1. 概要
天谷宗一郎は、1983年11月8日に福井県鯖江市で生まれた日本の元プロ野球選手(外野手)であり、現在は野球解説者として活動しています。左投左打で、現役時代は広島東洋カープに所属し、その俊足と堅実な守備、そして勝負強い打撃でチームに貢献しました。特に、プロ入り前には「北陸のイチロー」と称され、甲子園に3度出場しています。プロ入り後も、二軍での盗塁王獲得や、一軍でのサヨナラ安打、本塁打キャッチといった印象的なプレーでファンを沸かせました。引退後は、主に中国放送の野球解説者としてメディアで活躍しています。私生活では、広島ホームテレビアナウンサーの坪山奏子と結婚しています。
2. 経歴
天谷宗一郎は、プロ野球選手としての一生涯を通じて、多くの挑戦と活躍を経験しました。
2.1. プロ入り前
天谷宗一郎は福井県鯖江市出身で、小学校は鯖江市立鳥羽小学校、中学校は鯖江市立中央中学校に在籍していました。
福井県立福井商業高等学校時代は、その卓越したバッティングセンスと俊足から「北陸のイチロー」と呼ばれ、注目を集めました。高校2年生の夏の福井県大会決勝では、内海哲也や李景一らが所属する敦賀気比高との延長10回に及ぶ激戦を3対2で制し、甲子園大会への出場を決めました。しかし、甲子園では7番右翼手として出場しましたが、チームは初戦で敗退しました。この時のチームメイトには、1学年上に山岸穣がいました。
翌年の春の甲子園では3番打者として出場し、1回戦で1本塁打を含む3安打、さらに1イニングに2盗塁を記録するなど、目覚ましい活躍を見せました。さらに夏の甲子園にも出場し、高校野球において3期連続で甲子園に出場する実績を残しました。
50メートル走6秒0の俊足と優れた選球眼、そして鋭いスイングが評価され、2001年のドラフト会議において広島東洋カープから9巡目で指名を受け、入団しました。背番号は69に決定しました。福井商業高校からのプロ入りは、当時の同僚である横山竜士以来7年ぶりのことでした。
2.2. プロ入り後
2.2.1. 初期および二軍での活躍 (2002年 - 2006年)
プロ入り後、天谷宗一郎は広島東洋カープで着実に経験を積みました。
2002年(1年目)は、二軍で40打数2安打、打率.050と打撃が振るいませんでしたが、8四球を選び2盗塁を記録するなど、出塁能力と走力を見せました。
2003年(2年目)には打撃が大きく向上し、二軍で1番打者を任されるようになりました。一時は打率4割を超えるなど、前半戦は二軍の首位打者を独走していました。しかし、後半戦になると苦手な外角の変化球を攻められ打率を落としましたが、最終的に二軍で打率.266、6本塁打、27盗塁を記録し、ウエスタン・リーグの盗塁王タイトルを獲得しました。四死球が多く、出塁率は3割5分を超えました。
2004年、前年オフから取り組んでいた一本足打法をやめ、元のすり足打法に戻すなど、打撃面で試行錯誤を続けました。この年、初めて一軍の春季キャンプに参加しましたが、オープン戦での打率.133と結果を残すことができませんでした。8月20日にはプロ3年目で一軍に初昇格しましたが、2打数無安打、盗塁も1つも決められず、8月30日に二軍に降格しました。しかし、再昇格後の10月3日の対阪神タイガース戦でプロ初先発出場を果たし、第1打席でプロ初安打を放つ活躍を見せました。積極的な走塁で二塁を陥れるなど、自慢の足も披露しました。ウエスタン・リーグでは2位に20個もの差をつけ、42盗塁で2年連続の盗塁王タイトルを獲得し、その快足ぶりを遺憾なく発揮しました。
2005年、前年オフに左足靭帯を痛め、さらに春季キャンプで捻挫したため、開幕を二軍で迎えました。6月14日のウエスタン・リーグでの対中日ドラゴンズ戦では、二盗を試みてスライディングした際に右肩を脱臼するという不運に見舞われました。この怪我により、一軍での出場はわずか2試合にとどまりました。
2006年、5月に一軍へ昇格しましたが、約1ヶ月で二軍落ちとなりました。主に代走での出塁が期待されましたが、盗塁は0に終わり、打撃でも8打数0安打とアピールできませんでした。一方で二軍では、最高出塁率.366、24盗塁を記録し、自身3度目となる盗塁王のタイトルを獲得しました。特に、これまでなかなか7割を超えなかった盗塁成功率が86%を記録し、盗塁技術の向上が見られました。しかし、二軍での打率が.252と、プロ1年目を除けば自己最低の成績となり、本塁打もゼロに終わりました。
