1. 生い立ちと教育
呉載元は1985年2月9日に韓国のソウル特別市で生まれた。ソウル学童小学校、京元中学校を経て、野塔高等学校を卒業。2003年のKBOリーグドラフトで斗山ベアーズから指名を受けたが、すぐには入団せず、慶熙大学校体育大学体育学科に進学し学士号を取得した。大学卒業後の2007年に斗山ベアーズに入団し、プロ野球選手としてのキャリアをスタートさせた。
2. 選手経歴
呉載元は2007年に斗山ベアーズに入団して以降、引退する2022年までの16シーズンを全て同球団で過ごした。キャリア初期は代走や途中出場が主だったが、徐々にチームの主力選手へと成長し、盗塁王のタイトル獲得、サイクル安打達成、そして仁川アジア競技大会での金メダル獲得による兵役免除など、数々の功績を残した。後年にはチームの主将も務め、その強力なリーダーシップと闘志でチームを牽引した。
2.1. 斗山ベアーズ時代 (2007-2022)
呉載元のプロ野球選手としてのキャリアは、2007年の斗山ベアーズ入団から2022年の現役引退まで、着実にその存在感を増していった。特に2010年代中盤からはチームの精神的支柱となり、国際大会でも韓国代表として活躍した。
2.1.1. キャリア初期 (2007-2009)
プロ入り1年目の2007年は、6月13日にKBOリーグでデビューを果たした。主に代走や守備固めとしての途中出場が中心で、49試合に出場した。しかし、2年目の2008年には117試合に出場し、チームの主要選手としての頭角を現した。この時期は内野のユーティリティプレイヤーとして様々なポジションを守り、打撃は安定しなかったものの、徐々に存在感を増していった。
2.1.2. 主力選手としての確立と盗塁王獲得 (2010-2014)
2010年シーズンは、崔俊碩と共に主に一塁手として起用される機会が多かったが、不振に陥っていた高永民に代わって二塁手のレギュラーポジションを獲得した。当初は二塁守備に不安が見られたものの、シーズンが進むにつれて改善し、ポストシーズンでは何度も好守を見せた。また、金東柱の指名打者起用や、当時の三塁手だった李元錫の負傷離脱を受けて三塁守備もこなし、内野のユーティリティプレーヤーとしてチームに貢献した。この年、123試合に出場し打率.276、35盗塁を記録し、2番打者として定着した。
2011年、4月2日の開幕戦で自身初の開幕戦先発出場を一塁手として果たした。4月5日のネクセン・ヒーローズ(現:キウム・ヒーローズ)戦では、金成泰からプロ初となる本塁打を放った。このシーズンは合計6本の本塁打を記録し、46盗塁で自身初となる盗塁王のタイトルを獲得した。
2012年も2年連続で開幕戦に一塁手として先発出場したが、4月13日まで無安打と打撃不振に陥った。4月14日のロッテ・ジャイアンツ戦では守備中に姜民鎬と接触し負傷交代。翌日には出場選手登録を抹消された。5月末に復帰するも再び負傷が重なり、再度登録抹消となるなど、怪我に悩まされるシーズンとなった。
2013年は3年連続で開幕戦に先発出場し、三星ライオンズの裵英洙から満塁本塁打を放ち、シーズン初本塁打、初打点を記録した。この満塁本塁打が起爆剤となり、満塁のチャンスに強い打撃を見せた。また、準プレーオフ第5戦では李政勲から3点本塁打を放ち、プレーオフ進出に大きく貢献した。
2014年シーズンは、LGツインズ戦で本塁打を放つなど、シーズン序盤から好調な打撃を維持した。5月23日のハンファ・イーグルス戦では、韓国プロ野球史上16人目となるサイクル安打を達成した。同年9月に開催された2014年アジア競技大会の野球韓国代表に選出され、韓国の優勝に貢献し、兵役免除の恩典を受けた。このシーズンは110試合に出場し、打率.318、114安打、5本塁打、40打点、33盗塁を記録した。
2.1.3. 主将就任とキャリア後期 (2015-2022)
