1. 来歴
1.1. 出生と幼少期
大埜正雄は1923年3月2日に神奈川県で生まれた。
1.2. 学歴
彼は神奈川県立湘南中学校(現在の神奈川県立湘南高等学校)を卒業後、旧制水戸高等学校に進学した。その後、東京帝国大学経済学部へ進み、同大学のア式蹴球部に所属してサッカー活動を続けた。
1.3. 初期活動
湘南中学校在学中の1939年には、全国中等学校蹴球選手権大会(現在の全国高等学校サッカー選手権大会の前身)でベスト4に進出する活躍を見せた。東京大学では、現役学生とOBで構成される混成チームである東大LBの一員として、有馬洪らと共に1949年の全日本選手権(現在の天皇杯全日本サッカー選手権大会)で優勝に貢献した。
2. スポーツキャリア
2.1. クラブキャリア
大学卒業後、大埜は日産化学工業に入社した。彼は東大LBの一員として1949年の天皇杯優勝に貢献した。1955年には、松永碩や岩淵功らと共に東京クラブに加入し、同年開催された第1回全国都市対抗サッカー選手権大会で優勝を果たした。さらに翌1956年にも同大会で連覇を達成し、チームの主要選手として貢献した。
2.2. 代表歴
大埜正雄は日本代表に選出され、国際舞台でも活躍した。1952年6月8日には、全香港華人選抜との試合で日本代表としての初出場を果たした。1954年3月には、1954 FIFAワールドカップ・予選の日本代表に選ばれ、3月14日の韓国戦で国際Aマッチデビューを飾った。また、同年開催された1954年アジア競技大会のサッカー競技にも出場した。1954年には、日本代表として合計3試合の国際Aマッチに出場している。
2.2.1. 国際Aマッチ出場記録
大埜正雄の国際Aマッチ出場記録は以下の通りである。
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1954年03月14日 | 東京都 | 明治神宮外苑競技場 | 韓国 | △2-2 | 竹腰重丸 | 1954 FIFAワールドカップ・予選 |
2. | 1954年05月01日 | マニラ | インドネシア | ●3-5 | アジア大会 | ||
3. | 1954年05月03日 | マニラ | インド | ●2-3 | アジア大会 |
3. コーチとしての活動
大埜正雄は選手引退後もサッカー界に貢献し、1956年5月にはメルボルンオリンピックに出場する日本サッカー代表チームのコーチに就任した。
4. 主な成績
大埜正雄が選手として獲得した主なタイトルは以下の通りである。
- 天皇杯:1回(1949年、東大LBとして)
- 全国都市対抗サッカー選手権大会:2回(1955年、1956年、東京クラブとして)
5. 個人成績
大埜正雄の日本代表での個人成績は以下の通りである。
年 | 国際Aマッチ出場 | 国際Aマッチ得点 | その他出場 | その他得点 | 通算出場 | 通算得点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1952 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 |
1953 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 |
1954 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 |
合計 | 3 | 0 | 3 | 0 | 6 | 0 |
6. 死去
大埜正雄は2001年2月11日に腹部大動脈瘤破裂のため死去した。享年77。
7. 外部リンク
- [http://www.jfootball-db.com/en/players/ono_masao.html Japan National Football Team Database]
- [http://www.national-football-teams.com/player/50100/Masao_Ono.html National Football Teams]
- [http://samuraiblue.jp/timeline/19520608 日本サッカー協会]
- [http://utf.u-tokyo.ac.jp/interview/4.html 東京大学基金]