッド・インテンションズや青義軍(永田裕志 & 井上亘)との三つ巴抗争に明け暮れました。同年5月3日、レスリングどんたくにて青義軍にIWGPタッグ王座を明け渡しましたが、その後も同じ面子でイリミネーション式3WAYルールや巴戦のタイトルマッチで抗争を展開。同年のG1タッグリーグではNO LIMITとして決勝進出を果たすも、青義軍に敗れて準優勝となりました。一方で、シングル戦線ではCHAOSに加入したことで棚橋と敵対関係になり、年内で4回もシングルマッチで対戦。最終的に1勝2敗1分と負け越してしまいましたが、個人としての実力を証明しました。
2011年1月4日、レッスルキングダムVにてTNA世界ヘビー級王座を保持するジェフ・ハーディーと対戦しましたが、不本意な試合内容の末に敗れました。同年2月には後藤洋央紀との抗争で敗れ、3月のNJCでは1回戦で田中将斗に敗れてしまい、上半期はいまひとつ波に乗れずに苦しむこととなりました。タッグ戦線においては、同年5月3日のレスリングどんたく 2011にて久々にNO LIMITとしてIWGPタッグ王座に挑戦するもピンフォール負けを喫し、試合後に高橋と不協和音が生じました。同年5月には新日本プロレス初の米国ツアー「インベーション・ツアー2011」に参加し、IWGPインターコンチネンタル王座の初代王者決定トーナメントに出場。初戦でジョシュ・ダニエルズに勝利しましたが、準決勝でMVPに敗れ敗退しました。そして同月26日後楽園大会の試合中にパートナーの高橋と田中に裏切られた内藤は、試合後に入ってきた邪道、外道にも袋叩きに遭いCHAOSから追放され、ベビーフェイスへと転向し、NO LIMITも解散となりました。
行き場を失った内藤はなんとなく本隊に復帰し、同年6月18日、DOMINION6.18にて高橋とシングルマッチで報復を狙うも敗北。その後、メキシコ遠征を経て8月のG1 CLIMAXに2年連続で出場。開幕戦でまたしても高橋に敗れ、3連敗スタートと躓くもなんとか巻き返し、最終リーグ戦で棚橋から勝利を収めるとAブロックを1位で通過。決勝戦で中邑真輔と対戦しましたが敗北を喫して準優勝止まりに終わり、試合後に涙を浮かべながら退場しました。
同年9月19日、神戸大会で未だにシングル戦において未勝利の高橋と対戦しスターダスト・プレスで初勝利を収めると、メインイベント終了後に棚橋の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦をアピール。10月10日、「DESTRUCTION'11」にてIWGPヘビー級王座に初挑戦。王座奪取とはならずも棚橋から健闘を讃えられ、試合後にはG1決勝戦に続き涙を流しました。同年11月12日、「POWER STRUGGLE」にてMVPとのタッグで中邑 & 高橋組と対戦。内藤も執拗なまでに中邑に突っかかると、試合後にも中邑に襲い掛かって大乱闘となり遺恨が勃発。12月4日、愛知大会で中邑とのシングルマッチが行われましたがボマイェで敗れました。
2.3. シングルキャリアの成功と負傷 (2011年-2015年)
2012年1月4日、レッスルキングダムVIのセミファイナルに登場し、内藤がファン時代に憧れた選手の一人である武藤敬司と対戦しましたが、持ち味を発揮できず、最後は武藤のムーンサルトプレスに敗れました。しかし、試合後のコメントで内藤は、「武藤がすごいのは幻想」と言い切り、今年の目標を「武藤ができた、棚橋もできた、29歳でのIWGPヘビー級ベルト(戴冠)」と掲げました。同年2月12日、「THE NEW BEGINNING」にて昨年より抗争を繰り広げた中邑からシングル初勝利を収めると、IWGPヘビー級王座のオカダ・カズチカの前に姿を現し、新王者への次期挑戦者として名乗りを上げました。同年3月4日後楽園大会で、内藤は新日本プロレス創立40周年記念興行と銘打たれた興行のメインイベントにてオカダと対戦しましたが、レインメーカーに敗れました。その後も内藤は年頭に掲げた「20代でのIWGP王座戴冠」を目指すため、次期挑戦者の棚橋を差し置いてIWGP王者のオカダに食らいつき、挑戦権の強奪を企てるも未遂に終わりました。
同年8月7日、仙台サンプラザ大会にてG1公式リーグ戦のルーシュ戦でジャーマン・スープレックスを着地した際に古傷の右膝靭帯を痛めてしまい、試合に敗れた内藤は担架で運ばれました。右膝を負傷してからも試合には出場し続けましたが本調子には程遠く、同年10月8日、「KING OF PRO-WRESTLING」にて対戦した高橋にレフェリーストップ負けを喫すると、試合後に高橋から右膝を椅子で殴打され戦線離脱し長期欠場となりました。同年11月15日、SHIBUYA-AXにて自ら提唱したNEVER無差別級王座の初代王者決定トーナメントが開催され、欠場中の内藤はリング上からの挨拶だけに留まりました。
古傷である右膝前十字靭帯断裂の手術の影響で、2013年上半期はほとんど表舞台に出ることもなくリハビリとトレーニングに費やしました。同年5月3日のレスリングどんたく 2013にて久々に公の場に姿を現し、リング上から復帰戦決定の挨拶をしました。同年6月22日、「DOMINION6.22」にて因縁深い裕二郎を相手に復帰戦を行い、翼をイメージしたハーフマスクを着用して入場。スターダスト・プレスで快勝を収めると、自ら提唱し創設されたNEVER無差別級王座を保持する田中将斗に対して「まずは、NEVER」と宣戦布告を行いました。この発言に対して田中は「(NEVERは)『まずは』で獲れるベルトなのか!?」と内藤の表現方法に怒りを露わにし、同年7月20日のKIZUNA ROAD 2013最終戦にてNEVER王座を賭けたタイトルマッチで対戦。スライディングDに敗れ王座奪取とはなりませんでした。
同年8月には4年連続でG1に出場し、Bブロック1位で通過。11日に決勝戦の舞台で棚橋と激突。この試合に勝利すると悲願の初優勝を果たし、前年より制度化された東京ドーム・IWGPヘビー級王座挑戦権利書を獲得しました。G1優勝を経て同年9月29日、「DESTRUCTION」にて田中の保持するNEVER王座に再挑戦するとスターダスト・プレスで勝利を収めて同王座を奪取。その後、「KING OF PRO-WRESTLING」では裕二郎を相手に初防衛に成功し、「POWER STRUGGLE」では前王者である田中のリマッチも退け、IWGPヘビー級王座を保持するオカダの前に姿を現し翌年東京ドーム大会での同王座への挑戦を改めて表明しました。
同年11月11日、「レッスルキングダム8 in 東京ドーム」の記者会見にて、オカダ対内藤のIWGPヘビー級王座戦と、中邑対棚橋のIWGPインターコンチネンタル王座(以下「IC王座」)戦のどちらをドームのメインで見たいかファン投票が行われました。その結果、内藤とオカダの試合は中邑と棚橋の試合の半分の票しか獲得できず、新日本プロレス最大の興行でのメインイベントの座を逃すという屈辱を味わいました。
2014年1月4日、レッスルキングダム8のダブルメインイベント第1試合に登場し、オカダの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。実質セミファイナルに降格という屈辱の中、30分を超える熱戦の末、最後はオカダのレインメーカーに敗れました。IWGP王座奪取に失敗した内藤はこの年から失速し、同年2月11日、「THE NEW BEGINNING in OSAKA」では観衆からブーイングを浴びせられる中、石井智宏に敗れてNEVER王座も陥落しました。同年3月15日のNJC1回戦で石井に雪辱を果たしてリマッチへの道を作ったものの、4月6日のINVASION ATTACK 2014にて石井のNEVER王座に挑戦しましたが敗北しました。その後のビッグマッチではタイトル戦線に全く絡めず、目的意識を失いかけた中でG1に出場。同年7月21日から8月8日にかけて行われたG1 CLIMAX 2014では、自身のブロックで5勝5敗の成績で5位に終わり、最終戦を待たずに予選落ちとなりましたが、公式リーグ戦で今大会G1優勝者のオカダ、IWGPヘビー級王者のAJスタイルズから勝利を収めたことで、下半期への闘いに向けて可能性を残すことに成功しました。
同年9月23日、「DESTRUCTION in OKAYAMA」にて、棚橋と共にAJ & ドク・ギャローズ組とタッグマッチで激突しギャローズから勝利を収めましたが、試合後にAJがIWGP王座次期挑戦者に棚橋を選んだことで自らの挑戦権を奪い取られてしまいました。同年10月13日、「KING OF PRO-WRESTLING」にてIWGPヘビー級王座挑戦権利証を保持するオカダと権利証を巡って対戦しましたが、敗れてしまいG1でのリベンジを許しました。同年11月にはラ・ソンブラとタッグを組み2014年WORLD TAG LEAGUEに出場し、4勝3敗の成績でブロックの中央に位置し、決勝進出を逃しました。その後はIWGP王座から陥落したAJと抗争を繰り広げ、翌年東京ドーム大会でのシングルマッチを迫りました。