2.2.2. 一軍定着と主要な活躍 (2007年 - 2012年)
天谷宗一郎は2007年以降、一軍での存在感を高め、チームの重要な戦力となりました。
2007年、背番号を49に変更しました。4月28日の対阪神戦でプロ初本塁打を記録しました。5月に入り、一時期は一軍のレギュラーを奪うなど大きく飛躍するかに見えましたが、牽制球で帰塁する際に左肩を痛めて戦線離脱しました。以後一軍に戻ることはなく、このシーズンは20試合の出場にとどまりました。
2008年、春季キャンプで当時の監督であるマーティ・ブラウンから「才能、打撃センス、スピードが魅力。ぜひ使いたい」と絶賛され、3月28日の開幕戦(対中日ドラゴンズ戦)で1番・中堅手として自身初の開幕スタメンを飾りました。4月5日の対横浜ベイスターズ戦では、延長10回に那須野巧から自身初となるサヨナラ安打を放ち、4月半ばには首位打者に立つなど、課題であった打撃が大きく向上しました。また、前年まで凡ミスが目立った外野守備も、本来の広い守備範囲が活かされるようになり、阪神から移籍してきた赤松真人と共に「鉄壁の外野」を形成しました。最終的に規定打席にはわずか3打席届かず、打率も.263にまで下がったものの、自己最多の135試合に出場し、飛躍のシーズンとなりました。4月5日の横浜戦でのヒーローインタビューでは、「おいしいお酒を飲んで明日も球場に来てください!」とユニークな発言で球場のファンを沸かせ、翌4月6日の横浜戦でも長谷川昌幸と共にヒーローインタビューに立ち、「明日は月曜日で仕事があると思うのでお酒は控えめに」と発言し、再びファンを和ませました。
2009年、4月3日の開幕戦に8番・右翼手で出場しました。4月は調子が上がらなかったものの、5月になると調子を上げ、3番打者に起用されました。チーム打率が2割台前半に低迷する中で打率.400を記録して気を吐きましたが、5月13日の対阪神戦でファウルを打った際に右手有鈎骨を骨折し、長期離脱を余儀なくされました。しかし、驚異的な回復力を見せ、49日後には二軍で実戦復帰しました。7月15日の対横浜戦に「3番・右翼」で先発出場し、一軍に復帰しました。骨折の影響で94試合の出場にとどまり、前年同様に規定打席には届かなかったものの、自身初の打率3割・5本塁打・41打点をマークしました。
2010年、オープン戦で打率3位の.396をマークし、3番・中堅手に抜擢されましたが、シーズンに入ると打率1割台後半から2割前後を推移する深刻な打撃不振に陥り、打撃好調の赤松や廣瀬純にスタメンを奪われることが多くなりました。後半戦からは多少持ち直しましたが、前半戦の不振が響き打率.245と成績を落としました。しかし、印象的なプレーも多く、4月28日の対横浜戦では、チームでは正田耕三(1989年10月15日の対中日戦で1試合6盗塁を記録)以来21年ぶりとなる1試合4盗塁を記録しました。また、8月27日の対読売ジャイアンツ戦では延長11回に野間口貴彦から逆転サヨナラ3ラン本塁打を放ちました。同年8月22日の対横浜戦では、8回表にブレット・ハーパーが齊藤悠葵から放ったセンターへのホームラン性の打球を、およそ1.8 mのフェンスを駆け上がってエビ反り状態になりながら好捕しました。この時、齊藤は本塁打を打たれたと思い込んでいたため、天谷が捕球するのを見て目を丸くして驚いていたといいます。このようなビッグプレーは8月4日の対横浜戦でも同僚の赤松が見せており(その時の投手も齊藤で、打者は村田修一)、天谷はそれを「すごく意識するようになった」と語っています。22日の未明、日本テレビのスポーツニュースで赤松のプレーが特集された際に、マツダスタジアムに展示されている、天谷がフェンスによじ登ってホームランキャッチする姿を模した「激突!天谷くん」人形が紹介されており、わずか一夜明けてそれを現実の物としてしまいました。なお後日、登ったフェンスのすぐ下にフマキラーがベープの広告を出していたため、同社から天谷にベープ、薬用ハンドソープなどが送られたことが、球団広報である比嘉寿光のブログで明らかになりました。同様に赤松も、よじ登ったフェンスに広告を掲載していた石窯タカキベーカリーからパンの詰め合わせが贈られています。
