1. 選手としての経歴
尾﨑勇史のプロサッカー選手としてのキャリアは、ユース時代から始まり、複数のクラブでの経験を経て形成されました。
1.1. ユース時代
尾﨑勇史は三重県出身で、四日市中央工業高校でサッカーをしました。1984年から1986年まで同校のサッカー部に所属し、プロ入り前の基礎を築きました。
1.2. プロ経歴
高校卒業後、尾﨑はプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせ、複数のクラブでプレーしました。
1.2.1. ヤマハ発動機 / ジュビロ磐田
1987年、高校を卒業した尾﨑はヤマハ発動機サッカー部(後のジュビロ磐田)に加入しました。入団当初から1990年代前半にかけては森下申一、1990年代後半には大神友明の控えとして、なかなか出場機会を得ることができませんでした。しかし、チーム内の他のゴールキーパーが不安定な時期には、多くの出場機会を与えられました。
1999年シーズン後半からはレギュラーゴールキーパーとして定着し、チームは1999年J1リーグで優勝を果たしました。特に、1999年のJリーグチャンピオンシップ第2戦ではPK戦でセーブを記録し、チームの優勝に貢献しました。さらに、翌年の2000年3月に行われたXEROX SUPER CUPでもPK戦でスーパーセーブを連発し、その存在感を強く印象付けました。
しかし、2000年6月にクラブがアルノ・ヴァンズワムを獲得したことで、尾﨑は再びレギュラーの座を失い、出場機会が減少しました。
1.2.2. アビスパ福岡
2000年11月、尾﨑はアビスパ福岡へ期限付き移籍しました。翌2001年には完全移籍を果たしました。アビスパ福岡では、小島伸幸や塚本秀樹とポジションを争い、リーグ戦で10試合に出場しました。
1.2.3. サンフレッチェ広島
2002年、尾﨑はサンフレッチェ広島へ移籍しました。ここでは下田崇の控えという立場であり、在籍した2年間でリーグ戦2試合の出場にとどまりました。そして、2003年シーズンを最後に現役を引退しました。
2. 指導者としての経歴
現役引退後、尾﨑勇史はサッカー指導者としての道を歩み始めました。
2004年からは磐田市に戻り、磐田東中学校の非常勤職員として同校サッカー部の指導にあたりました。その傍ら、磐田東高校や静岡産業大学サッカー部などでもゴールキーパーコーチを務めました。2005年4月には、磐田東高校の常勤事務職員となり、正式にコーチに就任し、若手選手の育成に貢献しています。
3. 個人成績
尾﨑勇史のプロサッカー選手としての公式戦出場記録は以下の通りです。
クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグカップ | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 合計 | ||||||
1987-88 | ヤマハ発動機 | JSL1部 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1988-89 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
1989-90 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
1990-91 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | ||
1991-92 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||
1992 | 旧JFL1部 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||
1993 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | ||
1994 | ジュビロ磐田 | J1リーグ | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 0 |
1995 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |||
1996 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
1997 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||
1998 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
1999 | 11 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | 18 | 0 | ||
2000 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 | 0 | ||
2000 | アビスパ福岡 | J1リーグ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2001 | 10 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 13 | 0 | ||
2002 | サンフレッチェ広島 | J1リーグ | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
2003 | J2リーグ | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||
通算 | 53 | 0 | 3 | 0 | 7 | 0 | 63 | 0 |
その他の公式戦出場記録:
- 1990年 コニカカップ: 2試合0得点
- 1998年 XEROX SUPER CUP: 1試合0得点
- 1999年 Jリーグチャンピオンシップ: 2試合0得点
- 2000年 XEROX SUPER CUP: 1試合0得点
4. 主な功績と特徴
尾﨑勇史は、長年にわたり控えゴールキーパーとしての役割を担いながらも、重要な局面でチームに貢献する能力を持っていました。特に、PK戦におけるセービング能力は特筆すべきものでした。
1999年のJリーグチャンピオンシップ第2戦では、PK戦で相手のシュートをセーブし、チームのJリーグ優勝に大きく貢献しました。また、2000年のXEROX SUPER CUPでもPK戦で複数のスーパーセーブを連発し、その勝負強さと集中力を強く印象付けました。これらの活躍は、彼が単なる控え選手ではなく、大舞台で力を発揮できる実力派ゴールキーパーであったことを示しています。
5. 個人生活
尾﨑勇史の個人生活に関する公開されている情報は限られています。結婚や家族関係についての詳細な記述は、提供された資料からは確認できません。
6. 評価と影響
尾﨑勇史は、その選手キャリアを通じて、特にPK戦での勝負強さで知られました。彼がジュビロ磐田の黄金期に控えながらも、重要な試合でチームを救った功績は、チームの成功に不可欠な要素でした。彼のプレーは、ゴールキーパーの役割が単にシュートを止めるだけでなく、チームの士気を高め、試合の流れを変える重要な存在であることを示しました。引退後、サッカー指導者として若手選手の育成に携わっていることは、日本のサッカー界への継続的な貢献として評価されています。しかし、サッカー界全体や社会に与えた歴史的・社会的な評価や影響に関する具体的な情報は、提供された資料では限定的です。
7. 関連項目
- ジュビロ磐田の選手一覧
- アビスパ福岡の選手一覧
- サンフレッチェ広島F.Cの選手一覧