1. 生涯と背景
1.1. 生い立ちとGK転向
前川黛也は1994年9月8日に広島県広島市安芸区で生まれた。父親は元サッカー日本代表の前川和也であり、父の所属チームに伴い、幼少期は広島と大分県で育った。
広島市立矢野中学校の2年生まで、前川はフィールドプレイヤーとしてプレーしており、当時の身長は160 cm台であった。しかし、中学3年生になると身長が180 cmに急激に伸び、この急激な体格の変化に伴う成長痛などの怪我に悩まされ、初めての大きな壁に直面した。この経験がきっかけで、彼はゴールキーパーへと転向することを決意した。当時、父の前川和也は広島県福山市に単身赴任しており、サンフレッチェ常石サッカースクールのコーチを務めていた。オフで広島市の自宅に戻る毎週月曜日には、近所の公園で父からゴールキーパーとしての猛特訓を受けた。
1.2. ユースキャリア
前川は大分トリニータの下部組織である大分トリニータU-12でサッカーを始めた後、中学からはサンフレッチェ広島の下部組織に移籍し、サンフレッチェ広島F.Cジュニア、サンフレッチェ広島F.Cジュニアユースでプレーした。
しかし、サンフレッチェユースへの昇格は叶わず、広島県立広島皆実高等学校に進学した。高校時代は怪我が多く、レギュラーゴールキーパーの座を掴むことはできなかった。
2013年、唯一誘いがあった関西大学に入部。大学では4年連続で全日本大学選抜に招集されるなど、世代屈指のゴールキーパーとして大きく成長を遂げた。2015年8月から同年12月にかけては、セレッソ大阪に特別指定選手として登録された。
2. クラブキャリア
関西大学を卒業後、2017年にJ1リーグのヴィッセル神戸に加入した。1年目から背番号1を背負ったものの、当時正ゴールキーパーであった韓国代表のキム・スンギュの存在が大きく、シーズンを通して試合に出場することはなかった。
2018年シーズンもキム・スンギュが正ゴールキーパーを務めていたが、11月3日の名古屋グランパスエイト戦で初めてJリーグのスタメンに抜擢され、デビューを果たした。試合前にはプライベートでも親交があり、シュート練習も共に行っていた元ドイツ代表のルーカス・ポドルスキから「ミスしても楽しんでやれ。俺が点を取る」と声をかけられた。実際にポドルスキが2得点を挙げ、チームは2-1で名古屋に勝利した。この試合での活躍が評価され、残りのリーグ戦3試合全てにスタメンとして出場した。シーズン終了後には、ドイツ2部のハンブルガーSVの練習に参加した。
2019年シーズンもキム・スンギュとのポジション争いが続いたが、外国人枠の影響でキムが出場できない試合ではスタメンとして出場した。7月にキムが移籍したものの、同時期に飯倉大樹が加入し、飯倉が正ゴールキーパーの座に就いたため、自身最多となるリーグ戦8試合に出場したものの、ベンチ入りのみの試合も多かった。
2020年シーズンは、新型コロナウイルスの影響による過密日程の中で、飯倉が正ゴールキーパーを務めるものの、徐々に試合出場を増やし、シーズン中盤からはレギュラーとして出場するようになった。11月から再開されたAFCチャンピオンズリーグでもレギュラーとして出場し、準決勝の蔚山現代FC戦では、試合を通してチームを救うセーブを何度も見せた。しかし、延長後半終了間際にペナルティエリア内で相手にファウルをしてPKを献上し、失点してしまうミスを犯した。その得点により試合に敗れ、前川自身は「敗因は僕のミス」と語ったが、大会を通してレギュラーとして活躍し、クラブ史上初出場でベスト4進出に貢献した。
2021年シーズンは、飯倉の負傷もあって開幕スタメンを勝ち取ると、その後も好パフォーマンスを見せてレギュラーに定着した。飯倉復帰後もリーグ戦ではポジションを譲らなかったが、7月に自身が負傷し離脱。その後は再び飯倉にポジションを譲ることになった。
2022年シーズンは、ライバルである飯倉が怪我で出遅れたこともあり、3年連続で開幕戦にスタメン出場した。その後、ロティーナ体制ではレギュラーの座を完全に確保したが、ロティーナが6月末に解任されると再び控えに回った。10月8日に行われたJ1第32節のサンフレッチェ広島戦では、フリーキックの守備の際に相手選手の膝が顔面から首筋にかけて入るアクシデントに見舞われたが、大事には至らずフル出場した。
2023年シーズンは、飯倉が横浜F・マリノスに移籍したこともあり、開幕からスタメン出場し、一年間を通してリーグ戦全試合にフルタイム出場した。11月12日に行われたJ1第32節の浦和レッズ戦では、フリーキックからのクロスボールをキャッチし、前線に残っていた大迫勇也へ送る好判断を見せ、チームは劇的な勝利を収めた。このゴールにより、前川はJリーグで自身初のアシストを記録した。また、チームの失点数をリーグ3位の29失点に抑え、ヴィッセル神戸のJ1リーグ初優勝に大きく貢献した。シーズン終了後には、フェアプレー個人賞を受賞した。
