1. プロレスリングキャリア
卍丸のプロレスキャリアは、闘龍門での修行とメキシコでのデビューから始まり、その後は主にみちのくプロレスを主戦場としつつ、プロレスリングElDoradoなど他団体でも活動。リングネームやギミックを変化させながら、ヒールユニットの中心メンバーとしてタッグ戦線やシングル戦線で活躍し、数々のタイトルを獲得してきた。
1.1. 闘龍門時代 (2001-2004)
村上学は2001年に高校を中退し、闘龍門の9期生として入門した。高校時代の先輩にはKagetoraや稲葉雅人がいる。2002年12月7日、メキシコの闘龍門MEXICOヒムナシオ・デ・ラウニダ・クアウテモック大会において、坂井謙一(現:Ken45°)と谷嵜直樹のタッグを相手に、本名でプロレスデビューを果たした(タッグパートナーは山本武志(現:南野タケシ))。
この初期のキャリアでは、奇抜なギミックを採用し、赤いふんどしとMMAグローブを着用したパロディ的な総合格闘家として登場した。リング上では相手を撹乱するための性的なパフォーマンスも披露した。村上と同期の選手たちは闘龍門Xに移行し、彼の型破りなギミックは予想外の人気を集めた。闘龍門Xの閉鎖に伴い、彼の所属ユニットはみちのくプロレスへ移籍することになった。
1.2. みちのくプロレス (2004-現在)
みちのくプロレスへの移籍後、村上学は長期にわたる活動を開始し、リングネームとキャラクターを幾度か変遷させてきた。
1.2.1. キャラクター変遷とヒールターン
2004年7月17日、仙台大会でみちのくプロレスに初登場した村上は、同年12月から青森県出身のマグロ一本釣り漁師というギミックの「大間まぐ狼」にリングネームとキャラクターを変更した。このギミックでは、伝統的な赤いふんどし姿を維持しつつ、漁具を携えて入場することもあった。当初はTsubo Genjinや田中純二と抗争を繰り広げていたが、2005年10月にGamma、菅原拓也と共にKagetoraが結成したヒールユニット「STONED」に加入し、本格的なヒールターンを果たした。
これを機に、大間まぐ狼はギミックを日本の海賊をモチーフにしたものへと変貌させた。ふんどしに代わって、より伝統的なロングパンツとシャツ、そして地下足袋を着用するようになった。また、試合スタイルも荒々しく暴力的なものに変化させ、棘付きのバットなど、手当たり次第に凶器を使用するようになった。
1.2.2. ユニット活動とタッグチームの成功
みちのくプロレスでの活動において、卍丸は数々の主要なヒールユニットに所属し、特にタッグチームで大きな成功を収めてきた。
ヒールターン後、まずは「STONED」の一員として活動。その後、フジタ"Jr"ハヤトが率いる「九龍」の創設メンバーとなった。この九龍において、南野タケシと「舎人一家」というタッグチームを結成した。舎人一家は2009年の「ふたり旅タッグリーグ」で優勝し、気仙沼二郎と大柳錦也から東北タッグ王座を獲得。数か月にわたってタイトルを防衛したが、後にヤッペーマン1号とヤッペーマン2号の「ヤッペーマン」に敗れて王座を失った。
2010年7月には、九龍内で南野タケシと正式に「舎人一家」を結成した。2012年6月の九龍解散後、卍丸はフジタ"Jr"ハヤト、南野タケシ、Ken45°と共に新ユニット「BAD BOY」を結成し、活動を継続した。
しかし、2017年3月20日のみちのくプロレス宮城仙台大会のメインイベントで、長年のタッグパートナーであった南野タケシが卍丸を裏切り、日向寺塁と共に新ヒールユニット「SUPER STARS」を結成。これにより卍丸はBAD BOYから脱退する形となり、事実上、舎人一家としての活動にも幕が下ろされた。
1.2.3. シングル王座と主要な対立
シングル戦線では、2013年9月に拳王の持つ東北ジュニアヘビー級王座に挑戦し、敗れはしたものの好勝負を繰り広げた。拳王や日向寺塁との激しい戦いは、プロレス専門誌『週刊プロレス』で1ページにわたって特集されるほど注目を集めた。
そして2015年11月3日、卍丸は気仙沼二郎の持つ東北ジュニアヘビー級王座に挑戦し、勝利を収めて自身初の同王座戴冠を果たした。
1.3. エルドラド・レスリング (2006-2008)