2015年1月4日、前年から始まったAJとの抗争に終止符を打つため、レッスルキングダム9にてAJとシングルマッチで対戦しましたが、雪崩式スタイルズクラッシュに敗れてG1での雪辱を許しました。同年2月の「THE NEW BEGINNING in OSAKA」ではノーテーマの6人タッグマッチに出場しましたが、前年に引き続きブーイングの嵐に見舞われる事態に発展し、3月のNJCでも準決勝で飯伏幸太に敗れベスト4に止まり精彩を欠きました。同年5月にはROHワールドTV王座を保持するジェイ・リーサルに挑戦しましたが、王座奪取には至りませんでした。
2.4. ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン結成とスターダムへの台頭 (2015年-2019年)
2015年5月23日、約4年ぶりにメキシコのCMLLに遠征しました。ここで何かしらを持ち帰らなければ浮上の目はないと覚悟した内藤は、現地で親交のあるラ・ソンブラやルーシュらが立ち上げたユニット、「ロス・インゴベルナブレス」(Los Ingobernablesスペイン語)に加入しました。この遠征は6月21日にネグロ・カサスとショッカーのCMLL世界タッグチーム王座にラ・ソンブラと組んで挑戦しましたが、王座奪取には至りませんでした。同年6月26日に凱旋帰国すると、入場時にロス・インゴベルナブレスのキャップ・Tシャツを着用するようになり、タッグマッチでは本隊勢と組みながらも連携を成立させず不穏な行動を起こし、試合もふてぶてしい表情を浮かべながら、のらりくらりとしたスタイルに変化していきました。また、この頃からレフェリー陣への暴行が過激化し、特にレッドシューズ海野には試合後に低空ドロップキックを行うなどしました。
同年7月に開幕したG1では、AJスタイルズや棚橋弘至から大金星を挙げたものの、5勝4敗の成績でブロック3位に終わり予選落ちとなりました。ロス・インゴベルナブレスの正装ともいえる黒のスーツと銀色マスクを着用し時間をかけての入場や、試合では今までと違う間合いで対戦相手を翻弄するなどインパクトを残しました。その中で柴田勝頼との遺恨が生まれ、G1閉幕後も抗争が激化。同年9月27日、「DESTRUCTION in KOBE」にて柴田とシングルマッチで対戦し勝利を収めると、東京ドーム・IWGPヘビー級王座挑戦権利証を保持する棚橋から次期挑戦者として指名を受けました。これに対して内藤は「結局この会社は棚橋が言ったことが正しいんだろ?」と吐き捨てた上で棚橋の要求を受諾し、権利証に挑戦する大会にて「パレハ」(スペイン語スペイン語で「仲間」の意)の投入を予告しました。同年10月12日、「KING OF PRO-WRESTLING」にてIWGP王座挑戦権利書争奪戦として棚橋と対戦。試合終盤にパレハとして引き連れてきたEVILと共に棚橋を痛めつけましたが、最後は棚橋のハイフライフローに敗れました。
同年11月、EVILとのタッグでWORLD TAG LEAGUE(以下「WTL」)に出場し、Bブロックにエントリーしました。同年11月21日開幕戦の後楽園大会にて、新たに長期欠場中のBUSHIをロス・インゴベルナブレスに引き入れると、翌22日豊橋大会にて本家との差別化を図るため、EVIL、BUSHIらと共に「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」(Los Ingobernables de Japónスペイン語、略称 : L・I・J)として正式にユニット化しました。公式リーグ戦では5勝1敗という成績を収め、Bブロック1位で決勝に進出するも、決勝戦でG・B・H(真壁刀義 & 本間朋晃)に敗れ準優勝に終わりました。
2016年、年頭より中邑真輔、AJスタイルズら主力選手が相次いでWWEに移籍したことにより、ここ数年で固定化されていたトップ戦線の面子が変化することになりました。前年下半期よりL・I・Jを結成し勢いに乗る内藤は、その間隙へ上手く入り込み、時流を味方につけることに成功しました。同年2月、3月のNEW JAPAN CUPでは後藤洋央紀を破り初優勝を飾ると、後藤を挑発し、挑戦者権利証を手にしたにもかかわらず、マイクアピールで「両国でIWGP挑戦?勝手に決めんじゃねーよ!俺は俺のタイミングで、俺が望む形で挑戦する」と発言。これに対し、オカダがリング上で「内藤さん、ビービってんじゃねえよ?挑戦しないのか?」と挑発すると、内藤は「オカダ、そんなに俺に挑戦してほしいのか?そんなに俺にかまってほしいのか?だったら遊んでやるよ」と挑戦を受託。「オカダがお願いするから、チャンピオンがお願いするからさ、仕方がないから挑戦してやるよ、本当は大阪城ホールでやりたかったけどさ、会社は俺なんかの言うことを聞いてくれないからさ」と、オカダの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦してやると上から目線で表明を受け入れました。
同年4月10日の「INVASION ATTACK 2016」にて試合中突如乱入したSANADAのアシストを受けてオカダから勝利を収め、4度目の挑戦にしてIWGPヘビー級王座初戴冠を果たしました。ファン時代から憧れたベルトをついに自分のものとしましたが、「内藤哲也の存在はベルトの価値を超えてしまった」との解釈からベルトを腰に巻かず、それどころか宙高く放り投げる暴挙に出て、ベルトに対して何の感慨もないことを示しました。同日よりL・I・Jの新メンバーとしてSANADAを引き入れた内藤は、オカダ率いるCHAOSと抗争を開始。同年5月3日の「レスリングどんたく 2016」にて石井智宏の挑戦を退けて初防衛に成功。同年6月19日の「DOMINION 6.19 in OSAKA-JO HALL」にてオカダのリマッチを受けましたが、レインメーカーに敗れ王座陥落。しかし、戦前より挑発を続けてきた新日本プロレスのオーナーである木谷高明を会場に引っ張り出すことに成功させ、内藤は一躍新日本プロレスの中心に躍り出る形となりました。
その後も内藤の勢いは止まることなく、G1では最多のメインイベントを任されるようになりました。優勝こそ逃すものの、公式リーグ戦でIWGPインターコンチネンタル王座を保持するマイケル・エルガンから勝利を収めたことで、G1最終戦の試合後にエルガンから「ナイトーにリスペクトを教えてやる」と次期挑戦者として指名を受けました。内藤はインターコンチネンタル王座に興味はないと断言した上で「ベルトから近寄ってきた」と挑戦を受諾し、同年9月25日、「DESTRUCTION in KOBE」にてエルガンからIC王座を奪取。初めてインターコンチネンタル王座を巻くと同時に、この時点で、内藤は新日本プロレスの3大主要シングル王座であるIWGPヘビー級、インターコンチネンタル、NEVERの3つのベルトを初めて全て巻いたこととなりました。
同年11月5日の「POWER STRUGGLE」にてジェイ・リーサルを破り初防衛に成功すると、直後に登場した棚橋弘至がインターコンチネンタル王座挑戦に名乗りを上げ、「最後の晴れ舞台に」と棚橋の要求を受諾しました。同年11月18日に開催されたWTLではパートナーとして本家ロス・インゴベルナブレスの一員であるルーシュを引き連れ、WTL最終戦のセキスイハイムスーパーアリーナ大会で海外武者修行から帰国した高橋ヒロムをL・I・Jに勧誘するなど、常に注目を集めた年となりました。試合内容のみならずオーナーまで標的とした制御不能な発言でファンから圧倒的な支持を集めたことが評価され、東京スポーツ制定のプロレス大賞で最優秀選手賞を受賞しました。
2017年1月4日、レッスルキングダム11のセミファイナルにて棚橋弘至と対戦。デスティーノを決めてインターコンチネンタル王座2度目の防衛に成功すると、名実ともに棚橋超えを果たしました。同年2月11日、「THE NEW BEGINNING in OSAKA」にて、マイケル・エルガンとのリターンマッチを受け、変形、正調とデスティーノを連続で決めてインターコンチネンタル王座3度目の防衛に成功。試合後にNEW JAPAN CUP挑戦を表明するも、出場は認められませんでした。同年4月4日、高橋ヒロムとのタッグでジュース・ロビンソン、KUSHIDA組に勝利した直後、インターコンチネンタル王座次期挑戦者としてタイガーマスクWを逆指名しましたが、これも実際に対戦が組まれることはありませんでした。
同年4月29日のレスリング豊の国2017大分大会にてジュース・ロビンソンに勝利し、インターコンチネンタル王座4度目の防衛に成功。試合後、棚橋からの挑戦を受け、同年6月11日大阪大会でのV5戦が決定しましたが、内藤は挑戦資格なしとしてこれを拒否しました。同年5月12日、新日本プロレスがIWGP USヘビー級王座新設を発表。また、5月18日にはIC王座次期挑戦者の棚橋が米国遠征中に負傷し、シリーズ全戦欠場を発表。内藤はこの二つに触れ、「王者としての要求は無視され、似た理念のベルトを新設される。じゃあこのタイトルはもう必要ないじゃん」「ゴリ押しで挑戦を決めたらもう本番まで無理はしなくていいってこと?」と猛反発。同年5月18日の後楽園ホール大会でベルトを鉄柱に叩きつける暴挙に出ました。この日はベルトが多少歪む程度で済みましたが、同年5月21日の沼津大会で再びベルトを鉄柱に叩きつけ、破損させてしまいました。同年7月1日、「G1 SPECIAL in USA」における初代IWGP USヘビー級王座決定トーナメントの一回戦で石井智宏と対戦。垂直落下式ブレーンバスターで3カウントを奪われ、まさかの一回戦敗退を喫しました。