2024年シーズンも引き続きヴィッセル神戸の正ゴールキーパーとして活躍し、チームのJ1リーグ連覇と天皇杯優勝に貢献した。
3. 代表経歴

2021年3月18日、国際親善試合およびFIFAワールドカップ2022カタールアジア2次予選兼AFCアジアカップ2023予選のモンゴル代表戦のメンバーとして、日本代表に初選出された。父親の前川和也も元日本代表ゴールキーパーであり、親子二代での日本代表入りはJリーグ発足後初めての快挙であった。
2023年11月16日、FIFAワールドカップ北中米アジア二次予選兼AFCアジアカップ2024予選のミャンマー代表戦で途中出場し、代表デビューを果たした。
2024年1月1日、AFCアジアカップ2024のメンバーに選出された。若手の鈴木彩艶の控えとしての選出であった。大会初戦から鈴木のパフォーマンスが安定しなかったこともあり、第2戦以降は前川をスタメンに推すメディアも多かったが、森保一監督が鈴木を起用し続けたため、出場機会はなかった。
また、日本代表以外にも、大学在学中から全日本大学選抜に4年連続で招集され、2015年夏季ユニバーシアードではユニバーシアード日本代表として出場している。
4. 個人成績
4.1. クラブ
クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグカップ | 大陸選手権 | その他 | 通算 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
日本 | リーグ | 天皇杯 | リーグカップ | AFC | その他 | 通算 | ||||||||
2016 | 関西大 | - | - | - | - | - | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | |
2017 | ヴィッセル神戸 | J1リーグ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | - | 0 | 0 |
2018 | 4 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 | - | - | - | - | 12 | 0 | ||
2019 | 8 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | - | - | - | - | 13 | 0 | ||
2020 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 20 | 0 | ||
2021 | 19 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | - | - | - | - | 24 | 0 | ||
2022 | 18 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 | - | - | 25 | 0 | ||
2023 | 34 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | - | 39 | 0 | ||
2024 | 37 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | - | 38 | 0 | ||
キャリア通算 | 135 | 0 | 7 | 0 | 17 | 0 | 11 | 0 | 1 | 0 | 171 | 0 |
4.2. 代表
国際Aマッチ | 年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
日本 | 2023 | 1 | 0 |
2024 | 1 | 0 | |
通算 | 2 | 0 |
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2023年11月16日 | 吹田 | パナソニックスタジアム吹田 | ミャンマー | ○5-0 | 森保一 | 2026 FIFAワールドカップ・アジア2次予選兼AFCアジアカップ2027 (予選) |
2. | 2024年6月6日 | ヤンゴン | トゥウンナ・スタジアム | ミャンマー | ○5-0 |
5. タイトル
5.1. クラブ
; ヴィッセル神戸
- J1リーグ:2回(2023年、2024年)
- 天皇杯:2回(2019年、2024年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回(2020年)
5.2. 個人
; ヴィッセル神戸
- フェアプレー個人賞(2023年)