1. 概要
大山義松は、日本の元サッカー選手で、ディフェンダーとして活躍した。生没年は不明である。彼はサッカー日本代表としてもプレーし、1925年の第7回極東選手権競技大会に出場した。この大会で2試合に出場し、日本代表の黎明期を支えた選手の一人である。
2. 初期生い立ちとクラブ経歴
大山義松の生い立ち、学歴、そして彼が所属したクラブでの活動について詳述する。
2.1. 初期生い立ちと教育
大山義松の正確な生没年は不明である。彼は関西学院大学を卒業している。
2.2. クラブ経歴
大山義松は、当時多くのサッカー日本代表選手が所属していた大阪サッカー倶楽部でプレーした。当時のチームメイトには、宮地利雄、八田卯一郎、高橋栄、丸谷清之介といった選手たちがいた。
3. 日本代表経歴
大山義松のサッカー日本代表としての選出経緯、主要な国際大会での活躍、そして詳細な出場記録について記述する。
3.1. 代表選出と主要大会
大山義松は、1925年5月にフィリピンのマニラで開催された第7回極東選手権競技大会の日本代表に選出された。この大会の日本代表チームには、渡邊彌之助、原田福三郎、大山義松、高橋栄、宮地利雄、神田清雄、八田卯一郎、内田一二四、竹腰重丸、三宅二郎、香川幸、高田正夫、丸谷清之介、真殿益蔵、清水金二郎、安積四郎らが名を連ね、監督は山田午郎が務めた。
大山は、この大会において、5月17日のフィリピン代表との初戦でデビューし、フル出場した。しかし、試合は0-4で敗れた。続く5月20日の中華民国代表との試合にもフル出場したが、0-2で敗れた。日本代表はこの大会で3位という成績を収めた。
3.2. 日本代表成績
大山義松の日本代表での出場数と得点記録は以下の通りである。
サッカー日本代表 | ||
---|---|---|
年度 | 出場 | 得点 |
1925 | 2 | 0 |
通算 | 2 | 0 |
3.3. 国際Aマッチ出場詳細
大山義松が出場した国際Aマッチの試合詳細は以下の通りである。
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1925年05月17日 | マニラ | フィリピン | ●0-4 | 山田午郎 | 第7回極東選手権競技大会 | ||
2. | 1925年05月20日 | マニラ | 中華民国 | ●0-2 | 第7回極東選手権競技大会 |
4. 功績と評価
大山義松は、日本のサッカーが発展途上にあった1920年代に、サッカー日本代表の一員として国際舞台で活躍した選手である。彼の代表出場は2試合に留まったものの、当時の日本サッカー草創期における重要な一員として、その後の日本代表の礎を築く上で貢献した。特に、関西学院大学の卒業生として、また大阪サッカー倶楽部という有力クラブでプレーした経験は、当時のサッカー界において、エリート選手としての位置づけを示している。生没年や詳細な情報が少ない中、彼は黎明期の日本サッカーの歴史に名を刻んだ選手の一人として記憶されている。