2015年シーズン、呉載元は斗山ベアーズの新しい主将に選任された。7月26日のNCダイノス戦では、ザック・スチュワートからプロ入り後初となる二桁本塁打(11本)を記録した。同年オフの10月7日には、2015 WBSCプレミア12の野球韓国代表に選出された。プレミア12の準決勝、日本代表との試合では、9回表に則本昂大から反撃の口火を切る左前安打を放つなど、重要な役割を果たした。このシーズン後、初めてフリーエージェント(FA)の資格を取得したが、斗山ベアーズと4年総額38.00 億 KRWで再契約し、チームに残留した。
2017年、シーズン開幕前の3月に開催された2017 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の野球韓国代表に選出された。2018年までは二塁手のレギュラーとして出場を続けたが、若手選手との競争が激しくなっていった。
2019年は引き続き主将を務めたものの、打撃成績は打率1割台と低迷し、7年ぶりに規定打席に到達できなかった。同年オフシーズンには2度目のFAを申請し、斗山ベアーズと3年総額19.00 億 KRWの大型契約で再契約し、2020年も主将を務めることになった。
2020年7月1日のキウム・ヒーローズ戦では、2回表に韓賢熙から走者一掃のタイムリー二塁打を放ち、史上96人目となる通算500打点を達成した。しかし、その後は極度の成績不振に陥り、8月にはその責任を取って主将職を辞任した。これに伴い、臨時主将には呉在一が抜擢された。
2021年は45試合、2022年は自己最少の18試合の出場に終わり、現役引退を表明した。2022年10月8日、蚕室野球場で引退セレモニーが盛大に行われ、16年間のプロ野球生活に幕を閉じた。
3. プレースタイルと人物像
呉載元は非常に強い勝負欲と、それを隠さない感情表現豊かなプレースタイルで知られる選手であった。時には激しい闘志をむき出しにし、試合の展開を左右するようなプレーを見せることもあった。
その一方で、彼のプレースタイルは「フェアプレー精神やスポーツマンシップに反する」として批判されることも多かった。特筆すべきは、相手の士気をくじくような危険なプレーや、派手な「バットフリップ」(打球の行方に関わらず、バットを派手に投げ捨てるパフォーマンス)がしばしば目撃されたことである。
代表的な非紳士的行為の例として以下のようなものがある。
- 2013年5月23日の試合では、一塁・三塁の場面で二盗を試みた際に、二塁手が捕球しこぼしたボールをわざと遠くに転がし、三塁走者の進塁を狙った。
- 2014年8月7日の試合では、遅いゴロを処理した際、通常ならば余裕でアウトにできるタイミングであったにもかかわらず、わざと走者の文ウラムに駆け寄って守備妨害を取ろうとした。その翌日には、併殺を避けるため二塁手の足元を狙った悪質なスライディングを仕掛けた。
- 極め付けは2015年6月7日の試合で、折れて先が尖ったバットを持ったまま一塁に走り、これで相手の守備陣を突こうとしたため、激しい非難を浴びた。これらの行為は全てネクセン・ヒーローズ戦で起こった。
呉載元が打席で放った打球が凡打、単打、長打、本塁打のいずれであっても、派手にバットを投げ捨てる「バットフリップ」を行う場面は頻繁に見られた。2015年WBSCプレミア12準決勝で9回表2死満塁からセンターフライを打ち上げた際にも、このパフォーマンスを見せた。このような行為は、韓国のプロ野球では「闘志の表れ」と見なされることもあるが、相手チームやファンからは批判の対象となることも多かった。
4. 論争と事件
呉載元は選手生活中に数多くの試合中の論争を引き起こし、引退後もその発言や行動が社会的な注目を集める事態に至った。特に、その好戦的なプレースタイルは一部から「悪質」と評され、引退後の薬物疑惑は彼のキャリアに大きな影を落としている。
4.1. 試合中の論争
呉載元は、自身の強い勝負欲や感情表現が、しばしば相手選手やファンとの衝突を招いた。以下に主要なベンチクリアリングや非紳士的行為に関する論争を列挙する。
- 2011年シーズンには、柳元相が投げた球が自身の頭をかすめ、バットに当たった際に、柳元相に対して罵詈雑言を浴びせながら詰め寄り、当時のLGツインズの一塁手であった李宅根が間に入って押し戻したことでベンチクリアリングが発生した。
