1. 来歴
吉原慎也のサッカー選手としてのキャリアは、幼少期から始まり、高校時代には全国レベルでの経験を積んだ。プロ入り後は複数のクラブで活躍し、特に川崎フロンターレではチームのJ1昇格に大きく貢献した。
1.1. ユースキャリア
吉原は9歳でサッカーを始め、小学生時代は日立市内の少年サッカークラブに所属。中学生時代は通学先のサッカー部で活動した。
1.2. 高校時代
1994年に茨城県立日立工業高等学校に進学し、1年次よりレギュラーとして試合に出場した。同校を全国高等学校サッカー選手権大会に導くなど、チームの中心選手として活躍。2年次と3年次には関東ユース選抜、さらにU-18日本代表候補にも選出されるなど、全国レベルでの評価を得た。高校時代には2学年上の鈴木隆行と共にプレーした経験もある。
2. プロキャリア
吉原慎也は、プロサッカー選手として複数のクラブを渡り歩き、それぞれのチームで重要な役割を果たした。特にアルビレックス新潟や川崎フロンターレでは、その活躍がチームの躍進に直結した。
2.1. 横浜F・マリノス
高校卒業後、横浜マリノス(1998年までは横浜マリノス、その後横浜F・マリノスに改称)に入団しプロキャリアをスタートさせた。しかし、当時のチームには日本代表の守護神であった川口能活が正ゴールキーパーとして君臨しており、吉原は出場機会に恵まれなかった。
2.2. アルビレックス新潟(期限付き移籍)
出場機会を求めて、1999年にJ2のアルビレックス新潟へ期限付き移籍した。同年3月14日の川崎フロンターレとの開幕戦でJリーグ公式戦に初出場。この試合でビッグセーブを連発し、J2参加元年であったアルビレックス新潟の開幕7連勝の立役者となった。新潟には2000年までの2シーズン在籍し、野澤洋輔や木寺浩一といった実力者がいた中で、リーグ戦44試合に出場し正GKとして活躍した。この期間中、吉原はJoinやトヨペット新潟の広告に登場し、新潟の顔として広く認知された。
2.3. 川崎フロンターレ
2001年に一旦横浜F・マリノスに復帰したが、同年8月には川崎フロンターレへ完全移籍した。当初は浦上壮史の控えであったが、2002年第43節からレギュラーとして出場するようになり、2003年シーズンにはリーグ戦全試合となる44試合に出場した。
2004年には41試合に出場し、特に第8節の横浜FC戦から第14節の湘南ベルマーレ戦にかけての計7試合で連続無失点勝利を経験するなど、チームのJ2優勝と5年ぶりのJ1復帰に大きく貢献し、チームに不可欠なゴールキーパーとしての地位を確立した。
2005年シーズンは、前シーズンからの右足首の怪我の影響で開幕節から第3節までは下川誠吾の控えとしてベンチ入り。第4節の東京ヴェルディ1969戦から出場機会を得て、チームの連敗を止めることに貢献したが、シーズン途中からは相澤貴志にポジションを譲り、再び控えに回った。
2006年シーズンも序盤は相澤の控えとして過ごしたが、9月17日の第23節ジュビロ磐田戦、9月23日の第24節ガンバ大阪戦でチームが2試合で8失点を喫し共に敗北した後、第25節のサンフレッチェ広島戦より再びレギュラーとして出場。残りのリーグ戦で6勝2分2敗の成績を残した。この年、川崎フロンターレはJ1リーグで2位となり、AFCチャンピオンズリーグへの出場権を獲得するなど、吉原はチームを牽引する主要選手の一人であった。
2008年に川崎フロンターレに復帰したが、度重なる怪我に加え、名古屋グランパスから日本代表の川島永嗣が移籍加入したこともあり、このシーズンはJリーグヤマザキナビスコカップ予選リーグのジェフユナイテッド市原・千葉戦の1試合のみの出場に留まった。
2.4. 東京ヴェルディ(期限付き移籍)
2007年、東京ヴェルディ1969へ期限付き移籍した。当初は高木義成の控えとしてシーズンをスタートさせたが、4月29日の第12節水戸ホーリーホック戦より出場機会を得ると、翌試合でチームの7連敗を阻止し、不調だった守備陣の立て直しに貢献した。正ゴールキーパーとしての地位を確立しつつあったが、7月1日の第25節サガン鳥栖戦にて試合中に負傷退場。左膝後十字靭帯損傷で全治9週間と診断され、残りのシーズンを棒に振ることになった。しかし、この年東京ヴェルディはJ2リーグで2位となり、3年ぶりのJ1昇格を果たした。
2.5. ジュビロ磐田(期限付き移籍)