2011年、開幕当初から打撃不振に苦しみ、5月には打率1割台に低迷し、二軍落ちも経験しました。6月に一軍復帰後は一時的に復調したかに見えましたが、夏場以降に再び調子を落とし、代打や代走・守備固めでの起用が多くなりました。最終的に打率.210と不本意な成績に終わりました。同年12月27日、広島ホームテレビアナウンサーの坪山奏子と結婚したことを発表しました。
2012年、不調のため開幕を二軍で迎えましたが、5月になって一軍に昇格しました。6月にかけて徐々に調子を上げ、16試合連続安打を記録するなど月間打率.373をマークし、一時は打率.327まで上昇させました。6月中旬からは1番打者として固定して起用され、同月17日の西武戦では西武ドームで岸孝之から初回先頭打者初球本塁打を放つなどチームを勢いづけ、同時期に打撃好調で4番を打った岩本貴裕と共に、チームの3位浮上の原動力となりました。7月までは打率3割台を維持していましたが、8月以降調子を落とし、打順も5番や7番に下がり、相手の左投手が先発の試合ではスタメンから外れることもありました。それでも8月25日の阪神戦でチーム20年ぶりとなるランニングホームランを放ち、9月27日の巨人戦では9回裏に逆転サヨナラヒット(記録上は安打と外野手の失策)を記録するなど、記憶に残るプレーを見せました。最終的には打率.264に終わったものの、過去2年を上回る成績を残しました。
2.2.3. 怪我と不調の時期 (2013年 - 2017年)
2013年以降、天谷宗一郎は度重なる怪我と打撃不振に苦しみました。
2013年、シーズンを通して一軍と二軍を往復する日々が続き、レギュラー定着後以降最少となる34試合の出場にとどまりました。また、プロ5年目の2006年以来7年ぶりとなるシーズン無本塁打に終わり、打率.208と打撃不振に陥りました。二軍では75試合に出場し、打率.289、3本塁打の成績を残しました。
2014年、チームが8連敗していた6月14日、開幕から左打ちの右翼手として一軍に帯同していた松山竜平が前日の西武戦で左膝を負傷したことに伴い、シーズン初の一軍登録となりました。その日のロッテ戦に1番ライトでスタメン復帰すると第1打席からヒットを放ち、さらに6月15日には2年ぶりとなる先頭打者本塁打を放ち、チームを連敗から脱出させました。その後も7月2日の読売ジャイアンツ戦や、8月20日の横浜戦でも先頭打者本塁打を放ちました。8月以降は堂林翔太や鈴木誠也、復帰した松山などにスタメンの座を奪われたものの、左の代打として、代打打率.333、代打出塁率.440の成績を残しました。
2015年、前年より試合数を減らし、30試合出場、打率.214、2打点、3盗塁という成績でした。5月21日に登録抹消され、それ以降一軍出場はありませんでした。また、4月7日の巨人戦で、1点リードの9回にレフトの守備固めとして起用されましたが、亀井義行が放ったレフトへのフライを風の影響もあり落球し、二塁への進塁を許しました。その後、井端弘和がタイムリーを放ち二塁走者が生還し、同点に追いつかれ、最終的にチームは敗戦しました。このシーズンは守備でのミスも目立つ年となりました。
2016年、開幕一軍入りを果たしました。シーズン2戦目に7番ライトで出場し、第3打席で決勝タイムリーを放ちチームのシーズン初勝利に貢献しました。その後もスタメン出場の機会に恵まれ、決勝打を放つなど活躍しましたが、好調は長続きせず6月5日に登録抹消となりました。その後も一軍と二軍を往復するシーズンとなり、55試合の出場にとどまりました。代打で30回起用(24打数)されるも1本もヒットを打てないなど、3本の決勝打を放った開幕後の好調期以外は打撃不振に苦しみ、打率.175に終わりました。
2017年、56試合に出場し、打率.189でした。
2.2.4. 現役引退 (2018年)
2018年9月27日、球団から現役引退が発表されました。10月4日、マツダスタジアムでの巨人戦で引退試合が行われ、1番中堅手で先発出場しました。1回裏に菅野智之と対戦し、捕手へのゴロに倒れ、プロ野球選手としての現役最終打席を終えました。
3. 選手としての特徴・人物
3.1. 選手としての特徴・プレースタイル

