1. Early Life and Education
古賀正紘は1978年9月8日に福岡県大川市で生まれた。弟の古賀誠史もサッカー選手である。
古賀は幼少期からサッカーに親しみ、大川市立大川小学校在学中の1986年から1990年まで大川スポーツ少年団に所属した。その後、大川市立大川中学校で1991年から1993年までプレー。高校時代は東福岡高校に1994年から1996年まで在籍し、サッカー部で活躍した。高校1年まではフォワードを務めていたが、その後、対人プレーに強いストッパーとして成長を遂げ、当時のJリーグ全クラブから誘いを受けるほどの注目選手となった。東福岡高校では、第74回全国高等学校サッカー選手権大会でベスト4に進出し、1996年には全日本ユースで準優勝に貢献した。
2. Player Career
古賀正紘は、プロサッカー選手として名古屋グランパスエイト、柏レイソル、ジュビロ磐田、アビスパ福岡の4クラブでプレーし、そのキャリアを通じて日本のトップリーグで活躍した。また、ユース年代の日本代表としても国際大会に出場し、将来を嘱望される選手であった。
2.1. Club Career
古賀は高校卒業後、Jリーグのクラブに加入し、長きにわたりプロサッカー選手として活動した。
2.1.1. Nagoya Grampus Eight
古賀は高校卒業後の1997年に名古屋グランパスエイトと契約し、プロキャリアをスタートさせた。激しい争奪戦の末の加入であった。加入直後から主力として活躍し、1998年からはセンターバックとしてレギュラーに定着した。クラブは1999年に天皇杯で優勝し、古賀もその貢献者の一人となった。しかし、年数を重ねるにつれて、契約更改のたびに評価を巡ってクラブ側と意見の相違が生じ、関係が悪化していった。古賀は名古屋グランパスエイトで1997年から2006年までの10シーズンにわたりプレーした。
2.1.2. Kashiwa Reysol
2006年シーズン終了後、古賀はJ1に復帰した柏レイソルへ移籍した。2007年には新天地でも開幕戦から先発メンバーに名を連ね、主力選手として活躍した。しかし、2009年のシーズン途中に就任したネルシーニョ監督は古賀を重用せず、パク・ドンヒョクが加入して以降の2010年には、故障による長期欠場をきっかけに出場機会を失ってしまった。古賀は柏レイソルで2007年から2010年までの4シーズンを過ごした。
2.1.3. Júbilo Iwata
出場機会を求めていた古賀は、ゴール前の空中戦に課題を抱えていたジュビロ磐田からのオファーを受け、2010年8月に期限付き移籍した。ジュビロ磐田では同年のナビスコカップ制覇に貢献するなど、チームの守備を支えた。同年12月29日には、同じく柏から期限付き移籍していた菅沼実と共にジュビロ磐田への完全移籍が発表された。古賀はジュビロ磐田で2010年8月から2011年までの約1シーズン半プレーした。
2.1.4. Avispa Fukuoka
2012年、古賀はアビスパ福岡へ完全移籍し、高校時代以来16年ぶりに地元のクラブへ復帰した。福岡移籍直後の2012年シーズンはスタメンとしてプレーしたが、堤俊輔のコンバートや新戦力の加入などにより、年々出場機会が減少していった。2015年シーズンはクラブが昇格争いを繰り広げる中で、夏場の長崎戦で負傷して以降は出場機会が無くなった。古賀はアビスパ福岡で2012年から2015年までの4シーズンを過ごし、このシーズン終了後に現役引退を表明した。
2.2. National Team Career
古賀は日本のユース年代の代表チームに選出され、国際大会にも参加した。
1995年8月には、U-17日本代表に選出され、1995 FIFA U-17世界選手権に出場した。この大会では、全3試合にフル出場した。
1997年6月には、U-20日本代表に選出され、1997 FIFAワールドユース選手権に参加したが、この大会での試合出場はなかった。
また、1998年から1999年にかけてはU-23日本代表にも選ばれ、アジア競技大会やシドニーオリンピック最終予選(1999年)にも参加した。2001年には日本代表候補にも選出された経験を持つ。
3. Statistics
古賀正紘のプロクラブおよびユース代表チームでの出場試合数、得点などの詳細な個人成績は以下の通りである。
| クラブ成績 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | 合計 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
| 日本 | リーグ | Jリーグカップ | 天皇杯 | 合計 | |||||||
| 1997 | 名古屋 | J | 8 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 14 | 0 | |
| 1998 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 21 | 0 | |||
| 1999 | 26 | 2 | 4 | 0 | 5 | 0 | 35 | 2 | |||