同年6月11日、「DOMINION大阪城ホール大会」にて棚橋弘至と対戦。テキサスクローバーホールドでギブアップ負けを喫し、王座防衛に失敗しました。試合後、「IWGPインターコンチネンタル王座、または無いかな。」と、インターコンチネンタル王座戦線から身を引くともとれる発言を行いました。

同年8月、G1 CLIMAX 27リーグ戦にAブロックで出場。同年7月17日開幕戦の飯伏幸太戦で年間ベストバウト級の死闘を演じ勝利を収めるなど勝ち星を重ね、同率1位で並んでいた棚橋とのブロック最終戦にも勝利。7勝2敗(14点)の成績で優勝決定戦進出を決めました。同年8月13日、G1 CLIMAX 27 Bブロック1位のケニー・オメガを撃破し、4年ぶり2度目の優勝を果たしました。直後の天龍源一郎のコラムでは「それはつまりオカダがいて、棚橋がいてという状況下で優勝した内藤というニュースターが押しも押されもせぬトップグループ入りを果たしたということだよね」「やっぱりメキシコに行ったことは無駄じゃなかったと思う」と絶賛されました。また「その場その場の雰囲気を読んで、ハプニングをインパクトに変える、それが新日本の手法じゃない。4年前(のG1優勝時)は反応が鈍かったというのは読めてなかったんだろうね」と分析されました。同年8月14日、G1優勝決定戦一夜明け会見に出席。IWGPヘビー級王座挑戦権利証の防衛戦について、「組まれるのであれば、俺は石井を指名しますよ。」としながらも、「『俺にやらせろ』という選手がいるなら、ハッキリ口に出すべきですよ。」と発言し、挑戦表明を拒まない姿勢を示しました。その後のDESTRUCTIONシリーズでは、「名指しされたからオレはそれに対して『やってやる』って言ってるんだよ。」とする石井に対し、「石井がこの権利書を欲しいのか、欲しくないのか、そこが一番大事だからね。」「オレが石井の名前を出したから石井は挑戦する?石井、オマエ...俺の言いなりか!」と挑発するなど、舌戦を繰り広げました。同年10月9日、「KING OF PRO-WRESTLING」両国大会にて石井智宏に勝利し、挑戦権利証の防衛に成功しました。
2018年1月4日、新日本プロレス最大級のビッグイベント、「レッスルキングダム12」にて初めてメインイベンターを務めました。これにより内藤の中学の頃の夢である「新日本プロレスの選手になる」「IWGPヘビー級王者になる」「東京ドームのメインイベントに立つ」という3つの夢を達成しました。入場時には東京ドーム一体の大内藤コールで迎え入れられましたが、試合はオカダのレインメーカーの前に敗れました。しかし、その後新たな夢である「6大ドームツアー」をするという野望を打ち明けました。同年1月23日、鈴木軍メンバーであるタイチ、TAKAみちのくが行った興行「タカタイチマニア」にてタイチのプロレスラーデビュー15周年記念の相手として内藤哲也対タイチが後楽園ホールにて行われました。30分近くにも及ぶ死闘の末、内藤が勝利を収め、バックステージにてタイチを賞賛し、ヘビー級転向へと薦めました。同年2月2日、新日本プロレスとブシモによる重大発表記者会見にてブシロード社長の木谷高明、声優でプ女子の相羽あいな、そして内藤哲也の3人で行われた会見では、木谷オーナーに地方大会の観戦を薦めました。同年2月10日、YOSHI-HASHIとのスペシャルシングルマッチが組まれ、入場時にYOSHI-HASHIの襲撃に遭い、バタフライロックなどで苦しめられるものの最後はデスティーノで破りました。その後、退場途中の花道にて背後からタイチの襲撃に遭いました。同年2月25日、日曜劇場『99.9-刑事専門弁護士-』にて本人役として登場し、同じユニット内の仲間であるBUSHIも登場しました。尚、劇中でのメニュー名は頭文字を横に読むと「ロスインごベルナぶれス」となる仕掛けが施されていました。同年3月6日、新日本プロレス46周年旗揚げ記念日シリーズにてヘビー級に転向したタイチと対戦し、序盤は場外にてタイチのステップキックからパワーボムを食らうものの、終盤はレフェリーをTAKAみちのくへぶつけた内藤がタイチの持つマイクスタンドを後頭部にお見舞いして粉砕し、最後はデスティーノで勝利しました。同年3月10日、ニュージャパンカップ1回戦にてザック・セイバーJr.と対決。自身のデスティーノを切り返され、最後はザックの新技であるオリエンテーリング・ウィズ・ナパームデスによりギブアップ負けを喫しました。同年4月1日の両国大会にて試合後マイクパフォーマンスでIWGPインターコンチネンタル王者である鈴木みのるを挑発し挑戦表明。同年4月29日の熊本大会にて同タイトル戦が決定しました。同年4月27日の広島大会にて、鈴木軍との抗争の中、メンバー全員が入場ゲートでそろうと銀の仮面を被った男を連れて入場。リングに上がるとリングアナウンサーに耳打ちをし、広島東洋カープ背番号「58」のジェイ・ジャクソンの名を轟かせました。試合は内藤が金丸からデスティーノで勝利し、またもマイクパフォーマンスで鈴木みのるを挑発しました。バックステージでは、内藤がジェイ・ジャクソンを「俺とジャクソン、競技は違うかもしれない。いる場所も離れてるかもしれない。でも、我々は心でつながってるんでね。彼もLOS INGOBERNABLES de JAPONの一員ですよ。」と語りました。
同年4月29日、レスリング火の国2018でIWGPインターコンチネンタル王者鈴木みのるに挑戦し、王座を獲得しました。同年5月4日、レスリングどんたく福岡国際センター大会にて鈴木軍対LOS INGOBERNABLES de JAPONの試合後に、退場中の内藤が観客席からBUSHIのマスクを被った男から襲撃を受けました。その男は1月5日に内藤を襲撃したクリス・ジェリコであり、コードブレイカー、凶器攻撃により流血。後日の後楽園ホール大会にてクリス・ジェリコがビデオを通して内藤の保持するIC王座に挑戦表明すると、内藤はそれを受諾。同年6月9日、大阪城ホール大会にて同タイトル戦が組まれました。この試合でジェリコが内藤を破りIWGPインターコンチネンタル王座を獲得し、内藤の戴冠期間は41日で防衛回数は0回でした。
同年6月9日、大阪城ホール大会(DOMINION)にてクリス・ジェリコと対戦。入場中からラフファイトに苦しめられ流血の上、最後は急所蹴りからのコードブレイカーで敗れ王座陥落。試合後、ダウンしている内藤にジェリコは自身のコスチュームにつけていたベルトを腕に巻きつけムチ攻撃。そこへEVILが内藤を救出しジェリコをラリアットで蹴散らすと共に退場しました。同年7月10日、スポーツ雑誌Numberが4月11日から5月29日までの約1ヶ月半の間行った「Numberプロレス総選挙2018」で2017年に続き1位を獲得しました。同年8月12日、日本武道館で開催された『G1 CLIMAX 28』はBブロック予選を勝ち点12で1位となりましたが、同点に飯伏幸太、ケニー・オメガ、ザック・セイバーJr.が並び、勝った相手の勝ち点の合計で一番勝る飯伏に決勝進出を譲る形となりました。
同年9月、熊本で行われたIWGPインターコンチネンタル選手権試合で内藤に敗れた鈴木みのるが内藤に標的を絞り、別府大会でノンタイトルのスペシャルシングルマッチが行われました。試合中盤、鈴木の関節技に苦しみ、30分もの死闘となるが、最後はデスティーノを決め勝利しました。同年10月、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンに新メンバーが加入することを発表。同年10月9日の両国大会で同級生かつ内藤と同じくアニマル浜口ジム出身の鷹木信悟が加入し、BUSHI、SANADAとのタッグでCHAOSと対戦しました。その後、ザック・セイバーJr.に痛めつけられているEVILを救出し、NEW JAPAN CUP、G1 CLIMAX最終公式戦で負けたザックとシングルマッチを要求。同年11月3日、大阪大会の第8試合でザック・セイバーJr.とのスペシャルシングルマッチが行われました。この試合で新技バレンティア(垂直落下式ノーザンライトボム)を初披露。そのままデスティーノを決めG1のリベンジに成功しました。その次の試合でクリス・ジェリコに敗れたEVILを救出。IWGPインターコンチネンタル王座への挑戦をアピールし、レッスルキングダム13でタイトルマッチが決定しました。同年11月19日、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で『少年の夢、リングの上へ』と題したプロレスラー内藤哲也の特集が放送されました。
