1. 概要
北口晃は、1935年3月8日に大阪府で生まれた日本の元サッカー選手である。明星高校、関西学院大学を経て、新三菱重工業(後の三菱重工業)で選手として活躍した。クラブでは、創設期のチームを牽引し、1959年の全日本実業団サッカー選手権大会で準優勝に貢献した。また、サッカー日本代表にも選出され、1956年のメルボルンオリンピック代表の一員となり、1958年のアジア競技大会や1959年のローマオリンピック予選など、国際Aマッチに10試合出場し1得点を記録した。引退後もサッカー界に携わり、2005年には「櫻ミッションフットボールクラブ」の設立発起人の一人となるなど、日本サッカーの発展に貢献した。
2. 個人情報
2.1. 生年月日と出身地
北口晃は1935年3月8日に大阪府で生まれた。身長は172 cm、体重は70 kgで、ポジションはFWであった。
2.2. 学歴
北口は明星高校で1950年から1952年までサッカー部に所属した。その後、関西学院大学に進学し、1953年から1956年までサッカー部で活動した。大学在学中の1956年には、メルボルンオリンピックのサッカー日本代表に選出されるなど、学生時代からその才能を発揮していた。
3. 選手経歴
3.1. クラブ経歴
3.1.1. 所属クラブ
北口晃が選手生活中に所属したクラブは以下の通りである。
- 1950年 - 1952年:明星高等学校
- 1953年 - 1956年:関西学院大学
- 1957年 - 1966年:新三菱重工 / 三菱重工業
3.1.2. クラブでの活動と成果
関西学院大学を卒業後、北口は1957年に新三菱重工に入団した。彼は生駒友彦や井上健らと共に、創設期の三菱重工サッカー部を牽引する重要な役割を果たした。特に、1959年の全日本実業団サッカー選手権大会ではチームの準優勝に大きく貢献した。
1964年には所属クラブの名称が「新三菱重工」から「三菱重工業」へ変更された。そして、1965年には新たに創設された日本サッカーリーグ(JSL)に三菱重工業が参加した。北口は1966年に現役を引退した。
3.1.3. 個人通算成績 (クラブ)
JSLにおける北口晃の個人通算成績は以下の通りである。
年 | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|---|
1965 | 三菱 | JSL | 0 | 0 |
1966 | 0 | 0 | ||
総通算 | 4 | 0 |
3.2. 代表経歴
3.2.1. オリンピック選出
北口は関西学院大学在学中の1956年に、メルボルンオリンピックのサッカー日本代表に選出された。本大会に先立ち、1956年11月17日にメルボルンで行われたメルボルン・ハコア(オーストラリア)とのテストマッチで代表デビューを飾った。しかし、11月27日に行われたオリンピック本戦での出場機会はなかった。
3.2.2. 主要国際大会
北口は、1956年のメルボルンオリンピック選出以外にも、日本代表として主要な国際大会に出場した。1958年5月には1958年アジア競技大会の日本代表に選出され、同年5月26日のフィリピン戦で国際Aマッチデビューを果たした。また、1959年にはローマオリンピック予選にも出場している。
3.2.3. 代表通算成績
北口晃は1958年から1959年にかけて、日本代表として国際Aマッチに10試合出場し、1得点を記録した。
日本代表 | ||
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1958 | 3 | 1 |
1959 | 7 | 0 |
合計 | 10 | 1 |
以下は、北口晃の国際Aマッチ出場記録である。
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1958年05月26日 | 東京都 | 東京蹴球場 | フィリピン | ●0-1 | 川本泰三 | アジア大会 |
2. | 1958年12月25日 | 香港 | 香港 | ●2-5 | 竹腰重丸 | 国際親善試合 | |
3. | 1958年12月28日 | クアラルンプール | マラヤ | ●2-6 | 国際親善試合 | ||
4. | 1959年01月04日 | ペナン | マラヤ | ○3-1 | 国際親善試合 | ||
5. | 1959年01月10日 | シンガポール | シンガポール | ○4-3 | 国際親善試合 | ||
6. | 1959年01月11日 | シンガポール | シンガポール | ●2-3 | 国際親善試合 | ||
7. | 1959年08月31日 | クアラルンプール | 香港 | △1-1(延長) | ムルデカ大会 | ||
8. | 1959年09月03日 | クアラルンプール | シンガポール | ○4-1 | ムルデカ大会 | ||
9. | 1959年09月06日 | クアラルンプール | 韓国 | ●1-3 | ムルデカ大会 | ||
10. | 1959年12月13日 | 東京都 | 後楽園競輪場 | 韓国 | ●0-2 | ローマオリンピック予選 |
以下は、北口晃の国際Aマッチ得点記録である。
No. | 開催日 | 開催地 | 会場 | 相手 | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1958年12月28日 | クアラルンプール | マラヤ | ●2-6 | 国際親善試合 |
4. 引退後
4.1. サッカー界での活動
現役引退後も、北口は三菱グループ内でサッカーを続けた。しかし、1979年にはアキレス腱を断裂する大怪我を負い、一時的にサッカーから離れることとなった。
その後、2005年には神戸市須磨区に設立された「櫻ミッションフットボールクラブ」の設立発起人の一人として参加し、再びサッカー界での活動を再開した。このクラブは地域のサッカー振興に貢献している。
5. 評価
5.1. 歴史的評価
北口晃は、日本のサッカーがまだ発展途上にあった時期に、その礎を築いた選手の一人として歴史的に評価されている。メルボルンオリンピック代表への選出や、アジア競技大会、ローマオリンピック予選といった国際舞台での経験は、当時の日本サッカーにとって貴重なものであった。また、三菱重工業の創設期を支え、全日本実業団サッカー選手権大会での準優勝に貢献したことは、日本の実業団サッカーのレベル向上に寄与した。
5.2. 影響力
北口晃の選手としての業績や、引退後のサッカー界での継続的な活動は、後続の選手や日本サッカーの発展に多大な影響を与えた。彼のような先駆者たちの努力が、後のJSLの設立や、現在のJリーグへと繋がるプロサッカー環境の基盤を築いたと言える。特に、地域におけるサッカークラブの設立に携わったことは、草の根レベルでのサッカー振興に対する彼の強い意欲と貢献を示している。