1. Overview
原 歩(はら あゆみ、1979年2月21日 - )は、東京都八王子市出身の元女子サッカー選手であり、現在はサッカー指導者です。選手時代のポジションはミッドフィールダーでした。
彼女のキャリアは、14歳でのトップチームデビュー、日本女子代表での活躍、そして若くして代表チームのキャプテンを務めるなど、日本の女子サッカー界におけるパイオニア的存在として際立っています。キャリアの節目で一度は引退を決意するものの、プロ契約のオファーを受けて現役復帰し、その後も指導者としてサッカーに貢献し続けている彼女の道のりは、スポーツにおける個人のキャリア形成の多様性と、逆境を乗り越えるレジリエンスを示しています。本稿では、原歩の選手としての輝かしい功績から、指導者としての新たな挑戦に至るまでの詳細な経歴を追うとともに、社会におけるスポーツの役割や、個人のキャリア形成の可能性という観点からその足跡を深く掘り下げていきます。
2. 生い立ちと初期キャリア
原歩は1979年2月21日に東京都八王子市で生まれました。彼女は多摩大学経営情報学部を卒業しています。
サッカーは幼少期から始め、1986年から1990年まで杉野百草SSに所属しました。その後、1991年から1992年にかけて、読売日本サッカークラブ女子メニーナ(現日テレ・東京ヴェルディベレーザの下部組織)に入団し、ユースクラブでの選手としての成長を続けました。中学3年生であった1993年には、五味與恵(後の加藤與恵)らとともにトップチームの読売日本サッカークラブベレーザへ昇格。同年に行われた第5回日本女子サッカーリーグで優勝に貢献する活躍を見せ、14歳という若さでリーグデビューを飾りました。
3. 選手時代
原歩の選手としてのキャリアは、日本女子サッカーの発展とともに歩んだものであり、クラブと日本女子代表の両方で重要な役割を果たしました。
3.1. クラブキャリア
原歩は1993年に読売日本サッカークラブベレーザ(後の日テレ・ベレーザ)でトップチームデビューを果たしました。14歳でのデビューは当時としては異例の若さであり、同年には第5回日本女子サッカーリーグの優勝に貢献しました。その後も、1994年の第9回全日本選抜大会、1994年と1998年の皇后杯全日本女子サッカー選手権大会で優勝を経験しました。
ベレーザでは、同年代の澤穂希、酒井與恵と合わせて「天才トリオ」と呼ばれ、チームの中心選手として活躍しました。2000年にはベレーザと日本女子代表の両方でキャプテンを務め、女子代表では歴代最年少キャプテンという記録を樹立しました。同年、彼女はL・リーグの最優秀選手賞を受賞しました。
しかし、2001年シーズンを最後にベレーザでの出場機会が減少したこともあり、2002年に伊賀FCくノ一へ移籍しました。伊賀FCくノ一では2005年までプレーしましたが、仕事をしながらサッカーを続けることに限界を感じ、同年限りで現役引退を決意します。
しかし、翌2006年になでしこリーグ1部へ昇格したINACレオネッサ(現INAC神戸レオネッサ)からプロ契約による移籍のオファーを受け、現役続行を決断。豊富な経験を持つベテラン選手として、初昇格のチームを支えることとなりました。彼女はINAC神戸レオネッサで2009年までプレーし、この年に再び現役引退を発表しました。
2013年7月、コーチを務めていたASエルフェン狭山FC(後のちふれASエルフェン埼玉)の選手として現役復帰しました。しかし、2014年シーズン終了をもって再び現役を引退しました。
プロキャリアを通じて、原歩は3つのクラブ(読売日本サッカークラブベレーザ/日テレ・ベレーザ、伊賀FCくノ一、INAC神戸レオネッサ、ASエルフェン埼玉)で合計245試合に出場し、65得点を記録しました。また、L・リーグのベストイレブンには3度(1999年、2000年、2008年)選出されています。
3.2. 日本女子代表キャリア
原歩は1998年5月17日、18歳で日本女子代表にデビューしました。対戦相手はアメリカ合衆国でした。
2000年には日本女子代表のキャプテンに就任し、歴代最年少キャプテンとしてチームを牽引しました。その後、監督交代により一時代表から遠ざかりますが、2004年12月に行われたチャイニーズタイペイ戦で久々に代表招集を受け、後半途中から出場しました。
原歩は2008年まで日本女子代表としてプレーし、通算42試合に出場し2得点を記録しました。
3.2.1. 主要国際大会出場
原歩は、日本女子代表として以下の主要な国際大会に出場し、チームに貢献しました。