- 2013年には尹喜祥ともベンチクリアリングに至っている。
- 2015年には禹奎珉が危険球を投げた際、呉載元は一塁ベースに向かって歩き始めたが、禹奎珉が「当たってないだろ」と発言した途端に詰め寄り、再度ベンチクリアリングを引き起こした。
- 2015年、当時NCダイノスの投手であったエリック・ハッカーに牽制でアウトにされた直後、「Get in the box」(打席に入れ)という言葉をハッカーが罵倒語と誤解し、口論からベンチクリアリングへと発展した。
- 2015年の準プレーオフでも、徐建昌と口論になりベンチクリアリングを引き起こし、多くのファンから非難を浴びた。
4.2. 引退後の論争
引退後、呉載元は野球解説者としての活動を開始したが、その過程でいくつかの公的な発言が論争の的となった。
- 2023年、彼は元メジャーリーガーの朴賛浩を「非常に嫌い」と公然と批判し、社会的論争を巻き起こした。この発言は波紋を呼び、彼が活動していたSPOTVの野球解説者としての出演が約1ヶ月間停止される事態となった。
最も重大な論争は、2024年に浮上した薬物関連の疑惑である。
- 2024年3月19日、呉載元は麻薬類管理法違反などの嫌疑により、ソウル江南警察署に逮捕された。彼は複数の場所で麻薬を常習的に使用していた疑いが持たれており、逮捕時には自宅で薬物の投薬を試みていたとされる。この事件は韓国社会に大きな衝撃を与え、元国民的スポーツ選手による薬物使用という点でその社会的影響は極めて大きいものとなった。彼は警察の取り調べに対し、麻薬使用の事実を一部認めていると報じられている。
5. 引退後
呉載元は2022年にプロ野球選手を引退した後、2023年からSPOTVの野球解説者として活動を開始した。しかし、2023年の朴賛浩に関する発言、そして2024年の薬物関連の逮捕により、解説者としての活動は中断している。
6. 獲得タイトル・表彰
- 最多盗塁:1回(2011年)
6.1. 国際大会出場歴
- 2014年アジア競技大会野球韓国代表
- 2015 WBSCプレミア12 韓国代表
- 2017 ワールド・ベースボール・クラシック 韓国代表
7. ニックネーム
呉載元は、その特徴的なプレースタイルや言動から、ファンやメディアから様々なニックネームで呼ばれた。
- 「オシッパン」(오식빵)、「シッパンメン」(식빵맨):打席で罵詈雑言を吐きながら退場する場面がカメラに捉えられたことから、韓国語の「식빵」(「くそっ」のような意味合いの感嘆詞「씨발」の発音に似た単語)と、彼の姓「オ」を合わせたもの。
- 「ウリヒョム」(우리혐):国際試合で韓国代表としてプレーする際には、その強烈な勝負欲が頼もしいと感じられる一方で、自チームの選手でない場合は眉をひそめるような行動が多かったため、「うちの嫌いな(けど味方だと頼りになる)奴」という意味で呼ばれた。これはクリスティアーノ・ロナウドの愛称に似ている。
- 「オヨルサ」(오열사):2015年WBSCプレミア12決勝戦でバットフリップを行ったことから、「烈士(ヨルサ)」と呉の姓を合わせたもの。
- 「オジェイル」(오재일)と共に、「オジェ1」(오재1)とも呼ばれていた。
8. 私生活とその他の活動
呉載元は、プロ野球選手としての活動の傍ら、個人事業も手掛けていたことが知られている。
- ソウル特別市の狎鴎亭エリアで、カフェ「TRYST(トリスト)」を経営していた。このカフェには、多くの芸能人や著名人も訪れることで知られていた。
9. 通算成績
年度 | チーム | 打率 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 2塁打 | 3塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁死 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺 | 失策 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | 斗山 | 0.259 | 49 | 58 | 10 | 15 | 4 | 0 | 0 | 19 | 5 | 3 | 2 | 4 | 1 | 17 | 1 | 1 |