2009年、ジュビロ磐田へ期限付き移籍した。当初は川口能活や八田直樹に次ぐ第3ゴールキーパーと見なされていたが、第27節のFC東京戦よりベンチ入りするようになった。10月30日開催の天皇杯3回戦の鹿屋体育大学戦では、八田の負傷により延長戦から途中出場し、チームの勝利に貢献した。さらに、八田が新型インフルエンザで欠場した最終節のヴィッセル神戸戦にも出場した。
2.6. 柏レイソル
2010年に柏レイソルに完全移籍した。ここでは菅野孝憲の控えとして過ごしていたが、グロインペイン症候群を発症。自ら契約破棄をチームに申し入れ、南アフリカW杯終了後の7月14日に現役引退を表明した。
3. 選手としての特徴
吉原慎也は、ゴールキーパーとしてシーズンを通してフル出場した経験を持つ一方で、スーパーサブとしての役割もこなせる稀有な存在であった。
語学力に優れ、特に朝鮮語に堪能であった。自身のブログで鄭大世とは常に朝鮮語で会話していたことを明かしており、ジュビロ磐田在籍時には李根鎬が吉原のおかげでチームに早く馴染むことができたと語っている。また、柏レイソル在籍中には、入院した朴東赫の通訳を代理で務めたこともある。
4. 代表・選抜経験
吉原慎也は、ユース年代で複数の代表候補や地域選抜に選ばれている。
- 1994年:関東ユース選抜
- 1995年:関東ユース選抜、東日本代表 東西対抗戦出場、茨城県国体選抜
- 1996年:U-18日本代表候補、茨城県国体選抜
5. 引退後のキャリア
プロサッカー選手引退後、吉原慎也は事業家として新たなキャリアを歩んでいる。トヨタ関連企業の執行役員を経て、現在はグローバル エージェンシー コーポレーション株式会社の代表取締役として建設業を営んでいる。
6. 統計
吉原慎也のプロサッカー選手としての公式戦出場記録を以下に示す。
クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグカップ | 合計 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 合計 | |||||||
1997 | 横浜M | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1998 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
1999 | 新潟 | J2 | 22 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 27 | 0 | |
2000 | 22 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 22 | 0 | |||
2001 | 横浜FM | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||
川崎 | J2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | ||
2002 | 2 | 0 | 5 | 0 | - | 7 | 0 | ||||
2003 | 44 | 0 | 4 | 0 | - | 48 | 0 | ||||
2004 | 41 | 0 | 1 | 0 | - | 42 | 0 | ||||
2005 | J1 | 9 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 11 | 0 | ||
2006 | 10 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 13 | 0 | |||
2007 | 東京V | J2 | 13 | 0 | - | 1 | 0 | 14 | 0 | ||
2008 | 川崎 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
2009 | 磐田 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | ||
2010 | 柏 | J2 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | |||
J1通算 | 20 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 27 | 0 | |||
J2通算 | 142 | 0 | 2 | 0 | 16 | 0 | 160 | 0 | |||
総通算 | 162 | 0 | 6 | 0 | 19 | 0 | 187 | 0 |