- 1999年: 1999 FIFA女子ワールドカップに出場しました。
- 2007年: 2007 FIFA女子ワールドカップに出場しました。
- 2008年: 北京オリンピックに出場し、チームは4位という好成績を収めました。大会中、8月12日に上海体育場で行われたノルウェー戦では途中出場ながらゴールを決め、チームの勝利に貢献しました。
4. 指導者時代
選手引退後、原歩はサッカー指導者としての新たなキャリアをスタートさせました。
2009年の現役引退後、セレッソ大阪サッカースクールコーチに就任し、その後は同チーム傘下のレディースU-15チームのコーチを務めました。
2013年からはASエルフェン狭山FC(現ちふれASエルフェン埼玉)のコーチに就任。同年7月には、同チームの選手として現役復帰も果たし、選手兼コーチという役割を兼任しました。
2015年から2016年9月まで、INAC神戸レオネッサ傘下の育成組織であるレオンチーナの監督を務めました。
2018年にはFC町田ゼルビアレディースのコーチに就任しました。さらに、同年12月27日にはノジマステラ神奈川相模原の下部組織であるドゥーエの監督に就任しました。
2019年8月31日、ノジマステラ神奈川相模原アカデミー総監督兼ドゥーエ監督を辞任しました。
5. 個人成績
5.1. クラブ成績
原歩のクラブキャリアにおける詳細な統計は以下の通りです。
年度 | クラブ | リーグ | リーグ戦 出場 | リーグ戦 得点 | カップ戦 出場 | カップ戦 得点 | リーグカップ 出場 | リーグカップ 得点 | その他 出場 | その他 得点 | 総計 出場 | 総計 得点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1993 | 読売日本サッカークラブベレーザ | JLSL | 12 | 1 | - | - | - | - | - | - | 12 | 1 |
1994 | 読売西友ベレーザ | L・リーグ | 18 | 3 | - | - | - | - | - | - | 18 | 3 |
1995 | L・リーグ | 14 | 7 | 1 | 0 | - | - | - | - | 15 | 7 | |
1996 | L・リーグ | 17 | 2 | - | - | - | - | - | - | 17 | 2 | |
1997 | L・リーグ | 16 | 1 | - | - | - | - | - | - | 16 | 1 | |
1998 | 読売ベレーザ | L・リーグ | 8 | 0 | - | - | - | - | - | - | 8 | 0 |
1999 | NTVベレーザ | L・リーグ | 13 | 1 | - | - | - | - | - | - | 13 | 1 |
2000 | 日テレ・ベレーザ | L・リーグ | 11 | 8 | - | - | - | - | - | - | 11 | 8 |
2001 | L・リーグ | 6 | 7 | - | - | - | - | - | - | 6 | 7 | |
2002 | 伊賀FCくノ一 | L・リーグ | 9 | 4 | - | - | - | - | - | - | 9 | 4 |
2003 | L・リーグ | 17 | 9 | - | - | - | - | 3 | 2 | 20 | 11 | |
2004 | L・リーグ1部 (L1) | 14 | 5 | - | - | - | - | - | - | 14 | 5 | |
2005 | L・リーグ1部 (L1) | 21 | 2 | - | - | - | - | 3 | 2 | 24 | 4 | |
2006 | INACレオネッサ | なでしこ Div.1 | 16 | 3 | - | - | - | - | 2 | 0 | 18 | 3 |
2007 | なでしこ Div.1 | 20 | 7 | 1 | 0 | - | - | 3 | 0 | 24 | 7 | |
2008 | なでしこ Div.1 | 20 | 8 | - | - | - | - | 4 | 2 | 24 | 10 | |
2009 | INAC神戸レオネッサ | なでしこ Div.1 | 20 | 3 | - | - | - | - | 3 | 0 | 23 | 3 |
2013 | ASエルフェン狭山FC | チャレンジ | 0 | 0 | - | - | - | - | 0 | 0 | 0 | 0 |