2019年1月4日の「WRESTLE KINGDOM13」で行われたIWGPインターコンチネンタル王座選手権試合ではクリス・ジェリコと急遽ノーDQマッチで戦い、ラフファイトに苦しめられながらも最後は奪ったベルトをジェリコの顔面に叩き込んでからのデスティーノでフォール勝ち、王座に返り咲きました。同年2月3日の札幌・北海道立総合体育センターで行われたタイチとのIWGPインターコンチネンタル王座選手権試合では飯塚高史が入場中の内藤を襲撃。内藤は首を痛め腕の痺れに耐えながら試合を行い、途中に飯塚が試合へ乱入してイス攻撃を仕掛けるもこれを退け、最終的に21分31秒にデスティーノでフォール勝ち。試合後のマイクパフォーマンスで、タイチに一定の評価を与えつつ更なる奮起を促しました。
同年3月10日、兵庫県尼崎市のベイコム総合体育館にて行われた「NEW JAPAN CUP2019」に出場。1月4日の「WRESTLE KINGDOM13」から欠場していた飯伏幸太と対決しましたが、20分38秒カミゴェからの体固めで敗れ、2018年に続き1回戦で姿を消しました。同年4月6日(現地時間)、G1 SupercardにおいてIWGPインターコンチネンタル王座をかけて飯伏幸太と対戦しましたが、20分53秒にカミゴェによってピンフォール負けを喫しました。同年4月20日、愛知県体育館で行われたIWGPインターコンチネンタル王座選手権試合飯伏幸太対ザック・セイバーJr.の試合後にリングへ上がり、初防衛に成功した飯伏幸太に対し「IWGPインターコンチネンタル王座、次の挑戦者、俺が立候補するよ」と挑戦を表明しました。同年5月4日、福岡国際センターで行われた「レスリングどんたく2019」で内藤が「6月9日大阪城ホールでIWGPインターコンチネンタル王座をかけて闘おうよ。」と提案。これを受けた飯伏からは「6月9日、大阪城ホールでやりましょう。お願いしますよ。決まりましたから。やりましょう」と回答があり対決が決定しました。同年6月9日、大阪城ホールで行われた「DOMINION6.9」においてIWGPインターコンチネンタル王座をかけて飯伏幸太と対戦。22分06秒デスティーノからの体固めにて勝利し第22代チャンピオンとなりました。同年6月27日、スポーツ雑誌Numberが発表したプロレス総選挙 THE FINALで棚橋弘至に逆転を許し3年連続1位にはなりませんでした。
同年7月、G1 CLIMAX 29にBブロックでエントリー。初戦で矢野通、2戦目でタイチに敗北し開幕2連敗を喫してしまいますが、3戦目で後藤洋央紀、4戦目で石井智宏から勝利し、2勝2敗に戻しました。しかしジョン・モクスリーに敗れ3敗目を喫しますが、そこからジュース・ロビンソン、鷹木信悟、ジェフ・コブに勝利し、5勝3敗まで勝ち点を伸ばしました。同年8月11日、最終戦でジェイ・ホワイトと対戦。勝てば優勝決定戦進出でしたが、ブレードランナーを食らってしまい、敗北。優勝決定戦進出とはなりませんでした。同年8月下旬、SUPER J-CUP決勝戦でBUSHIと組んで、ジェイ・ホワイト&石森太二組と対戦。試合終了後、ジェイにブレードランナーでKOされ、自身が持つIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦表明をされます。そして同年8月31日のイギリス大会でSANADAと組み、ジェイ・ホワイト、チェーズ・オーエンズ組と対戦。試合終了後、またしてもジェイに急襲されるも、延髄斬りからのデスティーノで仕返しに成功しました。同年11月には、IWGPインターコンチネンタル王座とIWGPヘビー級王座の両タイトルを同時に保持する史上初の「二冠王者」となることを目指し、「ダブルゴールドダッシュ」と名付けられたトーナメント形式の試合に挑戦することを表明しました。
同年9月、IWGPインターコンチネンタル王座次期挑戦者にジェイ・ホワイトが決定。シリーズを通して抗争が始まり、同年9月22日の神戸大会でタイトルマッチが決定。当日、王座を賭け対戦。内藤は最終局面でバレンティアを出そうとするも、ジェイが着地しそのままブレードランナーを食らってしまい、29分47秒で決着。ジェイが勝利し、内藤は王座から陥落してしまいました。同年11月、大阪大会にてタイチとの5度目のシングルマッチが決定。掟破りのブラックメフィストからのデスティーノで勝利し、G1の借りを返すことに成功しました。その後、IWGPインターコンチネンタル王座を防衛したジェイ・ホワイトの前に現れ、同王座に挑戦。これにより東京ドーム2連戦初日の1月4日にジェイとのタイトルマッチが決定しました。
2.5. 二冠王座獲得とEVILの裏切り (2019年-2022年)
2020年1月4日、東京ドームで行われた「レッスルキングダム14」の1日目に、ジェイ・ホワイトを破りIWGPインターコンチネンタル王座に返り咲きました。続く1月5日の2日目、前日飯伏幸太を下してIWGPヘビー級王座を防衛したオカダ・カズチカとの二冠戦において、終盤にレインメーカーをカウンター式デスティーノで返してから、2年ぶりにスターダスト・プレスを繰り出しました。その後バレンティアからの正調デスティーノを決め勝利。IWGPインターコンチネンタル王座を初防衛し、並びにIWGPヘビー級王座を奪取。前々から発言していた、史上初のIWGP二冠を達成しました。しかしその後、同じように前々から発言していた「東京ドームでの大合唱」をする直前、KENTAが乱入し妨害。Go 2 Sleepを食らいKOされ、大合唱は阻止されました。
同年2月9日、ダブルタイトルマッチという形で、KENTAと大阪城ホールで防衛戦を行いました。だらだらと時間を稼がれたり、ジェイ・ホワイトの介入などもあったが、高橋ヒロムがジェイを排除し窮地を免れました。Go 2 Sleepを切り返してのデスティーノで流れを掴むも、金具が剥き出しのコーナーに振られて額から流血。顔面を血染めにしながらも最後はバレンティアからのデスティーノでKENTAを葬り、二冠を防衛しました。試合後は締めのマイクで旗揚げ記念興行で愛弟子・ヒロムとのシングルマッチでの対戦を誓いました。しかし、新型コロナウイルス禍で旗揚げ記念大会を含む興行が中止となり、同年3月4日に本来3日の旗揚げ記念大会で対戦するはずだったヒロムとトークショーを行いました。
同年6月15日、新型コロナウイルス禍による興行休止から110日ぶりの再開となった無観客試合「Together ProjectSpecial」のメインイベントにて新技エスペランサを披露し、再開後一発目で白星を獲得しました。
同年7月11日、BULLET CLUBに寝返ったEVILがNEW JAPAN CUP覇者として内藤の2冠に挑戦。終盤にてBUSHIのマスクを被ったディック東郷による乱入もあり、最後はEVILを食らい王座陥落となってしまいました。これにより、IWGPヘビー級王座の戴冠期間は188日、IWGPインターコンチネンタル王座は189日でそれぞれ終わりを告げました。同年7月25日、内藤の仇を討つために同門の高橋ヒロムが2冠王者EVILに挑むも敗北。直後に内藤はリングに登壇。「最近よく正義って言葉を使ってるようだけど、正義って言ってみたり、ダークネスって言ってみたり、もしかしてEVIL、迷ってるの?そんなEVILに2本のベルトは荷が重た過ぎるだろ?ベルトのレンタル期間は終了だ。その2本のベルト、そろそろ返してもらおうか?」とリマッチを要求。この結果、同年8月29日に21年ぶりに開催される明治神宮野球場大会にて内藤の挑戦が決定しました。
同年8月29日、21年ぶりの明治神宮野球場大会のメインイベントでダブルタイトルに挑戦。中盤でディック東郷、外道の乱入があったが、BUSHIとSANADAが蹴散らし、1対1にしたところでジャンピングエルボー、エスペランサ、バレンティアと得意技を出していき、最後はデスティーノを食らわせて勝利。落とした2つのタイトルの奪取に成功し、3度目のIWGPヘビー級王座、6度目のIWGPインターコンチネンタル王座を獲得しました。
同年10月、G1 CLIMAX 30に自身では初のIWGPヘビー級王者として出場しました。SANADAとの同門対決、元パレハのEVIL、最終日にKENTAの3人に負け、勝ち点12でSANADA、EVILに並ぶもオポネントにより落選しました。同年11月7日、「POWER STRUGGLE IN大阪」にてIWGPヘビー級王座・IWGPインターコンチネンタル王座を同王座ともにEVILとの防衛に挑みました。ディック東郷、SANADA、ジェイ・ホワイト、飯伏幸太が次々に乱入してくる中、辛くも初防衛に成功しました。翌日記者会見では1月4日に飯伏幸太に二冠ベルトをかけて戦い、その試合の勝者及び二冠王者が、挑戦権利証を持つジェイ・ホワイトと1月5日にベルトをかけて戦うのはどうか?と提案し、珍しく内藤の意見が通り実現しました。
2021年1月4日、飯伏幸太と二冠王座をかけて戦い、飯伏の現在の最上級のフィニッシュ・ホールドであるカミゴェを2回もキックアウトしましたが、激闘の末最後は3度目のカミゴェでピンフォール負けを喫し両王座とも失いました。これにより、IWGPヘビー級およびインターコンチネンタル王座の戴冠期間は128日、防衛回数は1回で終了しました。試合後には悔しさを露わにしながらも、IWGPヘビー級王座・IWGPインターコンチネンタル王座を自身の手で渡し、飯伏幸太の腕を上げ、勝利を称えました。バックステージコメントでは、今後の目的が見当たらないと発言しつつも「この東京ドームのメインイベントにまた"必ず"帰ってくるから」と宣言しました。なお、内藤自身は2018年のイッテンヨンメインイベント敗退後のバックステージでも「"必ず"この舞台(メインイベント)に戻ってくる」とコメントし、2020年にメインイベンターとなった経緯があります。本人曰く「必ず」という言葉を使うことを嫌っているため、特別な意味が込められています。
