1. 人物・来歴
尾川智子の人生は、幼少期の宇宙への憧れから始まり、登山、そしてクライミングへと情熱を傾けるようになった。その過程で、彼女は数々の困難を乗り越え、日本の女性クライミング界の道を切り開いていった。
1.1. 幼少期と教育
尾川智子は1978年4月14日に愛知県田原市で生まれた。幼少期には、毛利衛がスペースシャトル・エンデバーで宇宙を飛行したこと(STS-47)に強い影響を受け、宇宙飛行士になることを夢見ていた。この夢を叶えるため、東京大学理科I類を現役時と1浪時の計2回受験したが、いずれも不合格となった。
その後、早稲田大学理工学部応用物理学科に進学し、2003年に卒業した。大学時代には、大槻義彦の授業を落とし、留年を経験している。高校時代は愛知県立時習館高等学校に在籍し、放送部に所属。NHK全国放送コンテストのアナウンス部門では準々決勝まで進出する実績を残した。
1.2. クライミングとの出会いと初期キャリア
宇宙飛行士への夢を追いかける中で、尾川は「日本一高いところに登れば日本一宇宙に近づける」という考えから富士山に登頂し、これをきっかけに登山を始めた。大学時代にはワンダーフォーゲル部に所属し、高難度の山に挑戦するためアルパイン・クライミングの練習に打ち込んだ。
2000年、22歳の時に富山国体の山岳競技に誘われたことをきっかけに、本格的にフリークライミングの世界に足を踏み入れた。当初はロープを使用するフリークライミングを行っていたが、後にロープを使わないボルダリングに活動の重点を置くようになった。尾川は日本人女性初のプロクライマーとして、以来、高難度の岩に挑戦し続けている。
2. 主な活動と業績
尾川智子の活動は、競技クライマーとしての輝かしい成績から、クライミングの普及、メディアを通じた啓蒙活動まで多岐にわたる。
2.1. スポーツクライミングキャリア
尾川智子は、国内外の主要なスポーツクライミング大会で活躍し、特にボルダリングにおいて世界的な難易度のルートを次々と完登することで、女性クライミングの可能性を広げた。
2.1.1. 大会成績
尾川智子の主な大会成績は以下の通りである。
年 | 大会名 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|
2000 | 富山国体 | 準優勝 | |
2001 | JFAユース選手権 | 3位 | |
2002 | UIAAワールドカップイタリア | 12位 | 日本人最高位 |
2002 | UIAA International Event | 19位 | |
2003 | ASIAN X-games | 優勝 | |
2003 | 世界選手権フランス | 18位 | 日本人最高位 |
2004 | UIAA world cup ITALY | 11位 | |
2004 | UIAA International Event | 13位 | |
2004 | IUAA world cup CHINA | 10位 | 日本人最高位 |
2005 | 全米大会SEND FEST Salt Lake | 優勝 | 日本人女性初 |
2006 | ASIAN X-games | 優勝 |
2.1.2. 主要な登攀記録
2008年からは自然の岩場を活動の拠点とし、数々の高難度ルートを完登している。
- カランバ (Caramba):2008年4月に難度V12を達成。これは日本人女性初の快挙であった。
- ムタンテ (Mutante):2009年に難度V12を完登。
- カタルシス (Catharsis):2012年10月20日、栃木県那須塩原市にあるこのルート(難度V14)を女性として世界で初めて完登した。このルートは小山田大が初登し、ダニエル・ウッズらによって再登されV14が確定された。ルーフ(天井)状の岩を登るこのルートは、2009年秋から3年の歳月をかけて挑戦し、完登に至った。
- その他:Akugeki英語 V11/V12、Atomic Playboy英語 V11、Hatchling英語 V11、No Late Tenders英語 V11など、多くの高難度ルートを完登している。
2.1.3. 受賞歴
- ゴールデン・ピトン賞 (Golden Piton Award):2012年に「世界で一番活躍したクライマー」に贈られる同賞のボルダリング部門を受賞。これは日本人では平山ユージ、小山田大に続く3人目であり、日本人女性としては初。
- ゴールデン・クライミング・シューズ賞 (Golden Climbing Shoes Award):2013年にノミネートされたが、妊娠中であったため授賞式への参加を辞退。しかし、2014年11月に改めて同賞を受賞した。
2.2. クライミング普及と教育活動
尾川智子は、スポーツクライミングの魅力をより多くの人々に伝えるため、多岐にわたる普及・教育活動を展開している。
彼女が開発したシートボルダリングは、壁を借りる予算がない場所でも手軽にボルダリングを楽しめるように考案されたもので、全国の小学校などで活用されている。これは、スポーツクライミングの新たな可能性を示す画期的な取り組みである。
また、JFAこころのプロジェクトの「夢先生」(通称:ユメセン)のメンバーとして全国の小学校を訪問し、子供たちに夢を持つことの大切さを伝えている。2020年東京オリンピック・パラリンピックの教育事業講師も務め、大会の啓蒙活動にも貢献した。
その他、田原市のふるさと観光大使として地域の魅力発信にも協力。アディダスやコナミスポーツクラブのアウトドア・ボルダリングアドバイザー、田原市児童施設のボルダリングアドバイザーとしても活動し、専門知識を活かして指導を行っている。