天谷は自身のバッティングスタイルを維持するため、バッターボックスに入る際に小声で「センター(返し)、センター...」とつぶやく習慣がありました。俊足のため併殺打が少なく、一定以上の長打力も兼ね備えていたため、様々な打順をこなせるユーティリティプレーヤーでした。選球眼にも優れており、2008年と2010年はシーズン打率が2割5分前後であったにもかかわらず、いずれも3割を大きく超える出塁率を記録しています。
一軍に定着した2008年は、主に左翼手・中堅手として起用され、外野で最も肩力が要求される右翼手としての出場はほとんどありませんでした。しかし、外野が広く、右翼線を抜けた打球が即三塁打につながるマツダスタジアムに本拠地が変わった2009年からは、広い守備範囲を重視した首脳陣の意向により、右翼手にコンバートされています。
昔から良い選手のプレーを積極的に真似する姿勢を持っており、スパイクは赤星憲広(元阪神タイガース)、グラブは同僚であった廣瀬純のモデルを着用していたと述べています。また、千葉ロッテマリーンズに所属していた岡田幸文がテレビ番組で外野守備の極意を披露した際に、参考にした選手として天谷の名前を挙げ、彼へのリスペクトを表明していました。
3.2. 人物
天谷は、モデルとして活躍している伽奈とは実家が近く、幼なじみの関係にあります。天谷本人は伽奈について「モデルというより、単なる友達」と語っています(2008年9月9日の中国新聞夕刊より)。
サッカー選手の槙野智章(当時サンフレッチェ広島所属)とも親交があり、2009年2月号の『広島アスリートマガジン』では対談も実現しました。
2017年にチームがリーグ連覇を達成した際には、菊池涼介が前年の胴上げ中にカンチョーを仕掛けていたことを聞き、天谷も上本崇司にカンチョーを実行しました。この件についてインタビューで「そういうことをするような歳ではありませんが、これぐらいの余裕を相手チームに見せつけないとね」とコメントし、その人柄が垣間見えるエピソードとなりました。
4. 引退後の活動
4.1. 野球解説者として
プロ野球選手引退後の2018年12月11日、RCCの野球解説者として『RCCニュース6』のスポーツコーナーに出演し、引退後初の野球解説者デビューを飾りました。2019年からは本格的に中国放送の野球解説者として活動しています。
主な出演番組は以下の通りです。
- 『RCCニュース6』(2018年12月 - 2019年、RCCテレビ)スポーツコーナー
- 『Veryカープ! RCCカープナイター/カープデーゲーム中継』(2019年 - 、RCCラジオ)
- 『S☆1 BASEBALL』(2019年 - 、RCCテレビ)※ローカル中継は上記ラジオと同じ番組名で放送
- 『イマナマ!』月曜コーナー「カーチカチ! テレビ ヘッドスライ天谷の『サイン集めの旅2020』」(2020年1月6日 - 、RCCテレビ)
- 『イマナマ!』シリーズ「教えて!天谷さ~ん!」(2020年2月11日 - 、RCCテレビ)
- コーナー「鯉人レストラン アナタの推し教えてください」(2021年6月28日 - )
- 『それ聴け!スポ魂!』(2020年 - 、RCCラジオ)※広島東洋カープの投手コーチに就任した横山竜士の後任として水曜日に出演
4.2. その他メディア出演
野球解説者としての活動以外にも、天谷は様々なメディアに登場しています。
- 広島広域都市圏 魅力発信『元就。二百万一心』(2021年)では「家臣」(リポーター)として出演しました。
- 『枠を越えてワクワク! 天谷宗一郎が WISH Matchで異競技対決!』(2022年7月 - 、RCCテレビ)に出演しています。
5. 詳細情報
5.1. 年度別成績
5.1.1. 打撃成績
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗塁 失敗 | 犠牲 バント | 犠牲 フライ | 四 球 | 故意 四球 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | 広島 | 10 | 12 | 11 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 4 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | .182 | .250 | .364 | .614 |