同年2月11日、広島大会にて王座を防衛した飯伏幸太の前に現れ、IWGPインターコンチネンタル王座への挑戦表明を行いました。理由は飯伏が提案したIWGPヘビー級王座とIWGPインターコンチネンタル王座の統一を阻止するためです。これにより、同年2月28日の大阪城ホール大会にてタイトルマッチが決定。結果は27分50秒カミゴェからの体固めで敗北。インターコンチネンタル王座奪還とはなりませんでした。同年3月4日、NEW JAPAN CUP 2021にエントリー。日本武道館での旗揚げ記念日大会にて1回戦が行われました。対戦相手はグレート-O-カーンであり、これが初シングルです。試合後半で技の読み合いから延髄斬りをヒットさせるも、グレート-O-カーンのラリアットを食らってしまい、膝固めからの膝十字固めでレフェリーストップ負けを喫しました。この結果、2019年大会以来4度目の1回戦敗退となりました。同年4月26日、広島サンプラザホール大会メインイベントにて、NEW JAPAN CUPで敗れたグレート-O-カーンと再戦し、勝利しました。
同年6月2日、後楽園ホール大会にて、SANADA、BUSHIとのタッグでNEVER無差別級6人タッグ王座に初挑戦。結果はBUSHIがYOSHI-HASHIのバタフライロックでギブアップ負けをしたため、初戴冠とはなりませんでした。同年6月7日、ザック・セイバーJr.&タイチ組が保持するIWGPタッグ王座への挑戦を表明。パートナーにSANADAを選びました。そして同年7月11日、真駒内セキスイハイムアイスアリーナ大会にてタイトルマッチが決定。結果はザックから勝利し、第90代王者となりました。また、IWGPタッグ王座を戴冠したのは2010年1月4日以来約11年半ぶりです。試合後、前王者組がリマッチを要求してきたため、同年7月25日の東京ドーム大会で前王者組を相手に初防衛戦を行うことが決定しました。同年7月25日、東京ドーム大会にてザック・セイバーJr.&タイチ組とのリマッチを行い、37分58秒ヨーロピアンクラッチでザックにフォールされ初防衛に失敗。この戴冠期間はわずか14日でした。
同年9月18日、エディオンアリーナ大阪で行われたG1 CLIMAX 31の初戦でザック・セイバーJr.と対戦し27分05秒タップアウトで敗れました。同年9月21日、新日本プロレス公式HPにて9月18日の試合で左膝内側側副靭帯損傷・半月板損傷と診断され、G1 CLIMAX31は全戦欠場、リーグ戦は不戦敗となる事が発表されました(なお、全治未定との事)。同年11月、WORLD TAG LEAGUE 2021にSANADAとのタッグで出場し、復帰。最終的に勝ち点16でタイチ&ザック・セイバーJr.組、EVIL&高橋裕二郎組と並ぶも優勝決定戦への進出はなりませんでした。同年1月4日には、レッスルキングダム16のナイト1でL.I.J.はユナイテッド・エンパイアとの6人タッグマッチに敗れましたが、ナイト2ではジェフ・コブに勝利しました。ナイト3では、L.I.J.はプロレスリング・ノアの金剛(中嶋勝彦、マナブ・ソーヤ、タダスuke、アレハンドロ、拳王)を破りました。
2022年1月5日、ジェフ・コブとシングルマッチを行い、デスティーノで勝利。メインイベント終了後、IWGP世界ヘビー級王座を防衛したオカダ・カズチカの前に現れ、同王座への挑戦を表明しました。内藤はNJPWニュー・イヤーズ・ゴールデン・シリーズでオカダのIWGP世界ヘビー級王座に挑戦する最初の挑戦者となりましたが、敗れました。そして同年2月13日の大阪府立総合体育館ではSANADAと組み、オカダ・カズチカ&棚橋弘至と対戦し30分を超える激闘(33分28秒、内藤哲也〇対棚橋弘至×、デスティーノからの片エビ固め)を制し勝利を手にしました。そして同月20日にオカダ・カズチカに挑戦しますが、敗れました(29分34秒、オカダ・カズチカ〇対内藤哲也×、レインメーカーからの片エビ固め)。
同年3月2日より開催された「NEW JAPAN CUP 2022」にエントリー。1回戦で高橋裕二郎、2回戦で外道、3回戦で棚橋弘至、準々決勝でジェフ・コブ、準決勝でオカダ・カズチカを破り決勝進出を果たすも、決勝にてザック・セイバーJr.に敗れ準優勝となりました。同年5月1日、福岡PayPayドームにて行われた「WRESTLING DONTAKU 2022」の第9試合IWGP世界ヘビー級選手権試合においてオカダ・カズチカと今年だけで3度目の対戦も、レインメーカーで沈められ3度目の敗北。ベルト獲得を逃しました。また、同年6月12日、「DOMINION 6.12 in Osaka-jo Hall」にて、同年7月のG1 CLIMAX 32トーナメントにCブロックで出場することが発表されました。彼は8ポイントを獲得し、最終ブロックマッチでザック・セイバーJr.を破り準決勝に進出。しかし、準決勝ではDブロックの勝者であるウィル・オスプレイに敗れ、G1での戦いを終えました。同年11月22日から12月14日まで、内藤とSANADAは2022年のWORLD TAG LEAGUEに参加。7勝3敗の成績を収めましたが、Dangerous Tekkers(ザック・セイバーJr.とタイチ)、およびEVILと高橋裕二郎に敗れたため、決勝進出はなりませんでした。
2.6. IWGP世界ヘビー級王座時代 (2023年-2024年)
2023年1月4日、東京ドーム大会にて、SANADA & BUSHIとのタッグで、武藤敬司 & 棚橋弘至 & 海野翔太組と対戦しましたが、内藤自身は武藤との対戦はなく、試合もBUSHIが3カウントを喫し敗北しました。同年1月21日に行われたプロレスリング・ノアとの対抗戦では、「L・I・J対金剛 シングル5番勝負」の大将戦として拳王と対戦し勝利。この結果、L.I.J.が3-2で金剛に勝利し、NJPW対NOAHの対抗戦は5-4でNJPWが勝利しました。試合後には放送席で解説を務めていた武藤敬司から、同年2月21日に東京ドームで行われる「KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO-WRESTLING "LAST" LOVE~HOLD OUT~」での自身の引退試合での対戦相手に指名され、受諾する構えを見せました。同年2月21日、東京ドームにて武藤と対戦。最後は必殺技のデスティーノで3カウントを決め、引退する武藤を介錯しました。
同年3月5日より開催された「NEW JAPAN CUP 2023」にエントリー。1回戦でエル・ファンタズモ、2回戦でチェーズ・オーエンズに勝利し、準々決勝へ進出するも、同門のSANADAに敗れ敗退。試合後、SANADAは「Just 5 Guys」へと加入しました。同年4月27日、広島大会にてDOUKIとスペシャルシングルマッチで対決。デスティーノで勝利しました。同年5月7日、全日本プロレス大田区総合体育館大会に参戦。BUSHIとのタッグで宮原健斗・安齊勇馬組と対戦し、デスティーノで安齊から3カウントを奪い勝利しました。同年6月4日、『G1 CLIMAX 33』へのエントリーが発表されました。同年7月にはG1 CLIMAX 33にDブロックで出場し、10ポイントを獲得してブロック首位タイとなり、準々決勝に進出しました。同年6月9日、新日本プロレス・全日本プロレス・プロレスリング・ノアの3団体合同興業『ALL TOGETHER AGAIN』に参戦。鷹木信悟・BUSHIをパートナーに、永田裕志・諏訪魔・安齊組と対決するも、BUSHIが諏訪魔のラストライドに3カウントを許してしまい敗北しました。
同年8月10日、G1 CLIMAX 33船橋大会でヒクレオから、同年8月12日両国国技館大会でウィル・オスプレイから勝利し決勝戦に進出、翌日13日にオカダ・カズチカとの優勝決定戦を制し6年ぶりのG1優勝を果たしました。直前のAEW、CMLLへの遠征で日を追うごとに膝の状態が悪化し、帰国後には右膝が90度に曲がらず大きく腫れ上がり、容体が改善されないままこのリーグ戦を迎えた中での快挙でした。優勝に際し「引退がチラつくというか、常に頭の片隅には置いている感じですね」と自身の引き際について語りつつ「オレはいまの世代のトップとして真正面からドンと構えているし、いま新日本プロレスの先頭、このリングの真ん中には俺がいる」と覚悟を示しました。
同年8月14日、優勝記者会見にて、東京ドームでのIWGP世界ヘビー級王座挑戦権利証がアタッシュケースではなく、自動的にメインイベント出場となる形式が発表され、これに対して内藤は「何のステーキもない」と不満を表明し、「5秒で寝転がる」と皮肉を込めて発言しました。これに対しジェフ・コブが権利証を巡る試合を要求。内藤は皮肉を込めて手作りの「契約書」と「アタッシュケース」を作り、同年9月24日、「DESTRUCTION in KOBE」にてコブを相手に権利証防衛に成功しました。同年10月9日、「DESTRUCTION in RYŌGOKU」でEVILを相手に勝利した後、SANADAがIWGP世界ヘビー級王座を防衛し、自身のレッスルキングダムの対戦相手となることが確定しました。