出版活動も積極的に行っており、『クライミングで美しい身体を手に入れる! 尾川智子のボルダリングBasic』(スキージャーナル)、『The Cliff(ザ・クリフ) 尾川智子ボルダリングトライアル』(マジカル)、『壁に挑め!ボルダリング入門』(NHK出版)、『誰でもはじめられるボルダリング』(成美堂出版)などの著書を通じて、ボルダリングの基礎や魅力を伝えている。
講演活動も活発で、「壁を乗り越えて~次なる頂点へ登り続ける~」といったテーマで、企業、学校、地域団体など様々な場所で自身の経験を語り、聴衆にインスピレーションを与えている。
2.3. メディア出演・活動
尾川智子は、その卓越したクライミング能力と親しみやすい人柄から、テレビ、ラジオ、雑誌、ウェブなど多くのメディアで活躍している。
スポーツクライミングの解説者として、2019年8月には世界選手権を会場内やJ SPORTS、各局のスポーツニュースで解説した。NHKの講師として『Let's!クライミング』や『チャレンジ!ホビー「壁に挑め!ボルダリング入門」』に出演し、ボルダリングの指導を行った。
テレビ番組では、『マツコの知らない世界』(2015年11月、TBS)や『中居正広の身になる図書館』(2019年2月25日、テレビ朝日)、『ジャンクSPORTS』(2008年11月30日、フジテレビ)など多数の番組に出演。特に『VS嵐』(2010年12月16日・2011年6月23日、フジテレビ)では、通常2人で行うクリフクライムを1人で挑戦し、追加グリップなし(2回目は壁のグリップもなし)でパーフェクトを達成し、その身体能力の高さを見せつけた。
ラジオでは、『尾川とも子のはーとふるボルダリング』(東海ラジオ)でパーソナリティを務めたほか、多数の番組に出演し、クライミングや自身の活動について語っている。
また、ディノス、ポーラ、三洋信販などのテレビCMに出演し、アディダス、コナミスポーツクラブ、ボルボ、マツダ、フォード、オリンパス、ナイキ、PEACH JOHNなどのイメージキャラクターも務めた。レスリー・キーの写真集『SUPER TOKYO』やアラーキーの新聞連載『アラーキーのニッポン』でモデルを務めるなど、多方面でその存在感を示している。
3. 私生活
尾川智子は、競技や普及活動の傍ら、私生活においても充実した日々を送っている。
3.1. 家族と趣味
2014年1月に男児を、2016年9月に女児を出産し、二児の母として子育てにも奮闘している。
クライミング以外の趣味としては、落語が挙げられる。2009年9月から古今亭駿菊師匠に師事し、落語を学んでいる。高座名「すまいる亭岩雌(いわし)」を持ち、これまでに何度か高座にも上がっている。主な演目は「出来心」、「子ほめ」、「たらちね」、「転宅」、「道具屋」などである。
また、特技として一本指での懸垂があり、テレビ番組などでたびたび披露している。
2015年11月に『マツコの知らない世界』に出演した際、山梨県の瑞牆山、大黒岩エリアにある無名のボルダリングルートの名付けをマツコ・デラックスに依頼したところ、「とも子」と命名され、現在そのルートは「とも子」初段として知られている。
2018年2月には、東京オリンピックのスポーツクライミング追加正式種目の啓蒙活動の一環として、東京マラソンにゲストランナーとして参加し、6時間58分で完走した。その様子はフジテレビで放映された。
4. 影響力と評価
尾川智子は、その競技成績だけでなく、女性クライマーとしての先駆的な役割や、スポーツクライミングの普及に対する貢献を通じて、日本のスポーツ界、特にクライミング分野に多大な影響を与えている。
4.1. 女性クライマーとしての先駆者的な役割
尾川智子は、日本人女性初のプロクライマーとして、女性のボルダリングのグレードを世界レベルに引き上げたパイオニアである。2012年にV14「カタルシス」を完登したことは、女性クライマーが到達できる難易度の限界を押し広げる歴史的な快挙であり、その後の女性クライマーたちに大きな目標と希望を与えた。
彼女の登場は、女性がクライミング界で活躍する道筋を明確に示し、多くの女性が競技クライミングに挑戦するきっかけとなった。彼女の記録は、後にアンジー・ペインがV12、アシーマ・シライシがV15、ケイティ・ラムがV16を達成するなど、世界の女性クライマーのレベルが飛躍的に向上する流れの一端を担った。
4.2. クライミングの普及とスポーツ振興への貢献
尾川智子は、競技者としての活動と並行して、スポーツクライミングの一般への普及にも積極的に取り組んできた。彼女が開発したシートボルダリングは、場所を選ばずにボルダリングを楽しめる革新的なアイデアであり、特に子供たちや初心者にとってクライミングへの敷居を下げることに貢献した。
全国の小学校を訪問して行う「夢先生」としての講演活動や、東京オリンピック・パラリンピック教育事業への参加は、次世代のスポーツ愛好家やクライマーを育成する上で重要な役割を果たしている。また、テレビやラジオ、雑誌などのメディアに積極的に出演し、スポーツクライミングの魅力を分かりやすく伝えることで、その認知度向上と大衆化に大きく貢献した。彼女の活動は、クライミングが単なる競技ではなく、誰もが楽しめる健康的なスポーツとしての地位を確立する上で不可欠なものであった。
4.3. 後進クライマーへのインスピレーション
尾川智子の卓越した競技成績と、困難なルートに挑戦し続ける姿勢は、多くの若手クライマーにとって大きな目標となっている。特に、女性として世界初のV14完登という偉業は、女性クライマーたちが自身の限界を信じ、さらなる高みを目指すための強力なインスピレーションを与えている。
また、二児の母として競技活動を続ける姿は、ライフステージの変化があっても情熱を追求できることを示し、多くの女性に勇気を与えている。彼女の多岐にわたる活動は、単なるスポーツ選手としてだけでなく、社会にポジティブな影響を与えるロールモデルとして高く評価されている。