2008 | 0.248 | 117 | 282 | 45 | 70 | 10 | 3 | 0 | 86 | 28 | 28 | 7 | 17 | 7 | 62 | 3 | 9 | |
2009 | 0.230 | 106 | 209 | 36 | 48 | 3 | 0 | 0 | 51 | 12 | 12 | 3 | 20 | 6 | 44 | 5 | 2 | |
2010 | 0.276 | 123 | 384 | 59 | 106 | 17 | 3 | 0 | 129 | 37 | 35 | 10 | 29 | 4 | 76 | 5 | 14 | |
2011 | 0.277 | 129 | 466 | 73 | 129 | 18 | 4 | 6 | 173 | 46 | 46 | 7 | 39 | 9 | 62 | 6 | 11 | |
2012 | 0.282 | 77 | 188 | 29 | 53 | 7 | 3 | 0 | 66 | 17 | 14 | 2 | 17 | 0 | 43 | 4 | 2 | |
2013 | 0.260 | 113 | 308 | 54 | 80 | 14 | 7 | 7 | 129 | 44 | 33 | 11 | 49 | 6 | 62 | 6 | 7 | |
2014 | 0.318 | 110 | 359 | 60 | 114 | 21 | 6 | 5 | 162 | 40 | 33 | 7 | 50 | 2 | 61 | 7 | 7 | |
2015 | 0.280 | 120 | 411 | 60 | 115 | 20 | 2 | 11 | 172 | 59 | 31 | 8 | 47 | 4 | 94 | 9 | 8 | |
2016 | 0.272 | 122 | 416 | 68 | 113 | 18 | 1 | 5 | 148 | 58 | 13 | 10 | 54 | 5 | 82 | 10 | 16 | |
2017 | 0.237 | 127 | 334 | 43 | 79 | 16 | 1 | 7 | 118 | 40 | 7 | 7 | 47 | 2 | 85 | 5 | 6 | |
2018 | 0.313 | 132 | 473 | 78 | 148 | 24 | 1 | 15 | 219 | 81 | 15 | 6 | 41 | 2 | 119 | 13 | 17 | |
2019 | 0.164 | 98 | 177 | 30 | 29 | 8 | 1 | 3 | 48 | 18 | 6 | 2 | 25 | 0 | 50 | 3 | 7 | |
2020 | 0.232 | 85 | 155 | 25 | 36 | 7 | 1 | 5 | 60 | 27 | 10 | 5 | 16 | 0 | 49 | 3 | 5 | |
2021 | 0.167 | 45 | 72 | 6 | 12 | 3 | 0 | 0 | 15 | 5 | 2 | 0 | 6 | 0 | 18 | 3 | 2 | |
2022 | 0.172 | 18 | 31 | 29 | 5 | 2 | 0 | 0 | 7 | 4 | 1 | 2 | 1 | 0 | 9 | 1 | 0 | |
通算 | 16シーズン | 0.267 | 1571 | 4321 | 678 | 1152 | 192 | 33 | 64 | 1602 | 521 | 289 | 89 | 462 | 48 | 933 | 84 | 114 |
10. 背番号
呉載元が斗山ベアーズで着用した背番号は以下の通り。
- 48 (2007年)
- 7 (2008年 - 2009年)
- 53 (2010年 - 2012年)
- 97 (2013年)
- 17 (2014年 - 2015年)
- 24 (2016年 - 2022年)