1. 幼少期と背景
1.1. 誕生、幼少期、教育
大口広司は1950年11月28日、埼玉県川口市に生まれた。学生時代には早稲田実業に在学していたが、音楽活動に専念するため、1967年に高校を中退する決断を下す。この高校中退は、彼のその後の自由な活動の礎となった。
2. キャリア
大口広司は、音楽家としての活動を核としながらも、俳優、服飾デザイナー、さらにはコンセプチュアル・アーティストとして、多岐にわたる専門活動を展開した。それぞれの分野で独自の才能を発揮し、日本の若者文化や芸術表現に深く関わった。
2.1. 音楽活動
大口広司の音楽活動は、ザ・テンプターズでの鮮烈なデビューから始まり、PYGでの新たな挑戦、そしてウォッカ・コリンズでの国際的な活動へと発展していった。彼はドラマーとして、日本のロックシーンの黎明期から成熟期にかけて、その中心を担った。
2.1.1. ザ・テンプターズと初期の活動
大口広司は1967年、16歳でザ・テンプターズのドラマーとして音楽界にデビューした。当時、彼は早稲田実業に在学中であったが、プロとしての活動に集中するため高校を中退する。ザ・テンプターズは当時の若者文化を象徴するグループ・サウンズを代表するバンドとして、一躍人気を博した。
2.1.2. PYGおよびその他のバンド活動
ザ・テンプターズが1970年に解散した後、大口は1971年に新たな音楽プロジェクトに加わる。彼は、井上堯之、大野克夫、萩原健一、岸部一徳(当時は岸部修三)、沢田研二という、当時の音楽シーンを代表するメンバーと共に「PYG」を結成し、引き続きドラムスを担当した。PYG脱退後も、大口の音楽活動は多岐にわたった。1972年には内田裕也のツアーに参加し、この時の出会いをきっかけにアラン・メリルと意気投合する。また、初期のプラスチックスにドラマーとして参加した他、元テンプターズおよびPYGの盟友である萩原健一のバックバンドでドラムスを叩くなど、数多くのセッションワークをこなした。
2.1.3. ウォッカ・コリンズと後期の音楽活動
内田裕也のツアーで出会ったアラン・メリルと共に、大口は1972年にロックバンド「ウォッカ・コリンズ」を結成した。このバンドは、1974年にアラン・メリルの渡英に伴い一度解散するが、1996年にアランが再来日したことを機に、かまやつひろし、ルイズルイス加部(加部正義)を加えて再結成を果たし、再び活動を開始した。
2.2. 俳優活動
大口広司は、音楽活動と並行して俳優としてのキャリアも確立した。その個性的な存在感と演技力で、テレビドラマや映画において多様な役柄を演じ、幅広い分野で才能を発揮した。
2.2.1. テレビドラマ出演
大口広司の俳優としてのデビュー作は、TBSのテレビドラマ「時間ですよ」である。その後も、数々の話題作に出演し、その存在感を示した。
- 「幡随院長兵衛 お待ちなせぇ」第9話(1974年、MBS)
- 「傷だらけの天使」第19話「街の灯に桜貝の夢を」(1974年 - 1975年、NTV) - ヒモ役
- 「寺内貫太郎一家2」第18話(1975年、TBS) - 孝次役
- 「風の中のあいつ」(1973年 - 1974年、TBS) - 勝蔵の子分役(※クレジット表記は「大口宏司」)
- 「前略おふくろ様」I・II(1975年 - 1977年、NTV) - 渡辺組・ヒロシ役
- 「悪魔のようなあいつ」(1975年、TBS)
- 「気まぐれ天使」(1976年、NTV) - 応援部員・林役
- 「立花登・青春手控え」第19話(1982年、NHK)
- 火曜サスペンス劇場(NTV)
- 「松本清張スペシャル・事故」(2002年7月9日) - 警視庁捜査一課・棚橋和博役
- 「警視庁鑑識班」第19作「老女殺害の秘密を握るラーメン好きの車椅子少年 殺人犯の匂いを追い続ける警察犬と老刑事の執念の道」(2005年5月24日) - 闇金事務所経営・江崎宏樹役
- 「向田邦子の恋文」(2004年、TBS) - 中原歩役
- 「21世紀日本の課題 司法大改革 あなたは人を裁けますか 第一夜」(2005年、NHK)
- 「時効警察」第4話(2005年、テレビ朝日) - 犬吠埼温泉スタッフ役
2.2.2. 映画出演
大口広司は数多くの映画作品に出演し、その独特の存在感で印象的な役柄を演じた。
- 「ザ・テンプターズ 涙のあとに微笑みを」(1969年) - 大沢広司役
- 「青春の蹉跌」(1973年)
- 「アサンテ・サーナ」(1974年)
- 「化石の森」(1974年)
- 「パリの哀愁」(1976年)
- 「将軍 SHŌGUN」(1980年)
- 「夜逃げ屋本舗」(1992年) - 阿部徹也役
- 「FRIED DRAGON FISH英語」(1995年)
- 「KT」(2000年)
- 「北の零年」(2005年) - モノクテ役
- 「Strange Circus 奇妙なサーカス」(2005年) - 尾沢剛三役
- 「ラマン」(2005年) - 4番目の男役
- 「やわらかい生活」(2006年)
- 「日本沈没」(2006年) - 財務大臣役
- 「探偵事務所5」(2006年) - 爆弾魔役