2014 | ASエルフェン埼玉 | なでしこ | 0 | 0 | - | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 |
総通算 (1部) | 245 | 65 | - | - | - | - | - | - | 245 | 65 | ||
総通算 (2部) | 0 | 0 | - | - | - | - | - | - | 0 | 0 | ||
総通算 | 245 | 65 | - | - | - | - | - | - | 245 | 65 |
5.2. 日本女子代表成績
原歩の日本女子代表での年ごとの出場試合数と得点数は以下の通りです。
年 | 出場 | ゴール |
---|---|---|
1998 | 3 | 0 |
1999 | 12 | 1 |
2000 | 6 | 0 |
2001 | 4 | 0 |
2002 | 2 | 0 |
2003 | 0 | 0 |
2004 | 1 | 0 |
2005 | 1 | 0 |
2006 | 0 | 0 |
2007 | 5 | 0 |
2008 | 8 | 1 |
合計 | 42 | 2 |
5.2.1. 試合数
原歩の日本女子代表としての全試合出場記録は以下の通りです。
# | 開催日 | 開催地 | 会場 | 相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1998年5月17日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | アメリカ合衆国 | ●1-2 | 宮内聡 | キリンカップ |
2 | 1998年5月21日 | 兵庫県 | 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 | アメリカ合衆国 | ●0-2 | キリンカップ | |
3 | 1998年5月24日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | アメリカ合衆国 | ●0-3 | キリンカップ | |
4 | 1999年5月2日 | カールストン | - | アメリカ合衆国 | ●0-7 | 国際親善試合 | |
5 | 1999年5月30日 | 京都府 | 京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場 | 韓国 | △1-1 | キリンカップ | |
6 | 1999年6月3日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ○3-2 | キリンカップ | |
7 | 1999年6月19日 | サンノゼ | - | カナダ | △1-1 | 世界選手権 | |
8 | 1999年6月23日 | ポートランド | - | ロシア | ●0-5 | 世界選手権 | |
9 | 1999年6月26日 | シカゴ | - | ノルウェー | ●0-4 | 世界選手権 | |
10 | 1999年11月8日 | イロイロ | - | タイ | ○9-0 | 鈴木保 | アジア選手権 |
11 | 1999年11月10日 | イロイロ | - | ウズベキスタン | ○5-1 | アジア選手権 | |
12 | 1999年11月12日 | バロタク | - | ネパール | ○14-0 | アジア選手権 | |
13 | 1999年11月14日 | イロイロ | - | フィリピン | ○6-0 | アジア選手権 | |
14 | 1999年11月19日 | バコロド | - | チャイニーズタイペイ | ●0-2 | アジア選手権 | |
15 | 1999年11月21日 | バコロド | - | 朝鮮民主主義人民共和国 | ●2-3 | アジア選手権 | |
16 | 2000年5月31日 | キャンベラ | - | オーストラリア | ●0-1 | 池田司信 | パンパシフィックカップ |
17 | 2000年6月2日 | シドニー | - | ニュージーランド | ○2-1(延長) | パンパシフィックカップ | |
18 | 2000年6月4日 | キャンベラ | - | 中国 | ●0-2 | パンパシフィックカップ | |
19 | 2000年6月8日 | ニューキャッスル | - | アメリカ合衆国 | ●1-4 | パンパシフィックカップ | |