2024年1月4日、WRESTLE KINGDOM 18東京ドーム大会において、SANADAの保持するIWGP世界ヘビー級王座に挑戦。25分に及ぶ激闘を制し、同王座初戴冠を果たしました。この勝利により、SANADAの271日間の戴冠期間は終了しました。試合後にはEVIL&ディック東郷の乱入もあったが、SANADAの助けもあり、ついに東京ドームでの大合唱を果たしました。同年2月24日、札幌大会にてSANADAとのリマッチを制し初防衛に成功。同年4月6日、「SAKURA GENESIS」にて、2024年NEW JAPAN CUP覇者である同門の辻陽太を相手にIWGP世界ヘビー級王座を防衛。試合後にはジョン・モクスリーが乱入し、Windy City RiotでのIWGP世界ヘビー級王座戦を要求。同年4月12日、Windy City Riotでモクスリーに敗れ、王座を失いました(戴冠期間は99日)。同年6月9日、「DOMINION 6.9 in OSAKA-JO HALL」にてカラム・ニューマンに勝利。同日、モクスリーに再戦を要求し、Forbidden DoorでのIWGP世界ヘビー級王座戦が決定。同年6月30日、Forbidden Doorにてモクスリーを破り、IWGP世界ヘビー級王座を奪還しました。同年7月20日から8月12日まで、G1 CLIMAX 34に参戦。5勝4敗の成績で、最終日にはグレート-O-カーンに敗れ、惜しくも決勝トーナメント進出を逃しました。同年10月14日、「KING OF PRO-WRESTLING」にて、G1 CLIMAX覇者であるザック・セイバーJr.に敗れ、IWGP世界ヘビー級王座を失いました(戴冠期間は106日)。
2.7. オール・エリート・レスリング (AEW)での活動 (2023年-2024年)
2023年6月24日放送の『AEW Collision』にて、内藤はオール・エリート・レスリング(AEW)に初登場。Forbidden Doorにおけるクリス・ジェリコ、サミー・ゲバラ、鈴木みのるの「Le Suzuki Gods」に対するダービー・アリン、スティングのミステリーパートナーとして発表されました。同イベントでは、スティングのアシストを受け、鈴木からピンフォールを奪いチームを勝利に導きました。試合後、ジェリコは内藤を襲撃しようとしましたが、スティングの助けにより事なきを得ました。
2024年6月26日放送の『AEW Dynamite』にて、内藤はAEWに再登場。Forbidden Doorでのジョン・モクスリーとの対戦を前に、モクスリーと乱闘を繰り広げました。
2.8. 高橋ヒロムとのタッグチーム活動 (2024年-現在)
2024年のWORLD TAG LEAGUEにおいて、内藤は同門の高橋ヒロムとタッグを組み、Bブロックにエントリー。二人は10ポイントを獲得してブロック首位となり、決勝でBULLET CLUB War Dogsのゲイブ・キッドとSANADA組を破り優勝しました。しかし、当時のIWGPタッグ王座が空位であったため、内藤と高橋ヒロムは代わりにレッスルキングダム19でシングルマッチを行うことを選択。レッスルキングダム19では内藤が高橋ヒロムに勝利しました。翌日の「Wrestle Dynasty」では、二人はスリーウェイタッグマッチ形式のタッグタイトル戦に挑みましたが、ヤングバックスに敗れタイトル獲得はなりませんでした。その後、2025年2月11日、「THE NEW BEGINNING in OSAKA」にてヤングバックスを破り、IWGPタッグ王座を獲得しました。
3. レスリングスタイルとペルソナ
内藤哲也のレスリングスタイルは、彼のキャリアの変遷とともに進化し、特に「制御不能」なペルソナ確立後は、試合運びや試合外での言動が一体となった独特な表現を確立しました。
試合運びにおいては、相手の間合いを狂わせるような「のらりくらり」とした動きや、挑発的な言動が特徴です。特に、ファンやレフェリー、さらには団体の権威にすら反抗するような姿勢は、彼のキャラクターに深みを与えました。
内藤の最も象徴的な決め台詞は、スペイン語スペイン語で「静かに、落ち着け」を意味する「トランキーロ、焦んなよ!」です。この言葉は2015年のメキシコ遠征からの帰国後に多用されるようになり、彼の人気を決定づける要因となりました。この言葉は、彼の「人気が伸び悩んだため、ラ・ソンブラの人気に便乗しよう」という意図から使い始められたとされています。しかし、この言葉はオカダ・カズチカが異常なまでの拒絶反応を示し、2018年の「レッスルキングダム」前哨戦では、内藤が発し始めた際に花道から猛ダッシュでリングに戻り、完了させずに遮るほどでした。
また、締めには「ノスオトロス・ロス・インゴベルナブレス・デ!! ハ!! ポン!!」(Nosotros Los Ingobernables de Japónスペイン語)というスペイン語スペイン語での宣言が使われます。これは「俺たちはロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンだ!!」という意味で、L・I・Jメンバーの名前を挙げていき、最後に自分の名前を言って前置きしつつ、「デ!! ハ!! ポン!!」の部分で観衆と共に大合唱するのが恒例となっています。会場によってはメンバー紹介から合唱が始まる場合もあります。
その他にも、試合開始前のマイクで「ブエナス・ノーチェース、○○~!」(Buenas Nochesスペイン語、「こんばんは」の意)と開催地の名前を叫ぶのもお決まりです。比較的浅い時間帯である場合には「ブエナス・タルデス、〇〇~!」(Buenas Tardesスペイン語、「こんにちは」の意)となることもあります。相手を侮辱・挑発する際には、スペイン語スペイン語で「馬鹿野郎」「クソ野郎」を意味する「カブロン!」(Cabrónスペイン語)も多用されます。
2018年4月29日、熊本地震の影響により約2年5ヶ月ぶりの開催となった熊本大会において、メインイベントでIWGPインターコンチネンタル王座を獲得した内藤は被災したファンに向けて、「変わらないこと、あきらめないことはもちろん大事。でも、変わろうとする思い、変わろうとする覚悟、そして、一歩踏み出す勇気も俺は大事なことなんじゃないかなと思います」とマイクを通じて発言。この言葉はその後も頻繁に使われるようになり、2018年10月2日にはYouTube上に公開されたロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン6人目のメンバーを示唆する動画でも使用されました。
彼の決めポーズである「アブレ・ロス・オホス」(Abre los Ojosスペイン語、「目を開け」の意)は、親指と人差し指を使って目を見開く動作です。これは2009年のメキシコ遠征中、「アジア人」の目の細さに関する固定観念から、現地ファンからの揶揄を逆手に取り、「俺の目は開いているぞ」という意味合いで目を広げて対抗したのが始まりです。2010年に凱旋してからは短期間のみ使用されていましたが、会場で観戦する子供たちが真似していたことから、日本でも継続して使用するようになりました。2015年にロス・インゴベルナブレスに加入してから凱旋して以降は、インゴベルナブレスポーズ(右手で胸を2回叩いて拳を天に突き上げる)と合わせたものに進化を遂げています。
これらの決め台詞やポーズは、内藤のキャラクターを確立し、プロレス文化に新たなムーブメントをもたらしました。彼の「制御不能」な姿勢は、ファンに既存の枠を打ち破る勇気と共感を与え、新日本プロレスの新たな時代を牽引する存在となりました。
4. 私生活とその他の活動
内藤哲也は、プロレスラーとしての顔とは別に、深い趣味や人間性を示す様々なエピソードを持っています。
4.1. 趣味とファンとしての熱意
内藤は幼少期の頃から熱心な新日本プロレスファンであり、当時の新日本ファンクラブ「闘魂戦士」にも入会していました。高校時代は部活終わりにそのまま観戦に出かけたり、都内だけでなく地方に遠征までするようになりました。選手になった今も「一選手である前に一ファンでありたい」という気持ちでファンクラブに入会しているという異色の選手です。