| 2000 | 25 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 30 | 2 | |||
| 2001 | 18 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 21 | 0 | |||
| 2002 | 28 | 1 | 6 | 0 | 3 | 0 | 37 | 1 | |||
| 2003 | 28 | 2 | 4 | 0 | 2 | 0 | 34 | 2 | |||
| 2004 | 24 | 1 | 7 | 0 | 2 | 1 | 33 | 2 | |||
| 2005 | 27 | 5 | 6 | 0 | 1 | 0 | 34 | 5 | |||
| 2006 | 26 | 2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 31 | 2 | |||
| 2007 | 柏 | J1 | 29 | 2 | 2 | 1 | 1 | 0 | 32 | 3 | |
| 2008 | 29 | 1 | 5 | 1 | 5 | 1 | 39 | 3 | |||
| 2009 | 20 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 24 | 2 | |||
| 2010 | J2 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||||
| 磐田 | J1 | 12 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 17 | 0 | ||
| 2011 | 7 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 10 | 0 | |||
| 2012 | 福岡 | J2 | 33 | 1 | - | 2 | 0 | 35 | 1 | ||
| 2013 | 22 | 0 | - | 0 | 0 | 22 | 0 | ||||
| 2014 | 13 | 0 | - | 1 | 0 | 14 | 0 | ||||
| 2015 | 6 | 0 | - | 0 | 0 | 6 | 0 | ||||
| J1通算 | 328 | 20 | 60 | 2 | 24 | 2 | 412 | 24 | |||
| J2通算 | 74 | 1 | - | 3 | 0 | 77 | 1 | ||||
| 総通算 | 402 | 21 | 60 | 2 | 27 | 2 | 489 | 25 | |||
その他の公式戦出場記録は以下の通りである。
- 2000年 XEROX SUPER CUP 1試合0得点
国際試合出場記録は以下の通りである。
- 2000-01 アジアカップウィナーズカップ 3試合0得点
4. Coaching Career
古賀正紘は現役引退後、サッカー指導者としての道を歩んでいる。

2016年から2021年にかけて、古巣である名古屋グランパスエイトのユースアカデミーでコーチを務めた。
- 2016年: U-13グランパスみよし コーチ
- 2017年: U-14グランパスみよし コーチ
- 2018年: U-15グランパスみよし コーチ
- 2019年: U-14グランパスみよし コーチ
- 2020年: U-14名古屋グランパス コーチ
- 2021年: U-18名古屋グランパス コーチ
2022年シーズンからは、湘南ベルマーレのトップチームコーチに就任し、現在に至る。
5. Personal Life and Anecdotes
古賀正紘は、そのサッカーキャリアを通じて、地元クラブであるアビスパ福岡への強い愛着を示してきた。彼は「サッカー選手じゃなかったら、アビスパのサポーター」と答えるほどの熱心なファンであった。
ジュビロ磐田から福岡に移籍する際には、磐田からの契約延長オファーや、当時J1昇格を果たした札幌からのオファーを断り、あえてJ2に降格したばかりの福岡への移籍を選んだ。これは、彼の地元クラブへの献身的な思いを象徴するエピソードとして知られている。
選手晩年の2015年7月26日、ホームで行われた長崎戦での出来事は、彼のプロフェッショナリズムと執念を物語る逸話として語り継がれている。0-0で迎えた試合終盤、長崎のカウンターを受けた際に競り合いで左足を負傷した。しかし、古賀は痛めた足を引きずりながらもシュートコースを塞ぎに走り、チームの危機を防いだ。この直後に交代し、その後は出場機会が無いまま引退したため、結果的にこのプレーが彼の現役最後のプレーとなった。この執念のディフェンスは、福岡のサポーターだけでなく、チームメイトにも熱い感動を与えた。
6. Retirement
古賀正紘は、2015年シーズンを最後に現役生活にピリオドを打った。
2015年11月10日、古賀はシーズン限りでの現役引退を正式に表明した。彼が所属していたアビスパ福岡は、このシーズン、J1自動昇格は逃したものの、J1昇格プレーオフを制して見事にJ1昇格を果たした。これにより、古賀は自身の引退に花道を飾ることができた。引退後は、すぐに名古屋グランパスエイトのスクールコーチとして新たなキャリアをスタートさせた。