20 | 2000年6社日 | ニューキャッスル | - | カナダ | ●1-5 | パンパシフィックカップ | |
21 | 2000年12月17日 | フェニックス | - | アメリカ合衆国 | △1-1 | 日米フレンドリーマッチ | |
22 | 2001年3月16日 | 台北 | - | チャイニーズタイペイ | ○2-0 | 国際親善試合 | |
23 | 2001年8月3日 | 蔚山 | - | 韓国 | △1-1 | 極東4ヶ国対抗戦 | |
24 | 2001年8月5日 | 江陵 | - | 中国 | △2-2 | 極東4ヶ国対抗戦 | |
25 | 2001年8月8日 | 水原 | - | ブラジル | △1-1 | 極東4ヶ国対抗戦 | |
26 | 2002年8月27日 | 武漢 | - | 中国 | ●0-4 | 上田栄治 | 極東4ヶ国対抗戦 |
27 | 2002年8月31日 | 漢口 | - | 韓国 | △0-0 | 極東4ヶ国対抗戦 | |
28 | 2004年12月18日 | 東京都 | 国立西が丘サッカー場 | チャイニーズタイペイ | ○11-0 | 大橋浩司 | 国際親善試合 |
29 | 2005年3月29日 | ミランダ | - | オーストラリア | ●1-2 | 国際親善試合 | |
30 | 2007年8月4日 | ハイフォン | - | ベトナム | ○8-0 | オリンピック予選 | |
31 | 2007年8月12日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | タイ | ○5-0 | オリンピック予選 | |
32 | 2007年9月2日 | 千葉県 | フクダ電子アリーナ | ブラジル | ○2-1 | 国際親善試合 | |
33 | 2007年9月11日 | 上海 | - | イングランド | △2-2 | ワールドカップ | |
34 | 2007年9月17日 | 杭州 | - | ドイツ | ●0-2 | ワールドカップ | |
35 | 2008年3月7日 | ラルナカ | - | カナダ | ●0-3 | 佐々木則夫 | キプロスカップ |
36 | 2008年3月10日 | アフナス | - | ロシア | ○3-1 | キプロスカップ | |
37 | 2008年7月24日 | 兵庫県 | 御崎公園球技場 | オーストラリア | ○3-0 | 国際親善試合 | |
38 | 2008年7月29日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | アルゼンチン | ○2-0 | キリンチャレンジカップ | |
39 | 2008年8月9日 | 秦皇島 | - | アメリカ合衆国 | ●0-1 | オリンピック | |
40 | 2008年8月12日 | 上海 | - | ノルウェー | ○5-1 | オリンピック | |
41 | 2008年8月18日 | 北京 | - | アメリカ合衆国 | ●2-4 | オリンピック | |
42 | 2008年8月21日 | 北京 | - | ドイツ | ●0-2 | オリンピック |
5.2.2. 得点
原歩が日本女子代表として記録した各得点についての詳細は以下の通りです。
# | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦国 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1999年11月14日 | イロイロ | イロイロ・スポーツ・コンプレックス | フィリピン | ○6-0 | 鈴木保 | 1999 AFC女子選手権 |
2 | 2008年8月12日 | 上海 | 上海体育場 | ノルウェー | ○5-1 | 佐々木則夫 | 2008年北京オリンピック |
6. タイトル
6.1. クラブ
- 読売日本サッカークラブベレーザ / 読売西友ベレーザ / 読売ベレーザ / 日テレ・ベレーザ
- 日本女子サッカーリーグ: 3回 (1993年、2000年、2001年)
- 皇后杯全日本女子サッカー選手権大会: 2回 (1994年、1998年)
6.2. 個人
- 日本女子サッカーリーグ
- 最優秀選手賞: 1回 (2000年)
- ベストイレブン: 3回 (1999年、2000年、2008年)
7. 人物
原歩は身長 166 cm、体重 59 kg です。
親交があるシンガーソングライターの柴田淳は、彼女が卒業した大学の1年先輩にあたります。