彼は筋金入りの武藤敬司ファンであったと公言しており、オレンジタイツ時代の武藤のファンでした。武藤ファンとしてプロレスごっこの際にできるだけ完璧に武藤の真似をしたいがために、ビデオに録画していた武藤の試合を終始スローで見て研究し動きをマスターしようとしていました。高校時代はプロレスラーになるにはどうしたらいいのか考え、憧れの武藤が学生時代に柔道を経験していたことから、それに倣おうとしたこともあります(最終的に内藤は柔道部に入らず、サッカー部に入部しています)。幼少期のプロレスごっこの影響か、プロレスラーとなった自身の試合の中で、何気ない動きのどこかに武藤の名残が感じられると言われており、解説者の金沢克彦は「オレンジタイツ時代の武藤そのもの」と肯定的な見解を述べています。だが、2012年1月4日東京ドーム大会にて武藤と対戦が決まった際の記者会見では、武藤に対して「過去の人間」と位置付けた上で「プロレスを好きになったキッカケ」「プロレスラーになりたいと思ったキッカケ」とあくまでファンであったことは過去の話であると言い切っています。しかしながら、2023年2月21日「KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO-WRESTLING "LAST" LOVE~HOLD OUT~」にて武藤の引退試合の相手を務めた後のインタビューにて、「オレは武藤敬司選手にあこがれを抱き、武藤敬司選手のようになりたくてプロレスラーを目指し、今ここまで歩んできました」と切り出し「最後の最後までレスラーとして上を目指そうとした武藤敬司選手の姿に心打たれるものがあったし、武藤敬司選手にあこがれてプロレスラーになってよかったなって思いました」と述べ、「こんな幸せなプロレスラー他にいないんじゃない」と語っています。
地方に遠征してまで観戦するほどプロレス熱が高い内藤ですが、格闘技の聖地と言われる後楽園ホールでの観戦は意外にも遅く、1999年10月10日のことでした。それまでビッグマッチしか行ったことがなく、若手の試合を見るのが初めてだった内藤は、そこで棚橋弘至のデビュー戦を目の当たりにします。それまで武藤ファンであった内藤は棚橋のデビュー戦を見て感銘を受け、棚橋がデビューした翌2000年は武藤がアメリカ長期遠征へ出てしまったこともあり、内藤はその年以後棚橋を楽しみに観戦するようになり始め大ファンとなりました。2002年に内藤が右膝前十字靭帯断裂の怪我を負って気持ちが沈んでいた頃、2003年4月23日に広島サンプラザにて開催されたU-30初代王者決定リーグ戦の決勝戦、棚橋対真壁伸也戦を生観戦し、その際に「プロレスに勇気をもらう」「元気をもらう」ということを初めて感じた日だと述べています。
内藤がプロレスラーとしてデビューして間もなくの頃、棚橋から「早く俺のとこまでこいよ」と言われたこともあり、内藤自身もかつてファンだった武藤が全日本に移籍して何を楽しみに新日本を見に行っていいか分からないときに、棚橋がいたからこそプロレス熱が冷めることなくずっと来れたから、棚橋をトップの座から引きずりおろす役目は自分が担いたいと語っています。2017年1月4日、レッスルキングダム11にて棚橋との一騎打ちを制し、試合でも棚橋を上回る声援が送られ、世代交代を印象付けた内藤は試合後、リング上で大の字に横たわる棚橋の胸に拳を突き立てた後に深々と一礼。さらにバックステージでのコメントではかつて見上げる存在だった棚橋に対して「早く俺のところまで戻ってこいよ」と、メッセージを送っています。
内藤はプロレス界きってのプロ野球・広島東洋カープファンを自称しています。かつて合宿所に住んでいた頃、部屋には広島のグッズが所狭しと飾られており、内藤がロス・インゴベルナブレス加入以前に着用していた赤と白を基調としたコスチュームも「カープカラー」をイメージしたものとされています。少年時代は読売ジャイアンツに所属していた原辰徳のファンでしたが、1995年に原が現役引退したことより内藤曰く「ポッカリ穴が開いた」状態で野球への楽しみ方を模索していたところ、広島の足を使う野球に魅了され1996年から応援を始めました。
内藤は現在もファンクラブに入会している他、シリーズの合間を縫っては観戦に訪れており、広島市民球場の取り壊しに伴う公式戦最終試合開催日にもライトスタンドから観戦していました。レスラー引退後には広島移住も視野に入れており、「マツダスタジアムの年間シートを購入して、毎試合観戦してみたい」と将来に対する展望について語っています。
球団歌『それ行けカープ』の2017年、2018年、2019年バージョンの映像に、自身が注目している選手・田中広輔の2016年からの背番号「2」が入ったユニフォーム(2017年版はビジター用、2018年版はホーム用)を着用して歌唱参加しています。また、2017年8月27日のマツダスタジアムでの中日戦において初の始球式を行いました。結果はストライクゾーンから大きく外れてしまったものの、元野球少年らしい見事なフォームでの投球でした。因みにこの試合で広島は敗れたものの、勝利投手となったのは内藤のファンを公言している小笠原慎之介です。2018年よりカープのチャンステーマに内藤の入場曲の一節が取り入れられています。
4.2. メキシコとの関係
内藤はロス・インゴベルナブレスを日本に持ち帰り、「制御不能」と化したきっかけにブレイクした自身のプロレス人生において、メキシコという国は欠かせないものとなっています。2009年5月に初めてメキシコに遠征した内藤は、元々異国の地がさほど好きではない上にイメージ的にも最悪な印象しか持たなかったことから、当初は「行くのが嫌でしょうがなかった」と振り返っており、試合と練習以外のときはほとんど出歩くことをしなかったといいます。しばらくして内藤はアニマル浜口ジム時代から付き合いのあるBUSHIとメキシコで再会すると、BUSHIに連れられる形で外出するようになります。そこから徐々にメキシコに対する意識が変わり始め、メキシコでの生活を楽しめるようになったとのことです。
現地CMLLにおいても、内藤はアレナ・メヒコ大会のビッグマッチにおける髪切りマッチで、メキシコ人レスラーから勝利するという30年ぶりの快挙を成し遂げたことからポジションを確立しています。街を出歩けば声を掛けられることも多くなり、一気に知名度を上げることに成功した内藤は、公私ともに充実した日々を送るようになりました。制御不能と化した後、スペイン語スペイン語を織り交ぜた独特なコメントが目立つ内藤ですが、これは内藤が2015年にインゴベルナブレスに加入し、帰国したときのコメントでポロっとスペイン語を出したことがきっかけとなっています。直すのが面倒くさいと考えた内藤は以降スペイン語を混ぜてコメントするようになり、後に「日本にいるのに間違ってスペイン語が出てしまうぐらい充実してた」と内藤は述べています。
4.3. その他のエピソードとメディア出演
内藤は「会場マニア」という一面も持っており、体育館だけでなく野球場やサッカー場といった「箱」に興味があります。プロレスラーとなった現在、自身のブログやTwitterなどで開場前の会場写真をアップする習慣が定着しています。特に「建物の外観」と「体育館の名称が書いてある看板」を撮影したいと思っているが、会場に集まるファンの中で外観を撮影することができないため、会場の中の写真や場内の様々な場所を散策することが趣味となっています。2020年頃からは、地方大会の前夜にレンタカーを借りて会場を訪れ、会場の外観を撮影して自身のTwitterに投稿することが多いです。
忘れ物が多いことでも知られ、2008年10月にNO LIMITとして初めてジュニアタッグ王者になって僅か5日後の埼玉久喜大会(G1 TAG LEAGUE公式戦)ではチャンピオンベルトを忘れ、更にその2週間後の後楽園大会ではコスチューム一式を忘れ、ヤングライオンから借りた黒のショートタイツで試合を行いました。試合後のバックステージでもパートナーの裕二郎にそのことを突っ込まれています。
ゴルフはあまり好きではなく、父親がブリヂストンを定年退職する際にゴルフセットをくれたものの、2017年の時点では1回打ちっぱなしに行った程度です。父親は会社員時代に営業トークとしてしばしばプロレスラーの内藤の話題を持ち出していました。父親も大のプロレスファンであり、退職後は地方も含めほぼ全ての新日本プロレスの興行を観戦するほどです。
定期的にファミレスへ東京スポーツ記者を呼びつけて不満をぶちまけている(通称『ファミレス招集』)。そして不満をぶちまけた後、何らかの理由をつけて席を外し、そのままいなくなり相手に支払いさせるという記事が定例化されつつあります。SANADAなど内藤以外のL・I・Jのメンバーも同様の行動を行っていることがあります。また、2019年には広島東洋カープの九里亜蓮と共に東スポの記者を広島まで呼びつけました。
トイ・ストーリーシリーズの大ファンであることをブログなどで公言しています。旅先での観光には興味が無く、高校時代の1999年7月、札幌中島体育センターにて行われた新日本プロレスの6人タッグマッチ蝶野正洋&AKIRA&大仁田厚vs武藤敬司&天山広吉&ヒロ斉藤を観戦した際の内藤の行動は、札幌名物のラーメンを食べてコンサドーレ札幌の上下ユニフォームと靴下を購入した程度でした。
プロレスラーらしからぬ少食かつ偏食家であり、本人も「一度気に入ったものをとことん食べる」と語っています。「食べたことないものを口にするのに抵抗があるので知っているものを食べたい」という理由から海外興行の際にはどこへ行くにしてもサブウェイを探し、3食利用することも普通にあったといいます。
中学時代は、当時サッカーの強豪校だった愛媛県立南宇和高等学校へのサッカー留学を考えていました。