2005 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2006 | 17 | 9 | 8 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | .000 | .111 | .000 | .111 | |
2007 | 20 | 39 | 31 | 6 | 8 | 0 | 0 | 1 | 11 | 2 | 2 | 2 | 2 | 0 | 5 | 0 | 1 | 7 | 0 | .258 | .378 | .355 | .733 | |
2008 | 135 | 443 | 392 | 49 | 103 | 8 | 1 | 4 | 125 | 24 | 13 | 9 | 11 | 2 | 34 | 0 | 4 | 76 | 2 | .263 | .326 | .319 | .645 | |
2009 | 94 | 361 | 317 | 35 | 95 | 14 | 7 | 5 | 138 | 41 | 12 | 10 | 6 | 5 | 31 | 0 | 2 | 62 | 4 | .300 | .361 | .435 | .796 | |
2010 | 123 | 382 | 335 | 46 | 82 | 11 | 2 | 6 | 115 | 35 | 18 | 10 | 1 | 3 | 37 | 0 | 6 | 72 | 3 | .245 | .328 | .343 | .671 | |
2011 | 100 | 187 | 167 | 15 | 35 | 6 | 3 | 1 | 50 | 12 | 8 | 2 | 3 | 0 | 14 | 0 | 3 | 33 | 2 | .210 | .283 | .299 | .582 | |
2012 | 108 | 397 | 359 | 44 | 95 | 21 | 0 | 6 | 134 | 25 | 12 | 9 | 2 | 1 | 32 | 0 | 3 | 64 | 3 | .265 | .329 | .373 | .702 | |
2013 | 34 | 62 | 53 | 5 | 11 | 1 | 0 | 0 | 12 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 15 | 0 | .208 | .323 | .226 | .549 | |
2014 | 59 | 128 | 111 | 20 | 35 | 4 | 2 | 3 | 52 | 6 | 4 | 3 | 0 | 0 | 16 | 2 | 1 | 27 | 0 | .315 | .405 | .468 | .875 | |
2015 | 30 | 34 | 28 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | 3 | 4 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 7 | 1 | .214 | .353 | .214 | .567 | |
2016 | 55 | 96 | 80 | 12 | 14 | 2 | 0 | 1 | 19 | 8 | 3 | 0 | 0 | 1 | 13 | 0 | 2 | 16 | 1 | .175 | .302 | .238 | .540 | |
2017 | 56 | 45 | 37 | 6 | 7 | 1 | 0 | 0 | 8 | 2 | 1 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 1 | 17 | 0 | .189 | .268 | .216 | .485 | |
2018 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
NPB:15年 | 844 | 2198 | 1932 | 243 | 493 | 68 | 16 | 27 | 674 | 159 | 81 | 53 | 29 | 12 | 201 | 2 | 24 | 405 | 16 | .255 | .331 | .349 | .680 |
5.1.2. 守備成績
年 度 | 球 団 | 外野 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