2006年にプロレスリングElDoradoが設立されると、大間まぐ狼は「卍丸」のリングネームで参戦するようになった。このリングネームは漫画『魁!!男塾』の登場キャラクターに由来している。
ElDoradoでは清水基嗣との間で激しい抗争を繰り広げた。その抗争の過程で、両者はElDoradoの備品を多数破損させ、ゼネラルマネージャーの川畑憲昭から損害賠償の支払いを命じられた。卍丸と清水は、賞金で罰金を支払うため、2006年の「トレジャーハンターズタッグトーナメント」にタッグで出場したが、優勝者のディック東郷と近藤修司組に敗れ、賞金を手にすることはできなかった。
翌週、卍丸と清水は近藤に賞金の一部を譲ってくれるよう懇願したが、同様に借金の清算を求めてきたYASSHIに妨害された。結局、川畑GMは賞金を分割して両者に一部ずつ渡し、卍丸は自分たちの分け前を使って次のElDoradoの興行をプロデュースし、最終的に罰金を完済するための資金を集めることを提案した。その興行で行われた賞金全額争奪バトルロイヤルでは、清水が怨霊の助けを得て勝利した。卍丸と清水は罰金を支払い、清水は残りの賞金を肩の手術を必要としていた卍丸に譲った。これにより両者は和解し、卍丸は手術を受けるためにElDoradoを離れた。
その後、卍丸は短期間ながら「ヘル・デーモンズ」の一員としてElDoradoに復帰したが、ElDoradoは2008年に解散した。
1.4. 負傷と復帰
卍丸はキャリアを通じて複数の主要な負傷を経験し、長期欠場を余儀なくされてきた。
2007年には古傷であった肩の故障により、長期欠場に入った。その後、2008年3月にみちのくプロレスでリングに復帰し、ヒールユニット「九龍」に加入した。
しかし、2010年12月には足の負傷により、再び長期欠場に入った。この負傷からも復帰し、2011年9月にリングに戻った際には、みちのくプロレスでも「卍丸」に改名し、リングネームが統一された。
2012年7月28日には、デビュー10周年記念大会が開催され、盟友である南野タケシと壮絶な一騎討ちを繰り広げた。
2. レスリングスタイルとギミック
卍丸のプロレスラーとしてのスタイルは、キャリアを通じて大きく変化してきた。初期の闘龍門時代は、赤いふんどしとMMAグローブを着用し、奇抜なパフォーマンスを交えた総合格闘技風のパロディギミックが特徴であった。
みちのくプロレスで「大間まぐ狼」としてデビューしてからは、一本釣り漁師というキャラクターを演じ、やはりふんどしを着用していた。しかし、2005年のヒールターンを機に、海賊ギミックへと変貌。これ以降、荒々しく暴力的なファイトスタイルを確立し、棘付きのバットをはじめとする凶器を積極的に使用するようになった。このスタイルは、対戦相手を精神的にも肉体的にも追い詰めることに特化しており、彼のヒールとしての存在感を際立たせている。
3. 得意技
- 垂直落下式ブレーンバスター
- 卍落とし
- SKB
4. 入場曲
- ふんどし仁義(百日紅呑海)
5. 獲得タイトルと実績
卍丸はキャリアを通じて、以下のタイトルを獲得し、様々な実績を残している。
| タイトル | 獲得回数 | パートナー(該当する場合) | 獲得日など |
|---|---|---|---|
| WEWタッグ王座 | 1回 | 南野タケシ | |
| 東北ジュニアヘビー級王座 | 1回 | 2015年11月3日 | |
| 東北タッグ王座 | 1回 | 南野タケシ | |
| UWA世界6人タッグ王座 | 1回 | 佐藤恵、佐藤秀 | |
| みちのくふたり旅 優勝 | 1回 | 南野タケシ | 2009年 |
| みちのくトリオトーナメント戦 優勝 | 1回 | ||
| 『プロレスリング・イラストレーテッド』PWI 500 | 2016年にシングルレスラー部門で360位にランクイン |
6. エピソード
卍丸は、幼少期にはプロ野球選手になることを夢見ていた。特に北海道日本ハムファイターズの熱心なファンであったが、身長が低かったためにその夢を断念し、プロレスの道へと進んだという。
7. 外部リンク
- [http://www.michipro.jp/profile/manjimaru.html みちのくプロレス公式サイト プロフィール]