- 「フリージア」(2007年) - 幽霊役
- 「M」(2007年)
- 「オハナ」(2007年)
- 「遠くの空に消えた」(2007年)
- 「ハブと拳骨」(2008年) - 喜場誠吉役
- 「ハード・リベンジ、ミリー」(2008年) - ジュウベエ役
- 「愛のむきだし」(2009年) - ロイドマスター役
- 「カフーを待ちわびて」(2009年) - 医師役
2.3. その他の専門活動
大口広司は、音楽や俳優業だけでなく、服飾デザイナーとしての顔も持ち合わせていた。彼は自身の服飾会社「Practice of Silence英語」を設立し、経営に携わるとともに、そのデザイナーとしても活動した。その活動は、単なるビジネスに留まらず、彼が「コンセプチュアル・アーティスト」や「シーンメーカー」と称されるゆえんとなった。長年にわたり日本の若者文化における時代精神の変化に影響を与え、その多角的な活動は、音楽、ファッション、アートが融合する場を創出した。
3. 私生活と論争
大口広司の私生活は、その自由な精神と表現者としての姿勢を反映し、結婚と離婚、そして社会的な論争に巻き込まれるなど、波乱に満ちたものであった。
1983年、彼は女優の真行寺君枝と結婚し、一男である大口源太(現在は音楽家・芸術家として活動)をもうけた。しかし、結婚生活を送る中で、1984年には大麻所持容疑で逮捕・起訴されるという大きな事件に見舞われた。さらに1991年には、彼が経営していた服飾会社が倒産するという経済的な困難も経験した。
これらの困難な時期を乗り越える中で、1997年には自身が撮影した妻・真行寺君枝のヘアヌード写真集『Made in Love英語』を出版し、大きな話題を呼んだ。これは彼のアートと私生活が交差する、物議を醸す一面であった。2005年に真行寺君枝と離婚した後、同年に長年の友人と再婚している。彼の人生は、公私にわたり常に変化と挑戦に満ちていた。
4. 芸術活動
大口広司の芸術活動は、音楽や俳優業の枠を超え、美術分野にも及んだ。彼は絵画制作に情熱を傾け、その作品を公に発表する展覧会も開催している。2008年12月と2009年1月には、自身が描いた絵画と、映像作家である狩野喜彦の写真との合同展覧会を開催した。これは、彼が晩年まで表現者としての探求を続けていたことを示すものであった。
5. 死去と追悼
大口広司は2009年1月25日、肝臓癌のため東京都で逝去した。享年58歳であった。彼の訃報は、日本の音楽・芸能界に大きな悲しみをもたらした。
通夜には、沢田研二、岸部一徳、そして元妻の真行寺君枝らが参列し、故人との別れを惜しんだ。続く葬儀・告別式には、ザ・ゴールデン・カップスのルイズルイス加部(加部正義)やかまやつひろしら、多くの旧友や関係者が駆けつけ、故人を悼んだ。奇しくも、大口が亡くなった同日の2009年1月25日には、横浜でデイヴ平尾(ザ・ゴールデン・カップス)の追悼イベントが開催されており、沢田や岸部のほか、多くのグループ・サウンズのメンバーが一堂に会していた。
彼の死後も、その功績を称え、音楽界での追悼イベントが企画された。2010年1月25日には渋谷duo MUSIC EXCHANGEにて、また同年11月27日には横浜のTHE CLUB SENSATIONにて、それぞれ追悼ライブが開催された。これらのイベントは、彼が生前に築き上げた音楽的な絆と、多くの人々に与えた影響の大きさを物語っている。なお、テレビ演出家のテリー伊藤は高校の同窓生である。
6. 評価と影響
大口広司は、そのキャリアを通じて日本の若者文化に多大な影響を与えた。ザ・テンプターズのドラマーとしてデビューした1960年代から、彼は若者たちの「時代精神」を体現する存在として、既存の価値観にとらわれない自由な生き方を提示した。音楽活動にとどまらず、俳優として多面的な表現を見せ、また自身のファッションブランドを手がけるなど、その活動は常に既存の枠を超えていた。
彼は単なるミュージシャンや俳優ではなく、「コンセプチュアル・アーティスト」や「シーンメーカー」として、ファッションやアートといった異なる分野を横断しながら、日本の若者文化の「あり方」そのものを形作っていった。大麻所持による逮捕や事業破産といった困難な経験も、彼にとっては表現者としての自身の試練であり、そこから新たな活動へと向かう原動力となった。彼の生涯は、芸術家が社会の中で直面する葛藤と、それでもなお表現を追求し続ける強靭な精神を示しており、日本のカウンターカルチャーの発展に不可欠な存在として記憶されている。
7. 作品リスト
大口広司は、その多岐にわたるキャリアの中で、写真集の出版にも関与した。
7.1. 写真集
- 『Made in Love英語』(撮影:大口広司、モデル:真行寺君枝、1997年、ぶんか社)
8. 外部リンク
- [http://www.kiwi-us.com/~hitomi/tempterseg.htm The Tempters English language website]
- [http://www.vodkacollins.net Vodka Collins website]