2004 | 広島 | 8 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2005 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2006 | 8 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2007 | 10 | 7 | 0 | 1 | 0 | .875 | |
2008 | 127 | 184 | 5 | 3 | 1 | .984 | |
2009 | 91 | 156 | 4 | 6 | 1 | .964 | |
2010 | 93 | 176 | 6 | 4 | 1 | .978 | |
2011 | 76 | 83 | 3 | 0 | 2 | 1.000 | |
2012 | 99 | 171 | 2 | 0 | 1 | 1.000 | |
2013 | 23 | 21 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | |
2014 | 41 | 44 | 2 | 1 | 0 | .979 | |
2015 | 20 | 15 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2016 | 33 | 24 | 1 | 2 | 0 | .926 | |
2017 | 33 | 17 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2018 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 664 | 909 | 24 | 17 | 7 | .982 |
5.2. 表彰
- スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞:1回 (2010年)
- 「ジョージア魂」賞選考委員特別賞:1回 (2010年)
- 「ジョージア魂」賞:1回 (2010年度第11回)
5.3. 記録
- 初出場:2004年8月20日、対読売ジャイアンツ22回戦(広島市民球場)、8回裏に野村謙二郎の代走で出場
- 初打席:2004年8月21日、対読売ジャイアンツ23回戦(広島市民球場)、9回裏に三澤興一から二塁ゴロ
- 初先発出場:2004年10月3日、対阪神タイガース27回戦(広島市民球場)、2番・中堅手で先発出場
- 初安打:2004年10月3日、対阪神タイガース27回戦(広島市民球場)、1回裏に杉山直久から中前安打
- 初盗塁:2004年10月6日、対横浜ベイスターズ24回戦(広島市民球場)、6回裏に二盗(投手:川村丈夫、捕手:相川亮二)
- 初打点:2004年10月7日、対中日ドラゴンズ25回戦(広島市民球場)、6回裏に岡本真也から左中間へ適時三塁打
- 初本塁打:2007年4月28日、対阪神タイガース4回戦(広島市民球場)、5回裏に杉山直久から右越2ラン
- 初サヨナラ安打:2008年4月5日、対横浜ベイスターズ2回戦(広島市民球場)
5.4. 背番号
- 69 (2002年 - 2006年)
- 49 (2007年 - 2018年)
5.5. 登場曲
- RYO the SKYWALKER 『Marching For Freedom』(2008年)
- 日華 『No.1』(2009年)
- micro 『踊れ』(2009年)
- 丸本莉子 『ココロ予報』(2012年)
- ももいろクローバーZ 『行くぜっ!怪盗少女』(2012年)
- 桃黒亭一門 『ニッポン笑顔百景』(2013年)
- MAN WITH A MISSION 『FLY AGAIN』(2014年 - )
- MAN WITH A MISSION 『Raise your flag』(2016年 - )
6. 関連項目
- 福井県出身の人物一覧
- 広島東洋カープの選手一覧
7. 外部リンク
- [http://www.s-amaya.com 天谷宗一郎オフィシャルサイト]
- [https://twitter.com/amaya_49 天谷宗一郎公式Twitter]
- [https://ameblo.jp/amaya-soichiro 天谷宗一郎 オフィシャルブログ 「AMAYA 49」]