2011年6月から2015年5月までベビーフェイスとして活動していた内藤は、地域によってブーイングを受けることがあります。特に大阪大会で行われるビッグマッチでは、内藤が攻勢をかけたり、アピールを行うと強烈なブーイングが発生するようになり、この現象は2014年頃から顕著に見られるようになりました。ロス・インゴベルナブレス加入以降、内藤へのブーイングは全国各地で発生するようになりましたが、2015年下期頃になると徐々に内藤を支持する声が増え始め、2016年に入ると内藤およびL・I・Jに対する支持者が急増していきました。
飯伏幸太、鷹木信悟、東京スポーツ岡本記者らと共に昭和57年会を結成しています。メンバーには石森太二、岡林裕二、宮本裕向、KAZMA SAKAMOTOらがいます。
内藤は、様々なメディア活動も行っています。
- ドキュメンタリー**: 2018年11月19日放送のNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演。
- バラエティ**: 2007年2月24日放送のフジテレビジョン『めちゃ×2イケてるッ!』に出演。
- TVドラマ**:
- 『ファイヤーレオン』第3話、第4話、第6話、第20話(2013年、TOKYO MX TV)に本人役で出演。
- 日曜劇場『99.9-刑事専門弁護士- SEASON2』第6話ゲスト(2018年、TBS)に本人役で出演。
- ラジオ**:
- [http://www.fmhi.co.jp/yururadi FM-Hi]のゆうラジRadio Soulに月一で出演し、ゆるラジ・ゆるテレで活動中。
- 『オールナイトニッポンX』に週替わりで出演。
- ゲーム**: 『龍が如く6 命の詩。』(2016年12月8日、セガ)に「JUSTIS六狂人・内藤哲也」役として出演。
- 映画**: 『パパはわるものチャンピオン』(2018年9月、ショウゲート)に「もんじゃ屋の客」役で出演。
- CM**: 新日本プロレスオフィシャルスマホサイトの「内藤哲也ファミレス編」に出演。
- 著書**:
- 『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO 1』(2018年7月15日、イースト・プレス)
- 『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO 2』(2019年6月16日、イースト・プレス)
- 『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO 3』(2020年8月19日、イースト・プレス)
- 『手のひら返しdeあっせんなよ 内藤哲也のホンネ録』(2019年12月11日、ベースボール・マガジン社)
- アニメ**: 『タイガーマスクW』に出演。
- 漫画**: 『HIGHER AND HIGHER! Shinnichi Gakuen』に出演。
5. 獲得タイトルと功績
内藤哲也は、そのキャリアを通じて数々のチャンピオンシップタイトルとトーナメント優勝を果たし、個人としても多数の受賞歴を誇ります。
5.1. タイトルチャンピオンシップ


- 新日本プロレス
- IWGP世界ヘビー級王座:2回(第8代、第10代)
- IWGPヘビー級王座:3回(第64代、第70代、第72代)
- 第70代、第72代は第24代、第26代IWGPインターコンチネンタル王座との二冠。
- IWGPインターコンチネンタル王座:6回(第15代、第18代、第20代、第22代、第24代、第26代)
- 最多戴冠記録保持者。
- NEVER無差別級王座:1回(第2代)
- NEVER無差別級王座提唱者。
- IWGPジュニアタッグ王座:1回(第22代)
- パートナーは高橋裕二郎。
- IWGPタッグ王座:3回(第55代、第90代、第107代)
- パートナーは高橋裕二郎、SANADA、高橋ヒロム。
5.2. トーナメント優勝
- 新日本プロレス
- G1 CLIMAX優勝:3回(2013年、2017年、2023年)
- NEW JAPAN CUP優勝:1回(2016年)
- WORLD TAG LEAGUE優勝:1回(2024年)
- パートナーは高橋ヒロム。
5.3. その他の受賞と評価
- テレビ朝日ビッグスポーツ賞
- 第52回テレビ朝日ビッグスポーツ賞ワールドプロレスリング賞
- 東京スポーツ
- プロレス大賞 最優秀選手賞(2016年、2017年、2020年、2023年)
- プロレス大賞 年間最高試合賞(2020年)
- 対オカダ・カズチカ(2020年1月5日、レッスルキングダム14)
- プロレス大賞 技能賞(2018年)
- 日刊スポーツ
- MVP賞(2016年)
- 年間最高試合賞(2016年)
- 対ケニー・オメガ(2016年8月13日)
- Pro Wrestling Illustrated
- 2020年、2024年の『PWI 500』でシングルレスラー部門第5位にランクイン
- Sports Illustrated
- 2020年の「トップ10レスラー」で第4位にランクイン
- Wrestling Observer Newsletter
- 最もカリスマ的な選手(2017年、2018年)
- 年間最優秀ギミック賞(2017年) - ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン
- 日本MVP(2020年)
- レスリング・オブザーバー・ニュースレター殿堂入り(2022年)
- 新日本プロレス
- ベストバウト賞(2016年)
- 対ケニー・オメガ(2016年8月13日)
- MVP賞(2016年)
- ベストバウト賞(2016年)
5.4. ルチャ・デ・アプエスタス記録
ルチャ・デ・アプエスタスとは、勝敗によって名誉(髪の毛やマスク)を賭ける試合のこと。
勝者(賭け) | 敗者(賭け) | 場所 | 大会 | 日付 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
内藤(髪の毛) | トスカーノ(髪の毛) | メキシコシティ、メキシコ | 『インフィエルノ・エン・エル・リング』 (2009) | 2009年7月31日 | この試合は、15人参加のスティールケージマッチ形式のエリミネーションマッチであり、高橋裕二郎、ショッカー、エクトール・ガルサ、ネグロ・カサス、ブラック・ウォーリアー、エル・テリブレ、エル・テハノ・ジュニア、オカムラ、ブルー・パンテル、マキシモ、レイ・メンドーサ・ジュニア、ヘビー・メタル、ミクトランも参加しました。 |
エル・テハノ・ジュニア & エル・テリブレ(髪の毛) | NO LIMIT(高橋裕二郎 & 内藤)(髪の毛) | メキシコシティ、メキシコ | 『Sin Salida』 | 2009年12月4日 |
6. 影響と評価
内藤哲也は、その特異なキャラクターと行動により、プロレス業界、特に新日本プロレスに多大な影響を与えました。
6.1. 肯定的評価と貢献
内藤哲也の登場は、新日本プロレスの興行と「トランキーロ」という独特な文化に大きく貢献しました。彼は単なる選手に留まらず、自身の「制御不能」なキャラクターを徹底することで、ファン層の拡大に寄与しました。特に、既存の団体の意向に反発し、自身の信念を貫く姿勢は、多くのファンの共感を呼び、新日本プロレスの人気を再燃させる原動力となりました。
2016年には東京スポーツのプロレス大賞で最優秀選手賞を受賞し、これは2010年以来、棚橋弘至とオカダ・カズチカのいずれかによって独占されていた同賞を、彼ら以外の選手が獲得した初の事例となりました。これは、内藤がプロレス界の新たな「救世主」として台頭したことを象徴する出来事でした。彼の個性的な入場や言動は、試合内容を超えたエンターテイメントとして評価され、新日本プロレスの興行の魅力を一層高めました。
6.2. 批判と論争
内藤哲也のキャリアには、その独特な行動が批判や論争を巻き起こした場面も存在します。最も有名なのは、2013年11月11日に発表されたレッスルキングダム8 in 東京ドームのメインイベント投票に関するものです。内藤とオカダ・カズチカによるIWGPヘビー級選手権試合と、中邑真輔と棚橋弘至によるIWGPインターコンチネンタル選手権試合のどちらをメインイベントとすべきかというファン投票が行われ、結果として内藤とオカダの試合がメインイベントの座を逃すことになりました。この時、内藤はファン投票の結果を受け入れず、屈辱的な態度を露わにし、自身のTwitterで「東京ドームのメインは中邑真輔と棚橋弘至のIC戦。おーい、まじかよ...。マジで、マジかよ...」と投稿しました。この出来事は、彼の「制御不能」なキャラクターの一端を示すものとして、ファンや関係者の間で賛否両論を巻き起こしました。
また、内藤はIWGPヘビー級王座やIWGPインターコンチネンタル王座のベルトを雑に扱うことでも知られています。ベルトを投げたり、足で踏んだりする行為は、ベルトの価値を軽んじているという批判を招く一方で、彼の「ベルトよりも自分の存在が上」という思想を表現するパフォーマンスとして、一部のファンからは支持されています。これらの行動は、彼の反骨精神を象徴するものであり、彼が単なる「優等生」ではないことを示すものでしたが、プロレスの伝統的な価値観を重視する層からは、論争の対象となることもありました。